始めに訪れた村
天気は快晴。空気が澄んでいてカラッとしている。
仲秋らしく、日が出ている日中はまだ少し暖かい気候だ。
今は日が傾いてそろそろ夕暮れに差し掛かりそうな時間帯。
木々に紛れるように、石造りの小さな家がぽつぽつと点在している人里があった。円錐形の屋根に煙突、白壁の真ん中にアーチ型の玄関と小窓があるだけの、一見可愛らしい見た目の平屋だ。
傍には小さな畑もあって、収穫前なのか葉が見えている。鍬などの農具、斧や薪なども出ていて、生活感が垣間見える光景だ。
それなのに、人の姿だけが見えない。音も聞こえてこない。
まるである日忽然と消えてしまったかのような静けさだ。
荒らされているような痕跡はない。建物も古びてはいるが破壊痕などもなく綺麗なままだ。
住人はどこに行ってしまったのだろうか。
所々玄関ドアが開き放たれていたため軽く覗き込んでみるも、人がいるような気配はなかった。少し散らかったような跡と、食事の準備中だったのかテーブルに食器類が出しっ放しになっているような家もあって、余計に違和感が増していく。
「なんか…変な感じだね」
「そうねぇ。大陸最南端という割には気温が低いような気がする」
「えっ…そう、かも…?」
緯度が高いのだろうか。であれば離れたところに本当に別の大陸があるかもしれない。太陽と月のようなものがあるので、地球と似た構造であればあっても不思議ではない。いや、それは今は良いとして。
「ここ…すごく静かだよね…?」
「というか、もぬけの殻って感じね」
家がある周辺の土地を一通り見回りながら、乃愛と沙奈がぽつりと溢す。
「死体とか覚悟してたけど…人の気配だけがしない村って、ちょっと不気味」
沙奈は訝しげに眉根を寄せた。
「なんだろう…慌てていたのかな…夜逃げ…みたいな…?」
乃愛には、差し迫った状況下で、着の身着のまま村人全員で飛び出して行ったかのように見えた。
家畜なども見当たらないのは奇妙だが、物はほとんどそのまま残っていて、つい最近まで使われていたかのような形跡もあった。
「却って危険かもしれないから、ここは素通りして、今日はもうどこか適当なところで野営でもしようか」
「…そうだね」
沙奈は頷いた乃愛の手を掴むと〈瞬間転移〉でその場から姿を消した。
転移した先は街道から少し逸れたところにある広場だった。雑木林の中に拓けた場所があって、近くに小川が流れている。遠目には先ほどの村が見えていた。
「ここは…」
「さっき上から良さげなとこ見つけてたの。たぶん共用野営地みたいな感じじゃない?」
近くの村には宿泊施設などのような建物は見かけなかったので、通行人用の休憩ポイントなのかもしれない。辺りには薪や石かまどが疎に点在している。
沙奈は周辺に落ちている適当な枝や枯れ葉を拾い始めた。焚き火用の火種を作るのだろう。乃愛はボロくなっているかまどの石組みを整えてそこに薪をセットしていく。
黙々と野営の準備をしながら、数時間ほど前の、王都近くにある迷いの森を出た時のことを回想した。
♦︎
当面別行動することになったクラスメイトらと別れた後、二人はしばらく徒歩で森の中を彷徨っていた。
ひたすら真っ直ぐ南下していったが、小一時間ほどして、北上していたはずのクラスメイトらと合流した。そこそこ惜しんで別れた手前、その時の気まずさは言わずもがな、迷いの森という名は伊達ではなかった。
似たような景色が続いて方向感覚が早々に失われてしまったせいもあるが、慣れない素人が適当に森の中を歩けば簡単に迷ってしまうのは無理からぬことだろう。しかし、正反対に出立した者同士が短時間のうちに鉢合わせまでしてしまうと、何らかの作為を感じてしまう。
最初から危惧していた通り普通にこの森を抜けるのは困難と判断し、乃愛と沙奈のペアは転移で脱出、クラスメイトらは魔族に位置がバレないよう数日はこの森で待機する必要があったので、適当な場所で野営して過ごしながら対応策を考えるということだった。
「私たちはすぐに森を出ちゃって大丈夫だったの?」
無理矢理ついてきた負目もあって黙して流れに任せていた乃愛だったが、森を出てから疑問が口を衝いて出て首を傾げた。
森を出たと言ってもすぐ側ではなく、幻影で姿を隠しつつ上空に浮上して、視認できるギリギリの場所への転移を幾度も繰り返しながら、王都からはかなり距離を取った位置で姿を現して一息ついていた。
その力技の移動方法に乃愛は目を回して酔ってしまったため、一旦立ち止まって休息を入れているという状況でもある。
「うん。ここまで離れたら迷宮から出た場所の位置バレもないだろうし、敢えて目撃されることで陽動にもなると思う。魔族の目を私たちに向けられたら、他の皆が動きやすくなるかもしれない」
「え、じゃあ今からずっと、見られながら…移動していくってこと?」
「まぁそうなるのかな?足がないから転移での移動も続けるつもりだけど…。いつまでも隠れていると、コソコソしているようで怪しまれそうだし、そうなると魔族の国に行ったとき歓迎されないでしょ?」
「か、歓迎…?」
乃愛は思わず目を剥いた。まさか沙奈は、正々堂々と正面から魔族の国に訪問するつもりなのだろうか。迷宮での魔族との別れ方を考えれば、例えコソコソしなくとも友好的に迎えられるというのは無理があるだろう。
沙奈は目を細めて悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ふふ…歓迎まではさすがに言い過ぎか。でも現地を見て直接話を聞くのが、一番確実で手っ取り早い気がするのよね。敵じゃないことをアピールするためにも、まずは普通に訪ねてみたいの。魔族が私たちに敵対するつもりはないってことが本当なのかどうかも、その時の対応を見れば分かるだろうし」
「もし攻撃してきたら、どうするの…?」
「その時はトンズラね。そのための転移だし。後はまぁ仕方ないけど、折を見ながらこっそり忍び込んで地道に情報を集めて行くしかなくなるのかな」
「…」
「最初が肝心だと思うのよね。はじめから忍びこんでもしどこかでバレたとき、その後の関係修復は絶望的になりそうでしょ?向こうがどう出るかはわからないけど、こっちには敵意がないんだし、余計なことをして変に拗らせるような真似はしたくないかなって」
スラスラと何でもないかのように言う沙奈だが、考えているようで行き当たりばったりな行動をしようとしていることに呆気にとられて、乃愛は深く溜め息を吐いた。
「はぁ…。サナちゃんにとって、これは無茶じゃない範囲になってるの…?」
「そうだけど…。一人で行きたいって言ってたの、ちょっとは分かってくれた?今からでも戻る?」
「ううん…余計に一人にはしておけないと思い直しただけだから…」
「うーん…そっか。無理しないでいつでも言ってね」
「うん…」
乃愛にはこれといってやりたいことや今後の展望があるわけでもない。現在の状況が目まぐるしくて先々のことを考える余裕がないというのが本当のところだが、とりあえず今に於いてはついてきて良かったと内心安堵した。
沙奈にとって乃愛はお荷物だろうが、一人だとどこまでも危険に突っ込み続けてしまいそうな危うさがある。足を引っ張るような存在がいれば、ある程度行動にセーブができるのではないだろうか。
クラスメイト皆んなを思っての行動だろうし、乃愛に深い考えがあるわけでもないため敢えて邪魔をしたり口を挟むつもりはないが、ついていく以上、沙奈を守る一点だけは譲らないようにしていきたいと心にそっと誓うのだった。