交渉② さようなら
ザロフは一つ息を吐くと、目を伏せて重そうに口を開いた。
「…少し、時間をもらえるか」
「どうぞ。では、五分だけ。小休憩としましょう」
そのままザロフは目を閉じて黙してしまった。また仲間と相談するのだろう。
「ひとまず、おつかれさま」
相馬が紅茶の入ったコップを差し出して労いの声をかける。
「ありがとう。…これ、うまくいくかな?」
新田はそれを受け取って口につけると、息を吐いた。
「うーん…今のところ流れは悪くない気がするけど」
「…そう。アレはどうなったの?」
「うん。何とか間に合ったみたい」
後方にいる小高と上総に目を遣れば、疲れ切った顔でお互いを讃え合っていた。恐らく一睡もしていないのだろう。可哀想に。
「本番はここからだよ。がんばって」
「はぁ…バスケ部の時のようなノリやめて…」
相馬は溜め息を漏らす新田の背を励ますように軽く叩いてその場から離れた。
程なくするとザロフの瞼がぴくりと動き、閉じていた目がゆっくりと開かれた。
「…再開しても?」
「ああ」
両者の視線がぶつかって、後半戦が始まった。
「茶番はこれくらいにして、本題に移りたいのですが?」
ザロフは静かに口を開き、淡々と胸の内を明かしていく。
「…我々の目的は、奪われたある物を取り返す事だったが、それはもう終わった。今は、この遺跡に遺されたものが我らにとって脅威になり得ると感じている。それを受け継いでいた王族と、ここで知り得たことがあったかもしれないそこの騎士にもね」
そう言ってザロフはフォルガーをチラッと見遣った。
「では、その脅威とやらが取り除かれるようであれば、用済みになりますね?」
脅威がなければ人そのもの自体に価値はない。それを念押しするように確認するが、ザロフは怪訝そうに眉を顰める。
「…そうなるが。それをどうやって払拭するというのだ?」
「貴方たちが知りたいのは、これのことですよね?」
隠し部屋で見つけた研究資料や書庫にあった手記を〈収納〉から取り出して、目の前に広げて見せると、ザロフは目の色を変えてそれらを見つめた。
「…!そうだ。その内容を解明しなければ不安は拭えない」
ここには、古代のものとはいえ、魔族に対する悪巧みがてんこ盛りに書かれてある。そうとしか考えられなかったが、案の定食いつきがすごい。
「なるほど。では、こちらも含めてこの場所の全てを差し上げます。私たちはここの全てを解き明かしました。貴方たちが危険視するものは既にない、と断言できますが、言葉だけでは不足でしょうから、ご自分たちで好きなだけここを調べて下さい。…ああ、私たちが何か隠し持っていると疑われるのであれば、それは仕方ありません。何もないということの証明を求められても如何しようも無いので、その時は全面的に争うことになるだけですかね。まぁそれが悪手になることは、調べていけば自ずと理解もできるでしょう」
ザロフはたっぷりと間を置いた後、苦々しく口を開いた。
「……分かった。では調査が終わるまではここにいてもらえるか」
あり得ないと、露骨に嫌そうな表情を作る。
「それはさすがにお断りします。いつまでもこんなところに閉じ込められていて、本当に参ってしまっているんです。私たちの境遇を少しでも考えてもらえれば、それは分かるでしょう?」
「心中は察するに余りあるが…。しかし我々としては、まだほとんど何も分かっていない状態で、いきなり野放しにしてしまうほどの許容はできそうにない」
複雑そうな顔を向けるザロフだが、クスッと笑ってその本音を言い当ててやる。
「まぁそうでしょうが、いずれにしても、そのようなつもりは全くないですよね?解放した後、秘密裏に始末するとか、良くて監視をつける、くらいは考えているのでは?」
「…」
ザロフからの反応は返ってこないが、構わず話して畳み掛ける。
「私たちをここまで泳がせていたのも、この場所について知ること以外に、あわよくばここで閉じ込められたまま全員死んでくれたら、といったような思惑まであったと想像できますが、違います?」
「…」
「黙秘は肯定と捉えておきますね。それで、この交渉がまとまれば、騎士たちも含めて、私たちは速やかにここを出ていきます。行き先はもちろん教えません。私たちのことは今後綺麗さっぱり忘れて欲しくはありますが、その後の貴方たちの動きまで制限することはできないので、それでイーブンとしたいですね。どう動かれようとも自由ですが、子どもたちや私たちに危害を加えるような素振りが少しでも見受けられたら、その時点で魔族全てを一生涯の敵と看做しますので、よく考えて行動して下さい。そちらが何もしなければ、私たちからも魔族に敵対するようなことはないとお約束します」
表情を消して無言を貫いていたザロフだったが、観念したのか深い息を吐き出すと、眉間に手を当てて悩ましげに口を開いた。
「はぁ…分かった。それで良い。だが収納具の中身は見せてもらいたい」
想定していたより簡単に折れたことに内心驚いたが、微笑むことで隠して、その要求には素直に頷く。
「騎士たちの物はお好きなように。私たちの物もお見せすることはできますが、特別製の魔道具なので、所有者本人以外は扱うことができません。こちらで取り出したものを見てもらうしかないですね。…あぁ、これのことです。確認してもらって構いませんよ」
ブレザーの襟に付けていた校章バッジを取り外して、ザロフに渡してみせた。
(なんかしれっと自分の渡してるけど…新田のは魔道具ではないよね)
ザロフはどこからか取り出した片眼鏡を着けると、レンズ越しにじっとそれを見つめる。
「…確かに、取り出せないな。鑑定も効かないのか…。ではそれぞれ目の前で出してもらえるか」
新田はクラスメイトらに目配せして、中身を取り出すよう指示するような仕草を見せる。
しかし実際の旗振り役は相馬だ。
(はーい。聖剣以外は大人しくここで取得したものは全部出していってねー。間違って元の世界の私物を出さないようにだけ気をつけてね)
(せっかく見つけたのにまじかよぉ…)
一部の者は侘しげな顔をして渋々と取り出していく。
「ええ。全て引き渡すことになってもそれは仕方ないとは思いますが、脱出用の鍵だけは渡せませんのでそれはご理解下さい」
「ああ、要求を呑むと決めたのだ。それは諦めるしかないことは承知しているが、見るくらいは構わないだろう?」
鍵に刻まれている魔法陣に転送先の座標は記されておらず、さらに対になった陣を組み合わせないと内容を読み解けないようになっている。研究資料にも具体的な行き先は記載されていなかった。
「はい、それは問題ありません。それと、後から誤解があってはいけませんので、予めお伝えしておくことがあります。書庫にあった書物ですが、ここにあるもの以外に、既に抜き取られていたような跡がありました。ほとんど魔族関連のものだったと思います。あと、ここの遺跡の地図や設計図といったものはどこにもありませんでした。一階層と二階層の一部は未確認の場所が残っているので、もしかしたらそのどこかにある可能性はありますが」
訝しげに目を眇めたザロフだったが、何かに得心したように頷いた。
「…なるほどな。それについては少し心当たりがあるので、問題にはしない」
「…そうですか。では、そういうことで。あ、最後に一つ確認したいことが」
その様子を見て外に持ち出されていたのかもしれないと推測しつつ、思い出したかのように付け加える。
「何だね」
大幅に譲歩しているのにこの上まだ何かあるのかとでも言いたげに、息を吐いて肩を竦めるザロフ。
「この場で死亡していた人族のイェルカーという魔導師がここにいたのは、貴方たち魔族が操っていたから、なんてことはあります?」
それを聞いた途端に、ザロフは血相を変えて声を荒らげた。
「ッ…断じてそのようなことはない!我々はその男を指名手配にかけてまで追っていたのだ。さっさと奪った物と一緒に引き渡していれば、国が滅ぶようなこともなかっただろうに、本当に愚かな奴らであった…!……いや、それは君たちには関係ないことではあるが、これだけはどうか信じてもらいたい」
ザロフは祈るように真剣な眼差しでこちらを見据える。これまでで一番の感情を露わにしたようにも見える。
真実は確かめようもないことなので、始めから回答される内容には期待していなかったものの、予想以上の反応が返ってきた。
「事情はよくわかりませんが…疑う材料を持ち合わせていないので、今はその言葉を信じます」
「君たちが今置かれている状況は、人族が強欲のままに動いた結果であり、我々魔族は一切関与していない。ゆめゆめ恨む先を見誤らないでくれ」
「わかり、ました…」
何かの矜持にでも触れたのか、鬼気迫る勢いでそう捲し立てるザロフに、思わず気圧されて頷く。
だからと言って、本当に信じるかどうかは話が別だ。こちらが何も気づかなければまとめて始末しようと目論んでいた相手の話など、聞くに値しない。もちろん召喚を実施した側の人族はさらに信用ならない。
ザロフは目の前に広げられた品々をレンズを通して検めていく。騎士たちのバッグに入っていた荷物も含めて、差し出す対象は全て並べてある。
その様子を尻目にして、相馬は沙奈に最後の確認をとる。
(美濃さん、手筈は?)
(完了済み。探索の痕跡は全て消して…特に聖剣があった教会は上総くんにも手伝ってもらって塞いできた。ここの自爆装置も待機状態にしてある。書類の方は?)
(そう、ありがとう。目の前に出したものも含めて紙類は全てスキャン済み。鍵束も出したし…これで大丈夫そうかな?見落としとかは…)
(よっぽど気に入ったのかな…海上くんがあの本を出していないみたいだけど)
「はぁ…」
呆れ顔の相馬が海上の頭を軽く小突いて隠し持っている本を出させる。悲しそうな顔を向ける海上だが、相馬には通用しない。
その後も「それがなければ身一つでどうやって生きていけば…死ねってこと?魔族は敵…?」などと半ば脅しのように各々があれこれとザロフの前で文句を垂れて、なんとか戦利品を死守しようとし始める。
そんな浅ましい仲間たちを相馬は穴があったら入りたい気持ちで窘めていくが、最終的に中々作業が進まずにうんざりとしたザロフが折れて、書物と薬品類、鑑定不能の類を除いて、明らかに関係がなさそうなものは全て返してくれた。
ぐだぐだな空気となって決まり悪くなっていた新田だったが、一通り確認を終えてもらうと、気を取り直して改めてザロフを見据えた。
「出したものはそのままここに置いておきますので、ザロフさんは一旦お帰り下さい。最低三日くらいは捜索するような真似はしないでもらえると助かります。そうすればシュミェツさんはその頃には無事な姿で目覚める事ができるでしょう。僅かの時間も待てなかったり、交渉を反故するようなことがあれば、この遺跡は自動的に爆破されますので悪しからず。…では、さようなら」
「ッな…!うぅ…」
新田は一方的に告げた後、ザロフもといアルファンの両目に向けて水玉をぶつけた。ザロフは慌てて何か言いかけたが、すぐにアルファンが気を失って倒れたことで話を遮られた。
「…ふぅ。さて、と。やっとだね。ここから出て行こうか」
それには皆笑顔で頷いた。