探索二日目: 扉
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翌朝、乃愛は早めに目が覚めた。
周囲はまだ薄暗い。日が昇り始めた頃合いのようだ。
ぼーっとした頭でむくりと起き上がる。昨夜はあまりよく眠れなかった。なんだか体も重いような気がする。〈結界〉は展開していたが、扉一枚隔てた先に未知なる危険生物が彷徨いていると思うと、とてもじゃないが安眠などできなかった。それに加えて連日に渡る石畳の床でする雑魚寝は、体の節々に負荷がかかっている。
辺りを見ると、ぽつぽつと既に起き出している者がいた。皆も同じような理由で寝つきが良くなかったのだろうか。浮かない顔つきで、もそもそと朝の支度のために動き始めていた。
今回の見張り当番は、国分、大須賀、新田で、騎士はフォルガーを除く二人体制だった。連日探索することになるので、休息を優先したようだ。こちらも昨日と今日の探索組は除外していた。
ふと焚き火の方を見ると、明け方の当番だった新田がポットで湯を沸かしていた。乃愛は何かをひとつ決意して、遠慮がちにそこへ近寄って行く。
「お…おはよう」
若干もじもじとしてしまったが、きちんと顔を合わせて乃愛から声をかけた。
「おはよう。今朝は早起きだね」
新田の様子は普段通りで、笑顔で返された。火からポットを外して、お茶を用意しようとしている。今起きている人数分のコップが並んでいた。
「あ、あの…手伝うよ」
「え、いいの?ありがとー。じゃあこれお願いしていいかな」
乃愛は淹れられたお茶を持って各人に配っていった。その時に、自分から声をかけて朝の挨拶を交わした。緊張のあまりかちこちになってうまく声が出なかったり、相手の反応を見る余裕もなかったが、なんとかミッションはクリアした。
昨日は皆の方からしてくれたので、勇気を振り絞って今朝は自分から挨拶をしてみたのだが、終わってしばらくしてもまだ心臓がバクバクと早鐘を打っている。
こんな大胆な行動は、まだ乃愛には早かったかもしれない。皆必死に生き残りをかけて行動を起こしているのに、何もできないもどかしさが気持ちを逸らせた。
もごもごした態度で相手を不快にさせてないか、そもそも余計なことをしたのではと、ぐるぐると栓なきことを考えて早くも己の行動を後悔し始める乃愛。だが、後から起き出した者たちにも同様にお茶を渡して、とりあえずやりきりはした。
朝から全ての気力を使い切った乃愛は、半ば放心状態で朝食を終え、今日の探索の話を聞いていた。
「…わかった。俺も行く」
探索の同行を持ちかけられていた鏑木が、険しい表情となって承諾した。無理強いするつもりはなく本当に良いのかと気遣う声がかけられるが、何か思うことがあるのか、問題ないの一点張りだった。
「戦闘があるかもしれない事を考えると、戻る時間は決めにくい。日が暮れるまでをだいたいの目安にしたい。それまでに戻らなければ、何か問題があったと考えて各々行動してくれ。くれぐれも捜索だけはしないように。自分の身を最優先にして欲しい」
フォルガーは真剣な面持ちで皆にそう釘を刺した。騎士二人をチラッと見て頷き合う。騎士たちにとっては王子王女が最優先となるのだろう。
クラスメイトらはそれには承服しかねたが、沙奈から万が一の時は転移で切り抜けると聞いていたので、この場では了承した素振りをしておく。
出発の直前、沙奈は東に小さく声をかけた。
「ちょっとお願いがあって…」
東はある事を耳打ちされ、神妙な顔つきとなって頷いた。
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緊迫感を伴いながら、慎重にゆっくりと歩みを進める探索組一行。最初の分岐点まで来て一旦足を止めると、フォルガーが口を開けた。
「昨日戻った時点ではこの階層に魔物は見かけなかった。だが、それから移動している可能性もあるし、たまたま通ったルートにはいなかっただけなのかもしれない。常に警戒は怠らないでくれ。ここは思った以上に広いようなので、今日の探索は三階層だけとする」
正面は二階層に繋がる経路になるので、昨日同様、右方面から回ってみることになった。会敵の可能性を考慮すると、手分けして行動するようなことはあり得ない。
今回先頭を歩いているのは鏑木だ。本人曰く呪われた剣を不服そうに手にしている。
「それ、ほんとキラキラしてて派手な剣だよね。しかも大きいし。本当に使えるの?剣術道場って、刀だったんでしょ?」
多賀谷がまじまじと鏑木の持つ剣を見つめて、実用に足るのか半信半疑になっている。
全体のフォルムは両刃の長剣で、鍔には黄金の翼のような装飾がされており、柄頭に紅玉が嵌め込まれている。剣身はクリスタルのような透明感があって薄ら内側から発光しており、中心面に彫られた溝—樋—には何かの模様が刻まれていた。
実用で使うものではなく、儀式用の剣のようにしか見えない。
「…使い勝手の面では、才能である程度は補正されている。だが、俺にはこれがおもちゃの類いにしか思えない」
「ふーん…?」
先陣を切っているあたり、有用であることは認めていそうだが、鏑木は何かが気に食わないようだ。剣術経験者として本人なりの拘りがあるのかもしれない。
「ねぇ咲希。なんでそんな後ろの方にいるの?もうちょっと皆で固まった方が良くない?」
椎名が不思議そうに首を傾げて東に寄っていった。
「…え?そう?ごめん、ちょっと集中してて気づかなかった」
東はそう言って少し距離を詰めたが、最後尾にいることに変わりない。
「あ、そっか。マップ見てくれてるんだもんね。危ないから側にいるね!」
「う、うん。ありがとう結已」
椎名がハッと気づいて気遣いを見せた。
東はどこか戸惑っている様子だったが、椎名はそれに気づかず使命感を滾らせる。
一行はそのまましばらく道なりに歩いていると、通路の途中に石扉が見えた。紋様が彫り込まれていて重厚だが、人サイズほどしかない小さな両開きの扉だ。取手がなく、錠や鍵穴もない。
フォルガーが両手で押し込むと、重く引き摺るような音をたてながら、ゆっくりと開いていった。
暗い室内を警戒しながら踏み入ると、ボッと壁際にある燭台の火が灯った。中は四面が石造りの部屋で、小広間となっていた。床と天井に大きな魔法陣らしきものが対になって彫り込まれている。正面に壁画があるが、それ以外は特に何もない。
「…見た目では何もなさそうだな。あの魔法陣はどんな仕掛けがあるかわからない。迂闊に入るのはやめておこう」
その後も、道なりに扉が見えては開けていった。大抵は何もない空の小部屋で、石造りのベンチや水瓶、照明などがあったくらいだ。
そうこうしている内に、別の分岐点となる小空間に出た。少し違うのは、四方のうち、二つが大扉になっている点だ。通り抜けられる道は一つしかない。
「…正面の扉、中に複数の何かがいる…と思う。正確な数まではわからない…」
どこか自信なさげに東が告げる。
東は昨日、アンデッドがいると聞いて更にスキルの改良を加えていた。マップに生物は表示されるが、アンデッドまで生物判定されるかは疑わしかった。武石の話では、気配察知のスキルではゴーストは気づけず、スケルトンは動作音がしたことでわかっただけということだった。そのため、生物とは別に敵意も識別できないかと考えたが、心という曖昧なものを特定するのは困難を極めた。あとは実地で通用するか試してみる他なく今に至るが、近くまできてぼんやりと何かが表示されただけだった。突貫の改良ではそれもやむを得ないだろうが、東は口惜しさを顔に滲ませた。
東が指摘したことで、正面を避けてもう片方の扉をまずは開けてみることになった。
中はかなり大きな部屋だった。整然と石箱や棚がたくさん並んでいて、倉庫のような印象を受ける。
「ここは貯蔵庫か?うーん…一応中を検めてみるか。何か有用なものでもあればいいが…」
フォルガーの提案で、手分けして開けてみることになった。
古代のもので王家が管理していた場所だ。中身は既にないか、あったとしても朽ちているだろう。あまり期待せずに皆動き出す。
その時、沙奈が東に視線を向ける。東はそれに気づき、頷き返した。
次々と箱を開けていくが、やはり中身は空が多い。入っていたものには布類や何らかの道具などもあったが、劣化が酷くて使い物になりそうにない。一通り確認して、収穫はゼロだった。
「まぁ仕方ないか。あとはもう一つの扉の方だが…」
フォルガーは肩を竦めて、すぐに次の行動を検討する。もう一つの部屋には魔物がいるかもしれないということだったので、有用性とリスクを天秤にかけてどうするかを図りかねていた。
皆と相談しようと口を開いたところで、沙奈から声がかかった。
「フォルガーさん。あちらに別の扉を見つけました」