地図
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皆寝静まったことで、広間には静寂が訪れていた。
焚き火の炎がゆらゆらと揺れて、薪の爆ぜる音だけが聞こえている。
「夜は長い。これで少しでも体を温めるようにしてくれ」
フォルガーはそう言って、淹れ直した温かい飲み物が入ったコップを河内に差し出した。
河内は軽く礼をしながらそれを受け取ると、そのまま少し口をつけた。先ほどの紅茶とはまた違うのか、柑橘系の風味がする白湯のようだった。
「…フォルガーさん達は、ここから出ることができたら、その後はどうするんですか。この国はもう…ダメなんですよね。他国へ行くとかですか」
フォルガーは何かあってもすぐ動けるよう鎧は着たままだったが、兜は取り外していて、その顔はよく見えていた。
河内のはっきりした物言いには思わず苦笑したものの、少し逡巡してから真剣な顔つきとなって口を開いた。
「まぁ、そうだな。我が国は…もう救いようがないだろう。同盟を結んでいた近隣国にいる同胞を頼りに雌伏して時の至るを待つことになるかもしれない。我らは何としても、最後の王族となってしまった殿下方を守り抜き、その血を継いで戴かなければならないのだ」
思いの外ふわっとした内容の重たい話に、河内は少し尻込みした。
自分たちは土地勘が全くないので、その後すぐどう行動するつもりなのか、参考までに直近の予定を知りたいだけだった。王族云々には触れずに、もう少し具体的に質問をし直す。
「…そうすか。ここから一番近い人の町ってどの辺りになるんですか?」
「そうだった、君たちはここらを全く知らないのだったな」
フォルガーはそう言うと、腰に付けている小さなバッグから丸められた羊皮紙のようなものを取り出して、それを目の前に広げた。
「これはこの大陸全体とその周辺の地図になる。大雑把なものだが、だいたいの位置関係を把握するには充分だろう。…ここから近くて、生き残りがいそうな人里はこの辺になる。本当に無事かどうかは実際行ってみないとわからないが、徒歩で一日程度の距離だからひとまずの場所として訪れてみる価値はあるはずだ。それ以上になると、ここか、この辺…」
フォルガーは鉛筆のようなペンも取り出すと、現在地を指し示してから、その周囲の難を逃れていそうな村や町がある箇所に次々と丸印を付けていった。大都市と思われる場所や南方面には、全てにバツが付けられた。
「向かう方向は始めの内に考えておいた方が良い。いずれ他国へ渡る他なくなるだろうから、どの国へ行くつもりなのかで変わってくるはずだ。…ちなみに、魔族の国はここだ。こちら方面の街は全滅しているというのもあるが、占領軍の基地が点在していて危険なので近づかないことだ」
今いる国は大陸の最南端にあり、南西の海を少し挟んだその先に、この国より一回りほど小さい島国があった。縮尺がどこまで正しいのかはこれだけでは読み取れないが、地図からは大陸全体の四十分の一にも満たない規模感に見える。その島が魔族の国であるようだった。
国内はおおよその街まで記されているが、他国はほとんどが白塗りとなっていて、国名くらいしか表記がない。
河内はそれらを必死に読み込もうとしていたが、その様子を見てフォルガーは首を振った。
「ここを出たところで、右も左も分からないだろう。これだけでは君たちが帰還する力には到底及びそうにもないが、せめてもの詫びとして、これはもらって欲しい」
「…え、いいんですか。俺らはすごく助かりますが…フォルガーさん達は地図がなくても大丈夫なんですか」
「この地図は私物でね。王都では一般的に出回っていたものだ。我らは任務用に別の地図があるから、気にしなくても良い」
「それは…ありがとうございます。お言葉に甘えて有り難くもらっときます。本当に助かります」
思わぬ収穫を得たことで喜びを隠しきれない河内。まるで無人島にでも取り残されたかのような気分だったので、情報は何よりも優先すべき命綱だと感じていた。
「…外は本当に…危険な状態なんだ。途中までは共に行動もできるだろうが、それでも自分の身を守るだけで精一杯かもしれない。我らにできることが今は些かもないことが悔やまれるが、君たちが無事、安全な場所まで逃れられることを祈るよ」
フォルガーは薪を継ぎ足しながら、沈痛な面持ちでそのまま黙してしまった。
河内も黙ってそれをぼうっと眺めている。
手に持っていたコップに口を付けると、中身は既に冷たくなっていた。