非常事態
後方にいた河内が顔を出す。声自体は聴力が増した今では聞こえていたが、通路が狭いのでその姿までは見えていなかった。
「なんだ?何か起きてるのか?」
「よくわからないけど…どこか焦ってるような感じだった」
相馬は答えつつも、どこか引っ掛かりを覚えていた。
「さっき、近づいてきてるって言ってたの、数はいくつだった?」
「四つだけど…」
「点の固まりは五つあったんだよね?もう一つは?」
「…あ。ごめん、見落としてた。今は四つしか、見えない…」
「その点が生き物だとすると…もしかして、死んだってこと?」
『…』
誰もがそうとしか思えず、絶句のあまり沈黙が降りた。
「やっぱこの先、かなりヤバいんじゃないか…?」
「もしそれがフォルガーさんの仲間だとしたら…助けに行かなくていいの?」
「おい冗談よせよ、俺らに何ができるって言うんだ。自分のことだけでも—」
「ちょっといい?」
突如割り込んできた謎の声に、全員の肩がビクッと揺れる。
恐怖で震え始めていた皆の背から、どこからともなく沙奈が現れた。
「たった今、この先をこっそり見てきたんだけど…ごめん、なんかびっくりさせちゃった?」
顔面蒼白の一同を見て、思わず沙奈も驚く。間が悪い登場の仕方をしたようだと察して、若干居心地が悪くなる。
「…いえ、いいの。大丈夫…。この先を見てきてくれたの?美濃さんが動いてくれてたの、全然気づいてなかった」
沙奈の思い切りある言動は今に始まったことではない。相馬が立ち直って慌てて取り繕う。
「あぁ、うん。そういうの得意みたいで。勝手なことしたのはごめん。でもちょっとあの様子は流石に気になって、すぐ後を追いかけてみたの。そしたら、フォルガーさんの仲間と思われる五人の内の一人が、裂傷みたいなひどい傷を負ってて、既に事切れてた。その場にいた全員が悲しそうにしてたから、おそらく同士討ちでも誘い込むための罠とかでもなさそう。…あの傷は、あそこにあった遺体の状態と似てた気がする」
沙奈はバツが悪そうに話すと、マッピングをしていた女子—東咲希—が混乱した様子を見せた。
「…でも、その人たちや私たち以外、今はこのフロアに生物はいない、はず…なんだけど…。いや、さっきは見落としてたし、もしかしたらいたのかも…」
「落ち着けよ。単に何か事故があったとか、元々怪我してた可能性もあるだろ」
河内が早合点しないように窘めるが、あまりにも不自然な状況のため、説得力は弱かった。
新田が不安げに問いかける。
「他の人たちはどうだった?怪我とかしてない?」
「…うん、それは大丈夫そうだった。雰囲気からして、その人が庇ってああいう結果になったようにも見えた。フォルガーさんもだけど、近衛隊ってなってたから、護衛の任務を全うしたんじゃないかな。内二人は、明らかに身分の高そうな…子供たちだった」
「子供…?」
「嘘でしょ、こんなところに!?」
「おいおい…いよいよやべぇな…非常事態ってそういうことか」
「もし避難してきたってことなら…上に行くほど危険になるのかよ…」
皆の顔が急に強張った。
子供を庇護しながらここまでやって来ているとなれば、話は一転する。フォルガー達も被害者側で、何かから逃れようとしていることは明白だ。
「とにかく、このまま放っておけないよ。あそこは安全って言うなら、早く連れて行ってあげないと」
「いえ、その必要はなさそうなの。事情を説明してるのもあるけど、そろそろ…」
「あぁ、既にこっちに向かって動いてるみたいだ。すぐに見えてくるはず」
〈気配察知〉していた男子—武石一輝—がそう言ってまもなくすると、奥の方から複数の足音と共に人影が現れた。
フォルガーも一緒にいて、先駆けてこちらに近づいてくる。
「待たせたな。後ろにいるのが言っていた仲間なんだが、少し問題があったようだ。話はまず安全を確保してからにしたい。このまま、あの広間に向かってもいいだろうか」
後方にいる引き連れたフォルガーの仲間たちを見れば、満身創痍となっていて息が荒い。目元は赤く、その表情からは悲壮感が漂っていた。何より十歳にも満たないような子供二人が小さくなって震えている。痛ましいその姿はとても見ていられるものではなく、皆すぐに頷いて了承した。
「もちろんです。どうぞ先へ行って下さい。私たちは辺りを警戒して後からついて行きます。…その、手伝いましょうか」
端に避けて道を開けながら、相馬は遠慮がちに声をかけた。
騎士仲間の二人が、誰かを肩に担いでいる。おそらく沙奈が言っていた殉職者だろう。この場でそれには触れず、辛そうな様子を見て単純に助けが必要かを問うた。
「いや、大丈夫だ。気を遣わせて不甲斐ない。警戒してくれるだけでも助かる」
フォルガーは気丈に振る舞っているが、少し目元が赤いように見えた。
静かに騎士仲間一向を先へ促し終えると、皆沈痛な面持ちでその後ろ姿を見送る。程なくして一同はその後に続くように動き始めた。
「なんか…思った以上に深刻な感じだったな」
「私たち、何に巻き込まれようとしてるの…」
埴生と国分が不安げにポツリと呟いた。
「あんなに屈強そうな大人がやられるって…回復系の道具もあったのにダメだったってことは、ほぼ一撃の致命傷だったのか…?」
上総は独り言のように呟いたが、その内容は何者かの仕業であると、どこか確信めいていた。
「今はいいけど、本人たちの前で妙な勘繰りはやめてよ。敵対しないなら友好関係でいきたいの。話を聞くまで、とりあえず現状維持でよろしく」
不穏な気配を感じ取って、相馬が今後の方向性を念押しする。それには皆概ね同意を示し、特に反対意見のある者はいなかった。
意志統一されないまま皆好き勝手に話せば、何が相手の逆鱗となるかわからない。今のところ上手くいっているようにみえるので、事情をある程度把握できるまでは、代表者を立てて応対する方が無難に思えていた。
時折囁き合う声も聞こえるが、ほとんどは無言のまま、ただ歩いていた。
乃愛は結界の役目があるので、最後尾でそれに続いていたが、君島が少し気が逸れた隙を見て、沙奈がさりげなく近寄って来た。
「そのまま自然にしてて。周囲の意識を逸らして私たちの声も聞こえないようにしたから。この状況は流れに任せるしかなさそうね。それより君島くん、なんだけど。あの感じ、何か心当たりある?」
相変わらず不思議なことをしているな、と乃愛は思いつつも、やはり沙奈は君島の様子が気になっているようだった。今は調子の良い態度は薄れているものの、側を離れようとはしない。
「…ぜんぜん、ない。なんか、純粋に気にかけてくれてるような…でもいきなりすぎて、ちょっと変な感じがする、というか…」
要領を得ない乃愛の曖昧な返答には特に思うことはないのか、沙奈は根気よく聞いては肩を竦めただけだった。
「そう…。彼の出身地については気づいてるよね?始めはそこまで気にしてなかったんだけど、大須賀くん達の話を聞いてから違和感が消えないの。特に多世界のところ。所謂パラレルワールドってことだと思うけど、君島くんの最初の出身地…あれがそういうことなら、彼は私たちが知っている君島くんじゃないことになる」
そういうことだろうと思う。しかし乃愛は君島の元がどうだったか、全く印象や記憶がないので、返答に困ってしまう。沙奈も不登校していたのなら元の彼をほとんど知らないだろうが、半年以上も同じクラスで過ごしていたはずの乃愛までそうだとは思いもよらないのだろう。
「…あの、私もそう思う、けど。君島くんのことは、元からあんまりよく知らなくて…。だから、もしどこかが違ってても、それが何か、私じゃ気づけないかも」
その辺の確認は他のクラスメイトの方が適任だと暗に伝えてみた。
「え…!?それなのに彼、ノアにあんな親しげに話しかけてたの?えぇ…このクラス本当よくわかんないな…」
だが余計に沙奈を混乱させてしまっただけのようだ。
そうなると、クラスの不思議な性質によるものか、君島本人の異質さなのか、変化についての判断がつきかねてしまう。
「…まぁ、それは一旦いいか。相馬さんも変に思ってたようだし、やっぱり君島くん自身に何かがあったとは思うんだけれど…。本人も周りの変化に気づいてないわけないはずなのに、なんでもないように振る舞ってるのがちょっと気に掛かっててね」
「そう言われてみると、確かにそうだね。…元の世界では、私と何か関係があったのかな?少し様子みてみるよ」
乃愛のなんでもないような様子をみて、沙奈は苦笑した。ひとつ溜め息を吐くと、自分に呆れたかのようにポツリと言葉を溢す。
「私は…どうも、この世界云々のことはもう割とどうでも良いというか。なるようにしかならなさそうだし。それより自分たちのほうが気になるのよねぇ。東さんの方も謎だし…あ、もうすぐ着きそう」
「…?」
沙奈はさっと離れると、とても自然な動作ですり抜けて先頭の方に行ってしまった。
早くも諦観の境地にいる沙奈に驚きつつも、最後の言葉が少し気になったが、広間への出入り口が見えてきたことでそれも霧散してしまう。
「わ、閉めちゃうんだ。急ごう」
開放状態だった扉を閉める準備をしている騎士たちの姿が見えて、共に最後尾にいた君島が慌てたように乃愛の手を取った。
乃愛も慌てて結界を解いて、飛び入るように出入り口を駆け抜けた。