勝負 後編
「王子⁉︎」
引退騎士が声を上げた。他の面々も驚いている。
あの男に自ら勝てたというのも驚くべきことだが、であればそのまま後方にいればいい。わざわざ大将から出向く必要なんてないはずだ。
王子には火がついていた。本来の闘争という熱に当てられて、この戦いはレガルドとの直接対決でなければ幕を下ろしてはならないと感じたのだ。
愚かだったかもしれない。頭に血が上ったんだろう。
それでも、まるで王子を祝福するかのように入り乱れる手勢の隙間が空いた。レガルドもまた用心深い。そのことに気づいて、すぐさま自分も剣を握った。
王子が切り込む。それはまるで自らの命を惜しまない侍のようだ。一人戦の渦中に飛び込み、敵陣の中に突っ込む。
自分に獲物を突き立てられれば敗北するというのに、失うものを抱えて王子はやってきたのだ。
振りかぶる。王宮で、王都に住む講師に散々稽古をつけられた構えだ。騎士団長にも筋がいいと褒められた。
そして、彼の一振りを──阻む者がいた。
剣での戦いになっても、レガルド側が守勢を崩さずにいられた理由。
王都騎士に対して、実戦を経験していれど、やはり剣の技量差で圧倒的に劣るはずの彼らを相手にして、ここまでレガルドが立ってられた訳。
それは今、王子の剣を打ち払ったこの男にあった。
──大きい。
背が大きく、恰幅が大きく、巨漢と言って差し支えない。
アルガルド領で一番最初に起こった武装蜂起、その中核に位置し、聖軍を設立した後も一人犯罪者どもを懲らしめていった英雄。
名を、メルケランと言う。
彼がずっとレガルドのそばにいて、自らの主君を守っていたのだ。また、同じく主君を守る味方のことも守っていた。
致命的な一撃の前には彼が割って入り、体のリーチ差を生かして、はたまた剣や片手盾で攻撃をいなす。
レガルド側の絶対の盾、折れぬ主柱がここまでレガルド達を立たせていた。
その彼が割って入った。王子の渾身の一撃を打ち払ったのだ。
「今!」
メルケランに敬語なんか使えない。庶民の出だからだ。
それでも、レガルドに失礼のないように叫ぶ。今この場で動けるのは彼だけだ。他は自分たちを取り囲んでいる敵と睨み合うのに誠意一杯である。
レガルドもまた、王都で黄金世代と呼ばれたうちの一人だ。剣術は賊との戦いで武功をあげた英雄が、馬術は騎士団の中でも一番に期待をかけられていた期待のホープであり次期エースであった男が、それぞれ学園で教えていた。
そのため、エノール達の世代は『黄金世代』と呼ばれている。王立学園で実力者が二人も揃い踏みすると言うようなことはあまりない。普通はそつなく乗馬ができて、型通りの剣術を教えられる程度の人間が任につく。
様々な因果と蓋然が重なって生まれた黄金世代の一人、レガルドもまた苦手だったはずの剣術を講師とのマンツーマンによって克服していた。
レガルドは既に振りかぶっていた。構えは教科書通り、王子の切れ味のあるものとは大違いだ。
それでも、今のお膳立てされた状況下ではちょうどいい。指揮官は武の達人でなければいけないわけではない。咄嗟の事態に至った時、自分の身をそつなく守れる程度でいいのだ。
王子は確信する。これは避けられない。それを一瞬のうちに理解した。
だからこそ、それよりの判断はもはや神がかりとしか表現できない。明らかに彼の実力を大きく逸脱していた。
──王子は、その一瞬において取り回しのしづらい剣を捨てて、すぐに間合いを詰めると懐の短刀を取り出した。
用意された獲物ではない。しかし、あくまでもルール上では「非殺傷性の武器」なのだ。自分で用意してはダメとは一言も書いていない。
自分の愛用していた護身用の短刀、それを鞘から抜かずに手に持った。
レガルドは間合いを詰められて剣を振り下ろすには微妙な立ち位置になった。後ろに引きたいところだが、生憎と今一瞬に踏み込んでしまったのだ。ここで逃げるわけにはいかない。
レガルドはそのまま振り下ろした。王子はへっぴりごしで担当を突き出した。お互いが寸止めをして──王子の方が、一瞬早い。
「……」「……」
周囲が静まる。二人の様子を見て、勝敗が決したのだと思った。
(……よし、よし、よし!)
王子は内心喜んだ。
あくまでもこれはただの模擬戦、実戦ではこんな真似はできない。
敵陣の中に大将である王子自身が飛び込むなど愚の骨頂だ。それでも、これはあくまで『勝負』なのだからこそ王子は自分の勝利を主張することができる。
起こるかもしれない論争においても活路を見出されている。自分の方が一瞬早かった。たとえ、きちんと踏み込めておらず実際には喉を穿つことも叶わないだろう一撃であっても、木の刃を先にとどかせたのは自分だ。
そして、それこそがこの「勝負」の勝利条件だ。
「……勝負あり! 勝者を言います! 呼ばれたものは名乗りをあげよ!」
「「……」」
事前に取り決めていたエノールの口上だ。果たして今、彼女はどんな気持ちでそれを誦じているのだろうか。
悔しい以外にないだろう。それでも自分を勝利者として宣言せねばならない。なぜなら、それが彼女が勝手でた「見届け人」の役割だからだ。
王子は思わず笑みをこぼしていた。そして──
「勝者、レガルド・マルデリア!」
──そんな自分に、レガルドが憐れむような視線を投げかけてきたことにも気づいた。
「なっ……!」
「うおおおおおおおお!」
レガルドが勝鬨を上げる。すると、周囲の仲間達も勝鬨をあげた。
国王はほっとした様子になり、公爵達もまたそれぞれ思うところはあれど、エノールが勝ったことに安堵していた。
他の伯爵家の面々も何も言っていない。エノールに対しあまり良くない感情を抱いているであろうエルトラ教の枢機卿でさえ、何も言ってこないのだ。
それに、王子が声を上げた。
「どういうことだ!」
周囲が静まり返った。レガルドだけが声を上げ続けている。
それに、王子はエノールの方に詰め寄った。自分ではなく、レガルドを呼んだエノールの元へ。
「俺の方が一瞬早かった!」
「いいえ、レガルドの勝ちよ」
「貴様!」
カクレアスが彼女の胸ぐらを掴んで、周囲に剣呑とした空気が落ちる。陽気な勝利の凱旋は、すぐさま尋問の場へと変わった。
「手を離せ、カクレアス・アルファート」
「っ! レガルド・マルデリア……貴様ら、どういうつもりで──」
「見苦しいと言ってるんだ、俺の婚約者から手を離せ」
「レガルド……」
エノールはすぐにレガルドの方に寄る。
まるでもう俺のものだと言わんばかりに、レガルドはエノールの腰元に手を回した。
それに、王子はさらに激昂する。
「今のは俺が一瞬早かった! 刃を先に突き立てたのは、この俺だ!」
「いいえ、レガルドの方が早かったわ。だから、レガルドが勝者よ」
「何を──」
「周りを見てごらんなさい」
王子は言われるがままに周囲を見た。そして、自分に注がれている視線に気づく。
侮蔑・軽蔑・呆れ、まるで聞かん坊を見るような視線を浴びせられていた。それに愕然とする。
「なぜだ……」
「……カクレアス」
振り返ると自分の父が、二人の公爵を連れてこちらにやってくる。それにカクレアスは声を上げた。
「父上、聞いてください! 私は、勝ったのです! 先に刃を突き立てたのは俺で──」
「御託はいい。アルガルド伯爵が呼んだのは彼の方だ」
「そんな……!」
国王はレガルドの方を指して言う。
「すまないね、レガルド君。愚息が迷惑をかけた」
「いえ」
「父上、なぜですか! 私が勝ったのですよ! こいつは負けて──」
「喧しい!」
国王の怒声が冬の王宮に鳴り響く。それに王子は身を強張らせた。
「っ……」
「第一、こんな児戯のようなもので婚姻ごとを決めようなど! それ自体が烏滸がましいのだ! 恥を知れ、恥を!」
「それは──!」
これを最初に持ちかけてきたのはエノールの方だ。しかし、それを言っても今は水掛け論になる。
「だが、それでもこのカピレニウス・アルファートが事の次第を見届けた。カクレアスよ、違約は許さん。すぐにでもアルガルド伯爵との婚約を取り消せ!」
「そんな!」
「改めて謝罪する、レガルド・マルデリア、アルガルド伯爵。誠にすまなかった。うちの愚息が随分迷惑をかけた」
「お気になさらないでください、国王陛下。むしろ、このような場にお付き合いさせてしまった申し訳ありません」
「いいんだ、息子の愚行を見届けるのもまた父の勤め」
「……まさか──」
カクレアスはここで、二人を見て真実の一つに辿り着く。
「ここにいる皆もすまなかった! 我が息子が不用意にお呼びだてした事、心から謝罪しよう!」
「いいんですよ、陛下。我々は王家の正体とあらばいつでも馳せ参じます」
マルベク伯爵がすぐに声を上げた。それにエルガード伯爵はいけすかないと舌打ちをする。
「ちっ」
「我々は王家に忠誠を誓う者、必要であればいつでも駆けつけます」
アイコット伯爵もまたその声に応じた。主君が非礼を詫び、従者がその必要はないとする。社交儀礼の一つだ。
だからこそ、エルガード伯爵もそれに乗らぬわけにはいかない。
「陛下、私はこの国の盾であり矛。いつでもお呼びだてください」
ヒューズは古風にも跪いて言った。
三者三様、シェルバは軽薄に両手を広げ、レミングは棒立ちで、ヒューズは膝をついて国王の呼びかけに応える。
それに国王もまた感謝を表した。
「すまない。今宵はできる限り貴殿らを持てなそう。王宮をあげて歓待する。今宵はどうか泊まっていってほしい」
「有難きお言葉」「至上のお言葉」「恐悦に存じます」
伯爵達は侍従達に連れられて、王宮に向かっていく。国王と公爵達もまた帰路についた。
エノール達もまた国王の後について王宮に戻ろうとする。すると、恨むような、こぼすような王子の声が聞こえて、再び王子の方に振り向いた。
「……最初から、父上と共謀していたんだな」
「あら、今気づいたの?」
「っ……エノール! お前は、勝負を汚したんだぞ!」
「汚した、ねぇ……それはなぜかしら」
「たとえどれだけのハンデがあろうと良い! だが、勝敗までも恣意的に決定されては、そもそも『勝負』の意味がない! それを貴様は──」
「片腹痛いわ」
「なんだと!」
レガルドの隣にいるエノールは、冷たい視線で王子を見ていた。王子はエノールに怒気に満ちた表情を浮かべている。
エノールの声は、呆れるような、可哀想なものに投げかけるかのようだった。
「貴方が勝手に『勝負』を履き違えたのでしょう? 冗談はよして」
「冗談を言っているのは君だ! 俺は、一寸早くこいつの喉元に──」
「だから、それが心得違いだと言ってるのよ」
「エノール!」
エノールは王子の方に近寄って、彼の前に立ちはだかった。その様子にレガルドは危ないと声をかける。
今の王子は何をしでかすかわからない。下手に刺激すれば、エノールに手を出すという暴挙にも出かねないとレガルドは判断した。
「エノール、離れるんだ!」
「貴方はずっとこのお遊戯が『勝負』だと思っていたのね。残念だわ」
「何が──」
「いい? 貴方が得ようとしていたのは私よ? アルガルド家当主にして大諸侯の直径である伯爵の一人、そして貴方は第一王子という立場。随分とその肩書に助けられたようね。騎士団長と懇意にできていたのも、今日ここに漕ぎ着けられたのも、私の婚約を迫れたのも、全ては貴方が王子であるから。けれど、次代の国王となる貴方の婚約は国の一事。それに貴方は手を出そうとしたの」
「当然だ! 俺は国王となる男だぞ! ならば、自分の婚約者程度自分で決める!」
「その意気込みは結構だけれど、今の国王は貴方のお父上で、そして、貴方は国政に手を出した。ならば、貴方の勝負の舞台となるのは当然こんな小さなお庭ではなくてアルファート王国そのものよ。私たちが会談したあのレストランこそが、我々の本来の戦場だった。それを、貴方は『勝負』なんていう言葉に踊らされて子供のように見誤ってしまった。国の一事が、こんな小さな場所で催されるお遊戯で決まるのだと本気で信じてしまったことが貴方の敗因よ」
「何を言っている! 君が言い出したんじゃないか! この勝負の行方によって婚約者をただ一人に決める! それこそが今日の目的だ! それをお前は──」
「言い方を変えるわ。貴方はとんだ愚図ね」
「なっ──」
レガルドがエノールの下に駆け寄る。彼女のそばにやってきたのを見て、王子は咄嗟に一歩踏み出そうとしたが、二人を前にして次の一歩を踏み出すのは躊躇われた。
エノールは残酷にも言い放つ。王子の本質を冷静に見極めた上で、的確に彼の急所を切り刻んだ。
「貴方がこの勝負を受けてにべもなくしなければいけなかったのは国王の懐柔よ。国王であるお父上が貴方が味方にできるただ一人の権力者だった。公爵も伯爵も無理よ。公爵の面々は私と貴方の婚約破棄を望んでいるし、伯爵達も貴方の目的を知れば敵対することになる」
「話をすり替えるな! お前は、勝負の場を汚したんだと言ってるんだ!」
「とんだ愚図ね。私、貴方のことを少々買っていたんだけれど」
「何を!」
「だから、こんなものお遊戯でしかないと何度言わせれば気が済むのかしら」
「な、なんだと……?」
唖然とした表情をする王子を見て、エノールは嘆息した。
「ようやく理解したって顔ね……耳、ついてるのかしら」
「何を……君が言い出したんだろう、勝った方が君と結婚すると──」
「貴方、お世辞やおべっかを真に受けるタイプ?」
「っ!」
「だとしたら期待以前の問題ね。私は貴方のことを見誤っていたようだわ、王子様」
王子は何も言い返せぬまま閉口してしまう。そんな彼に、エノールは滔々と言い聞かせる。レガルドは流石に王子に同情した。
好きな人に、ここまでこてんぱんに言われたとすればレガルドなら泣いてしまう。むしろ、王子は泣いていないのを褒められるべきだろう。
「貴方は何を聞いていたの? 私、言ったわよね。我儘王子には誰もついてこないって。それなのに、貴方はまるで根回しをしなかった。伯爵達を招待したのは良いけれど、自分の目的を隠して彼らを懐柔することをせずに騎士団長だけを味方につけて満足した。肝心の国王に接触も図らなかったのが、ことの全てよ。仮に息子である貴方が家族の情に訴えて国王を味方に引き込んでいたのなら、私はもう少しやりづらくなっていたでしょうね。私が面会するよりも先に貴方の方が早く接触できたのだから」
「なっ……」
「貴方が何を言ったところで、たとえ物的証拠を提示したとしても貴方の言葉は聞き入れられなかったでしょう。全ては子供の癇癪、たとえそれが事実だとしても貴方を支持する動機にはなり得ないのだから……『人間チェス』と今日のあれを題したけれど、貴方はずっとチェスをしていたつもりだったんでしょうね。勝負には絶対的なルールがあると思い込んで、人間は決まった動きをすると盲信していた。正しいことであれば周囲は受け入れる、正しい手順を踏めば自分の願望が聞き届けられるなんて、そんなのは盤上の中だけよ。貴方は私との政治合戦から降りて、この『勝負』などという児戯に熱中してしまった時点で敗北していた。とっくの昔にね」
王子は膝をつく。それを、エノールは薄めを開けて見ていた。
エノールのいう通り、ここで王子が勝ったとしても王家はそれを正式に認めなかっただろう。そして、王家が認めなければ周りも認めない。
無論、次の国王となる彼に媚を売りたい輩もいるだろう。しかし、リーダバルカ家にしてもマルデリア家にしても王子とエノールの婚約破棄を望んでいる。
国政を司る三者がエノールの味方をした時点で勝負は決まっていたのだ。結婚とは名乗るだけではない、周囲に認められてこそ成就するのだから。
だからこそ、王子はその詰みの状態からひとまず脱するべきだった。本来であれば王子はこの状況をもっと以前から予測できたはずなのだ。
自分の立場と周囲の立場を見比べて、利害関係的に最終的な敵対者を割り出せば、王家と二大公爵家が敵に回ることなど想像に難くなかったはずだ。
しかし、彼はそれを失念していた。否、それは彼の目的の生涯たり得ないと考えていたのだ。
彼は政治ごとに極端に疎かった。机上の知識だけを有し、現場の政治というものに触れてこなかった。彼がバカにする根回しや顔合わせというものこそが、実際の政治において必要なことだというのに。
政治とは人を動かすことだ。彼のエノールと結婚するという目的は必ず誰かを動かす必要がある。そうである以上、彼の目的は政治的様相を帯びるわけだ。それを彼は失念していた。
自分だけが勝利条件を満たせば手に入れられる軍事的産物だと思い込んでいたのだ。それが彼の思い込みを誘発し、ここまでの状況に追い込んでいた。
「行きましょう、レガルド」
「あ、あぁ……」
最後に王子を見たのはエノールではなくレガルドだった。心配そうな彼の視線に王子は反応も返すことなく、冬の庭で膝をついていた。




