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エノールの騎士《ナイト》


 エノールは王家から送られてきた手紙を見て嘆息した。

 

 領地の屋敷で受け取った王都騎士融通の件についての手紙、それを見てエノールは執務室で腰掛ける。

 

 すると、レガルドの方を見た。二人は目が合う。

 

「レガルド、ちょっと、お話ししましょうか」

 

「ああ、わかった」

 

 レガルドは不思議そうにしながらも彼女が促す通りにソファに座った。

 

 エノールは彼の向かい側に座ると、紅茶をカップの中で回して口を開く。

 

 紅茶の湯気はもう立っていない。

 

「……レガルド、今度の『人間チェス』を貴方はどう見る?」

 

「……正々堂々勝ちたいなと思っているよ」

 

「そうよね……」

 

 エノールは何度もその言葉を繰り返した。噛み締めるように、惜しむように。

 

「……悪いけど、そうはならないわ」

 

「というと?」

 

「レガルド、戦いって何だと思う?」

 

 その言葉にレガルドは考え込む。

 

「それは……随分と抽象的な質問だね」

 

「そうね、言い方を変えるわ。負けてもいい戦いってあると思う?」

 

「……負けて得することは、ないだろうね。本来は」

 

「そうね、そしてこの勝負、私たちは勝たなくてはならないわ。勝つことが望まれていて、勝つことが求められているの」

 

 エノールは当然のような言葉を繰り返す。

 

 けれど、彼女をして意味のないことなどあるのだろうか。

 

 レガルドはエノールの顔をじっと見て、言葉を待った。

 

「それはね、王子も一緒なの」


「王子が?」

 

「ええ、負けられない戦いだから、手段を厭わない。あれはそういう男よ」

 

「……」

 

「だからね、今度の『勝負』は決してフェアなものでも正々堂々としたものにもならない。そして、それが本来の戦いの姿よ。貴方もわかっているでしょう? 戦場において『正々堂々』だとか『平等』な戦いなんかは存在しない」

 

「……ああ──」

 

「夜襲や兵糧攻め、各個撃破なんかが戦いでは正道とされる。どれも言い換えれば騙し討ち・卑怯な手・弱いものいじめよ。それでもそれが正当化されるのは戦いにおいて負ければ、何かを失うことになるから」

 

「……」

 

「だからね、相手も手段を選ばない以上、この戦いは正々堂々としたものにも、フェアなものにもならない。貴方の望む正々堂々とした勝利はきっと得られない、いえ、正々堂々としていては勝てない相手よ」

 

「……分かった」

 

 レガルドは重々しく頷いた。エノールの目にはその姿がひどく寂しげに映る。

 

 目の前の好青年は非常に好ましい性格と人間性をしている。優しいし、ユーモアがあるし、ナチュラルに正々堂々とした戦いを好む方だ。

 

 お互いがスッキリして終われるようにと、どこかで相手のことも慮っている。本当に優しくて強い人間だ。

 

 それでも──エノールは残念ながら、それを貫き通させてあげれはしない。


 彼女がもう少し強い力を持っていたのなら、それは可能だったかもしれない。けれど、エノールの全身全霊を持ってして、王子に勝てるか否かのところまで持っていくのが精一杯だ。

 

 だから、エノールはこの愛しい彼の信念を手折らなくてはならない。屋敷の主人がメイドを手籠にするように、悪辣にもその美しく儚い精神を汚さなくてはならないのだ。

 

「王家から打診があったわ。王都の騎士を派遣すると」

 

「それは……」

 

「おそらく、王家は王子の支援なんかしない。普通に考えれば、王子はまともな戦力を用意できず完全な出来レースと化すでしょうね。側から見れば完全なリンチよ」

 

「……分かった。それでも俺は、君のためなら──」


「でも、騎士は使わないわ」

 

「え?」

 

「信用ならないから」

 

 惚けたレガルドの目を、エノールの鋭い視線が射抜いた。

 

 それに気圧されながら頭で考えるも、なぜだかは分からない。目の前の愛しい人の考えに、いまだに思いを馳せられないのだ。

 

 当然の疑問が彼の口から出た。

 

「どういうことだい……?」

 

「言ったでしょう? これは、決して正々堂々としたものにはならない。マルデリア家も、リーダバルカ家も、王家もこの件を静観する。王子に決して手を貸したりしない。本来であれば相当なハンディキャップよ。今回の勝負は、その内容の観点からどれだけ強い戦力を集められたかでほぼ決まるわ。正直、指揮官が誰であろうと関係ない。それは貴方も分かっていたでしょう?」

 

「うん……正直、地の利も陣形も関係ないとなると、俺ができることは少ないかな……」

 

「そう、そして、それは王子も一緒よ。だからこそ、王子はもうなりふり構えなくなる。どれだけ強い味方を揃えがれるがで勝敗が決まるこの戦いで、私たちにのみ一方的に王都騎士が派遣されるんだから──王子の放蕩ぶりは知っているわよね? 酒に女に博打、一通りの遊びには手を染めたそうよ。そして、それに関係していて、唯一王家と敵対……はしていなくても、良い感情を抱いていない存在がいる」

 

「……まさか、騎士団が?」

 

「正解よ。どうにも今代の騎士団長様は第一王子と仲がいいらしいの。同じ遊び仲間みたいなものね。王家に縁があって、そういった俗なことに詳しいのは騎士団だから」

 

「元老院が騎士団をよく思っていないとは聞いていたけど、まさか裏切るなんて……」

 

「私も詳しいことは知らないけど、騎士団には市井の人も入れるから、エリート意識の強い元老院が軽視しているようね。騎士団からの意見具申に対しても消極的で耳を貸そうとしないそうよ。貴方も聞いていたかしら?」


「まあ、少しは……」


「それが騎士団の不信につながっている。どちらも王家に忠誠を誓う組織だから王家に対しては忠実だろうけど、それをいうなら王子も王族よ。それに第一王子は次代国王の筆頭候補、となれば──」


「自分に良くしてくれる、将来性のある王子に賭ける……」

 

「そういうこと」

 

 エノールは指をさす。

 

「それじゃあ騎士達を使わないのは、裏切る可能性があるってこと?」

 

「まあ、その可能性は高いでしょうね。王家は元老院を通して騎士の派遣を命じる。一度元老院を通すことになって、そして元老院からの指示は必ず騎士団長に伝わる。となれば、王子に寝返っている可能性のある騎士団長から送られてきた騎士なんて信用ならないわ。やろうと思えば簡単に内通者を送ってこられるんだから」

 

「それじゃあ、どうするんだい? うちの実家は荒事に強くないし……」

 

「あら、忘れたの? うちの領地をご覧なさい」

 

「……まさか、領民から引き抜くわけ?」

 

「そのまさか、よ。うちの領地は元々、犯罪者だらけで領民は治安が悪いのに慣れていたわ。そして、今に至るまでにいくつもの犯罪者組織を壊滅させてきた。それをしたのが自警団に所属する領民達。中には実践経験のある腕っぷしもいるでしょうね。流石に造幣局の警備達を使うわけにはいかないけど……」

 

「でも、騎士達相手に勝てるかな。正規の訓練を受けてる以上、勝てないと思うんだけど……」

 

「あら、弱気?」

 

「あっ、いや、そうじゃないけど……」

 

「そうね……実力が劣る分、確かに勝率は落ちるわ。けど、それでも信用はできる。裏切らない分、王都騎士を使うより何倍もマシよ」

 

「……」

 

「あとはどれだけ勝率を高められるか。だけど、おそらく相手は王都騎士を使ってくるでしょうね」

 

「待って、どういうこと?」

 

「仮に騎士団長が落ちていたらという話だけど、たとえば団長が懇意にしている騎士の何名かを素性を隠して送り込むとか、それから騎士団に所属していなくてもそれなりに実力のある人間を王子に紹介する可能性はあるわ。引退した騎士や、路地に屯する荒くれ者達、不確定要素が多い上に王都騎士に準ずる力があるのは明白でしょうね。むしろ、対人戦を経験している可能性がある分厄介よ」

 

「……じゃあ、フェアでないっていうのは、こっちが有利なんじゃなくて──」


「そう、あっちが有利なのよ。私たちは実質的に自分たちで戦力を用意しないといけない。対して、王子は王都から腕利を何人もかき集められる。王子はおそらく、私たちにあったルール的アドバンテージと戦力的アドバンテージを徹底的に潰してくるでしょうね。だから、私たちはもう手段を選べない。今度は私たちの方が、どんな手を使ってでも勝利を追い求めなければいけない側に立ったの」

 

 レガルドはしばらく考えると、エノールの前に立った。

 

「分かった、君の言うとおりにする」

 

「あら? 私に勝利をプレゼントしてくれるんじゃなかったの?」

 

「ああ、だけど、これは君の戦いでもある。それを横取りすることなんてできない」

 

 レガルドがまっすぐエノールの目を見つめると、彼女もまた立ち上がり、レガルドの頬を手で撫でる。

 

「そうね、その通りよ。これは、私たちの戦い。私は、何をしてでも貴方を勝たせるわ」

 

「君が俺を勝たせるんじゃない、一緒になって勝つんだ」

 

「……本当に、成長したわね」

 

 そう言うと、エノールは唇を寄せる。

 

 レガルドの頬に女神の口付けが落とされた。

 

「勝ってちょうだい、私の騎士ナイト様」






『勝負』の舞台は三ヶ月後に整えられた。

 

 季節は冬の真っ只中、場所は王宮の庭だ。木枯らしが吹きすさび、世界からは鮮やかな色が失われている。

 

 本来なら貴族達は屋敷の中で暖炉の火にあたっていることだろう。しかし、この日だけは違った。

 

 国王・マルデリア公爵・リーダバルカ公爵という国を揺るがす三傑が揃って一月の宮殿の庭に集まっていたのだ。それだけではない。マルベク伯爵をはじめエノール以外の伯爵家も揃い踏みである。

 

 アルファート王国の有力者が揃って、レガルドとカクレアスの『勝負』を観戦に来ていた。

 

「大仰だな」

 

「そうですね。国王陛下に派閥長の公爵家、それに我々も揃っているのですから」

 

「ふん、手紙をよこさぬかと思えば……」

 

 エルガード伯爵の愚痴は、白い息となって風に攫われた。

 

「なんだか面白いことになっていますねぇ」

 

「マルベク伯爵、なぜ我々はこのような場に……?」

 

「我々にとってアルガルド伯爵は共に打倒するべき敵、であれば偵察は当然では?」

 

「──伯爵、声が少し大きく……」


 ヒューズとレミングが座っている場所から少し離れた場所に、マルベク伯爵と枢機卿ヴェラルダの姿もあった。聖衣を纏っているのでヴェラルダの方は少々寒そうである。

 

「国王陛下、これは一体どういうことですかな?」

 

「……どういうことか、とは?」

 

「我々は、すでにカクレアス殿下の婚約者を決めていたではないですか! ジャニュエを妃にすると、そう仰られたから寄付も弾んだのですぞ⁉︎ それを──」


「リーダバルカ公爵、落ち着かれてはどうですかな?」


「貴様には関係ない話だろう、マルベク公爵!」

 

 周囲の視線は三人の方に集まった。

 

 リーダバルカ公爵は、今にも詰め寄らんばかりの勢いで国王に問いただす。約束を保護にされた、それは貴族として決してあってはならない。それが、よもや国王から約束を反故にされるなどとは考えていなかったのだ。

 

 万感の思いを持ってここで問い詰めるつもりだった。尋問するはずだった。

 

 だというのに、二人は一切動じていない。マルベク公爵はまだ分かる。この件については部外者なはずなのだから。しかし、国王の反応の薄さに若干の違和感を覚えていた。

 

 三人が揉める中で、準備は着々と進んでいった。

 

 冬の昼過ぎに立つのはレガルドと王子、双方が用意したと思しき手勢を後ろに控えさせている。

 

「数が多いな……」

 

 レガルドの手駒と思しき部隊は二つあった。

 

 一つは王立騎士団から送られた騎士たちだ。騎士団長に頼んで、全員が王子側に寝返っている。しかし、もう一つは知らない。差し詰めエノールが用意した部隊だろうか。

 

 想定外だが、それでもスパイが全体の半分。戦線を崩壊させるには十分だし、カクレアスの価値を揺るがすほどではない。しかし、その全てを本番で投入するとなればレガルド側は王子に対し形式上は二倍の戦力を誇るだろう。

 

 エノールがそれを良しとしたのだ。最初から不正する気満々な様子を感じ取って、王子は薄く笑う。

 

「まあ、いい。たとえどんな浅知恵を張り巡らせていようと、その全てを噛み砕くだけだ」

 

 対して、今日の審判であり、勝敗がいずれかを宣言する立場にあるエノールは舞台とされる庭の中央より少し離れた場所に佇んでいた。

 

 観衆のメンツを見て少し苦虫を潰す。

 

「いきなり仕掛けてきたわね……」

 

 呼んでいないはずの伯爵の面々、それから見覚えのあるエルトラ教の枢機卿は、きっと王子が呼んだのだ。

 

 レガルド側には二つのアドバンテージがあった。

 

 その一つが、『勝負』における絶対の支配者の立場にエノールがいることである。多少の不正なんかは目をつぶれられるし、むしろ王家と公爵家の面々がレガルドの勝ちを望んでいる以上、そのための不正はいくらでも許されるはずだった。

 

 しかし、ここにきてそれが崩れる。特にエルトラ教の枢機卿が問題だ。彼らとは一度矛を交えている。きっと、エノールがレガルドと共謀して不正していると知れば面倒なことになる。

 

 ルール上の優位性を、観客の招致によって踏みつけてきたのだ。勝負の公平性を保つためのオブザーバーを用意されてしまった。

 

 これではあからさまなことはできない。特にあの枢機卿がネックだ。何を言い出すかわかったもんじゃないし、伯爵の面々もどう動くかわからない。

 

 マルベク伯爵について予想がつかないのは当然だが、エルガード伯爵やアイコット伯爵に関しても協力者としての力量をここで試されることになる。万が一彼らのお眼鏡に敵わなければ……

 

「……いえ、今はレガルドの勝利が最優先ね」

 

 それは後でいくらでも対処ができる。しかし、レガルドが負けてしまえば、それで一度既成事実が作られてしまうのだ。それはエノールにとって好ましくない。

 

 いくらリトライのチャンスを残しているとはいえ、それもあまり多くはないだろう。ここで決められるのなら、それに越したことはない。

 

 だからこそ、今は想い人に託すしかないのだ。

 

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