人間チェスの行方
『人間チェス』と題したその勝負は、実のところ街角の喧嘩と相違ない。
いくつか違うことがあるとすれば、勝負するレガルドとカクレアスがそれぞれ事前に手勢を用意し、それらを実際に指揮して戦わせることだろうか。
相手の全滅を持って勝利する。時間制限はなく、決められた戦場での正々堂々とした勝負。
ただし、実際にはどれほど強い手勢を集められるかで勝敗が決まるルールだった。
想定される戦場には一切の障害物がなく、地の利という概念は一切存在しない。
指揮官というのは簡単に言えば判断を下す仕事だ。参謀などの知識やノウハウをサポートする補佐がいて、大部分の試行作業は部下に任せる。
その上で、提示された選択肢の中から指揮官は選び取るのだ。判断を下し続ける仕事、たとえ暗中模索の状況下でも様々な要素が未知な中で責任を取り続けなければならない。
故に、ある程度の数の軍勢を指揮するコマンダーは、戦場が複雑化するまでお飾りの仕事であった。
国や時代によっては戦争を経験させて一人前の貴族になれるという風習・風潮もある。その場合、戦争というのは実に小規模で戦役と言い換えてもいいかもしれない。
教科書で国力をフルに動員した総力戦というのがわざわざ単語として出てくるのが、国が一枚岩となって動き、あらゆる力を戦争において結集するというのは非常に特異的なことだからである。
佐藤健の生きていた世界において、第一次世界大戦というのは人類が初めて経験した世界規模の戦いであり、そこで初めて総力戦というものが行われたのだ。それはまさしく人類と切っても切り離せない戦争の歴史の一つの転換点と言えるだろう。
さて、だが何度も言うように指揮官、特にリーダーではなくコマンダーの上位職の場合は戦場が複雑化していない限りお飾りであることが多い。それは言い換えれば、指揮官の有能さとは関係なしに戦場は動くのだ。
寡兵で大軍を破る戦いも存在する。ただし、非常に稀だ。そんなケースは滅多にないし、基本的に数的バランスが一方に対してもう一方が二倍となると勝てないと言われている。これが最少戦力比の原理だ。
要するに、揃えた軍勢の戦力で大抵は勝敗が決してしまうのだ。その前提を覆すからこそ多勢に無勢の戦いというのは顕著であり特徴的であり話に持ち上がるのだが、堅実に勝つには戦力を揃える必要がある。
そして、エノール側は圧倒的に有利だった。
王子に支援者は存在しない。
エノールの根回しによって王家とマルデリア公爵家はそれぞれエノール陣営に味方している。本来はカクレアスの実家である王家までもが力を貸さず、エノールに王都の騎士を貸したのだ。出来レースと言わざるをえない。
カクレアスと元々結婚するはずだったジャニュエの実家であるリーダバルカ家もまた此度の騒動を知っている。というより、公爵家と王家が秘密裏に触れ回ったのだ。
理由はエノールの狙いにある。この勝負を大々的に世間に触れ回ることによって、この勝負をレガルドの英雄譚とするのだ。そこまで上手くいかなくとも既成事実を作ることにはなる。
本来であればリーダバルカ家はエノールに婚約者を掠め取られた形になるためエノールと敵対しそうなものだが、この件は放蕩王子の乱心とも思われているため王子に対する心象は悪い。
その上、一度婚約されたエノールの立ち会いのもとで、レガルドとカクレアスがただ一人の婚約者の座をかけて決闘しようと言うのだ。何が何だかわからないが、リーダバルカ公爵からすればむしろエノールに勝ってもらわなくてはならない。よって、王子はマルデリア家・王家・リーダバルカ家の三家には頼れない状況にある。
しかし、頼る先がないかというとそれは違う。王家は従来より邪険にしてきたところがある。それが王立騎士団だ。
不思議に思うかもしれない。王国、ひいては王家が設立しているのだから王立なのにも関わらず、その騎士団を、しかも彼らは自分たちを守ってくれる存在だというのに軽視するのかと。
しかし、実際には王家はあらゆる政務を自身でこなしているのではない。王都の維持だけでも国王一人では手に負えないのだ。
そこで元老院が設立された。簡単に言えば、エノールが取り立てた経済学者・農学者・事業家達と同じである。
専門知識を持って王家を支える従者達、王家の懐刀であり王家が領地として所有する王都を、国の首都として遜色がないように管理・維持し発展させる役割を担う腹心。
それこそが元老院だ。王都は都市として規模が大きい。アイコット伯爵領にある都市が最大だが、そこはスラムや低所得者層の拡大によって規模が大きくなっている節がある。
しかし、王都に住む人々は総じて収入が高い傾向にあり、都市としてのクオリティでは右に出るものはいない。そういう意味ではただでかいだけのアイコット領の最大の都市に対して、王都は美しくも巨大な都市と言えよう。
そんな場所だからこそ、管理・運営は複雑になってくる。王都の都市機能自体がその経済の複雑さに比例して高度になっているため、誰でも維持できるというわけでもないのだ。
だからこそ王都には王立騎士団が存在し、日々治安維持と王家の身辺警護に尽力しているわけであるが、騎士団は元老院の指示に従うことになっている。
元老院側には一人、防衛大臣の職を任された人物が窓口となって騎士団との仲介を行い、元老院の指示を伝えるのだが、この防衛大臣と元老院は従来から騎士団を軽視しがちな傾向にある。
騎士団から意見具申をされることもあるが、大抵の場合は却下するのだ。そのため、騎士団内部では騎士団の存在自体を軽視しているのではないかと噂が立っている。
そして、そこに目をつけたのだがカクレアスだ。彼は騎士団がこの国の要であることは間違い無いのに、それを軽視する元老院と、それを正さぬ王家に呆れていた。
仮に他国が攻めてきた場合、政治闘争に明け暮れるだけの独りよがりな元老院を抱えていては必ず邪魔となる。そもそも彼らはそんなことも思ってすらいないのだ。
何か根拠があってその可能性を潰しているならまだしも、王国はここ100年以上外国との交流がない。つまり、世界情勢に極めて疎いのだ。外部の「未知」という潜在的脅威に何の対策も立てようとしない。
この国の首都機能を司る元老院はまさに国の頭と言っていいはずなのだが、彼らはまさに愚鈍の極み、そしてそれを放っておいている王家もまた彼からは愚鈍に見えた。それが幼いカクレアスをして政務に失望した理由だ。
誰も本気でやる気がないのだから、自分が頑張ったところで何の意味があるだろうかと、実のところ誰よりも人一倍にこの国のことを考えていた。
エノールに一目惚れし、第一王子という立場でありながら、自分にすでに内々の許嫁がいることも考慮に入れられただろうに、その上で直上的に求婚してしまったこともあるが、それを国政に活かせぬというわけでもない。
彼は愚かではあるが、無能ではないのだ。むしろとびきりの有能であると言える。
カクレアスの放蕩は実のところそういった王家・元老院に対する失望と諦観の一環でありながら、騎士団と交流を持つためでもあった。
そもそも元老院が騎士団の意見を無視しがちなのは、彼らが市井の人間だからだ。
あまつさえ血生臭く暴力によって成り上がってきた穢らわしい者どもの意見によって、自分たちが治める政治の場を荒らされたくないという意向もあった。
勿論、それはあながち間違いではない。騎士団は警備組織なのであって政治家の集まりではないのだから、時折そういった政治ごとに対しての無知を露呈してしまうような意見具申もなされる。それが元老院の蔑視につながっていた。
だからこそ、カクレアスは放蕩に身を落とし、騎士達と交流を持った。女・酒・美食、これを最も顕著に好むのは騎士達だ。無論それらの紹介を頼むなら騎士団が最もうってつけなのである。
そうして彼は騎士団長とコネクションを作った。自分たちの意見を聞いてもくれない元老院より王子の方を取ったのである。彼が未来の国王であることも大きかった。
無論、それらの情報もエノールに入ってきている。考えられるケースは二つ、一つは騎士団長が王子の要請により無理を通して騎士を貸す場合、もう一つは騎士団長により騎士団に所属していない腕利が紹介される場合だ。
騎士団長が騎士達のことを考えているなら後者だが、カクレアスが強く押すかもしれない。そうなれば団長は無碍にできないだろう。団長は確実に王子側に乗るはずだ。未来のパトロンを失うわけにはいかないだろう。
どちらにしても王都の騎士を持って一方的にボコボコにできるということはなさそうだ。王子側も王都騎士を用意するなら正々堂々とした勝負になるだろう。ただし、そうでなかった場合、多少めんどくさい。
なぜめんどくさいかといえば、王都騎士でない腕利というのは限られてくるからだ。
まともに騎士団に所属していないけれど、荒事に向いた人物。どう考えても不穏だ。路地裏を根城にしているような輩を集めてくるかもしれない。
そうなると多少の未知要素が出てくる。エノールは不確定要素を悉く嫌う。だからこそ造幣局もあそこまで厳重にセキュリティに力を入れたし、彼女としては真っ当に騎士を集めてくれるのが好ましい。
ただ、そういった不確定要素があって、それを王子がカードとして有しているのだ。あの王子からなら何が飛び出しても不思議ではない。
だから、手段は選べないのである。




