マルデリア公爵への弁解
「エノール、それは何だい?」
「公爵からのお手紙よ」
「えっ、父が?」
レガルドは顔を引き攣らせる。レガルドの父であるユレグニスは公爵の一人であり、エノールとの縁談に躍起になっていた人物だ。
その父が、今の状況を知ったらどう思うか。レガルドは想像して青ざめた。
「手紙にはなんと……?」
「確認のお手紙ね。私と王子の婚約を知って、どういうことだって」
更にレガルドは青ざめた。
元々、マルデリア公爵は王子がエノールに求婚していたことについて知っていた。矢面に立って王子を止めたのも公爵であり、レガルドとエノールの婚約が公爵家にとってどれだけ価値があるかは王子も把握していたことだ。
だからこそ、彼が王都を離れるまで、エノールが王都を去ったとしても大人しくしていたのだ。国王ならまだしも公爵が出てきてはいささか分が悪い。
わざわざ早馬でエノール達を追いかけさせて、豊穣祭というタイミングを狙ったのもそのためだ。社交界で他の貴族と迎え入れるのではなく談合場所を市井とすることによって情報漏洩を防ぐ意図もあった。
無論、人の口に戸は立てられない。王子との婚約が成就して一ヶ月を過ぎた頃、エノールの元へ王子からの手紙が届いていたのと同じように、王子の元にもまた手紙が届いていた。
差出人は当然マルデリア公爵家当主マルデリア・ユレグニス、内容は王都で流れている『エノールと王子が婚約した』とはどういうことか、という説明を求めるものだ。
彼からすれば王子は獲物を横取りしてきたも同然だ。いくら公爵家が王宮を擁立しているとはいえ、心の底から無上の忠誠を誓っているかと言うと、違う。
自分たちの利益になるから擁立しているだけなのだ。だからこそ、この件は公爵の腹にも据えかねている。
そして、事実確認の手紙はエノールの元へも届いていたのだ。
王子相手なら断りづらいのはわかるが、それでもどういうことかと怒りが滲んでいる。
「ち、ちなみに、エノールは何て返すの?」
「近々会いましょうって」
「えっ」
「なーに? お父さんに会いたくないの?」
「それは……」
「まるで悪戯をしたみたいね。その年にもなって父親が怖いの?」
「そりゃ怖いよ。エノールは怖くないかもしれないけど……それでもお父上は怒ってるんじゃないかな?」
「怒られるようなことは何もしてないわ……と言いたいところだけど、ちょっとそうじゃないわよね」
レガルドは、エノールの言葉にさらに青くなる。そのまま押し黙ってしまった。
「けど、対策は考えているから、大丈夫よ」
「本当?」
「ええ、ちょっとやんちゃし過ぎたけどね?」
救いを求めるようなレガルドを上げて落とすという神をも恐れぬ所業に、エノールは愉快に感じていた。コロコロと顔色を変える彼を見て楽しむ姿はまさに悪童子そのものだ。
「貴方といると退屈しないわ」
「ああ、俺もだよ……」
レガルドはマルデリア公爵との対談を胃が痛く待つばかりだった。
対談の日はすぐにやってきた。マルデリア公爵が手紙を受け取るなり早々、アルガルドの屋敷に乗り込んできたのだ。
「これは、どういうことかね?」
「……」
「……」
一方にはエノールとレガルドが、もう一方にはマルデリア公爵が座っている。
父親の剣幕にレガルドは萎縮した。小さい頃から父親というものには逆らわず、嵐が過ぎ去るのを待つ竹林のように流れに身を任せるばかりだった。
しかし、今回ばかりは逃がしてくれそうにもない。エノールの方を助けを求めんばかりに見た。
当の本人は清々しく紅茶のティーカップを傾けている。
「王子と君の婚約が成立したと王都では騒ぎになっているそうだ。これはどういうことか」
「……」
「え、エノール。何か言ったらいいんじゃ……」
「あら、マルデリア公爵、何をおっしゃるの?」
「……何がだ?」
「聞いての通りじゃありませんの。私と王子の婚約が成立した。それだけのことですわ」
瞬間、公爵が机を叩く。
レガルドは、その破壊的な音に飛び上がった。
「ふざけるのもいい加減にしろ!」
「ふざけてなどおりません」
「……」
「……」
「……」
沈黙が流れる。
「……マルデリア公爵は今の状況をどうお考えですか?」
「どうもこうもない。王子との婚約話が広まったことで、君とレガルドの婚約話は流れてしまった」
「果たしてそうでしょうか。私には二つの婚約が同時に取り付けられたように見えるのですが」
「王子を押し除けて──いや、二つの婚約を同時だと?」
そこで初めて公爵は疑問に眉を動かした。
「はい。王子とレガルド、双方との婚約が同時に成ったと私は認識しています。この国には一夫多妻や一妻多夫を禁止する法はございません」
「いや、しかし……」
「そもそも、最初に婚約したのはレガルドの方です。いくら第一王子とて、その優先順位を覆すことはできない」
「……」
「我々の婚約が流れることはない、そう私は認識していますし──王子は、時代を変えるおつもりです」
「時代?」
公爵の問いに頷く。
「ええ、時代を。王子は私に話してくださいました。自分がこの国を変える、その手伝いをして欲しいのだと」
「……どういうことだ?」
「王国の一枚岩化」
「──まさか」
ユレグニスがさっと青ざめるのとは対照的に、エノールは気高い狼のような笑みを浮かべた。レガルドは二人の様子を戦々恐々と眺めている。
「ええ、そのまさかでございます。王子はこともあろうに、自分がこの国を統べる王たらんとしています──全ての貴族を従えた、新なる王たらんと」
「いやいや、しかし! ……だから、君か」
公爵は納得したように座り直した。
「ええ、王宮にとって最大のネックは大諸侯の直系である伯爵家、彼らを切り崩すにはまず我が家からと考えるのは真っ当でしょう。一番断りづらいですから」
「しかし、だとすればどうして君はそれを受けたんだ」
「あら、受ける以外にありますか?」
「……」
「私は、彼ならよもや、と考えました。十分にその資質と素養と可能性を持っている。であれば、ベットするのが商人という生き物です。これは投資ですよ、マルデリア公爵。私の『婚約』というものを使った投資です」
公爵はエノールの蛇のような微笑に、引き攣った笑いを浮かべる。彼の声は少々掠れていた。
「……君は随分なことを考えるんだな」
「あら、光栄な響きですわね……カクレアス様がこの国を、時代を変える特異点となるならば支援をして空手形を切るのは当然のこと。貸しを作っておいて後から回収した方が儲かるのは自明の理ではないですか。ここで乗らなければ時代に取り残されるばかりか、未来の国王の目にさえつかない。それは、私にとって最悪のケースです。だから、あの場では頷く他なかった」
「なら、君は王子とレガルド、双方と婚約を──」
「あら、しませんよ?」
「は?」
「二人と結婚とかあり得ませんもの。私はレガルド一筋ですわ」
エノールは愛しむようにレガルドの頬に手を伸ばして、レガルドはそれをくすぐったそうにする。呆けている自分の父親の前でドギマギしながらエノールの寵愛を受けていた。
「……じゃあ、なぜ王子と婚約したんだ」
「婚約を断った女と、一度婚約に至ったがやむをえず逃した女、どちらの方が覚えが良くなりますか?」
「……」
「そういうことですわ」
公爵は小さく『恐ろしいことを考えるものだ……』と溢した。口からこぼれ出たその言葉は、初めて交渉の場で彼の口から出た本音だった。
なにせ、それだけの理由で王子と婚約破棄を前提として婚約したのだ。合理的だが、合理的だからというだけでその判断をして実行してしまえる胆力が、公爵にしてみれば恐ろしい。
下手をすれば全てが狂う賭け、そんな賭博にエノールは躊躇なく自分自身をベットしたのだ。単に彼女だけではない。彼女の周囲も、その将来も、あらゆるものを巻き込んで一番旨味の高いゲームにレイズした。
豪胆などというものではない、もうこれは別の何かだ。
「それで? なら、どうやって王子と婚約破棄するんだ?」
公爵は開き直った。自分で考えることをせず、全てをエノールに聞いてしまおうと。
単刀直入な聞き方は、切れ者で知られる公爵をしてお手上げということだった。
「──算段は整っております。レガルドと王子の勝負事を執り行い、勝った方がトロフィーである私を手に入れる。内容はレガルドの得意分野にしていますが、万が一彼が負けた場合も、王子と王家の間には溝が残るでしょう。いささか彼のやり方は急進的すぎますから、結婚時期も定めていない以上、まだ時間は稼げます。その間に王家と王子の溝に付け込めば、リトライはいくらでもできるでしょう」
「はは、君は全く恐ろしいな!」
公爵の手放しの賞賛、彼の人生で生まれた初めてだ。
「ありがとうございます」
「レガルド、そういうことなら絶対に勝て。負けるんじゃないぞ、絶対にだ」
「わ、わかりました……」
「ご安心ください。此度の件は王宮、特に国王陛下からすれば寝耳に水のことでしょう。おそらく王家側ではすでに婚約相手が決まっていて、あとは婚約を取り付けるのみだったはずです。それが王子の放蕩ぶりで伸びていただけでしょうから、それが今回の事件を持って予定が狂ってしまった。十五歳という年齢を考えれば本当にギリギリのタイミングだったのでしょうね。このままでは王家は、婚約を取り付ける予定だった公爵家に泥を塗ることになります。であれば、王宮はなんとしても王子には私との婚約解消をしてもらわないといけないでしょう」
「となれば、君はそこにもつけ入れるわけだ。まったく、恐ろしい限りだね」
「──婚約破棄後も私は伯爵としてカクレアス様の一枚岩政策を支援するつもりです。そうして将来的に国王の筆頭擁立者となる。それが、アルガルド家がマルデリア家のご子息を迎え入れ、縁者関係を結ぶにあたって用意できる手土産です。我が家はマルデリア家と繋がったことで派閥入りしたと見られるでしょうから、我々の急接近ぶりをアピールしつつ、私と王家の関係の密接さを誇示すれば、王宮派閥内でも優位な立場を勝ち取れるのではありませんか?」
「ハハッ、なるほど! いやはや、この歳で君のような娘と同じ年齢の女性に感嘆することになるとは、夢にも思わなかったよ!」
「お褒めに預かり光栄です」
「ならば、我が息子には頑張ってもらわねばな」
「はっ、はい! 頑張ります!」
「私としても、レガルドの勝利は疑うところではありませんが、あらゆる作戦行動は常に想定外を予測するもの。私にとってレガルドが負けてしまうことは『想定外』ですが、しかし、二の矢は用意してあります。先行して王家と話をつけ、外堀を埋めて仕舞えば勝負事がどうなろうと周囲はどうにか婚約を破棄させようと躍起になる。特に、そんな子供の諍いのようなことで王族の結婚事を決めても王家は認めないでしょう。レガルドが勝てばそれを口実にできる、王子が勝っても口実たり得ない。だからこその『勝負』でもあります」
「なるほど! なるほど! つまり、全ては君の掌の上というわけだ! いやはや恐れ入った! ここまで武者震いがしたのは初めてだよ!」
「褒めすぎですわ、公爵」
エノールは恐縮したように手を振る。しかし、公爵は続けた。
まるで今までの鬱憤を晴らすかの如く。
「いいや、君のような切れ者には初めて会った。これまで私は周囲から切れ者だなどと呼ばれていたが、私以上の人間がいるとは……エノール君、いや、アルガルド伯爵。我が家は貴殿の家とすぐにでも縁者関係を結びたい」
「勿論ですわ。しかし、こういったことは周囲の人間が認めるかにもよります。特に、王子が王位継承権筆頭であるならば余計な諍いは控えるべきでしょう。むしろ、恩を売っておくべき相手ですから、うまくこの事態を収めて周囲から納得してもらえるような状況に落ち着いた暁には、きちんと準備をして大々的に結婚式を執り行わせていただきます」
「そうか、それならいい。その言葉が聞けただけで十分だ」
マルデリア公爵はソファを立ち上がる。それに合わせて二人も立ち上がった。
「今日はありがとう、いきなり押し入ってすまなかった」
「いえいえ、公爵のお気持ちは十分伝わりましたわ」
二人は固い握手をする。
「今後は君の言うように。何かあれば手紙をくれ。指示通りに動こう」
「ええ、お願いいたします。公爵も都合のいいように動いてくださって構いませんのよ?」
「あはは、君のようにはできないさ。それじゃあ、レガルド」
「はい!」
「また今度だ。アルガルド伯爵と仲良く」
「勿論です!」
「ご心配なさらず。私はこの人に心奪われてしまいましたから」
「あはは、それならいい。いや、良かった。レガルドを選んだのは間違いじゃなかったようだな」
「あ、ありがとうございます。お父様」
二人は玄関先でマルデリア公爵を見送って、屋敷に戻った。
ソファに腰掛けて、レガルドは脱力する。
「いやー、めちゃくちゃ怖かったー」
「緊張したわね」
「いやー、本当だよ。でも、エノールがあんなに考えてたなんて。てっきりその場の勢いでかと──あ、いや、そんなわけないよね」
自分で言葉を撤回するレガルドに、エノールは不思議そうな顔をした。
「え? あんなの後付けよ?」
「えっ」
レガルドが固まる。
「勿論、王子側に乗らないと時代に取り残される危険性とか、今の状況で恩を売ることによる利益とか、そう言うのは考えてたわよ? でも、後は大体後付けね。公爵を納得させるためになんとか捻り出したのよ」
「えっ、じゃあまさか……」
「そっ、貴方とシたのは完全にその場の勢いね」
レガルドは何かを言おうとして、言えなかった。
代わりに悲鳴のような声が上がった。
「そ、そんなっ!」
「あら、そんなに嫌だったの?」
「嫌じゃ、ないけど……」
少し前までは渋い顔をしていたのに、今となってははにかんでしまうレガルド。
夜の逢引きは二人に幸せな記憶をもたらし、散々だった初めてを『良い』思い出たらしはじめている。
そんな様子の変容にエノールは目ざとく気づいて麗らかに笑う。そんなエノールの笑顔が、レガルドはたまらなく好きなのだ。
「ん……」
「…………ちゅっ、えっち」
「な、なんでさ。キスぐらいなら……」
「昼間から?」
「う……で、でも」
「冗談。貴方とならいつだって口付けしたいわ」
エノールは彼の耳元に唇を寄せる。その動作にレガルドはとっさに退いた。
彼女がその仕草をするとき、まるで悪魔のように毎回誘惑してくるからだ。
「なんで逃げるの?」
「だって……」
ずい、とエノールはもう一度身を寄せて、今度こそ彼に囁く。
「私は貴方となら、たとえ公爵の前でだってキスしてもいいのよ」
その誘惑のような口ずさみに、レガルドは自分の耳を抱えた。
動揺は彼の声を裏返らせる。
「な、なんで⁉︎」
「あら、嫌なの?」
「いや、それは流石に……」
今度は少し否定的だ。キスすると言うのは、レガルド的には女性と乳繰り合っているのと同義だ。それを親の前でするのは抵抗感がある。
「そうした方がお父上の不安も取り除けるじゃない?」
「そうだけど──」
「もっと貴方の表情をよく見せて。私にしか全部見せないでね」
レガルドの月光蝶のような微笑みに見惚れかけて、レガルドは咄嗟に顔を逸らす。そして、苦し紛れにこんな強がりを発した。
「う……エノールのサキュバス」
エノールはその言葉に目をまんまるにしてレガルドのことを見る。
「……エノール?」
「んふふ……ありがと」
「わっ、エノ──」
レガルドは、不用意に蛇の尻尾を踏んだ。
オチが一辺倒? うるさい。俺はイチャイチャが描きたいんだ!




