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浴場での一時

 戦いを見据えて息巻くカクレアスに対し、エノール達はイチャイチャしまくっていた。

 

「ふう……」

 

 脱衣所でレガルドが服を脱ぎ捨てる。屋敷の旦那であるレガルドが一人で着替えるというのは、アルガルド家が伯爵家であることを考えたらありえないことなのだが、レガルドが要望した。

 

 この屋敷には男性使用人がいない。心に決めた人がいる中で他の女性に脱がせてもらって万が一にでも興奮して仕舞えば、それはレガルド的に不貞に当たる。

 

 故に伯爵家の旦那様であるレガルドは一人で風呂に入っているのである。

 

 湯に浸かる前に体を洗う。本来であればそれも使用人に任せなければならない。屋敷において立場のある男性が女性使用人に体を洗われるというのはよくあることだ。

 

 その人の人柄にもよるが、欲情してしまうのであれば手つきを厭わない人間が望ましい。

 

 本来なら使用人自ら志願しなければならないことだ。いくらレガルドの希望があるといえど、家長の伴侶に一人で風呂に入らせるなど前代未聞だ。

 

 エノールも本来は彼のために従者ヴァレット従僕フットマンをつけるべきだし、メイド達も指を咥えていないで押し入らなければならない。使用人の恥は主人の恥なのだ。

 

 それなのに広い浴場に誰もこない訳は、ただ一つ。

 

「広いなぁ……」

 

 レガルドは浴場で声を上げる。広々とした浴室に自分の声が響いた。

 

 幼い頃からメイド達に洗われてきた。王立学園に入ってからは同級生達と一緒に風呂に入っていた。

 

 王立学園は思春期の男子達を隔離する面もある。色気を覚え始めた令息達を女日照りの空間に押し込めることによって使用人に被害が及ばないようにという側面もあるのだ。

 

 しかし、ここでその必要はない。なぜならこの屋敷には──


「え、エノール⁉︎」

 

 ──エノールがいるのだから。

 

 ザバっと湯煎が音を立てる。

 

 そこにはタオルで体を隠したエノールの姿があった。

 

「こんばんわ、レガルド」

 

「あっ、あっ……」

 

 声をかけようとして、何も言えない。こんな時に何を話せばいいのかわからないのだ。

 

 何故ここに、というのもお風呂に入りにきたんだろう。

 

 俺がいるのになんで、というのも知らなかったと返されるかもしれない。

 

 そもそも、婚約者だからいいでしょと押し切られるだろう。

 

 自分が思いついた言葉に、全て頭の中のエノールが反論してきて、口から出かかった言葉が頭途切れに発せられた。

 

 彼女はタオル一枚で姿を隠している。体に巻き付けているのではない。片腕で胸元を隠しながら、下にだらんと垂れた布がかろうじて彼女の下も隠しているのだ。

 

 風が吹けばすぐに意味をなくしてしまうような仕切り、その光景にレガルドは顔を真っ赤にした。

 

 エノールは何も言わず体を洗い始める。レガルドは居心地が悪い思いをして、時折ちらりと彼女の背中を見ていた。

 

 湯の温度で紅潮した肌は、情事の時を思わせる。すぐにエノールが体を洗い終えると自分の方に近づいてきた。

 

「隣、いい?」


「あ、ああ」

 

 強がるのが精一杯だった。

 

 チャプリとエノールの足が湯煎に入って、そのままザバザバと湯を掻き分けて隣に座る。

 

 湯煎の床は火で熱せられているのでとても熱い。大量の水をお湯の温度にまで引き上げるのは大変だ。燃料が大量に必要だし、お湯にしていられる時間も長くない。

 

 だから、お湯が沸いている時に座っていられるスペースは少ない。肩が当たるほどに二人の距離は縮まった。

 

「……」

 

「……何ちらちら見てるの?」

 

「あっ、これはっ」

 

「……」

 

「ご、ごめっ」

 

「そんなに悩ましげな視線を送られると、滾ってしまうわ」

 

「っ……」

 

 彼女を何度抱いたことだろう。だというのに、レガルドの心の臓腑は早鐘を打っている。

 

 まるで初めての夜のように、すぐ目の前まで彼女の唇がやってきて、ずいと顔を寄せて近寄ってきたエノールにキスしようかと逡巡した。

 

 まるで『ぐずぐずしている人にはご褒美はあげません』とばかりにエノールは元の距離に戻って、自分の唇を彼が見えるようにいじっている。

 

 レガルドは恥じた。ここまでエノールにさせているのに、自分は情けなくて度胸一つ見せられないのかと。しかし、対してエノールは大変満足している。目の前の人が、自分のことで頭をいっぱいにしてくれているから。

 

 だから、やはりご褒美をあげたくなってしまう。

 

「ねっ、レガルド。お話ししましょう(・・・・・・・・)?」


「え、言いけど……」

 

「うん、お話よ、お話」

 

 エノールはざばりと腰を上げて、レガルドの前に来る。

 

 彼女の太ももやら、胸元やらに視線が伸びて、いつの間にかエノールは彼の膝の上に乗っていた。思わず膝を揺らしてしまう。

 

 膝の上に、肌の上にやわらかなエノールの感触がよせられる。レガルドは身を捩ってどうにかエノールとの間に空きスペースを確保しようとするが、それをエノールは許さない。

 

「どうしたの?」

 

「っ……エノール、ちょっと──」


「お話しよ? お話しするの。なのに、どうしてここはこんなに大きくなってるの?」

 

「それは──」


「私のせいにする気?」

 

「ぅ……」

 

 レガルドは図星を突かれた。

 

「うふふ……可愛い」

 

「ご、ごめん」

 

「んーん、いいの。いっぱい私のせいにして。ええ、全部私のせい」

 

 エノールは楽しむように悪魔の囁きを投げかけ続ける、その果てにレガルドはどうなってしまうのだろうという好奇心に駆られて。

 

「さっきから、胸にすっごく視線を感じるんだけど♡」

 

「ご、ごめ──」


「見たい?」

 

「う、うん……」

 

「……」

 

 ざぷり、とタオルが湯煎の中に溶ける。

 

 先ほどから湯に透けて意味をなしていなかった隔たりが取り払われる。ポールダンサーが観衆の視線を煽るように、エノールは仕草でレガルドの視線を釘付けにしてその胸に独占した。

 

 まだ、まだ彼は自分に興奮してくれるのだと歓喜が込み上げる。

 

「さっきからあなたの視線、すっごくえっちね」

 

「エノールが綺麗だから」

 

 ジトッとして湿っぽくて、重苦しい圧力を感じるような視線が注がれる。

 

「はい、今日はこれでおしまい」

 

「あっ」

 

「続きは明日──」


 ざぷっと湯煎が音を立てて、揺れる。

 

 レガルドはエノールの腕を掴んでいた。

 

 その行動に、レガルド自信も驚く。

 

「この腕はなーに?」

 

「……」

 

「黙ってちゃわからないわよ?」

 

 レガルドはとっさにエノールに抱きついていた。お腹に腕を回し、額を彼女の背中につけている。

 

 自分でもなぜそんな大胆な行動に至れたかわからない。

 

 少なくとも、自分が『釣られている』ことを理解して、盗作的な状況に湯当たりしたんだろう。

 

 気が動転していたのだろう。

 

「……君に対する感情が、日に日に強くなる」

 

「……」

 

「それをどうにか飼い殺そうとしてるのに、エノールは煽り立てるようなことばかりするし、君が夜這いをかけていいなんていうせいで、歯止めが効かなくて」

 

「全部私のせい?」

 

 エノールは振り向いて、レガルドの腕を持ち上げた。

 

 そして、解き払うのではなく、彼の手を自分の乳房に押し付けて、沈ませる。

 

 べっとりとインクをつけるように自分の胸を揉みしだかせた。

 

 彼女がもう一度気く、私のせいなのかと。

 

「……そうだ」

 

「あなたがこんなになってるのも?」

 

 スラリと彼のを擦る。レガルドは一瞬びくりとした。

 

「そうだ」

 

「全部、ぜーんぶ、私のせいなの?」

 

「そうだっ──」


 彼が勢いよく立ち上がって、ばさりとまた湯煎が揺れて、エノールの柔らかな肩を両手で鷲塚む。

 

 勢いよく問いただしていたのに、目に飛び込んできた恍惚とした彼女の表情に、一瞬にしてレガルドは気を削がれてしまった。

 

「素敵……つまり、あれね? 貴方は『見る』だけでは我慢できなくて」

 

「……うん」

 

「触りたくて、なのに言えもしなくて」

 

「……うん」

 

「それで去ろうとする私の背中に抱きついて、あまつさえ自分の衝動を私に責任転嫁するのね?」

 

「っ……」

 

 エノールは息を呑むと、

 

「最高……」

 

 漏らすように呟いた。

 

「エノール……?」

 

「それで? 私はこれからどうなっちゃうのかしら」

 

「そ、それは……」

 

「浴場で、貴方に肩を掴まれて、まるで今にも襲い掛からんばかりの貴方と二人きり」

 

「……」

 

「使用人は来ないわよ。しばらく人払いも済ませてる」

 

「っ、エノール!」

 

 ざばり。

 

「あらあら? 『お話し』するのよね? 『お話し』だけじゃなかったの?」

  

「……ああ、エノール。君に『はなし』がある」

 

「ダメよ、レガルド」

 

「……それは──」


 彼女の手は全くそうは言っていない。むしろ誘うような手つきだ。彼の男を最大限燻るような、そんな仕草を織り込んで。

 

 言ってることとやってることがまるで反対だ。食い違っている。

 

 そして、エノールの瞳もまた彼女の本音を伝えていた。

 

「『ダメよ』、レガルド」

 

「……」

 

 レガルドはその意味を悟った。

 

「『ダメ』なんだからね?」

 

「……ああ、ダメだ」

 

 その言葉に、エノールはニヤリと笑う。

    

「私を今ここで襲ったり、あまつさえ浴場で行為に及ぶなんて、そんなこと絶対『あってはいけない』のよ?」

 

「……ああ、いけないな」

 

 二人の距離はどんどんと近づく。もはや髪の毛一本ほどもなく、隔たるものは何もない。

 

 異質な水音が浴場にこだました。エノールが、レガルドの耳元で愛情いっぱいに囁く。

 

「『ダメ』なんだからね、レガルド♡」

 

「……ああ」

 

 今日も、負けた。

 

 レガルドはそう思って、意識を手放した。

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