宣戦布告
それからしばらくして、二人はアルガルド領の屋敷を出て王都へと向かった。
エノールの声は部屋の外にも漏れているはずである。前伯爵夫妻もまた屋敷に住んでいるので、エノールは気づいているんじゃないかと思っていたが、結局最終日まで何も言われることはなかった。
王都へとつくと周囲は活気だっていた。豊穣祭という一大イベントにかこつけて、色々なものを買ったり売ったりするぞと活気に満ちている。
エノールは王子に宛てた手紙で待ち合わせ場所として指定した噴水前に向かう。
馬車を降りると、すぐにカクレアスが歓迎してきた。
「やあ、エノール! お帰り!」
「お待たせしました、王子」
「そんな他人行儀な! 俺たちはもう婚約者だろう?」
カクレアスはレガルドを見て言う。
「そうでしたわね、それではカクレアス様とお呼びさせていただきます」
「是非そうしてくれ。今日から豊穣祭が始まるからな。昼には露天が開かれる。見に行くかい?」
「そうですわね。それまでは如何しましょう」
「俺に当てがある。着いてくるといい」
王子は踵を返して乗ってきた馬車に再び乗り込もうとする。
「何をしてるんだ、エノール」
「はい?」
「乗るんだ」
「……」
王子が乗ってきた馬車に乗る。それはつまり、レガルドを置いて二人きりでということだ。
早速仕掛けに来た。
エノールは、王子なら最初にまたレガルドの心を折りにくるだろうと考えていた。
婚約を成立させた今、王子がそんなことをする必要はない。強いて言えば、その方が安全なのだ。それだけの理由でレガルドの男としての、同じ婚約者としてのプライドを叩き折りにくるだろうと想定できた。
だからこそ、レガルドに自分を抱かせた。王子に婚約を迫られ屋敷に帰ってきた後にはすでにそこまで予想は立っていたからだ。
エノールが強引な方法でレガルドに迫ったのは、これ以外に彼を守る方法はないという使命感もある。
だから、苦しかったのだ。きっとそれはレガルドを傷つける。自分だって初夜については大切だと思っていたし、彼は自分を大切にしてくれている分、それ以上だろう。
二人の大切なものを壊すような真似をしなくてはレガルドを守れない。心を守るために心にヒビを入れなくてはならないという矛盾に、エノールの心はどんどんと瓦解したのだ。
どう説明すればいいかもわからなかった。
どう赦しをこいていいかもわからなかった。
ぐちゃぐちゃになりながら『一才の許しを請わない』という茨の道を進むことにしたのだ。これは自分の失態だと自分に言い聞かせて。
屋敷に帰ってレガルドが一人でできないようにタオルらを回収したのもその一環だ。初めてを奪っただけでは物足りない。その実感をきちんと抱かせるために、繰り返し抱かせることによって自分のものにしたのだと実感を湧かせることにした。
その道中で自分の願望を叶えることもあったかもしれないが、それは些細なことである。とにかくとして、本来は敬うべき王子に同じ婚約者という土俵に立たれたレガルドを王子と対等にするには、エノールの処女を奪ったという絶対的なアドバンテージが必要だったのだ。
エノールの婚約者という関係性において、それは第一王子という肩書きにさえも匹敵する。
「そうですか。それじゃあお言葉に甘えて、行こう、エノール」
「待ってくれ。三人だと狭いだろう。ここはエノールを優先して──」
「お言葉ですが、殿下。我々は同じくエノールと婚約した身、つまりエノールを介して我々も内縁関係となります。家族となるのですから、三人で馬車に乗るべきでは?」
「……」
レガルドの指摘は的確だった。カクレアスは自ら伯爵の婚約者という立場に成り下がったのである。ここでその言葉を否定してもカクレアスとしては体裁が悪い。
カクレアスは一妻多夫賛成派の立場としてエノールに婚姻を申し込んだのだ。三人が家族になることを否定すると、それはどちらかがエノールとの婚約を破棄する流れにつながり、常識的に考えて先約だったレガルドが優先されてしまう。
自分で吐いた言葉を飲むわけにはいかない。彼の発言は、王子の立場をよく理解してのものだった。
「……いいだろう。君のいう通り、我々は『三人で』家族になるわけだからな」
実際のところ、レガルドが自信をつけたのはエノールの初めてを奪ったという醜い独占欲ではなく、エノールが共に戦うパートナーとして選んでくれたという承認の方だった。
今まで仰ぎ見ることしかできなかった相手、対等に手伝うことすらできなかった自分が屋敷でエノールのために資料集めに勤しんで、彼女の役に立てたという事実が、彼の中で自信につながっていた。
エノールの思惑とは少し違うが、彼もエノールの婚約者としてプライドを持ち始めたのである。
結局、レガルドはいい男だった。
三人は一つの馬車にひしめき合うようにして一緒に乗り込んだ。そのまま馬車は王都をめぐる。エノール達の乗ってきた馬車は王子の馬車をついづいする形となっていた。
「王都は国一番の商業都市だ。レガルド君、君は経営はできるかな?」
「いいえ、そちらの方はエノールが得意ですので」
「婚約者が得意だとしても、それで努力を怠る理由にはならない。君はエノールに縋って生きていくのかな? 俺は──」
「お言葉ですが、エノールに縋って生きていくのではなく、共に生きていくのです。足りない部分を補い合う、それが夫婦というものです」
王子は少々苦い顔をした。自分の言葉を遮られたばかりか反論もできない。そんな屈辱は生まれて初めてだ。
かといって、同じエノールの婚約者であると振りかざす以上、王子の立場を使うわけにもいかない。
八方塞がりだった。。
「エノールは類稀なる商才を持っていますから、私は彼女があまり得意でない軍事の方を……」
「あら、私、軍事が得意でないなんて一度も思ったことないけれど」
「ああ、いや、そういう意味じゃなくてね……」
「ふふ、分かっているわ。それに貴方の方が成績は良かったものね。センスも良かったし、教師の覚えも良かったから」
「あはは……」
「……」
しかも、二人は旧知の間柄であることを示してくる。自分たちはもう夫婦なのだと言われてるようであった。
王子としてはこれは面白くない。彼はどこまで行っても新参者なのだ。三人の中では一番外様なのである。
こういう動きをされると、王子としては立つ瀬がない。
エノールを将軍とすれば、レガルドは親藩、カクレアスはまさに外様なのだ。婚約者としての仲の良さを出されると、『王国の一枚岩化に協力してくれたらそれでいい』とあくまでビジネス関係だと強調して婚約を迫った王子としては、その輪に入り混む余地がない。
二人のやり取りはまさに夫婦、雰囲気もきちんと準備段階を終えて蜜月を重ねてきた二人だからこそ醸し出せるものがあった。王子はまともな恋愛をしたことがないのでそれにたじろぐ。
「……学園ではどんなことを?」
よって、王子はまず情報収集をすることにした。
「私は政治経済軍事から花に刺繍と、男女のカリキュラムはどっちも終わらせました」
「……どういうことだ?」
「エノールが『伯爵となるこの身ならば男性に求められる資質も同然求められる』って言って、俺たちの教室に割り込んできたんだよね?」
「割り込んだとは失礼ね。ちゃんと頼んだのよ」
「男子生徒に馬術や剣術も誘われて、ちょっとやってみたらすごい才能があるとかで、エノールは剣を握るために生まれただとか、遊牧民族の姫の生まれ変わりなんじゃないかって噂もあったよね」
「今思えば本当に恥ずかしいわ。そういえば、レガルドは剣や馬が得意になったのよね?」
「得意じゃないけど、まあ乗りこなせる程度には」
「ほう、レガルド君は剣や馬を嗜むのか」
「嗜むと言っても苦手を克服した程度ですけど……」
「いいえ、すごい進歩よ! 図書室であった時のあのメガネ君がこんなに逞しくなるなんて」
「や、やっぱり覚えてたんじゃないか! あの時は覚えてないって言ってたのに!」
「思い出したのよ。そういじけないで。今思い返して『あっ、あれが貴方だったのね』ってなったんだから」
「別に、いじけてなんか……」
「……」
エノールと話す時のレガルドの様子はまさに軟弱だ。しかし、エノールはそれを断固として良しとしている。
これでは、やはり会話に入り込めない。それどころか自分の知らない思い出話を出されて微妙にマウントを取られている。しかも、レガルド達にその気がないのがよっぽどタチが悪い。
「そうよね〜、本当に逞しくなったんだもの。色々と♡」
「な、何をいうんだよ……」
「……」
王子は馬車の中で苦虫を噛み潰したようだった。
王国での主要作物は麦であり、準じて野菜、粟やトウモロコシの生産は少なく、米はそもそも似た植物がない。
故に、収穫祭といえば麦を使ってお祝いするが、豊穣際は麦の豊作を祈るにしても、その祝い方に決まったものはない。商人にとっては豊穣祭の方が都合がいいというわけだ。
王都の繁華街は活気に満ちていた。普段は寄りつかないような場所に姿を見せる中流・上流階級の人間も多い。
最も、彼らの場合は出店を回るのではなく商人から直接買い付けることが多いのだが、エノールにしてみればそれでは意味がない。祭りは現地に参加しなくては。
しばらく昔話に花を咲かせた後、エノールは今回の本題に入る。レガルドもそれを察して準備を整えた。
「……さて、カクレアス様。我々はそれぞれにおいて婚約を結んでいます」
「そうだな」
「貴方はこの国の第一王子、王位継承権筆頭でありこのまま行けば王の座に座られるお方です」
「そうだな」
王子もまた、この前置きに何か仕掛けてきたのだと理解した。
彼の中の猛獣が起き上がる。
「そうなれば、レガルドは国王と妻を同じくする者、必然と地位も上がりますわね?」
「……そうだな」
「レガルドと内縁関係にある私を王家に引き入れれば、すなわち彼もまた王族になるということ。それはこの国を二分することになるのではありませんか?」
「つまり、こう言いたいのか? 将来、レガルドが私と同じ程度に力を持つと」
王子は力強い視線でエノールの方を見た。
「そうは思いませんが、しかし、カクレアス様はこの国を変えたいのでしょう? それも、これまでとは全く違うように。急進派には必ず穏健派が立ち塞がります。殿下の波動を妨げたい貴族は大勢いるでしょうね」
「何をいうかと思えば、もとよりそのつもりだ。王国の一枚岩政策は伯爵達全てを引き込むことを最終段階としている。大諸侯の直系であり、いまだこの国の支配者気取りでいるあいつらが、そうそう簡単に頷くはずもない」
「そうなると、レガルドは形式上この国で二番目に偉い人間となり、王族であり、彼らにしてみれば絶好の神輿になりますわよね?」
「……彼を側室扱いすればいい。身分が低ければ神輿にはなり得ない」
「そうなると、今度は私の地位が高くなってしまいますわ。王妃でありながら側室を持っているんですもの」
「……何が言いたい?」
王子はこの時初めて怪訝な顔をした。
「いえね、婚約したのはいいんですけれど、そのせいで将来的に私たちのどちらかがカクレアス様の志を阻んでしまうのではないかと危惧しているのです。それも、自分達の意思に反して」
「ほう……?」
「思うに、王家で一夫多妻があっても一妻多夫がなかったのは、そういう事情があるのではないかと。女であれば神輿たりえない。しかし、男であれば話は別です。男であり、王族であり、王妃を妻としていれば十分に王国の元首として立てられると、そう考える貴族がいるかもしれない。だから、王家は代々夫を複数人持つことをよしとしなかった。勿論、個人的な感情もあるのでしょうがね──」
「私に、身を引けと?」
王子の獰猛な牙がギラつく。
刃を見せるような彼の瞳を、エノールは真っ直ぐ見た。
「私はただ一夫一妻の方が何かと都合がよろしいのではないかと、そう申しているのです」
「そうか、ならレガルド君と婚約を破棄してくれるな?」
「そうは参りません。私にもマルデリア家との縁がございます。それに、王子としてもマルデリア家を敵に回したくないのでは? 王宮勢力の半分と伯爵三人を同時に相手取れますか?」
「……」
「私はお二人と婚約しています。それを禁ずる王国法はありませんが、慣例として国王の妻が別の夫を持つことなどありません」
「これまた異なことを。言っただろう、私はこの国を変える王になる。君との婚約はその一環だ。その上で慣例に縛られてはどうやってこの国を変えられようか。よもや忘れたわけではあるまいな?」
「いいえ。しかし、カクレアス様の威容のみで果たしてどれだけの人間がついてくるでしょうか?」
「何……?」
「貴方はこの国を一つにまとめ上げ、本物の王たらんとしている。それはつまり全ての貴族を従えるということです。しかし、自分勝手な主張ばかりを通すようであれば我儘王子のやることと何ら変わりがありません。誰が貴方に着いて行きたいと考えるでしょうか?」
「貴様、俺の野望を愚弄するかッ⁉︎」
カクレアスは勢いよく立ち上がる。今にも食い殺されてしまいそうな王子の勢いにも、エノールは動じなかった。
「滅相もありません。私はただ、急進的なばかりでは王子の目的は達成できないと、そう申しているのです」
「ふんっ……それで? 君の狙いはなんなんだ?」
結論を急ぐ王子に、エノールは呆れるように笑った。カクレアスは腰を下ろしながら、微妙に眉を顰める。
「いえね、私はやはり一人と結婚した方が周囲も納得するのではないかと思いますの。婚約とは本来、それぞれと果たすべき事前の契約。けれど、三人とも結婚するのはいささか現実的ではない。となれば、たとえ選ばれなかったとしても双方の納得いく形で私と結婚する一人を決めた方がよろしいのではないかと思いまして」
「……あはは! つまり、何か⁉︎ 君は、この俺とそこのレガルド君を戦わせようと言うのか⁉︎」
「戦うなんてとんでもない。殴り合いだけが競い合いではございません。マルデリア家も王家も、双方が納得する形で争っていただきます。無論、私と結婚したければ、ですが」
「くくくっ、あはは! あははは!」
その答えに、王子は実に数年ぶりに声を上げて笑った。
エノールはその姿を淡々と眺め、レガルドは少し緊張した面持ちで様子を見ている。
王子は一人しきり笑うと、息を吐き切って叫ぶように言った。
「気に入った! 気にいったぞエノール・アルガルド! そうまでして俺との結婚を望まぬか!」
「あら、私は王子も頑張っていただけると期待していますわ。同じように、レガルドにも」
「くくくっ、いいだろう! その勝負、受けてやる! 貴様も受けるよな、レガルド・マルデリア? そもそもこれは貴様と貴様の家のために用意された舞台だ。俺の実家は、たとえ俺が敗北したとしても何も言わん! つまり、この件は全てお前の家がネックなのだから!」
「勿論です、第一王子。私もまたその果し状、謹んで承ります」
「あはは! あはははは! 面白い、面白いぞ! こうなるか! そこまでか! よほど俺は嫌われたらしい!そうまでして俺との婚約を望まぬか!」
「あら、私は貴方を嫌ってはいませんよ。双方にして勝ち目のある提案だと思ったから申したまでです」
「くくっ……あはは! はははははっ! 良い! いいぞ! 予想以上だ! 二言はないな、アルガルド伯爵! レガルド君が負けたら、俺とのみ結婚するのだぞ!」
「ええ、その時はよろしくお願いいたします」
すると、王子はすぐさま馬車の扉を開ける。
「出る。もう余興は良い。こんなつまらん行事に割く時間などない」
「では、選出方法についてはまた後日改めて手紙を送らせていただきますわ」
「好きにしろ。だが、できるだけ早く頼むぞ。勝負は正々堂々、真剣勝負だ。くれぐれもハンデなんかつけてくれるなよ」
「滅相もありません。では……」
エノールとレガルドは馬車を出て、追随していた自分たちの馬車に乗り込む。
エノールが馬車の床に足をかけた時、王子が叫ぶ。
「エノール!」
「……」
「俺は、君を必ず手に入れる! 力づくでだ、覚悟しろ!」
「……ええ、楽しみにしていますわ。カクレアス・アルファート王子」
エノール達の馬車はすぐに出発した。彼らがさっていくのを、道端で王子は眺めている。
「……アハハ、面白い!」
王子は思わず笑みがこぼれてしまった。
「──ん、レガルド……」
「エノール……!」
二人は馬車が出発して、王子が遠くなった途端に抱きつきあう。
情熱的に腕を回し、引っ付き合った。
「ん、ん……」
「エノール、可愛い……」
「レガルド……」
二つの男女が複雑に絡み合う。レガルドの舌使いに、エノールは昨晩のことを思い出してしまう。
レガルドは情欲のまま彼女の胸元に手を伸ばしたが、荒々しい手つきにエノールは身を捩らせたが、拒むことはなかった。
これまでとは違う。タガの外れた二人は、そのままエスカレートしていく。まるでブレーキを失った暴走機関車のように。
馬車での情事というのは、王国ではよくあることだ。
──カクレアスは二人の当て馬だった。




