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旅路の護衛

 そうして、出立の日がやってきた。目の前には御者のバークスが操る馬車が停まっている。令嬢の、次期当主であり現当主代理であるエノールが、七歳の小さな少女が家のために騎士と諸侯を訪問するため旅に出るというのだ。その日は屋敷の玄関で全てのメイドが見送りに参席していた。

 

「エノール様、どうかご無事で」

 

「硬いわね、それに重いわ。女中長マリエッタ、みんなが心配するじゃない」

 

「使用人一同心配申し上げております。道中、エノール様の身に何かあったらと思うと」

 

「出立前に縁起の悪いこと言わないで、ただ行って帰ってくるだけだから」

 

「して、その杖は……」

 

「ああ、これ……」

 

 女中長が訝しげに見たのは、エノールの右腕に握られた、彼女の背丈と同じぐらいの杖だ。それでも七十センチほどあるが、これでも短くしたのである。

 

 エノールは困ったように笑い、誤魔化した。自分としてもこれは持っていきたくない。持っていきたくないが……旅先の部屋でもしこの杖がまた姿を現したら、その時点でエノールは屋敷に逃げ帰る自信がある。そんなことするわけにはいかなかった。

 

「気にしないで。それじゃ、行ってくるから」

 

「はい、お気をつけて」

 

 玄関の左右に、まるで道でも形作るかのように整列したメイドたちは一斉にカテーシー(礼儀所作)をとる。

 

 踏み台で馬車になんとか上がったエノールが横を見てみれば、その光景は壮観だった。

 

 バルターによって扉が閉められる。真向かいの、メイドたちからは見えない位置でバルターとエノールの側付き女中ウェイティング・メイドであるアイシャは馬車に乗り込む。

 

 屋敷の主人が出かける際、使用人が見送るのは当然の義務である。馬車は必ず屋敷に対して横に停める。故に、玄関から見える方と見えない方の扉が存在し、エノールは見える方の扉から入り屋敷の住人に惜しまれながら見送られるが、同行する使用人は裏手の見えない方の扉から乗り込まねばならない。

 

 屋敷の主人は表舞台、階上の世界(アッパーステアー)の住人であり、屋敷における主役なのだ。見送る屋敷の人間は脇役、とすれば本来『いるはずのない』同行する使用人達は目立たず騒がず、速やかに裏手から馬車に乗り込むのである。

 

 多くある階下の世界(ビロウステアー)に課せられたマナーの一つ。エノールを乗せた馬車は、便宜上同行を余儀なくされる、とされている執事長とエノールの世話を担当する女中を連れて目的地に出発する。

 

 

 

 

「狭いわね……」

 

「申し訳ありません、エノール様」

 

「私、立ちましょうか」

 

「いい! いいのよ! 別に、そういう意味で言ったんじゃない……」

 

 エノールを乗せた馬車は本来二人ようだ。広く作られてはいるものの、それでも三人というのは多少無理がある。

 

「伯爵家に馬車が2台あれば……」

 

「というか、馬車が一台しかない伯爵家とか聞いたことないわね」

 

「管理する予算がなくて……」

 

「……」

 

「……」

 

 エノールとアイシャは、この壮年の執事長の哀愁溢れる背中を見て可哀想にと思った。本来責められるべきは現当主を含めた歴代当主達なのに。

 

「しかし、護衛に関しては手配できました。次に向かう街で合流できる予定ですから、道中の危険は問題ありません。賊が来たって追い返してやれます」

 

「そもそも伯爵家の馬車が襲われること自体が問題なんだけど……」

 

「……」

 

 馬車は狭苦しく三人を乗せて進む。執事長は度々エノールの道中の疲労を労り、エノールもその気遣いを感じて何も言わないのだった。

 

「……こうなると、暇ね」

 

「そうおっしゃると思って、いくつか本を用意しておきました」

 

「本当⁉︎」

 

「ええ、屋敷に保管されていた歴史書に領地経営に関する学術書、御伽話を含めた短編集など、小説も持って来ております」

 

「小説を出して、早く!」

 

「は、はい……」

 

 バルターは予想外の反応に困惑する。

 

 この知識の塊のような少女であれば、歴史書や学術書に興味を示すと思ったのに、蓋を開けてみれば保険で持ってきた物語の方に興味を示すのだ。執事長は次期当主の精神年齢がわからなくなっていった。

 

「わぁ……初めて読むわ」

 

「そういえば、エノール様はいつの間に本を読まれたのですか?」

 

「え? 読んでないわよ?」

 

「え?」

 

「え?」

 

 二人の間に沈黙が落ちる。側付き女中は黙っていた。基本的に主人のそばに控えるのが彼女の仕事だからだ。

 

 バルターは、この少女は一体全体どこで割合や計算などを学んだのだろうと、その知識の源泉がより一層訝しくなった。

 

「あ、着いたわよ。あれが目的地よね」

 

「……はい、交易街アレーヌス。そこまで気品はありませんが、護衛を集めるにはぴったりです。街についたらエノール様はこちらでお待ちください。私が護衛どもを呼んできます」

 

「えー、外にでちゃダメなの?」

 

「駄目です。ここら辺は治安が悪いですから、外には出ないでください」

 

「はーい」

 

 エノールとて治安の悪い場所の怖さを知っている。佐藤健は生前、海外出張でメキシコやアメリカ、その他アジア系のスラムと呼ばれる場所にも足を踏み入れたことがある。

 

 地面に座り込んでいる人間やおぼつかない足取りで歩く人間がいる中、そこをスーツ姿で突っ切るのはやめておいた方がいいと学んだ。目を引くし、何をされるかわかったもんじゃない。実際に何かされたわけではないが、後から彼らが薬漬けの人間だと現地の人間に教えてもらった。

 

 窓から街の風景を見る。人は行き交っているが、風貌というか人相が少し悪い。護衛というのは荒事に備える人間で、つまりは荒事になれている。ここを根城にするということは、ここら辺では荒事に困らないということだ。

 

 しばらくすると、傭兵崩れのようだくさびかたびらに皮の装備……というか格好をした男達が三人、バルターに連れられてやってきた。

 

 何やらバルターに馴れ馴れしく話しかけ、バルターもそれに不快感を示しながら毅然とした態度はとっていない。いつもの彼なら考えられないことだ。

 

 こんこんと馬車がノックされる。どうやら挨拶をしたいということだった。

 

「お前ら、そこに膝をつけ。この方が次期アルガルド伯爵家当主、エノール・アルガルド様だ」

 

「嬢ちゃんがエノール様か、こんにちは」

 

 リーダー格と思われる男がバルターの言葉を無視してそのままの体勢で声をかけてくる。

 

「こんなガキが?」

 

「しかも女じゃね?」

 

「お前ら! エノール様になんて無礼なッ! 膝をつけというのが分からんのか!」

 

「ああ? 知らねえよ、そもそも俺らがこんなことしてんのも、元はと言えばここにいるご主人様とそのお父上様が悪いんだろ?」

 

 お父上という丁寧な言い方で、なんとも馬鹿にしたふうに口ずさむ。

 

「それをどうにかするためにエノール様は旅に出られるのだ! わかったらその言葉を慎め!」

 

「きゃいきゃいうるせえんだよ、バルター。お前、昔はそんなんじゃなかったろ」

 

「なっ……!」

 

(お、その話は聞きたい)

 

「生ゴミ漁って物盗んで夜盗に入って、あの頃のお前はどうしちまったよ。そんな綺麗事抜かす奴じゃなかったろ」

 

「これ以上エノール様の前でふざけた話はやめろ! 過去の話は関係ない!」

 

「関係ないぃ? おいおい、よく言うな。だったら俺が殺した人間も過去の話だから無罪放免ってなるのかよ」

 

「なっ……」

 

「そもそも、そんなこと言い始めたら人に罪だのなんだの残らねえじゃねえか。お前、ぬるい生活で頭のネジが緩んだんじゃないのか? いい加減こっちに戻ってこいよ。そんなんじゃ牙がなまっちまうぜ? ……まあ、もう折れちまってるかも知れねえがな」

 

「きっさま──」


「そこまでです」

 

 エノールは二人の間に割って入った。

 

「なんだい嬢ちゃん、俺は今バルターと話してるんだが」

 

「いいえ、バルターは私の執事です。昔はどうか分かりませんが、優先すべきは今です」

 

 男の目をまっすぐ見る。交渉において、まず舐められちゃいけない。その上で原始的なマウント合戦は常套手段だ。ビビってると思われたら、そこでおしまいだ。

 

「……ふーん、まあ、その意見には同意だな。大事なのは過去じゃなくて今だ」

 

 含みを持たせた言い方。だが、何かも考えちゃいないだろう。

 

「私の執事が失礼しました。貴方方は私の旅路に同行してくれる護衛ということでいいですね?」

 

「ああ、そうだよ」

 

「バルターから前金は受け取りましたか?」

 

「いんや、そこの執事様がケチでな。護衛が終わるまで報酬は無しだと言いやがる」

 

「お言葉ですが、エノール様! 前金を軽はずみに渡せば、すぐに逃げられるかも知れません! そうなった場合、我々には追う術が──」


「黙りなさい」

 

「っ……」

 

 どうしてそんなこと言っちゃうかな。こっちの弱みを見せちゃいけないよ。

 

「へえ、逃げてもそっちは追えねえんだ」

 

「バルター、前金の一部を彼らに支払なさい。路銀はまだ余っているでしょう?」

 

「しかし!」

 

「クドイわ、執事長。私は払えと命令したの。あなたはそれを反故にすると言うの?」

 

「……かしこまりました」

 

 バルターは馬車に積み込んだ荷物から金貨を取り出して、数枚ずつ配ろうとする。


「待ちなさい」

 

 執事長をとめる。

 

「全員分の前金をその男に支払なさい」

 

「で、ですが……」

 

「おいおい、嬢ちゃん。まさか、嬢ちゃんは俺らが逃げないと思っているんじゃねえだろうな」

 

 バルターは私を嬢ちゃんと呼んだことに苛立ちを見せて、『エノール様だ……!』と小声で釘を刺しているが、男は気にも留めない。

 

 私はできる限り毅然とした態度で返した。

 

「ええ、そうかもね。前金を支払われて気をよくしたあなた達が途中で放り出すかも知れないわ」

 

「……」

 

「でも、もし逃げ出したのならあなた達はその程度ということでしょう?」

 

「なに?」

 

「だって、あなた達が普段どんな仕事をしているか知らないけど、私は金払いは悪くない方だと思っているわ。それは報酬の三分の一、後でその二倍を支払ってあげる。普段より稼げる仕事を放り出すってことは、自分の命が惜しくて、やってくるかも知れない賊に恐れをなして逃げるってことでしょ? まあ、三人だしね。逃げ帰っても仕方ないんじゃない?」

 

 安い挑発だけれど、今まで後ろで話を聞いていた二人は反応を示す。『ガキが……』とか、やっぱり、短絡的だな。育ちの悪い人間が短絡的であることは多い。余裕がないからだ。

 

 それをリーダー格の男が手で制す。こちらに向かって鋭い眼光で言うのだ。

 

「いいぜ、この護衛、受けてやるよ。ただし、この二倍ってのは本当だろうな」

 

「ええ、私が騎士と諸侯を訪問する旅の道中で護衛として同行する。何かあれば貴方達が私にかかる火の粉を払う。きちんと仕事をしてくれれば、ここにきてまた成功報酬を支払うわ。道中の食事と宿については面倒見るから安心して頂戴。ただ……バルターがどうして貴方達三人を護衛に選んだかは分からないわ。伯爵の護衛、次期とはいえ実際に今も当主代理をしている。そんな私を護衛するのが三人……心許ないけれど、バルターの顔を立ててよしとしましょう。彼の顔に誓って、貴方達を信じるわ」

 

 挑発的に言い放つと、リーダー格の男は眉を顰めながら『分かった』と返事した。

 

「待ちなさい」

 

「……まだあるのか?」

 

「貴方に渡した全員分の前金、意味はわかっているかしら」

 

「……なんのことだ?」

 

「ちゃんと管理しろって言ってるの。自分の仲間……部下なのかしら。ごめんなさい、貴方達の関係はわからないけれど、そこの二人を貴方が逃げないように管理しなさい。貴方に前金を渡したのは、そういうことよ」

 

「ふざけんな!」「ガキだからって調子に乗りやがって!」

 

「お前ら、いい加減に──」


 バルターのことは私が制する。男もまた、二人を諌めた。

 

「……分かったよ。逃げんなよ、だろ?」

 

「そういうことよ。仕事をしてくれればそれでいいわ」

 

「ちっ、本当にガキかよ……」

 

 そう言って、男達は馬車の前方に向かう。

 

「……よかったのですか?」

 

「失態ね」


「……はい、申し訳ありません」

 

「あなたに何があったのかは知らないし、教えたくないなら詮索しない。けれど、私情を理由に貴方はあの男達を護衛の任から解こうとしたわね?」

 

「……はい」

 

「失態だわ。これからの働きで巻き返しなさい。わざわざ私があの男達を煽って、『貴方の顔を信頼して』と言ったのは、貴方があの男達を御しやすくするためよ。何かあるんでしょ? こうなったら、貴方は以前の『バルター・イルクニス』ではなくて『アルガルド伯爵家の執事長』としてある程度の命令は聞いてくれるはずよ。文句は言うでしょうけどね」

 

「……エノール様にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。このことは、今後の働きで巻き返します」

 

「いいわ、出して」

 

「はい」

 

 バルターは御者に指示を出して、護衛と共に連なって歩いていく。

 

 護衛は道中が長いほど金がかかる。だから少数で、それでいてある程度信頼できるものを選んだのだろう。人として信用できなくても、護衛として、その腕自体は信用できるから。

 

 バルターが腐れ縁を使ったのは、きっと私のためだ。切り捨てたいと見える過去ともう一度向き合ってまで、彼は私に護衛を用意したのだ。そんなものをみすみす彼の手で切り捨てさせるわけにはいかない。

 

 はてさて、彼らには悪印象を与えてしまったが、穏便に済ませたほうが良かっただろうか。

 

 雇用主として認められつつ反感を買わない……その場合、バルターは舐められっぱなしになる。こうした方がバルターを使って指示を出すのに確実性が増す。私より、旧知の中であろうバルターに言うことを聞かせた方が問題は少ないだろう。

 

 問題は、護衛としてやる気をなくしてしまうことだが……

 

「……まあいっか」

 

 私はとりあえず臭いものに蓋をする精神で考えないようにするのだった。

次話もある

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