夜這いの蝋燭
疲れたら誰かの胸で甘えたくなるのは必定だ。その経験があるならば、一層その欲望は鎌首をもたげるだろう。
エノールとレガルドは基本的に暇がなかったが、空いた時間があると休憩がてらに一緒にいることが多い。
エノールは襲われることも覚悟するのだが、屋敷で初めてした以来、レガルドはエノールに迫らなかった。
代わりにエノールの胸に甘えにくる。それがどうしようもなく可愛くて、できればもう少し大胆に迫って欲しいのだが、思う存分甘えさせる。
自分の胸に顔をうずくまらせて頭をさするのは、させている方が気持ちが良かった。母性本能がくすぐられると言うのか。エノールはレガルドをつい甘やかしてしまう。
しかし、レガルドにも困ったことはあった。それは自慰行為が許されないことだ。
この時代の性欲処理というのは難しい。何せ、ティッシュなどがないのだ。タオルが部屋に常備されているわけではないし、使ったタオルはメイドが洗濯することになる。つまり、どうしてもバレるのだ。
男性の場合、ベッドや床にそのまま出しっぱなしにするしかない。だからこそ自慰というのは古来から忌避されてきたのだ。匂いや行為後の虚脱感、性病に対する潜在的な恐怖が根底にある。
しかし、エノールは佐藤健の記憶によって男性への理解が凄まじかった。
レガルドが一人でも致しやすいようにメイドにタオルを用意させて、彼の名誉ために何を見たとしても目を瞑るようにメイドに言い含めている。
しかも、彼がやりやすいように『おかず』まで提供していたのだ。レガルドは自分の部屋に女物の下着が置かれていた時、困惑した。
何かの手違いかと思って、すぐに屋敷の使用人に伝えたが、メイドの人は瞠目した上で問題ないと断られてしまった。
エノールの名前が出てきたことでレガルドはエノールの仕業だと気づくこととなった。
余計なお世話だ。いくら婚約者とはいえ流石にデリカシーがない。レガルドは恥もかいたわけだが、それで助かっているのもまた事実だった。
青い性を燻らせたままエノールの過激な誘惑に耐えるのは至難の業だ。そもそもが身を焼くような情動が自信を突き動かしてくるのである。
襲ってしまえ、触ってしまえ、好奇心にも似た悪魔の囁きに常に争わなければならない。エノールから用意された下着を、当初は隅に置いていたが、しばらくして彼女の下着を使用するようになっていった。
少年少女の過激な遊びとして──最も、すでに成人しているのだが──その下着を付けているとさえ囁いてくることもあった。
以前も興じた不浄で不健全な遊戯だ。彼が使用した下着をそのまま身につける。それによって男の独占欲を満たすのだ。
それも、確かに使った覚えのある翌日に耳打ちしてくるのだ。はてさて、嘘か誠かはさておいて、レガルドはエノールに対して本当に乗せるのが上手い人だと思った。
エノールの性格を考えれば、多分本当につけているだろう。その想像は、よりレガルドを掻き立てる。倒錯的なフェティシズムが順調に青いレガルドの性癖を歪めつつあった。エノールが自分色に染めていたとも言う。
しかし、一見淫らな関係に発展している二人は、これまで過ちを犯しては来なかった。それは結局、エノールがエスカレートしないだけの理性を持っていたからだろう。
自分の情動ぐらい御せなければアルガルド領の改革など難しい──というか、それぐらいアルガルド領が領地として酷すぎたのだ。
しかし、王子との一件があって屋敷に帰ると、タオルも無くなっていたし当然女物の下着もやってこない。待てど暮らせど、彼らはもう戻ってこなかったのだ。
襲われたいと願うエノールと裏腹に、彼女を大事にしなければと再度誓いを立てたレガルドは、その胸に温もりを求めて甘えていたものの、操だけはこれ以上汚さぬようにしていた。
その葛藤をどうにか解消しようと一人でしたくてもできない。
正確に言えば当初タオルはあったのだ。しかし、思い出したようにそれらが回収されたのだ。
それは、レガルドが自分の淫欲を鎮めるために一人の夜を過ごした翌日のことであった。屋敷に帰ってから一度目の行為の翌朝には、気づいたらなくなっていたのである。
レガルドとしては、そのタイミングについて憂鬱にならざるおえない。明らかに彼がシタことが原因なのだ。
何か粗相をしてしまったのかとビクビク過ごしていたレガルドが自室に戻ると、タオル達がなくなった後に机に一つの封筒が置かれてあった。
おもむろにそれを開けてみると、一枚目にはこう書かれてある。
『布に出す暇があるなら私の部屋に来なさい』
端的に、たった一文だけ。
レガルドはその文章に見覚えがある。エノールの文字だ、膝をつき絶望する。
バレているのは当然だ。レガルドが使用したそれを回収していたのは使用人達で、その主人はエノールなのだ。いくらでも確認しようはある。
しかし、それでも自分の性習慣を完全に把握されていると言うのは大きなショックだった。手紙の言い草も、もう男らしいんだか理解があるんだか分からない。
たった一つ言えることは、その言い回しが不覚にもレガルドの琴線に触れたということだ。
「来て、いいのか……」
手紙に書かれてあった一文に、そんな言葉が漏れてしまった彼を誰が責められようか。
端的で簡潔、事務的とも言えておおよそ誘惑とは程遠い。だからこそ、その命令口調には背徳的なエロティシズムが隠れているような気がしてならない。
好きな人、それも一度は行為に及んだという関係で、自分の部屋に来なさいと言っている。
おおよそ冗談ではないだろうし、冗談にはならない関係だ。もとよりそういう書き方でもない。
エノールは、冗談ではないということをたった一つの言い回しで示していた。わざわざ呆れたような言い回しで、事務的に通告することによってレガルドから選択権を奪い、結果的に『本当に来ていいよ』と言っているのである。
レガルドは二枚目の紙をめくる。
『いつでも来ていいと以前は言ったけれど、実のところ、女の体はいつでも準備ができているわけではないの。ごめんなさい。でも、嘘をついたわけではないわ。私の心はいつでも歓迎よ。そう、心は。貴方も知っているでしょうけれど、女には『月経』があるの。月に一度、女の体からは血が出るから、その時には相手ができないのよ。私の場合は二十四日の周期でそれが訪れて、周期は二日前後ずれたりする。ダメな日があって、逆にいい日もあるのよ。だから、ここでそれを教えるわ』
レガルドは『いい日』という文字にゴクリ時唾を飲んだ。
『女の体には月経・黄体期・排卵・卵胞期が順番に訪れるの。私の場合は、それが二十四日前後で繰り返される。ダメなのは『月経』の時よ。今月で言うなら二十八日からおそらく今日まで。その時は相手できないわ。ごめんなさい』
「そんな……!」
レガルドは、エノールの謝ることじゃないと思った。それは落胆の悲鳴ではなく、否定したいがための悲鳴だ。
仮にエノールが目の前にいたら、すぐに彼女を慰めただろう。彼はどこまでも一途で優しいのだ。
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『けれど、月経が抜けてから『黄体期』に入ると女の体は良くなるの。流石に明けてすぐは月経で疲労した体を立て直したばかりだから、きついけどね。黄体期に入ると、一般的には活発的になったり、社交的になったり、お肌や髪の調子が良くなったりするわ。考え方も前向きになるし機嫌もいいから、私にわがままを言うならこの時期にしておきなさい。不機嫌な時に頼み事なんかして、とんでもない見返りを要求されるかもしれないんだから、気をつけなさい。』
エノールをしてとんでもないという見返りとは一体どんなものなのか。レガルドは興味が出た。
自分にわがままを言うならこうしたほうがいいとアドバイスをくれる彼女はやはり優しい。それに、不機嫌でも結局期待には応えてくれるという。
レガルドは、やはり自分には勿体無い婚約者だと思った。
『月経が明けて五日もすれば『排卵』に入るわ。赤ちゃんを産めるように体が調整するの。自分で言うのも何だけど、締まりもいいわよ。期待してちょうだい』
レガルドはその文に動揺してしまう。一度経験してしまったことでつい想像してしまい、すぐに邪念を振り払った。
続きを読んだ。
『『排卵』の日には必ず襲ってきなさい。でないと私、怒るから。』
「普通男が言うセリフじゃあ……」
思わず呟いてしまう──続きを見る。
『二日ほど経って『黄体期』に突入すると体調が悪くなりがちになるわ。頭が痛くなったり、動けなくなったり、お腹が痛くて些細なことでイライラしてしまうの。だから、相手できない日が多くなってしまうわ。ごめんなさい』
「エノールが謝ることじゃないのに……」
『私の場合は涙脆くなってしまうから、この時期は気遣ってくれると嬉しいわ。以前に王城から帰る時に泣いてしまったことがあったでしょ? あの時もこの卵胞期だったの。気分が落ち込んで精神的に不安定になるから、もう冗談でも冷たくするとか言わないでね。私、また泣いちゃうわよ? 貴方だけが頼りなんだから』
「……」
レガルドは一生言わないと心に決めた。
『それでもまばらに『大丈夫な日』はあるわ。安心して。私は生理前にムラムラするから、しばらく月経でダウンする前に犯してちょうだい。生理中もしたくなるけど、どうしてもできないから。もしかしたら、ばったり私が自慰をしてる現場に立ち会うかもしれないから、その時は煮るなり焼くなり好きになさい。間違っても逃げたり、見るだけ見て帰らないこと。流石にそれをされると女としてのプライドが傷つくから、ちゃんと手を出してきなさい』
手紙の言い草にドギマギするような、苦笑いするような。
エノールが自分と同じように自慰行為に及んでいるという。一体どんな様子なのだろうと期待に胸を膨らませるが、その上でちゃんと手を出せと言うあたりがエノールらしい。
『私の寝室の前に燭台を置いておくわ。そこに火が灯っている時は夜這いをかけていい日だから、暗くなって、私の部屋の前に蝋燭が火を灯していたら、中に入っていらっしゃい。その時は歓迎するわ』
『歓迎』という言葉に、再びゴクリ時唾をのむ。若き雄は想像豊かだ。
『花を生けた花瓶が飾られてあったら、必ずその日は私の部屋に来なさい。私が抱かれたい日だから、気づいてくれなかったらとんでもなく拗ねるからね。しばらくさせてあげないから。だけど、それで手を出さないようにしようなんて考えないでね? ちゃんと察しなさい。襲って欲しいのにそうしてもらえなかったんだから怒ってるの。それなのに、私を怒らせたからって手を出さないのは愚行中の愚行よ。責任を持って私を押し倒しなさい。嫌がっても、無理やりに。暴力なんて単純な手は使わないでね。正直それも一興なんだけど、貴方なら拗ねてる私を口説き落としてベッドに引き摺り込めると信じてるから』
「エノールは俺をなんだと思ってるんだ……?」
『その時は全力で抵抗するわ。頑張って口説き落としてちょうだい。面倒かもしれないけど、女としては一番燃えるシチュエーションだから、精々私のご機嫌取りを頑張って。いい、絶対よ? 私が拗ねたら、ちゃんとご機嫌とって抱いてね? 多分嫌がるけど絶対よ? すごく面倒だろうし、私はイヤイヤ言いながら微妙な顔して応えるだろうけど、結局内心じゃ喜んでると思うからよろしく──いい、絶対だからね? フリじゃないわよ。本当に絶対よ。というか、花瓶が飾られてあったら絶対来て。じゃないと私──』
「かわいいなぁ、エノールは……」
思わずそんな声が漏れてしまう。
どれだけ口上がうまくても、文の端々に焦りやら自信のなさが窺える。
そんなに念を押さなくても、しろと言われれば期待に応えるのがレガルドだ。エノールだってそれを分かっているだろうに、それでも『絶対』と何度も使ってしまっている。そんなエノールに、レガルドは微笑ましく思った。
この文だけで自分が好かれているのだと分かる。あの冷静沈着なエノールが、こうも手紙なんていくらでも取り繕えるようなものに自分の感情をぶつけてくれているのだ。もう一度好きになってしまえる。
来てくれと言われれば必ずくる。それが、レガルド・マルデリアという男だ。
『とにかく、花瓶が飾られてる日の晩には私の寝室に来ること。それから、『排卵』の日は蝋燭を三本灯すから、是非いらっしゃい。絶対じゃないんだけど、互いにとって良い夜になると思うから、なるべく来て。排卵が終わるとそのまま『卵胞期』だからね。段々できなくなっていくから気をつけて。したくてもできないなんてことにならないように、計画立てて夜這いに来なさい』
(計画立てて夜這いって……)
『日中もいいけれど、その時は雰囲気を大事にして。嫌な時は嫌っていうから、夜這いの方が安全よ? 何せ、夜這いの時はOKなことが丸わかりなんだから。明るい場所の方が見えやすくて興奮するっていうなら別にいいけれど、仕事もあるから、頑張って私のことを口説くことね。期待しているわ──それから、一週間に一度は私を抱きに来て。じゃないと私、不安になるから。嫌われたんじゃないかとか飽きられたんじゃないかとか色々考えて頭がいっぱいになるから。体的に辛い時もあるけど、その方が私も余計なことを考えなくて済むの』
そんなにするのか、という感じでもある。貴族の行為は妊娠のためのもの。男側が性欲にかまけて押し切るならまだしも、理性的に頻度を気にするというのは変な話だ。
だが、そんなことはどうでもいい。レガルドが気になるのは『余計なことを考えて済む』という話だ。
レガルドにしてみれば余計なことを考えてしまうこと自体が問題だ。勿論、一週間に一度はというなら期待に応えるが、それはそれとして、後でエノールと話し合う必要がある。
手紙も三枚目に突入して、最後に長々と綴られていた。
『最後に、貴方と一緒にいられて幸せです。ありがとう、私のところに婿に来てくれて。私、浮気とか絶対許さないから、覚悟しておいてよね。貴方が性欲をぶつけていいのは私だけなんだから、我慢できなくなったらすぐに言いなさい。私が責任を持って管理します。」
「あはは……」
「言っておくけど、もう布に吐き出すとかないからね。ちゃんと女性の体で吐き出しなさい。その方がよっぽど男性として健全だわ。貴方も気持ちいいし、私もその方がいい。ムラムラするなら女の寝所に忍び込みなさい。肉欲を散らしたいなら夜這いなさい。私の体で吐き出しなさい。貴方がそんなにしたいって言うなら、生理の時以外いつでも受け入れてあげられる。だから、遠慮しないで──いつでもは体がついていかないんだけどね、でも貴方が辛いなら私も辛い。だから、ちゃんと私にせがんで。性欲の辛さは理解できるつもりよ。女だけど、男性がどれだけあるかはたぶん分かってる。貴方が幸せだと、私も幸せだから。まずは相談して。貴方にこうして欲しい、ああして欲しいって伝えられるのは幸せなの。貴方に頼られるのも嬉しいもの。その上で言われた通りにするかはまた別問題、それは私の方で考えることだから、貴方は自分の願望を伝えるのに躊躇しなくていい。私も躊躇したくないから、いっぱい我儘を言うわ。私は日に一度キスがほしい。ちゃんと濃厚なやつをね。愛情いっぱいのキスをちょうだい。そしたら、応えてあげられる。そう言う気分になれる。貴方に求められるのが嫌じゃなくなる。むしろ、大好きなの。貴方とそういうことをするのが。
初めての時はごめんなさい。強引だったわよね。分かってる、貴方が傷ついてたって。弱い女でごめんね。自分勝手でごめんね。他は全部あげるから、したいことも全部してあげるから。だから、できれば一緒にいてくれると嬉しいわ。貴方はもう一人じゃないことを忘れないで。私がいるんだから、一人寂しく致すなんてなしよ。二人の劣情も二人のものよ。だから、共有したい。私は我儘だから、全部欲しい。貴方の愛情も劣情も恋慕も親愛も、汚いものも全部含めて独占したいの。わがままな女よね。エッチな目線も愛情の視線も親しげな瞳も、貴方の全てが欲しい。貴方の頭を私でいっぱいにしたい。ちゃんとこぼさず受け止めるから。できる限り満足させてみせるから、だから、ください。私にあなたをください。
辛い時は言ってね。頼りたい時は頼ってね。私みたいになっちゃだめよ。貴方がいなかったら今頃、私は潰れてるだろうから。だから、私みたいになっちゃだめ。してほしいことを教えて。やってほしくないことを伝えて。伝えることを怖がらないで。理解できるように頑張るから、引いたりしない、笑ったりしない。全部真正面から真んけんに受け止める。貴方がどんな性癖や趣向や考えを持っていたとしても、貴方の理解者に必ずなってみせる。だから、私を見限らないで。貴方の中で『頼れる人』にして。私も貴方に頼るから。
愛してます。心の底から大好きです。
──貴方の愛しのエノールより』
「……ホントだよ」
『貴方の愛しの』というのは『そうありたい』という心の表れだ。
だけれど、とっくのとうにエノールの存在は彼にとって『愛しの』人となっている。
それは最初に会った時から、図書室で偶然の邂逅を果たしたあの時から。
彼の恋慕は四年前から始まっていたのだ。
エノールからの強烈な「ラブレター」、クソデカ感情をこれでもかと込めた手紙に、レガルドははにかむ。
エノールの全てが曝け出された文章だ。紙の裏までびっしりと書かれていて、羽毛のように軽い紙に多くの感情がひしめいている。そのどれもが自分に宛てたものなのだ。
彼女の気持ちが溢れた手紙に、思わず彼女の筆跡を指でなぞった。どれだけの感情を自分に抱いてくれているのだろうか。これはとても光栄なことだ、嬉しいことだ。
エノールは手本を見せたのだ。自分が『知りたい』と言ったから、まず自分から曝け出した。これを笑われたらエノールはひどく傷つくだろう。そんな弁慶の泣き所を曝け出してくれた。
その感情はエノールにとって一番ここの奥深く、何十にも締められた心の金庫にしまっておくべき、一番大切なものだった。それをあろうことか文という最もカタチに残ってしまうものとして認めた。
それはエノールからの信頼の表れだ。エノールのあったかい心の本流に触れて、レガルドも胸の内が暖かくなる。
「全部、知りたい……」
レガルドはエノールの言葉を反芻する。
彼も同じ気持ちだ。エノールの体も心も、全て隅々まで知り尽くしたい。
女体に対して欲情するのは、それが未知で神秘的だからだ。その根底には『知りたい』という知的好奇心が隠れている。
レガルドはエノールの手紙によって、その想いが自分のうちに溢れていることを再確認した。
──その晩、レガルドは疲れと共に夜遅くまで資料を読み込んだことによる充足感に身を任せていた。
部屋を出て廊下に立つと、ふとエノールの自室のある方へと目線を向ける。しばしの逡巡の後に『まずは行ってみよう……』と自分の中で保険をかけて、歩みを進めた。
行ったとして、仮に蝋燭が立てられていたとしても、別に中に入るとは限らない。そう自分の中で言い訳して、ただの物見遊山だと自分に嘘をついた。
エノールの寝室の前まで行くと、蝋燭が一本火をつけていた。一定時間が経過したら止まるよう金具がつけてある。
「……」
その光景を見て、レガルドはおもむろにドアノブを回した。吸い込まれるように彼女の寝室の扉を開けたのだ。
ぎり……と扉の鈍い音が耳朶を刺激する。
レガルドの頭には多くの思考があった。
もう夜遅い時間だ。エノールはもう寝てしまっているはずだ。
自らを嗜めるような、肩透かしであることを期待するようなレガルドの考えとは裏腹に、エノールはそこにいた。同じく資料を読み込んで、蝋燭の灯りの中で座っていたのだ。
レガルドの来訪に気づくと、自然な席を立って近寄ってくる。出し抜けの言葉に、レガルドは同様してしまった。
「遅い」
「ご、ごめ──」
「待ってた」
レガルドは一拍子遅れて気づく。彼女の声色は一才咎を含んでいない。それどころか嬉しさに弾んでいる。
彼女は予想していた。あの手紙をもらって、初日は好奇心から部屋を見に来てしまうだろうことを。そして、その時にOKのサインがあったら彼なら入ってくるかどうか、実は五分五分だった。
レガルドは優しいし、もしかしたら開けないかもしれない。けれど、それで自分が寝てしまっていたら悲しいだろうし、レガルドは一度抱いたのだ。彼の中で増長した獣がドアノブに手をかけてくれるかもしれない。
エノールは一瞬の思考の末に『開ける』方に賭けた。そして、賭けはエノールの勝ちだった。
エノールはパサりと服を脱いで、下着だけとなった。自分の首に腕を回すエノールの仕草は蜘蛛のような蠱惑を帯びていて、そのまま食べられてしまいたいと思う。
枕詞に『性的に』とつくのだ。レガルドは自分の発想に興奮して、けれど、それは単なる妄想では終わらない。きっと、すぐ先に実現してしまうという予感があった。
エノールは腕で輪を作るように彼を抱いて、耳元で言うのだ。
「おかえり♡」
「……エノール──」
レガルドは目の色を変えた。そのたった一言で、心の奥底にある魔獣小屋に隠れていた『獣』の首輪に繋がれた鎖を引き摺り出されてしまった。
囁くような彼女の声に、レガルドは衝動的に肩を掴み、唇を奪う。エノールはそれを振り払うことなく、男のやるように任せた。
レガルドはそのまま押し倒す。エノールの『おかえり』の一言は、この女の胸元が自分の帰る場所なのだと実感させた。
その晩、二人は再び『恋人』となったのだ。
──部屋の前の蝋燭が、パチンと火を閉ざす。




