造幣局の完成
二人はすぐに別れて、エノールは自分の当てがわれていた屋敷に戻った。
レガルドについていた使用人は全員、エノールが止まっている屋敷に押し込まれている。そのまま一晩が過ぎてしまった。レガルドと二人きりで世を明かした。この事実はタイミング的にかなりまずい。
王子から婚約の話を切り出され、断れなかったエノールは悲壮の末にレガルドと過ちに及んだと、そう周囲に思われても仕方ないのだ。そもそも、事実なのだからしょうがない。おおよそ筋書きとしては理にかなっている。
『そうかもしれない』という域ではもう報告されてしまうだろう。であれば、『そうかもしれない』を『そうだ』に変えてしまわないようにするしかない。
王子という婚約者がいる身でレガルドと行為に及ぶのは、立派な不貞行為に当たる可能性もある。だから、追求しきれぬ疑惑の範疇に留めるしかないのだ。
レガルドも婚約者なのだがら、同じ婚約者である王子に不貞行為は働けないと反論することもできよう。しかし、そもそも婚前交渉をしたのだと認識された場合、貴族の歩調を乱したとしてエノール達の方が不利になる。
そこに王家からの重圧が加われば容易にエノール・レガルド両名の処罰の方向に動き出すだろう。だが、今の段階であれば王子が追求したとてエノール達はシラを切り通すことができる。
王子との結婚が成立し、初夜にて処女検査が行われればバレてしまう。しかし、裏を返せばそれまではバレないのだ。そして、エノールと王子の婚約は結婚時期がいまだ未定、これから交渉の場にて決定することになる。のらりくらりと交わせば十分に時間稼ぎができるだろう。
婚約の前であれば王子も処女検査を求めることができたはずだ。しかし、婚約してしまった以上、次のタイミングは結婚式の後となる。
その間に処女証明を求めれば、王子はイタズラに婚約相手の不貞を疑ったとして今度はエノールの方が切り崩す糸口を掴むのだ。場合によっては、他に何かカードを切るだけで破談の方向に進められるかもしれない。
故に、今ここですべきことは王子側にこれ以上疑われるようなことをしないことだ。エノールはこれ以上ボロを出す前に帰宅の準備をさせた。
豊穣祭まではまだ時間がある。だというのに、エノールは屋敷に帰ろうとしているのだ。当然使用人達は止めたが、王子との話し合いは終わったことを引き合いに出してエノールは帰還を強行した──領地に問題が発生したと言って。
王子としても今回の目的は達成したはずだ。豊穣祭に出席すればそこまでとやかくは言わないだろう。
エノールは今の状況で敵の本拠地にいるのは体勢が悪いと考えた。少々、王子が優勢すぎているのだ。一度領地に戻って、体勢を立て直さなくてはならない。
そんなわけで、エノールは屋敷へと帰っていった。実際、色々とやらなければいけないことも溜まっている。
「アルガルド伯爵が王都を出たようですが、よろしかったのですか?」
王宮の一室、王子にあてがわれた部屋でジークニスが問う。カクレアスは獰猛な肉食獣の笑みを浮かべた。
「いい、想定の範囲内だしな。今回は随分と歯応えがなかった。体勢を立て直すつもりなら、俺としても好都合だ」
「僭越ながら、このまま圧力をかけ切っても良かったように思いますが」
「それだとあまりにつまらん。傑物と聞いて気合を入れてみれば、此度はとんだ肩透かしだった。心ここに在らずと……まるで相手にもされていない感じだ」
「しかし、実際は王子が目的を達成されました。まさか本当に伯爵との婚約が成立するとは……」
「いいや、あの女はきっと悪あがきをするだろう。そうでないと困る。あまりに手に入れがいがないからな」
ジークニスは王子の様子に困ったものだと眉を顰めた。
「さあ、策を張り巡らせてもう一度相見えようではないか。次の舞台は豊穣祭だ。今度は肩透かしで終わらせてくれないことを祈ろう」
ジークニスは学ぶことがなくなると途端に勉強をやめた。
次に芸術に手を出し、女に手を出し、それも学ぶものがなくなってきていたので最近は飽きてきていた。
自分が手に入れるべき技術を、障壁となりうる課題を欲する。恋愛でもまた、自ら食べられにこようとする「肉」より同格との死闘をもたらす「猛獣」を欲する。
つまり、カクレアス・アルファートは生粋のバトルジャンキーなのである。
エノールが屋敷へ帰ると、まず完成したという造幣局とその関連施設の視察に入った。
造幣局と館の間は柵で仕切られていて、その二つをぐるりと石塀が囲んでいる。門は鉄製にするため地元の職人では手に負えず、バルワルド商会に頼むのも手ではあったが、ここは王都の職人に注文することにした。
鉄製の門は重い。そして、当然門だけでは倒立できないので、二柱の柱によって支えることになる。そのため専用の柱と一緒に送られてくるのだ。
大きな石材を入手して切り出し、寸法に合わせて鉄を加工して大きな門を作る。手間だけ考えても大変だ。その上、それを遥々生産地から王都へ渡って遠くアルガルド領まで運ばなければならない。
重量も半端ないので普通の馬車では引けず、四頭の馬を使って運ぶことになる。その運送費も合わせて考えると、金貨百枚は簡単に吹っ飛ぶという計算になった。
それも造幣局関連施設の防護施設の一環なので、無駄な装飾はせず耐久面だけを考慮して制作を依頼したため、グレードは劣る方なのだ。これが、伯爵家に取り付ける門とくれば費用は金貨二百枚から三百枚はざらである。
門の制作に一年がかかったのも頷ける代物なのだ。
未だ現物が届いていないため門の場所は素通りできるようになっているが、もうすぐ商品が人手と一緒に到着するはずだ。取り付け作業が終われば、ここの施設は完成となる。
後は旧聖軍から集めている人材を組織して警備スケジュールを立てて、マニュアルを作成し突発的な事態に対する対処テンプレートを用意すればいいだけである。
それからここを本格稼働させるにはアイビス邸の管理を任せる女中三名と造幣局労働者六名、造幣局長を一名雇い入れるだけである。つまり、面倒なのだ。
「石塀にはコンクリートを塗って補強してやす。建物自体は木造だが、この高さなら警備がいるうちは誰も入ってこれやせん」
工事の責任者である地元の土木家も現場確認に同席していた。
一般市民なのでまともな敬語などが使えるはずもない。隣にいるレガルドは怪訝な顔をしていたが、エノールは一切気にしないことにした。
「この石塀を壊すにはどうしたらいいかしら」
「こ、壊すんですかい⁉︎」
「どうしたらいいのかしら、と聞いているわ」
「……大男が鉄の金槌で突いて、ようやくヒビが入る程度でしょうぜ。うまくやれば崩落させられますが、うまくやれなければ人一人が入れるだけの穴を自分で掘ることになりやしょう」
「つまり可能というわけね?」
「え、ええ……ただ、見張りもつけるんでしょう? だったら、そんなバカみたいなことをするやつぁ……」
「出てくるのよ。そういうものをここに保管するんだから」
「何を保管するんですかい……?」
「あら、知りたい?」
「……やめておきやす」
「あら、賢明ね。残念だわ」
造幣局は二階建てとなっていて、一階は施錠可能な労働スペースに休憩スペース、二階は住居スペースとなっている。造幣局に勤めている人間はもれなく偽札製造を目論む輩にとっては金の卵だ。よって、希望すれば泊まり込みで働けるようになっている。
労働スペースは作業場という雰囲気であり、中央に大きな木製のテーブルが置かれていて、一面の壁には引き出し付きの棚が並んでいる。そのどれもが施錠されていて、それぞれ別々のキーによって開けられる仕様だ。
合計二十四の棚のどれかに作業で使う紙幣の原版を保管することになる。保管の際は前日と異なる場所であって、二十四ある棚のうちのどれかランダムに選んで収納することとなっている。
棚と鍵の組み合わせ、どの棚に収納したかについては造幣局長のみが知っている。そのため、強盗ではなく窃盗が起きれば真っ先に疑われるのが造幣局長であり、だからこそ造幣局長にはきちんと管理する責任が生じる。
収納する際は作業場に誰もいないことを確認した上、一度中から施錠し誰も入ってこれないようにした上で、どれかランダムに棚を選んで保管することになる。
その鍵は造幣局長が責任を持って管理し、万一にでも盗まれることがあってはならない。そのため造幣局長は造幣局に泊まり込みで勤務し、専用の住居スペースが二階に設けられている。
エノールは施錠が可能なことを確認して、どれだけ施錠が堅牢かを確認した後、他のスペースも見て回る。
休憩スペースは基本、労働者が寝泊まりできる場所として設計してある。今は空っぽだが、これからベッドなどが運び込まれる予定だ。労働者は泊まり込みを希望する場合、基本的にここを利用する。
二階にも労働者が使えるスペースはあるが、半分は局長専用の部屋となっている。客室・休憩室・局長室と三つに分かれていて、いずれも局長の許可なく立ち入ることはできない。
局長室はまた別の鍵で施錠ができる。原版の保管に使うキーは、その部屋の棚に保管することになるため夜間に誰かが侵入しないよう鍵をかけられるようになっているのだ。
合計で二十五の鍵と錠、これを用意するのに金貨十枚かかっている。エノールは原版の保管セキュリティにかなり力を入れていた。
局長室はそれなりに内装が凝っている。間取りからして品がよく、日当たりもいい。高価な窓ガラスを使って日の光を呼び込めるようになっている。
造幣局長というのは責任もあるがその分立場もあるため、家具や寝具などは高級品で揃えられることになっている。カーテンや絨毯など、その他内装についても商人だろう時にいるように用意するつもりだ。
最も、局長としての勤務は軟禁に近いため、隠居生活を希望する爺さんぐらいしか需要がない。元々物欲がある人間に務まる仕事でもないのだ。責任感があり、信頼できて、きちんと仕事ができる人間を採用することになる。
労働者が使うであろう休憩スペースはあまり日の当たりも良くなく、少し湿っぽい。しきりもないため集団生活を強いられることとなる。男女混合で生活するのは無理だろう。
一応水場も確保して体を洗うことはできるが、良くも悪くも労働者の部屋といった感じだ。賃金のことを考えれば労働者は女性で統一するのが望ましい。女性雇用の促進にもつながるだろう。
「華美な調度品などは置けないわね」
「なんででありますか?」
「管理する人がいないのよ。雇えばいいんだけど……市井の人が出入りする以上、壊す危険性もあるからね。単純に窃盗とかのことも考えれば、局長に好きにしてもらえるのは局長室ぐらいかしら」
エノールはフローリングや天井なんかも確認すると、次にアイビス邸に赴いた。柵があるので一々門ができる場所から入り直さなくてはならない。
アイビスに利用してもらうこととなる邸宅の敷地には芝生が敷き詰められていて、外観からしてもやはり中流階級のそれなりに稼ぎがある人間が建てるような屋敷だ。
貴族の家ならもっと豪華だし、大商人の屋敷としてもこじんまりしているが、金がかかっていることはわかる。中には使用人が寝泊まりできるスペースも含めて、アイビス達に満足して使ってもらえるよう間取りが設計されている。
こっちはすでに内装が完成されていた。カーペットや花瓶、絵画や家具に至るまで揃えられている。実はアイビス邸にかかった予算の方が大きい。普通に金貨三百枚を出費している。
そんなにぽんぽこ金を出せているのも、ネルコの事業が軌道に乗って事業拡大に乗り出していること、各地から違反行動を犯した地主が現れて、彼らに罰金や家財没収を課したことでの臨時収入があるからだ。
特にこの屋敷は、あるバカな地主が色々と反抗した末に旧聖軍にボコボコにされてあらゆる財産をエノールに献上されたことで建てられている。
地主から反感を買うため、その分他の商会にばら撒いて結びつきを強くするとともにアイビスに感謝か負目を感じさせて、こちらも切っても切り離せない関係にも連れ込もうと企んだのだ。一石二鳥というやつである。
確かに大きさでは貴族の屋敷に敵わないが、普通にエノールは住んでもいいと思えた。つまり、内装に関しては伯爵家にも劣っていないのである。比較対象が没落寸前だったアルガルド家なのが悲しいが、あの屋敷が建てられた当時はアルガルド家も最盛を誇っていたはずだ。
「こっちの屋敷は素晴らしいわ。工期が長引いたと聞いた時は何をしているのかと思ったけど、これなら意味があったと言えるわね」
「ありがとうごぜえます。地下も見ていきますかい?」
「ええ、お願いするわ」
アイビス邸には地下室が存在する。
仮に警備が破られてアイビス邸に賊が侵入してきた時、アイビス達には緊急の避難場所が必要だ。そのため考えられる手段は二つあった。
一つは地下の隠し通路を作ることで賊の侵入の時に避難させる。石塀は外敵の侵入を防ぐが、同時に内部からの脱出も阻害してしまうのだ。鉄条網を設置する以上、越えるのも難しい。
そこで、避難経路を作り脱出における透明性を確保する。欠点はこの存在が知られると逆に侵入されること。侵入を防ぐ機構を作っても待ち伏せは逃れられないこと。そして、最後に地下通路を作るのが難しい点が挙げられる。
ある程度深くならないと地下通路を形成するのは難しい。しかし、深い場所だと崩落の危険性があるため専門の技術者が必要なのだ。そして、誰に頼めばいいかも分からない。
信用できる相手でないと情報漏洩の危険もあるし、そもそも工事費用が高いのだ。莫大にかかる。地元の土木家に試算をさせてみたら、屋敷がもう二つ建つぐらいだ。ちょっとありえない。
もう一つは地下室を作って、そこで立てこもること。これなら維持も簡単だし費用もかさまない。助けが来るまでの間、地下室に保存食が常備しておいて耐えればいいだけなのだ。
欠点は二つある。地下室の扉が破られれば逃げ場がない。使用人が勝手に使用すればそれで使えなくなる。
よって、地下室の扉は完全な鉄製とした。外側には取手がなく、基本的に開けっぱなしにしておく。そして、内側から閉めれば、中から開けることは難しい。
地下室は大の男が二人入るので精一杯だ。とても使用人達のスペースまではない。そのため、彼女らが隠れられる隠しスペースも用意した。
まず主人であるアイビス達を地下室へと匿い、使用人はその後に避難場所に隠れる。自分たちの避難先も確保されているとなれば使用人達も冷静でいられるだろう。裏切ることもあまり考えられない。
たとえ裏切ったとしても、その時はアイビス達が自分で隠れればいい話なのだ。避難経路を分けることで利用における排他性の問題をクリアした。
隠しスペースは立てこもりには向いていない。見破られれば一瞬にして捕えられることだろう。だが、そもそも賊が侵入するとすれば狙いはアイビス達なのだ。
そして、賊に隠し部屋を勘ぐる発想はおそらくない。あったとしても真っ先に見つけるであろう地下室に目がいくはずだ。よって、隠し部屋に意識が向くことはない。
地下室を広くして全員が隠れられるようにするのも考えたが、人数が多くなればなるほど立てこもる際に手間取ることになる。裏切るリスクも高まる。
であればアイビス達はアイビス達で、使用人は使用人で避難させた方が賢明なのだ。そこらへんはエノールの懐疑的な性格が現れている。
徹底的に人を信用しない。ビジネスの上で提携相手を信用することはあっても、それは裏切られた場合もきちんと考慮に入れた上で、どちらであっても問題がないから信用するのだ。
人は条件が揃えば必ず裏切る。だからこそ、エノールは『裏切られても問題ない』と判断することはあっても『絶対に裏切らない』とは考えない。
長年執事として仕えてきたバルターにさえ、裏切ることはあるだろうと思っているのだ。
徹底した懐疑主義、佐藤健の疑り深さが彼女に受け継がれていた。本来のエノール・アルガルドは性善説を信じ、人を無条件に信用する人間だった。
経営マンとしての獣くささ、インターネットが普及し人の負の側面が顕著化してきた時代を駆け抜けた佐藤健だからこそ養われたセキュリティ意識の高さなのである。
そして、それは功を奏することとなるだろう。これから四年後の春に造幣局は襲撃を受けるが、エノールが構築した避難システムは正常に機能することになる。アイビス達は地下室に立てこもり、使用人達は隠しスペースに隠れる。想定通りの動きをすることとなるのだ。
『情報セキュリティにおいて、穴になるのはいつも人間である』という言葉が、時代をこえ世界を超えても佐藤健の記憶を受け継いだエノール・アルガルドの中で生きていた。
エノールは地下室も確認すると現場確認を終了とした。これから門が届いて設置を終えれば、あとは人を派遣して造幣局関連施設は完成となる。
近くに警備の駐屯地も設置してある。警備隊長は泊まり込みで働かせて、造幣局への訪問客などを管理させる予定だ。造幣局が稼働を始めればあっちからも紙幣の運搬を手伝ってもらうことになる。
現金輸送の馬車かそうでないかの判断を警備隊長にさせるというわけだ。それまでに最低限の教育を済ませたい。可能ならエルガード家の軍人達と共同訓練をさせられればいい刺激となるだろう。




