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エノールはいつも敗北者

 エノールは七歳の頃から死という重圧に苦しめられてきた。

 

 星見の儀式で見る『夢』は単なる夢とは異なる。色々なことがわかりすぎてしまうのだ。

 

 自分が未来でどうなるのか、それがどれほどの確率でやってくる未来なのかも朧げにわかってしまう。特にエノールは星見の儀式の中で星の記憶(アガド・メモリー)に触れてしまったのだ。

 

 本来は星が食べるはずの膨大な情報の本流は、その一端に触れただけでも人知を越える情報量である。エノールのみた『夢』は楔のようにエノールの頭から離れずに定期的にリフレインされていた。

 

 その『夢』がリフレインされている限り、自分の運命はまだ変わっていないことを暗示している。星の記憶はその情報さえももたらしてしまった。それがエノールに継続的に死の重圧をかけ続けていた。

 

 それは死刑宣告となんら変わりない。彼女がひとえに耐えてこれたのは佐藤健の記憶のおかげだ。

 

 佐藤健の記憶に内包されていた人格が彼女の幼児期における主導権を握っていたからこそ、どこか超越的な視点から物事を俯瞰できた。

 

 自分の死という事象も、佐藤健にしてみればどこか他人事なのである。だから、冷静に対処することができた。しかし、エノールは十歳から初経を経験したことにより体に引っ張られてオリジナルの人格が強まってしまった。

 

 これが良くない。

 

 年相応の人格が主導権を握るにつれて、佐藤健の記憶は単なるデータベースとなり、人格としての機能を果たさなくなっていた。その結果、彼女のメンタリティも年相応になってしまったのである。

 

 確かに、エノールの精神性は実年齢を超えているだろう。間違いなく佐藤健の記憶が人生経験を厚くし、かなり図太くなっている。しかし、それはどこまでいっても『年齢を鑑みれば』という話であり、本当の大人と比べると少し見劣りする。

 

 そもそも、毎日自分の死の運命をその光景と一緒にまざまざと見せつけられれば、大人でも発狂しかねないのだから、彼女はよく持っている方だろう。

 

 佐藤健の記憶がなくとも、エノールは元から大人びた女性として成長していたに違いない。今より勝ち気で直上的で、考えるよりも先に行動している人間になっていただろう。

 

 しかし、佐藤健の記憶を持ってでさえエノールの潜在意識には多大なる負荷がかけられていた。これまでは騙し騙しやってきたが、月経というホルモンバランスの崩れによって度々不安定な情緒として顕在化してきた。その時に頼れたのはレガルドのみである。

 

 彼女が『抱かれたい』というとき、それはエノールにとって辛い時なのだ。

 

 好きな男に慰めてほしい。辛いとぼやきたい。できることならベッドの中で、腕の中に抱かれながら気持ちを吐露したい。そう思うのはとうぜんのことだろう。だが、事情を知らない人になんの前触れもなしに自分の気持ちを露出させれば勘付かれる恐れがある。

 

 本当はエノールが見た星見の儀式での夢が安寧たるものではないことに。ありえないと思うかもしれないが、些細なことから秘密はバレるものだ。

 

 特にレガルドとバルターには既に仄めかしてしまっているのだ。頼れる二人に、頼るわけには行かなかった。

 

 逃げ道のないストレスがさらにエノールの負荷をかける。そこで彼女は『レガルドに全てを捧げる』という目標によって、責任の放棄と似たような心理状況を再現することができた。それでなんとか自分の心を保っていたのだ。

 

 それが、レガルドを傷つけてしまったというその一つの自意識によって瓦解した。

 

 レガルドはエノールにとって弁慶の泣き所だったのである。王子の求婚によってレガルドとの関係が脅かされた。その上、男としてレガルドが自信を失っている。

 

 その気持ちを、佐藤健の記憶があるゆえに理解してしまった。共感して、彼がどれだけ傷ついているかを必要以上に理解してしまったのだ。その上、彼女はレガルドが傷つくような言葉を半ば自分から引き出してしまった。

 

 自分から傷つけたようなものだ。そう考えた瞬間に、エノールの心はポッキリ折れた。すぐに修復してどうにか会談が終わるまでは取り繕おうとしたが、心ここに在らずといったエノールは結局、立て直すことができなかった。

 

 働かない頭で提案された王子の提案に、頷いてしまった。これを帰って、少し冷静になってからひどく後悔することになる。

 

 彼女のコンディションは過去最低だった。その上で、過去最高の敵が現れてしまった。少なくともカクレアスはエノールに比肩する策謀家だ。ここにもいたのである、天才というやつが。

 

 佐藤健の記憶というチートを持ってして並び立つカクレアスという天才、加えてここ王都は彼のホームである。自分の立場を利用するのに最も有利な場所だ。

 

 エノールは彼のバックについている存在を読みきれなかった。彼の人脈と、それに伴う選択肢を特定しきれず、不確定要素から王子につくしかないと思わされてしまった。

 

 馬車の中で自分の決断がどれだけレガルドを傷つけるかを考えてしまって、エノールの心はついに折れた。

 

 彼に犯された時、安心してしまったのだ。自分の自罰的な感情にレガルドを付き合わせたのである。

 

 彼の唯一の望みを打ち砕いて、踏み躙って、彼女は安心を得た。そこにいたのは最低の売女であっただろう。好きな人の気持ちを踏み躙って、互いの思い出を汚した最低の女が、エノールだった。

 

 だから、レガルドの思いゆくままに腰を振らせた。自分の股に腰をぶつけさせて、思うままに種付させた。これで男としてのプライドを少しは治して欲しいと思いながら、せめてもの贖罪にと。

 

 その思惑は、残酷にも成功することになる。

 

 自分を抱いたレガルドは少々落ち着いていた。劣等感から酷い顔をしていたが、今はその毛色がなりを顰めている。それだけで肌を重ねて良かったと思った。

 

 ぽっかりと自分の体に穴が空いてしまったような感覚と、まだ彼のが入っているような違和感、膣壁の痛みと破瓜の痛みが体を苛んでいてさえ、そんなことはどうでもよかった。

 

 レガルドが良ければ、全ていいのだから。

 

 そんな刹那的破壊的情動も、レガルドに抱かれるたびに薄れていった。肌を重ねて、愛し合うたびに愛情が込み上げてくる。二人はセックスによって仲直りしたのだ。

 

「さて、それじゃあレガルド。私たちはどうにかして王子との婚約を破棄しなければならないわ」

 

 エノールは翌朝になって、レガルドと向かい合う。

 

「……エノールが勝手に取り付けたんだろ」

 

 レガルドはまだ拗ねていた。いや、ようやく拗ねたというべきか。

 

 感情をエノールの前で露呈したのだ。ここでエノールに呆れられれば、彼の方がよほど傷つく。そのリスクを負いながら不満を見せたのはレガルドの優しさと信頼の証だ。

 

 エノールは困ったような、嬉しいような笑みを浮かべた。

 

「そう言わないで。私たちは夫婦に……なりたいと私は思ってる。だから、私の問題を二人の問題として共有したいの。もちろん、貴方が困ったことがあれば私はなんでも協力するわ」

 

「……」

 

「ごめんなさい、レガルド。そして、愛しているわ。この世で一番、今も将来もずっと……」

 

「……また、エッチさせて」

 

「いいわ」

 

「いいのか? いいのか?」

 

 それはしたくてたまらないからというより、否定的な返事を待ち望んでいたからに他ならない。

 

 けれど、今のエノールに拒む理由などありはしないのだ。

 

「そんなに確認しなくても、したければいつでもしたらいいわ。後始末は私がつけるし、使用人に誤魔化させることもできる」

 

「……こんなはずじゃなかった」

 

 レガルドは俯いた。自分の足元を見て落胆する。

 

 そんな彼の頭をエノールは慰めるために優しく抱き抱えた。

 

「……ごめんなさい。私は、身勝手だわ。貴方への罪悪感を犯されることで解消しようとした」

 

「……」

 

「もう二度としないわ。そして、貴方とこういうことをするときは、お互い幸せな気持ちで臨めるようにすると約束する」

 

「……本当だな?」

 

「二言はないわ」

 

「……エノールの、バカ」

 

「んふふ、貴方はもう少し、罵倒が上手くなった方がいいかもね」

 

 エノールは静かにレガルドの頭をヨシヨシした。

 

「……エノールに、甘えたい」

 

「いいわ、来て」

 

 エノールがベッドで横になると、レガルドが覆い被さるように上に来て、彼女の胸に顔を沈める。

 

「……柔らかい」

 

「おっぱい、大好きだものね」

 

「……言わないでくれよ」

 

「いいえ、言うわ。貴方の好みは全部把握してあげる。もうやめてって言っても好きなことしかしてあげないから」

 

「……楽しみだな」

 

「ええ、楽しみにしてて」

 

 そのまま夫婦の時間を取る。このままゆったりしていてもいいと思えた。

 

 けれど、ずっとそのままというわけにもいかない。

 

「……王子との婚約を破棄するには、王子より強大な権力を味方につけるか、王子に納得させるにほかはない。前者の方法を取るなら、国王を動かすか王子の勢力を削り取らなきゃいけないわ」

 

「……あいつ、絶対エノールに惚れてるよ。自分のものにしたいから、どんな手でも使ってくる」

 

「貴方みたいに?」

 

「……」

 

「冗談よ。貴方はどんな手でも使うわけじゃない。分かってるわ」

 

 エノールはすぐにフォローする。ぎゅっとレガルドはエノールの服を掴んで、胸へさらに顔を押し込んだ。

 

「……俺は、酷いことはしたくないよ」

 

「そうね、ごめんなさい」

 

「……すっ、ぐっ」

 

「ごめんね、よしよし」

 

 レガルドが泣き始めてしまったので、話し合いを中断する。赤子のように縋り付くレガルドは、エノールの胸に柔らかさを求めて、エノールの手に温もりを求める。

 

 それを感じ取っていたエノールは、ほしいものを全部あげるのだ。

 

「服、脱ぎましょうか?」

 

「……このままがいい」

 

「直接触った方が肌触りがいいんじゃない?」

 

「……興奮、しちゃうから」

 

 子供のような声だった。それにエノールも密かにムラっと来てしまう。

 

「……そう、ありがとう」

 

 レガルドはエノールの胸の中で首を振った。ぞわぞわと衣擦れの音がする。

 

「……だから、王子を納得させるのは難しい。国王を動かすのも無理に近いから、とにかく今は王子側の勢力を把握して、力を削ぎ落とさないといけないわ。利害関係を把握して、適切な方法で切り崩す」

 

「……また、あいつに会うのか?」

 

「そうなるわね。バルター達に調べさせるのも限度があるから」

 

「……行ってほしくない」

 

 その言葉に、エノールの声も涙でうわずりそうになった。

 

 痛いほどわかるのだ。行ってほしくないだろうし、それが苦しいほど伝わってきてしまう。

 

 だから、エノールはレガルドと自分に言い聞かせるような言葉を吐いた。

 

「そうよね、そうよね。分かってるわ。貴方のことを思えば、私だって行きたくない。ごめんなさい、無力な私を許して」

 

「……エノールのせいじゃない、分かってる、分かってる、けどっ」

 

 レガルドはまた泣いてしまう。今度はエノールも泣きそうになった。

 

「……辛いわね。お互いが好きだと、特に」

 

「……そうさせたのはエノールだろ」

 

「そうね。でも、流石にそれはいただけないわ。私の心を奪ったのはどこのどなた様?」

 

「……俺」

 

「うふふ、分かってきたじゃない。その調子よ」

 

「……」

 

 レガルドはもう一度、エノールの体にぼふりと乗っかった。

 

 エノールは自分の全身を押さえつける幸せな質量を感じ取って、至福の面持ちでレガルドの頭をさする。

 

「……そうやって、女を手籠になさい。下半身を口説き落とせば、男女関係なくモノにできるわ」

 

「……エノール、時々おじさんみたいなこと言うよね」

 

「含蓄がある言葉と言ってちょうだい」

 

「どうしてそう言うこと知ってるかな……」

 

「あら、私の知識の源泉が知りたい?」

 

 エノールはレガルドの顔を持ちあげて、自分と顔を見合わせるようにする。

 

「なら、隅々まで調べ尽くして、私のこと。全部全部、端から端まで」

 

 エノールの舐め尽くすような視線がレガルドに注がれる。彼はドレスの上からエノールの肌の感触を楽しんで、自分のものだと示すように稚拙に乳房を鷲掴んだ。

 

「んっ」

 

「……俺のだから」

 

「不安なら、何度でも貴方のにするといいわ」

 

「どうすればいいんだ?」

 

「……ふふ、それを私に聞くのね」

 

 レガルドは困惑したような顔を浮かべて、その表情を見てエノールは仕方なさそうに答えを言う。

 

「女を自分のものにする方法なんて昔から決まっているわ」

 

「それって……」

 

「あら、それを私に言わせるの? 本当にレガルドは変態ね」


「……」 

 

 レガルドは不服そうな顔をした。勝手に変態されては困ると。

 

 しかし、エノールは満足げな顔をして答えを明かす。

 

「犯しなさい。大事なら、逃したくないなら、犯して侵して冒して、その女を自分のものだって確認が取れるまで犯し尽くすの。体を縛れば、心もある程度縛れるわ」

 

「……そんな酷いこと、できないよ」

 

「ひどくないわ。どの夫婦でも程度の差はあれやることよ。酷いとか最低とか言ってもね、女の根元を掴んだら、いやいや言ってても女は逃げられないわよ。結局みんな、下半身が泣きどころなんだから。気持ちいいことが大好きなのよ……だから、不安なら、嫉妬でどうにかなりそうなら、その度に確認なさい。夜這いでもかけて、無理矢理にでもね。私は貴方なら構わないわ」


「だけど、昨日は痛かっただろ?」

 

「ええ、痛かったわよ。それで、私が一度でも『嫌』と言ったかしら」

 

「……いいや」

 

「そういうことよ。女は、自分の大切な存在を産むときにひどい痛みを経験するものよ。だから、どこかで痛みを欲しているのね。それが暴力的なまでの性的快感なのか、それとも暴力的な加害衝動なのかは人によるけど、好きな人にはね、傷つけて欲しいのよ」

 

「……」

 

 レガルドは女というのが少し分からなくなった。

 

「……傷つけられるのが、いいのか?」

 

「そういう時もあるって話よ。女は痛みを覚えて愛を知るの。けど、いつも痛みが欲しいわけじゃないわ。貴方だって、昨日私を犯してどんな気分だった?」

 

「……最低の気分だった」

 

「でしょ? みんながみんなそうじゃないし、いつもいつもそうであるとは限らないけど、それでも男は女の裸には興味があるし、肌に自分のものを擦り付けるのも興味があると言えるわ。同じように、女も認めた男に傷つけて欲しいと思ってるの。私みたいにね」

 

「エノールみたいに、か……」

 

「だから、気の済むまで『確認』なさい。むしろ定期的に襲ってきなさいな。月に一度くらいは抱いてないと女の心は離れていくものよ。夜這いでもなんでもかけて、私の体と心がまだ貴方のものかどうか、王子に会いに行く度に確かめればいい。部屋の鍵は開けておくから」

 

「そんな……!」

 

「そうやって、いちいち確認するしかないのよ。それか信頼するしかない」

 

 エノールはレガルドの胸元に耳を寄せる。彼の鼓動を聞くように寄り添った。

 

「信じられなくなったら、部屋に来なさい。貴方の不安も性欲も、全部飲み込んであげる」

 

「……エノールには勝てないな」

 

「あら、知らないの?」

 

「何が?」

 

「『負けてあげられるのが愛情』よ」

 

「……そっか、そうだね」

 

「そう、だから私は──」


 エノールはレガルドの耳元で囁く。

 

「いつも貴方に負けてるの」


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