エノールの乱心
エノール達が到着したのはあるカフェテリアの前、少し小高い立地に建てられたその場所は窓から嘔吐を一望できるとして上流階級の人間に人気だった。
王子が来店したことで注目が集まる。すでに予約を済ませていた王子の手筈は、女性を完璧にエスコートする『いい男』のようだった。これがあの放蕩王子なのだから驚愕である。
エノールは別れたレガルドのことで頭がいっぱいだった。今彼は何を考えているか、それだけで王子の次の手を考える余裕さえなくなっていた。
王子もまたエノールの狼狽をある程度察知し、これなら都合がいいと窓辺の席に誘導する。エノールはおとなしくその席に座った。
王子はエノールの様子を少し伺いながら話を切り出す。
「エノールは、王家の血筋は尊いと思うか?」
エノールはその言葉に顔をあげた。ひどい顔色である。自分がまた「エノール」呼びされたことを気にもできていない。
「……ええ、王家は我々貴族が忠誠を誓う唯一の相手、尊いと思いますわ」
「俺はそうは思わん」
先程まで「私」だったが、一人称が変わっている。
「なぜですか?」
「……逆に問うが、何が王家の血を尊くたらしめていると思う」
エノールはその言葉に思案した。
「……諸侯を束ね、アルファート王国という一つの国を建国し立役者です。この国で最上のお人たち、当然尊いに決まっています」
「つまらない回答だな」
カクレアスはエノールの返答を一蹴した。
「……では、王子は別の解釈を持たれているのですか?」
「無論だ。王家は諸侯を束ねている、一つの国を建国した。そんなのは建前だ。君たち伯爵家の先祖である大諸侯達を筆頭として、お膳立てされた神輿にすぎない。今だに王宮は貴族にビクビクとしている。それのどこに高貴さがあるのか。俺は、この国をどうにかしたい。まるで寄せ集めの烏合の衆のような王国を、一つにまとまった国に。貴族にビクビクするのではなく、一国一城の主として貴族達を従える。以前は持てぬ夢だった。しかし、どうだ。そこに君が現れた」
真っ直ぐとしたカクレアスの目が、エノールの瞳を射抜く。
「私、ですか?」
「そうだ。君と俺の婚姻が実現となれば、王国は協調路線に向かうことだろう。時代が変わったのだと国中に知らしめることとなる。その最初期から君に支えてほしい」
「……しかし、私は婚約者を持つ身です。嫁入りなど……」
「婚約者がいても構わんだろう。必要なら、あの者とも結婚すればいい」
「ですがっ、王妃が他に付帯しているなど──」
「俺が許すのだから問題ない。第一、言っただろう。時代が変わったのだと告げるのだ。そのぐらいが丁度良かろう」
「……」
「それに、アルガルド家としても願ったりではないのか? 王領に出迎えられれば、それだけでアルガルド家の格は鰻登りだ。公爵よりも上の立場になる。そうなれば君の野望も叶えられるのではないか?」
「……何のことでしょう」
「しらばってくれても、君が異様に領地の改革を進めていることは知っている。王家の名前を使えばよりスムーズにことが運ぶとは思わないか?」
その言葉にエノールは押し黙った。顎に手を当てて、思索を巡らせる。
「……結構です。我が領地はすでに軌道に乗っている。それを他の人の手を借りようとは思いません」
「だろうな。だが、選択肢はあってもいいだろう?」
「……」
「選択肢は多ければ多いほどいいはずだ。面倒なことは言わん。王領となっても好きにしてくれていい。俺は国のことを、君は領地のことを考えればいい。その間にレガルド君とも過ごしてもらって構わない。我が妻として抱かせてくれるならな」
「それが大事ですか」
「大事だろう。肌も合わせずして何が夫妻か」
「……おっしゃる通りです」
エノールは瞠目した。
「悪い話ではないだろう。一時的にアルガルド領は父の元に降るが、実権は君の元にある。領地のことも好きにすればいい。君は大諸侯の直系が一人、元伯爵家の人間として王国の一枚岩政策に協力してくれたらいいのだ。領地に男を連れ込むぐらい許してやる。俺はもう女遊びはいいがな」
「……」
「返答を聞こう、アルガルド伯爵。俺と婚約する気はないか」
「……………私は──」
エノールは夕方になる前に屋敷に帰ってきた。
夕食が王子の手配していた使用人によって用意されていたが、食卓に向かうこともなくあてがわれた自室へと向かう。
道中の使用人たちを意に返すこともなくエノールは扉の前に立った。
「お待ちください、エノール様」
バルターは心配から声をかけた。しかし、油が切れたブリキ人形のような動作で一度立ち止まると、エノールの冷たい声が廊下に響く。
「来ないで」
「っ……」
「入って、来ないで。一人にして」
「……かしこまりました」
恭しくバルターが頭を下げると、エノールは自室に入って行った。
「アイシャ、人払いを」
「……かしこまりました」
しばらくすると中から啜り声が聞こえてくる。主人に恥をかかせないために、部屋の周辺には使用人達を近づかせなかった。
「アイシャ、貴方はレガルド様の元に向かいなさい」
「なぜ……今のエノール様を置いてはいけません」
「だからこそです。エノール様自身は私が見ます。だから、貴方はエノール様の心臓をお願いします」
「エノール様の……心臓?」
「レガルド様です」
「……」
「この状況でレガルド様が心を折られる。それが、最も避けねばならない事態。そうなればエノール様の御心はポッキリと折れてしまうでしょう」
部屋からはくぐもった声が聞こえてくる。木造の建物なだけに声がよく通ってしまうのだ。
「もう嫌……死にたい」
「……」
アイシャは中から聞こえてきた言葉に唖然とした。今にも途切れてしまいそうな悲鳴を、あのエノールが上げたのだ。
泣きすするような声にアイシャの身は強張ってしまう。それをバルターが力強い叱責で持って解除した。
「早くしなさい」
「……はい」
アイシャはパタパタと玄関に向かう。バルターは周囲を確認して、部屋に入った。
「エノール様──」
「入らないでって言ったでしょ!」
「……申し訳ありません」
お辞儀したバルターが見たのは、泣いていたエノールの姿だった。
母からもらったドレスを着て、ベッドにうずくまっている。汚れることも気にせず、絨毯の上に足を崩していた。
「エノール様、まずはお召し物を着替えましょう。そのままでは休みにくいかと存じま──」
「もう嫌なの! もう、もう!」
「……」
「なんで……レガルドだけいればいいのに、私の人生、それだけなのに……」
「そのようなことを言わないでください。アイジス様もミラルダ様もエノール様を愛していらっしゃいます。エノール様の人生は愛に溢れて──」
「な訳ないでしょ!」
「っ……」
「そうよ、何してるのかしら、私。あはは、死にたいだなんて言って頑張って、やってることが無茶苦茶じゃない」
「エノール様、何を……」
その言葉に、エノールはきっとバルターを見る。
まるで睨まれているようで、エノールに睨まれるのがこれほど怖いとはバルターは到底想像もしていなかった。
「後七年」
「……」
「私の寿命よ」
「な、何を──」
バルターは嫌な予感がした。頭の中でパズルのピースがハマるような、そんな感覚が。
エノールは泣いているのか笑っているのかわからない顔で、自分でもどっちかわからずに叫んだ。
「私がねぇ、星見の儀式で見たのは領地で佇む自分の姿なんかじゃない、王城で、騎士に組み伏せられて国王の面前で首を刎ね飛ばされる姿よっ!」
「そんな……!」
「だから、これまで頑張って……ようやく人生に意味を見つけたのに……もうこれじゃあんまりだわ。死にましょう、うん、そうしましょう」
「っ……なりません! そんなことをすればご両親がどれだけ悲しむと──」
「お父さんとお母さんは私を置いて行ったでしょ!」
「それは──!」
「言いたかないけどさ、何で二人は良くて私はダメなの? もう意味なんてないのよ。レガルドの心が壊れたら、私に生きる価値なんてない。もう何もないの。ただ漫然と生きて時間を重ねても、待っているのは死だけ。だったら、今だろうが七年後だろうが七十年後だろうが、関係ないじゃない。そうは思わない?」
「そんなこと……」
ない、と言おうとしてエノールの顔を見た。
その全てに絶望したような瞳を見て、果たして「そんなことない」なんて綺麗事が吐けるだろうか。
自分にはそれを実現できるだけの力はない。だというのに、無責任に呪いのような言葉をかけて放り出すのか。
何が正しくて何が間違っているのか、誰が悪くて誰が悪くないのか。ぐるぐると回る思考がバルターの動きを止めた。
そんな執事の様子を見ると、エノールはゆらりと立ち上がる。その様はまるでゾンビかミイラのようだ。
「……………………レガルドの所言ってくる」
「何を……」
「……貴方、聞いてなかったの? 耳が遠くなったんじゃない?」
「っ!」
バルターは主人の頬に張り手しようとして、手を振り上げたところで止まった。
エノールは平手打ちされる直前でさえ、ただじっとバルターを見ている。結局、執事は何もできなかった。そのまま崩れ落ちる。
「……じゃあ、行ってくるから」
エノールは一人歩いてレガルドの館に行った。
エノールはレガルドの屋敷にたどり着くと、使用人たちを意にも返さずにレガルドの部屋を目指した。
唖然とする彼らはどうしていいか分からずに、エノールの去っていく背中を眺めている。
彼の部屋にたどり着くと、ノックを一回だけして扉を開けた。思い詰めたようなレガルドの顔が、急に扉を開けてきた来訪人の方に向けられる。
「エノール……」
途切れるような声で、レガルドが呼んだ。エノールは後ろ手に扉を閉めると、レガルドの方に近寄っていく。
道中に会ったアイシャに人払いをさせた。無理を言って、この部屋には明日まで誰も近づけないように言ってある。それどころか、自分の屋敷に全員移動させている。
エノールはレガルドの前に立つと、俯いている彼をいきなり押し倒した。レガルドが見上げる体勢になって、エノールは端的に話す。
「私を抱いて」
「……勝手言うなよ」
「勝手じゃない」
「勝手だよ!」
「ええ勝手よ!」
エノールの突然の叫び声に、レガルドは面を喰らった。
「勝手よ! 勝手よ! だから抱いて、今! 今よ! 今じゃなきゃ許さない!」
「だから、それを勝手だと言ってるんだろう! いつもいつも──」
「そうよ、私は勝手よ! 私の領地のために、自分の魂を売るようなことをした! 貴方が傷つくとわかって、あの王子の提案を受け入れた!」
「何を……」
レガルドは尻すぼみになる。そんな彼に、エノールは声を張り上げた。
「あの王子が! カクレアスが、俺の婚約者になれって……貴方とのことは許すから、アルガルド領を王領に編入して、好きにしろって……王国の一枚岩化に協力しろって、それで……」
「なんて酷い……」
「酷いのは私よ! 私は、それを受け入れた! 貴方がどんな気持ちになるか、知りもしないで! 貴方が傷つくのに、私は領地のメリットをとって婚約を受け入れた! さあ、好きにして!」
「……」
レガルドは自分の胸元で崩れるエノールを見た。彼女は頬に涙をたくさん流して、ボロボロになっている。
去勢を張るエノールは、そのままボロ雑巾のように腕に込めた力を解いた。きっとレガルドが少しでも力を出せば、朽ちかけの大木のように簡単にどかせてしまえるだろう。
それでもレガルドはそんなことできなかった。目の前の女性を、自分の上から退かすことができない。
エノールはさめざめと懺悔し始める、自分の行いの全てに後悔して。
「もう、嫌……こんなの意味がない。貴方に、全てを残すために私は生きてるのに、こんなの、こんなの……」
「エノール、どうし──」
「抱いて、私を。あの王子に取られるぐらいなら、貴方に奪われたい」
「っ……そんなの、王子と婚約したんだろ⁉︎ 第一王子との婚姻なら君が嫁入りだ! その時に、どうやって言い訳するつもりなんだ!」
「そんなの! 幼少期に怪我でもしたことにすればいいんだわ! どうせ処女膜がどうなってるかさえ知らないんだから、処女証明書をでっち上げればいいのよ!」
「知らない訳ないだろ⁉︎ 君だって知ってるだろ、あの王子は相当な女好きだ! 初めての一人や二人、奪っていてもおかしくない!」
「知らないわよそんなの! 私は、貴方に抱かれたいの! 最初は貴方に! どう決めてたの!」
「どうしてそんなに最初に固執するんだ! 俺は、君となら、初めてでなくたって──」
エノールはレガルドの言葉の途中で大きく泣いてしまう。
「だって! だって! 貴方は私が初めてで、なら、貴方に初めてをあげないとって!」
「エノール……」
「なのに、なのに、私は領主だ経営者だって自分に言い訳して、私はあの場で頷いた! それが、どうしようもなく憎い! あの場の私を斬り殺してやりたい! 貴方が幸せにならなきゃ、私の人生、何の価値もないのに、貴方に全てをあげるのが私の人生の意味なのに──」
今度はその言葉にレガルドが激昂した。
「勝手ばっか言うなよ! 何だよそれ! そんなに俺が大事か⁉︎」
「大事よ! 世界で一番! 貴方が大事! なのに、私はその大事を裏切った! 奪って! 傷つけて! もう貴方だけのものにしてくれないと、私は正気を保てない!」
「だから、それが勝手だって──」
レガルドは怒りのままにエノールの手首を掴み上げて、エノールも抵抗する。
エノールの手首が赤く腫れて、二人はもつれあう。シーツが暴力的なシワを形作った。
二人の上下が入れ替わる。今度はレガルドがエノールを組み敷く形となった。
「ふざけるなよ、俺が、俺がどんだけ──」
「我慢するなって言ってるの! 貴方、どれだけ我慢するつもりなの! いいかげん身に任せなさいよ!」
「できる訳ないだろ⁉︎ 君を傷つけるかもしれないのに──」
「だから、それが本望だって言ってんの! この分からず屋!」
「分からず屋はどっちだ!」
二人は取っ組み合って、もつれ合って、突然エノールは床に転がり込む。
自分から転げ落ちたような動作に、レガルドの脳裏には疑問がよぎって見ると、エノールはゲーゲー吐いていた。
突然のことにレガルドは狼狽てしまう。
「エノール⁉︎」
「おえぇ……あがっ」
「大丈夫か、どうしたんだ……⁉︎」




