豊穣祭への招待状
「これは……」
エノールは道中の宿場町である手紙を見ていた。送り主はカクレアス・アルファート、この国の第一王子である。
「こんな……! エノール、今すぐ破り捨てるんだ!」
「いやいや、ダメだから。落ち着いてよ、レガルド」
「いいや、落ち着けない。こんな……よくも人の女性に!」
エノールはその言葉に口角を釣り上げた。今、レガルドの心は自分に対する独占欲で燃え上がっている。それが何よりも嬉しいのだ。
「そこは『よくも俺の女に』、よ」
「そ、それは……」
「貴方のなんでしょ? なら、堂々となさい」
レガルドはエノールに胸元をつんと指さされ、男としてアドバイスをもらう。
エノールにいい女らしいことをされてドキリとしてしまう。こういう時の彼女の笑みは不敵だ。
まるで手籠にするやり方を本人から教えられているようである。
「……これは断るわけにはいかないわね」
「なんて書いてあるんだ?」
「王都での豊穣祭のお誘いよ。招待状形式だから断るなんてもっての他ね」
「でも、アルガルド領でも豊穣祭があるんだろ? だったら、そっちへの参加を理由に断ればいいじゃないか」
エノールは仕方なさそうな笑みを浮かべた。確かにそう考えられなくもないが、無理なのだ。その理由を長男でなかったレガルドが教えられているはずもない。
一生懸命自分のことを考えられているんだろうなと愛おしくなる気持ちと、現実は非常であることの哀れみが同時に去来する。
レガルドを傷つけないように言葉を選んで説明した。
「確かに、ただの『お誘い』ならそれで断ってもいいかもね。ただ、招待状形式なら話は別。王家からの招待は受けるのが通例なの」
「そうなのか……」
「まだ貴族達を信用しきっていない王宮は、定期的にパーティに参席することで忠誠を示させている。更に広がって王家からの招待状を無碍にすることは反逆の本意を疑われかねないのよ。それに、もしそうならなくても断れば王家との縁は一生できない。それは私にとって困るの」
「そうだよね、エノールは伯爵なんだから……うん」
「……」
エノールは何かを押し殺すようなレガルドの顔を見て、思わず手を伸ばしてしまう。
「私を、手に入れるんでしょ?」
「ああ」
「即答ね」
「決めてるから。即答できないと……」
「嬉しいわ、女の誉れね」
「……エノールはどうなんだよ」
「私?」
「エノールは、どうしたいんだ?」
不安げなレガルドの瞳がエノールを映す。
エノールはその言葉に少し考えて、慰めの言葉をかけようかと思ったけれど、案外大丈夫なのではと揶揄うことにした。
最も、それは揶揄いというより発破に近い。
「どうかしらね、私はトロフィーだから」
「エノール……!」
「手に入れた人に手に入れられるの。貴方が手を伸ばさないと、私は誰かの手に行っちゃうかもよ?」
「……それは嫌だ」
「ふふ、素敵。なら、証明して。ちゃんと手籠にして、手に入れて、首輪でもつけて離さないで」
「首輪は……」
「ふふ、それぐらいの意気で来てってこと」
「分かった」
「……」
エノールは酷なことを言ったかなと思った。
この場で安心させてもいい。だが、彼の不安の本質は自分に対する自信のなさだ。
それを他人が貼り付けたって、別の他人によって引っぺがされることがある。そういうのは張子の虎なのだ。何かの拍子で剥がれしまう。
その時、果たしてこの目の前の最愛にして尊き想い人が立っていられるだろうか。
女として一途に求められたいという思いもある。それだけに少しだけ罪悪感を抱くのだった。
(ごめんね……いつか、全部あげるから)
彼女の最終目標は二つある。
一つは二十二歳を越えること。
もう一つは、レガルドに全てをあげること。
前者の目標を達成すればもはや自分に使い道などないのである。だが、まだレガルドにとっては有用だろう。
だから、あげるのだ。文字通り全部を、それはエノールによって既に確約されていた。
エノールはとりあえず宿場町で手紙を書くことにした。そろそろ造幣局とアイビスの屋敷の建設が終わる頃合いなのである。
「聖軍」はとりあえず「警備隊」に名称を変更させているので、旧聖軍に造幣局およびアイビス邸周辺の警備人材募集をかけることにした。
組織形態は王城の警備体制を参考にすることにした。週交代で昼と夜で別々に雇い入れる。旧聖軍の人間は忠誠心が高いのですぐに集まるだろう。後は指揮・連絡系統を完成させるだけだ。
次にアルガノドの町で造幣局の労働者人材の募集、アイビス邸での使用人の募集をかける。使用人に関しては終身雇用だ。裏切られても困るので今の段階から集めておく必要がある。
施設周辺警備を任せることとなる造幣局警備団の人材組織を終えたら、業務内容の伝達と育成を行なって、それから実際に施設に人を雇い入れることになるだろう。
造幣局の局長、アイビス邸の使用人は無期限の終身雇用とする。紙幣制作に携わる労働者も特に問題なければ雇い続けて構わないだろう。アルガノドは造幣局の町となるので、治安も守らねばならない。
例えば、造幣局の人間を脅すなり唆されては困るのだ。施設周辺も関係者以外の立ち入りは禁止することになるし、出来れば関係者ごと囲いたいのが本音である。
一応、造幣局にも宿舎は存在するがいかんせん小さい。造幣局の内部に用意されているが、果たして労働者がそれで満足するだろうか。
アルガノドでの募集となれば世帯持ちの雇用も考えねばならない。となれば、町ごと守るしかないのだ。そちらも自警団の組織を急がせるとともに、余所者対策も考えなければならない。
とはいえ、今はそれどころではないのだ。そういえば、そろそろアリスが屋敷にやってくる頃合いである。代官として雇い入れたうちの何人かはすでに屋敷に来ているようだ。
騎士の汚職がないかの調査をさせた後に、彼らには地方銀行の総裁か、それに準ずる中央銀行との仲裁役に携わってもらうことになるだろう。どうやって彼らを育成するのかという課題もあるが、そこはアリスと一緒に教育すれば問題ない。
とりあえず現状対応すべきものについて対処を済ませた後、エノールは再び王都へと帰った。王子から招待状が届いているのである。
内容は豊穣祭への参加の誘い、十中八九求婚関連の目的だ。だから、レガルドは頭に血を上らせたのである。
人の婚約者に対して求愛をするのは、それだけで貞淑に反する行いだ。しかし、王国には婚約者を二人立ててはいけないという法律も、ましてや一夫多妻や一妻多夫を禁ずる縛りもない。
実際に王国貴族は一夫多妻の毛色が強いのだ。なればこそ、婚約者がいるエノールに対して求婚するのもまた自由ということ。ギリギリのところでカクレアスは合法ラインをついていた。
エノールにしてもこのままカクレアスを放置するわけにはいかない。マルデリア家との関係を悪くしたくはないのだ。王子の真意も問いたださねばなるまい。
だから、一度屋敷に帰ることはなかった。豊穣祭は少し先だが、可及的速やかに王子の問題を解決したいのである。領札導入の手筈が整えばエノールは屋敷から離れられなくなるのだから。
中央銀行の設立もまた、そう遠くない話なのである。
そうして、エノールは再び王子の待つ王都へと向かった。
豊穣際は王都では秋、その他では冬に行われる。
文字通り豊穣を祝う季節なので、本来は種まきをする冬にやるのが普通だ。エノール達が学園の地元で参加した冬祭りも豊穣祭の一種である。
では、なぜ王都では秋に行われるかと言えば、それは王都周辺の麦の収穫量があまり多くないせいである。そのせいで地元で取れた農作物で祝う収穫祭が執り行えない。
勿論の都市から引っ張ってくれば問題なく執り行える。しかし、それは王国から他の都市へ金銭が流出することを意味する。それは得られた豊かさを祝う収穫祭の本義に沿わない。
しかし、豊穣祭であれば他の都市から食料を買い込んだとしても不思議ではない。そのため豊穣祭が収穫祭の代わりに催されるのだ。
祭りを開く理由は無論、市民の購買意欲が祭りによって煽られて、経済が活性化されるからだ。これは商業都市である王都にとっては重要なことである。
収穫祭は地元で取れた収穫物を使って実りを祝う。豊穣祭は次の年の豊穣を祝う。ぱーっとやれる分、豊穣祭の方が景気の活性化には向いているのだ。自由度が高いので商人に好まれたのである。
食料を他の都市から輸入すれば王都から金銭が流出するだろう。しかし、王都に支店を出している小売業もまた祭りの熱気にあやかって利益を伸ばすのだ。
そうして生まれた好景気は連鎖する。そうなれば商業チャンスだと見込んで各都市から人と物と金が集まるのだ。普段から王都は周辺都市から吸い上げているので、景気良くばら撒く意味合いもある。
豊穣祭を冬ではなく秋にずらすのも、収穫期の直後は麦の値段が下落するからだ。地方では宗教的側面が強いのに対し、王都の豊穣祭は商業的側面が強い行事なのである。
そして、そんな祭りの準備に盛り上がっている王都に招かれたのがアルガルド家今代当主エノール・アルガルドとその婚約者レガルド・マルデリアだ。
王都の活気が見下ろせるティーハウスが待ち合わせ場所とされていた。
「やあ、エノール! 会いたかったよ!」
「しばらくぶりでございます。この度はお招きいただきありがとうとございます」
「気にしないでくれ。君と私の仲じゃないか」
「……」
エノールとカクレアスのやり取りにレガルドは歯軋りしていた。
「それで、この方は?」
「レガルド・マルデリア、エノールの婚約者です……」
「ああ! そういえば、居たね!」
(こいつ……)
レガルドは一層怖い面持ちとなった。
「影が薄くて忘れていたよ。それで? 今日はどうしたんだい?」
「王子が呼んだのでしょう……?」
「残念ながら、私はアルガルド伯爵をお呼びたてしたつもりで、君のことは招いたつもりがなかったんだ。離席していただいても?」
「そんなわけ──」
「カクレアス王子、彼は私の婚約者です。同席させていただいても宜しいでしょうか?」
エノールはレガルドに助け舟を出す。
「……いいとも。君の頼みなら仕方ないね」
エノールはほっと一息ついた。先ほどからティーハウスの中で二人が睨み合っている。
会った直後からこれだ。レガルドが粗相をしなければいいのだがと心配である。
「領地に帰る道中に突然すまない。早馬を出したから驚いただろう」
「ご心配には及びませんわ。王家からの参集とあらばいつでも参ります」
「それは心強いな。それで招待の件なのだが、近々王都で豊穣祭が催されることは知っているね?」
「はい」
二人が席に座ったことで、レガルドもどんと腰を据える。王子と伯爵の会話に割り込めるほど、彼も神経が図太いわけではない。
「王都での豊穣祭は一味違っていてね。他の所の何倍も華やかなんだ」
「それはそれは、一度拝見してみたいですわね」
「そうだろう? それで、君は伯爵に就任したそうじゃないか。一度、王都の広さを知っておくのも悪くないんじゃないかと思ってね」
「おっしゃる通りですわね。私も王都の聞きしに勝る活気というものを見てみたいと思っていた所ですの」
「それなら丁度いい! 祭りは来月に執り行われる。どうだろう? それまで王都に滞在するというのは? 伯爵である貴方がご多忙であることは想像に難くないが、豊穣祭の直後に帰路に着くということであれば都合がつくのではないだろうか」
「…………そうですわね、ギリギリ」
「殿下、エノールは忙しいのです」
「おや、君と話しているつもりはなかったが」
「……」
「殿下、そう邪険になさらないでください。レガルドは後三年もすれば私の身内になる人間なのですから」
「そうか。しかし、その前に身内になる人間がいるんじゃないか?」
「というと?」
「私さ!」
「……」
「……」
レガルドは、こいつを殺してやりたいと思った。
揺蕩う沈黙をエノールが破る。
「……殿下、あまり無茶を言ってお父上である国王陛下を困らせてはなりませんよ?」
「無論なこと、これは父上が付けた私の御付きであるジークニスもまた賛同していることだ」
「左大臣卿が?」
「おや、知っていたのか」
「ええ……王国貴族の一人として、自分より高貴な方は存じ上げていますわ」
「素晴らしいね。ジークニスもまた私と君の結婚にはそれ相応の意味があると考えている。私もね。きっと父上も賛同してくださることだろう」
「……」
「どうだろう、何度か話をしないか? まだ互いに何も知らない状態だ。エノールも戸惑っているだろう。まだまだ私たちには相互理解というのが足らない」
「殿下、しかし──」
「君に話しているのではない、マルデリア三男」
「っ……」
二度目の横槍にカクレアスは怒気を放った。その威勢にレガルドは身をこわばらせてしまった。
放蕩三昧の第一王子、その悪名は王国貴族の誰しも知る所だが、彼もまた王族なのである。
幼い頃から帝王学を学び、カクレアスもまた優秀な成績を収めていた。幼い時分に修了しすぎて最近は授業をサボっているが、それはもう学ぶことがあまりないからでもある。
この国の経済のこと、地政のこと、地理のこと、王宮の情勢や経営学に至るまで学んでいる。
それは単なる生まれだけではない、自らもそうあれかしと積み重ねてきた人間の覇気であった。
エノールはそれを感じ取ると、一瞬にしてこの王子と敵対するのはまずいと判断する。ただでさえこの国の第一王子、王位継承権筆頭であり未来の元首なのだ。
その上、実力まで伴っていればこの国の貴族として逆らう余地は極めて少なくなる。エノールは道中も考えていたことだが、やはり誘いを受けることにした。
「……かしこまりました。私としても王子とは一度お話ししたかったところでしたの」
「それはいい! 君となら何夜でも共に明かそう!」
「お気持ちは嬉しいですが、婚前交渉とみられるようなことは避けたいですわ」
「そうだろうな。何、冗談だ。豊穣祭までは時間がある。それまでゆっくりするといい」
「ありがとうございます」
「王都での移動にはうちが用意した馬車を使うといい。貴方は賓客だ、それ相応のもてなしをさせていただく」
「レガルドももてなしてくださるのですわよね?」
エノールの問いに、カクレアスはレガルドの方を一瞥した。
「……使用人共々、エノールの関係者は同様に賓客として扱わせていただく」
それは「レガルドも含めて」という妥協案であり、王子にとってレガルドは使用人と変わりない存在だという意味でもある。
「それは良かったです。ありがとうございます、王子」
「宿はとっているのかな? この時期から王都は混み合う。すでにこちらで手配しているが、余計なお世話だっただろうか」
「いいえ、とても助かります。何から何まで感謝ですわ」
「礼には及ばない。全ては君のためだ」
そう言って、王子は去っていく。その後ろ姿を恨めしそうに、だけれどどこか気落ちした様子でレガルドは見つめていた。
「……」
「……さあ、行きましょ?」
「……ああ」
エノールはレガルドの落ち込みようが引っかかったが、何も言わないことにした。
今ここで慰めの言葉をかければ、彼の男としてのプライドはもう治らないかもしれない。自らが好いた男の牙をもがせるほどエノールも無粋ではなかった。




