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王都からの手紙 〜領内旅編プロローグ〜

「わあああああああ!」

 

 令嬢が声を上げる。その声を聞きつけて、すぐに執事長が飛び込んできた。

 

「どうしたのですか、お嬢様!」

 

「つ、杖……杖が!」

 

 捨てたはずの杖が、私の部屋に転がっていたのだ。もうこれは悪夢だ。捨てたはずのものがいつの間にか手元に帰ってくるなんて、そんなの怪談じゃないか。無理、お祓いしよう。教会に行って私は敬虔な信徒になる。

 

「……? 何を言っておられんですか? 昨日一緒に寝ると、張り切っていたではないですか」

 

「え……?」

 

「……気味が悪いようなら処分しますが?」

 

「……いい」

 

 かろうじてその提案を拒否した。もう何をしても無駄だと悟ったからだ。

 

 一緒に寝る? この杖と? ありえない。昨日は怖くて怖くて、この杖を元の場所に返しに行ったのだ。バルターとすぐに資料室に行って、確かに彼の目の前でこれを置いていった。昨日の夜も自分一人で、何も持たずに寝たのだ。

 

 明らかに記憶と違う。もうこの杖と争うのはやめよう。私と一緒にいろと言ってるのだ。

 

 もしかしたら、きちんと火にくべれば処分できるかもしれない。しかし、呪われそうなのでもう深く考えないことにした。そう、この杖は私のもの。何の影響も受けない。従者が主人に歯向かうなんてあり得ない。

 

 杖を持って、「私に歯向かうな」と必死に念じてみたが、やはり何の反応もなかった。

 

 私はひどく青ざめながら朝食を口にした。世間は一日一食や二食が多い中、貴族も二食の場合が多いけど、この領地では余裕があるなら3食取るのが普通だった。そこらへんは日本《向こう》と一緒で助かる。

 

 傍には……あの杖がある。私が持ってきたのだが、もう肌身離さないことにした。こいつの要求を飲んでいればきっと反旗も翻さないはず……もう怖いことはやめてくれと杖に念じた。

 

「バルター、王都からの手紙はまだ?」

 

「いえ、手紙の送り返しには一週間ほどかかるので、まだ三日ほど残っております」

 

「早く来ないかしら……」

 

 バルターには巡礼の準備を進めさせている。

 

 とりあえず、従えている騎士と諸侯に挨拶をするのだ。鼻で笑う人も多いが、実際に会ったことがあるのとそうでないのとでは信用度の土台が違う。面識があればその時点ですでにコネクションが出来上がる。顔を知ってる相手、知られている相手の不興を買いたいと思う人は少ない。内心どう思われるかはわからないが、一足労をかけて挨拶しにきたことがあるとなれば、こちらの要求も通りやすくなる。

 

 支配体制を盤石なものとする。牛歩かもしれないが、それでもできることをやっていくのだ。

 

「品物の準備はした?」

 

「もちろんでございます」

 

「けちらないでね。多少の出費は覚悟して。最初で舐められるわけにはいかないから……それにこういう賄賂とかは案外大事だし」

 

 だから、お歳暮だとかお土産だとかそう言った風習が日本でもあったのだ。賄賂って、送ると相手が何かしなきゃいけないような気がするから、金に限らず物でもいい。伯爵家から送られたというだけで価値も跳ね上がるし、金のある彼らは次に名誉を欲しているだろうから、それだけ動いてくれる。

 

「しかし、舐められるというのであれば……見回りはもう少し先送りにされた方がいいんじゃないでしょうか?」

 

「私が子供だから?」

 

「……騎士や諸侯は上品な出のものばかりではありません。中にはそういった──」


「いいわ、取り繕わなくて。そうなのよね……そこらへんが懸念点よ」

 

「では、何故……」

 

 私は足を組んで考える。考え事をしながらゆっくりと口を開いた。

 

「……顔合わせは、早いほうがいいのよ。コネクションはこれまでの交流の年月だから、頻繁に顔を合わせられない以上、こっちは歳月で勝負するしかない」

 

「しかし……」

 

「分かってるわ。舐められたら元も子もないって話でしょ? でも……情報も、早く手に入るに越したことはない。手遅れになってから従えても、意味がないのよ」

 

「しかし、十歳の王立学園入学まで待ってもいいのではないでしょうか。学園に入学したとなれば、相手も表立ってこちらを侮ってはきますまい」

 

「そうなのよねぇ……それが一番の安牌ではあるのだけれど」

 

「お考え直しください。ないとは思いますが、いざとなったとき我々だけでエノール様を守れるかどうか──」

 

「そんなこと言ったら、女当主、次期当主なんて格好の的よ? うちが私兵を持つなんて先のことになるでしょうし、そもそもそのために必要な金を工面するためにこうやって動き回るのだから」

 

「……」

 

「分かってる。バルターは心配してくれてるのよね。それはありがたいわ」

 

「──老耄の心配を汲み取っていただき光栄です」

 

「けど、これは決定事項よ。バルター、準備を進めなさい。失敗を恐れてチャレンジをしないでは、経営の神様に叱られてしまうわ」

 

「……かしこまりました」

 

 いつ、エノールは経営の神様に信仰を寄せるようになったのか。この小さな令嬢の心の変化に戸惑うバルターであった。

 

 

 

 王城から手紙が届いた。お父様からの手紙は以下の通りだった。

 

『 親愛なるエノールへ

 

  照りつけるような日差しに青々とした若葉が木漏れ日を落とす季節になりましたね。

  

  屋敷での暮らしはどうですか?

  

  こちらは夏だというのに人が溢れかえるようで、馬車の中も一層熱くなって来ました。

  

  星見の季節でしたが、手紙を寄越せてやれなくて申し訳ない。

  

  お手紙拝見しました。エノールのみた光景を鑑みるに、我が家に男児が生まれないことは明白でしょう。

  

  これから貴方は次期当主として相応の振る舞いをしていただきます。

  

  社交界にも出てもらいますが、それは伯爵家の令嬢ではなく、伯爵家の当主という立場です。

  

  その意味がわかりますね?

  

  エノール、貴方はもう一人の体ではありません。貴方の体には、多くの領民の生活がかかっています。

  

  執事長からの手紙も読みましたが、あまり無理はしないでください。父としても心配です。

  

  事情はあいわかりました。全て許可します。我々は王都で忙しいので、屋敷のことは任せました。

  

  バルターの言うことをよく聞き、立派な当主になってください。

  

  聞く限り私の代よりも、いえ、アルガルド伯爵家のどの代よりも立派な当主になれるような気がします。

  

  父としてそれを少し誇らしくも思います。私の期待に応えてみなさい。

  

  短くはありますが、これでお手紙を終わりといたします。

  

  エノールも領地のことを考えるなら、これぐらいのお手紙は書けるようになっておいたほうがいいでしょう。

  

  いい知らせを待っています。頑張りなさい、エノール。

  

  無理をしすぎないで、体を壊さないでください。幼い貴方を残していってすいません。

  

  他の使用人にもお伝えください。

  

   敬具 アルガルド伯爵家第八代当主 アイジス・アルガルド          』

  

  

「やってくれたな……」

  

「如何いたしました?」 

 

「いや……」

  

 まさか、手紙で『星見の儀式で次期当主が確定したので、領地で当主代理として振舞っていいですか? 当主の座はまだいりません』と書いたら、こんな手紙を送ってくるとは。確かに、手紙の所作についてはまだ習っていなかった。

 

 手紙の最後は思いが抑えきれなくて書いたのだろうな。礼儀としては減点ものだが、父親としては加点だ。それほどアイジスとの記憶も多くないが、それでも嬉しく思う。

 

 おかしな感覚だ。確かにこの身には佐藤健の記憶があって、そちらの方が比重が高かったはずなのに、顔もあまり覚えていないアイジスのことを父として認識している。やはり、この体はどうしようもなくエノールらしい。

 

 ということは、佐藤健の意識もまた徐々にエノールに侵食されていると言うことだ。それが時間と共に進行するのか、それともしないのか。佐藤健の記憶がその蓄積された経験の深みによって、意識の比重を傾けて肉体の制御権を得ているとしたら、年月が経ってエノールとしての経験が増えれば今度はそっちに比重が傾くだろう。

 

 なにせ、佐藤健の記憶はこれでもう打ち止めだが、エノールの記憶は生きている限り更新され続けるのだから。

 

 つまり、佐藤健の人格はこれからエノールの意識と入り混じることになる。それは認めなくちゃいけない。自分が自分でなくなる感覚。それも結局また自分。まるで哲学の思考実験を実践しているみたいだ。面白く──気持ちが悪い。


 とりあえず、父親の許可は得た。それでは巡礼に行こう。

 

「バルター、準備は進めてる?」

 

「はい、金貨・銀貨の用意はできました。宿泊する宿の目処も立っております。それと護衛の件なのですが……」

 

「信用できて、荒事に向いている奴がいいわ。何かあったら迷いなく剣を抜ける奴。それから、騎士や諸侯の前で連れても恥ずかしくないやつら」

 

「難しいことを言いますね、伝手がないこともないのですが……」

 

「あるの?」

 

「ええ、まあ、腐れ縁という奴でして……」

 

 なにやらバルターにも生い立ちがあるということだった。

 

「旅をしていたらどれぐらいで賊に会うものなの?」

 

「少なくとも、伯爵家の家紋を背負っていて馬車を襲われたことは二度しか……」

 

「二度もあるの⁉︎」

 

「ええ、流石に一回は周囲の騎士を見て逃げ出しましたが……」

 

「一度は戦闘になったのか……」

 

 この領地の世紀末さを侮っていた。伯爵家の馬車を襲うとは……バルターが三十年働いているとしてもありえない。

 

 ああ、この屋敷から出たくなくなったかも……

 

「鎧持ちの護衛をつけるわけにはいきません。道中は長いですし、懐刀として使えるもので満足するしかないでしょう」

 

「なら、雇う上でこう言ってちょうだい。『貴方たちは騎士にも、諸侯の前にも連れて歩くことは難しい。これは騎士と諸侯たちを訪問する旅だけど、彼らの前に姿は出せない。それでいいのか』って」

 

「分かりました。事前に承諾はつけさせておきます」

 

「お願いね。彼らにもプライドはあるでしょうから。それと、他には準備はないの?」

 

「側付き女中のアイシャの準備は済ませております。すぐにでも出立できるかと」

 

「衣装はどうしようかしら。できるだけ、次期当主として格のある格好がいいのでは?」

 

「良いドレスを見繕います」

 

「……まあ、そうするしかないでしょうね。勇ましい格好をしても、七歳の女の子が着ていたら失笑ものだわ」

 

「いえ、そんなことは……」

 

「世辞はいいわ。私はね、バルター。貴方の経験に基づく率直な意見を求めているの。遠慮は無用よ。むしろそれで主人の機嫌を損ねると知りなさい」

 

「かしこまりました」


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