婚約破棄
パーティ会場である王座の間には既にまばらに人がいた。先に来ていたのは法衣貴族の面々、階級に合わせて一日目〜四日目のいずれかに振り分けられる。五日目などに参加できるのは一握りだ。
伯爵家の面々はまだいない。早朝なので起きてくる時間はもう少し後なのだ。真打は後から登場するのである。
一応、公爵や侯爵も参加ということになっているが、大抵の場合姿を見せない。五日目に王との会談を控えているので、四日目は軽んじているのだ。
エノールの登場に周囲が目を引く。豪奢なドレスもそうだが、それ以上に若い見た目が視線を引いた。彼女の土色の髪と瞳も周囲の注目を刈った原因の一端であろう。
若い、若すぎる。まだ小娘じゃないかと周囲はほくそ笑んだ。あれが四人のうちの伯爵の一人かと嘲笑った。
アルガルド家の娘が家督を継いだというのは話に聞いているのである。ここは授業参観などではない。本来は男ばかりで、当主の妻などが連れ立たれていることもあるが、子供を連れてくる場所ではない。
それがよもや同い年と見える少年の手をとって歩いてくるのだ。嘲笑の対象以外の何者でもない。周囲は本人の目を気にせず笑みを浮かべた。
エノールもまたその空気に気づいていた。しかし、空気といきなり戦おうとしても無策で挑むのは得策ではない。いつだって数というのは力だ。今ある嘲を羨望に変えるには少々骨が折れる。
そして、エノールはその算段を思い付いてはいなかった。
しかし、エノールを嘲らないものもいた。それはエノールの噂を知るものだ。
四方八方聞くところを変えれば別の噂が耳に入る。それだけ噂話には事欠かない人物であることには間違いないのだが、どれも荒唐無稽な話ばかり。それでも妙に真実味を帯びているのだ。一概に嘘とはいえない。
そういう噂を知るものは疑り深い視線で彼女をみていた。そこに一人の男女が姿を現す。
「マルデリア公爵」
「エノール、よく来たね」
周囲はギョッとした。あのアルガルド家の娘に公爵が話しかけているではないか。いや、そもそも四日目に公爵が、それも派閥で上位に食い込んでいるマルデリア公爵が姿を現すなど珍しい。
こんな早朝に姿を見せるなど、まるでエノールを待っていたようではないか。四日目のパーティなどにいれば彼に擦り寄ってくるウジ虫などいくらでもいる。それに本人自身も辟易しているだろうに、それでも多くの法衣貴族達が出席する場所に姿を見せたのだ。
信じられないがエノールのためにこの場にいたとしか思えない。
「公爵はお早いのですね」
「君には負けないさ。朝から執務をしてきたのだろう?」
「まあ、どこから聞いたのですか?」
「レガルドから君が毎日屋敷で働いてるとね。君が私より遅く来場してきたことを考えれば、後は推して然るべきだよ」
「まあ、レガルドが偵察に来ていただなんて。知りませんでしたわ」
「エノール……!」
レガルドの悲鳴のような呼びかけに、周囲の三人が笑った。
エノールは安心させるようにレガルドの手をぎゅっと握る。
「公爵は五日目にも顔を出すのでしょう?」
「ああ、それが本番ってところかな」
「大変ですわよね。王に謁見なさるなんて……」
「話すのは少しぐらいさ。まあ、この国の未来のことも少々話すのだがね」
公爵が視線で伝えて、エノールがその意を汲み取る。
「そうですか。それは野暮を聞きました」
「エノールも今日は楽しみたまえ。『婚約者』のレガルドと仲良くね」
「三年後が待ち遠しいですわ」
公爵夫妻はエノール達とそのまま談笑して去っていく。どうやら本当にエノール達に会うためだけにこの場に来たようだ。
擦り寄りたい法衣貴族が後を追いかけようとするが、すぐにパーティ会場の外に出てしまう。王城では談笑を慣例的に許可されているが、会場外での擦り寄りは無礼だと捉えられても仕方ないのだ。流石にそこまで深追いはできない。
周囲の視線は再びエノールに集まった。
エノールを訝しくみていた面々が気を抜かなかったのは、一つにレガルドとの婚約の噂を耳にしていたからだ。
見て気づきそうなものだが、公爵の家族と直接対面したことがある人間は少ない。そのためレガルドがこの場に来ても大半の人が公爵家の三男だと気づかなかったのである。
けれど、その噂を聞いていたものはよもや彼がレガルドでないかと疑っていた。そして、その疑惑は先ほどの公爵夫妻との会話で確信へと変わったのだ。
何人かの法衣貴族が動こうとして、エノールから動いた。唖然とする面々の中に無造作に近寄り、そのまま話しかけにいったのだ。
エノールは真っ向から勝負にでた。公爵が来てくれたのは嬉しい誤算である。もしくは公爵からのプレゼントだったのかもしれない。
どちらにせよマルデリア公爵と縁談以上に懇意にしていると知れ渡った今、舐められている現状を変えるのにはうってつけだった。エノールはその機微をすぐさま感じ取ったのである。
エノールが周囲の切り崩しを行なっている最中に、王子は朝から法衣貴族の擦り寄りに辟易していた。
(いくら私が第一継承権だとはいえ、もう少しやり方を考えられんのか……)
話の中で単調に取り入ってこようとする彼らを薄く開けた目で蔑みながら、王子は朝の王座の間を退屈の中で過ごしていた。
薄い日差しが王座の間を照らす。東を向いた王座の間は王の後ろからステンドグラスを通して辺りを照らすように設計されている。
カクレアスは碧色の薄い反射光に照らされた王座の間を上から眺めて暇を持て余していた。その時、一人の女が目に留まる。
土色の髪、長く振りまかれたロングヘアは王国では珍しい色だった。類を見ない美貌、透き通るような肌に端正な顔立ち、瞳までもが髪と同じ希少な褐色だ。その美貌はすぐに王子の瞳を射止めた。
絶世の美女というのは腐るほど見てきた。金と権力で数多の女を脱がせてきたカクレアスにとっては女の肌など見飽きている。
しかし、当主の正装と思しき貞淑さを感じるドレスを見にまとい、豪奢に着飾って幾重にも守られたその女の肌は想像を掻き立てた。脱がせてみたい、と反射的に思ってすぐにその視線を顔に移した。
その瞬間にニコリと微笑みかけられる。不意の動作に王子は心を射止められた。
女の仕草での世辞など見飽きている。普段の王子ならまごつきさえしなかっただろう。しかし、珍しいものを見て心が浮いた最中の不意打ちのようなそれは容易に弱点を突いた。
王子は先客と話を遮って、突然立ち上がり女に声をかけた。女もまた王子を見ている。
「貴様、名をなんという」
「エノール・アルガルド、現代アルガルド家の伯爵にございます。ご機嫌麗しゅう、カクレアス王子」
「っ……」
これはエノールも想定外のことだが、王子は『カクレアス王子』と名で呼ばれたことがない。
放蕩王子やらダメ王子というあだ名は巷で出回っているが、呆れや侮蔑の対象として名前を伴って呼ばれたことなど一度もないのだ。幼少の頃朧げに記憶にあるが、今は誰もが『王子』とそう呼ぶ。誰もカクレアスに王子であること以外望んでいないのだ。
だからこそ、運命に選ばれたような容姿のエノールに名前で呼ばれたことは、まさしくカクレアスに天啓だと思わせた。今自分は人生の分岐点にいるのだと勘違いさせるには容易だった。
「嫁になれっ!」
「……はい?」
「嫁になれ! このカクレアス・アルファートの、正妃になるのだ!」
エノールの土色の髪と瞳は彼女の特別性を物語っていた。それが王国にいる数多の美女達を過去のものにして、王子に自分を選ばせる結果となったのだ。
周囲は驚きのあまり目を剥いた。それだけじゃ済まされないような動揺が電撃のように場内に駆け巡る。エノールもこればかりは予想外だった。
エノールは直感する。今から自分は浮きものになると。これでは切り崩しもまだ終わっていないというのに下手に近付いてもらえなくなる。
そんな思考を横にして、エノールの隣にいたレガルドが真っ先に声を上げた。常識しらずもいいところの王子の振る舞いに内心憤怒を抱えながら。
「王子、差し出がましいことを言うようですがエノールはアルガルド家の当主であり嫁入りにはいけません」
「来ればいいだろう!」
「また、私の婚約者でもあります」
「なら、その婚約を破棄しろ!」
カクレアスの言葉が朝方の場内に鳴り響いた。誰も声を出せず形作られた静寂に王子の声が響き渡ったのだ。
レガルドはみるみるうちに激昂し、けれども相手が王子なので言葉を荒げることはない。王子と話していた貴族達はすぐに止めて、周囲も意味不明なことを言う王子に視線を集めていた。
「王子、何を言っているのです。おやめください、パーティでそのような……」
「冗談ではない! エノールと言ったな、お前が気に入った! 我がアルファート王国の王妃となれ! 私はお前のためなら善王にでも名君にでもなってやる!」
それはあのカクレアスをして最大の告白であった。その言葉にまたも周囲は驚きを隠せない。
しかし、この場で最も平静で、唯一ポーカーフェイスを保っているエノールが最敬礼をしてスカートを摘み上げる。恭しく王子の申し出を断った。
「王子、お気持ちは嬉しいですが私には婚約者がおります。貴族は約束事を守るもの。殿下のお申し出には──」
「なら、私も婚約者になればいい! それなら対等だろう?」
「え、いや、それは……」
「この国に婚約者は1人までという法律はない。大丈夫だ! 俺はお前を養える!」
大々的に王座の間で宣言する王子に、その後多くの貴族が押し寄せて、ひとまずエノールと引き離したのちに説得を試みた。しかし、王子は一切引かなかったのだ。
その間にも王子は熱烈にアピールをして、最大限レガルドの不興を買った。相手が王子でなければ儀礼用に腰に据えている長剣で叩き切っていたところだと後に語る。
喧騒と混乱に彩られる会場に王座に座する者はいない。そこには王子を止められる者が誰一人としていなかった。
王子の乱心はすぐに王城内に出回り、王の知るところとなった。パーティ会場は騒然として、その渦中にいるエノールは腫れ物のような扱いをつけた。誰も近寄りたがらないのである。
終始レガルドは怒っていた。エノールが望んで起こした結果でもないのにエノールを避ける連中も、王子のあの行動にも心底腹が立っていたのだ。
「あのクソ王子……今度あったら絶対ぶん殴る」
「まあまあ、カクレアス様にも何か深い意図があったんじゃない?」
「そんなのないよ! あれは、エノールに一目惚れしたんだ! 俺はわかるぞ、何せ四年前の俺と──」
「……四年前の俺と、何?」
「あ、いや……」
「ねえねえ、何なの?」
「いや、その……」
エノールはこの状況を楽しんでいた。
別に計画通りではない。むしろ法衣貴族達の切り崩しがまだ半ばで停滞しているこの状況は目標を大きく下回る結果となっただろう。それでも彼女はこういった突発的なトラブルを楽しむ性格なのである。楽しまなければ損といった感じだ。
王子がエノールとダンスをするぞと言い出してしまったがために逆にダンスは中止となり、パーティ自体も午後まで延期となってしまった。
王子はその件で大層膨れていたらしい。エノールはパーティ会場から追い出され、今は貴族達が躍起になって王子を王座の間で宥めている。そろそろ昼食の時間だ。
「パーティはどうなるかしら」
「流石に執り行われるんじゃない? ……そう考えると腹が立ってきたな。やっぱり執り行われない方に賭けよう」
「自分で言ったことに腹立てないでよ。ずっと怖い顔をしてるわよ」
「……ごめん」
エノールは自分の言葉に俯くレガルドの横顔を好ましく思った。彼の手を取ると自分の腰に回して、そのまま壁に押し倒すような体勢に誘導する。
「素敵。自分の男が、誰かに取られそうだからって嫉妬を抱くの、最高ね」
「……エノールは時々倒錯的だよね」
「あら、そんな女は嫌?」
「まさか」
くるりとワルツでも踊るようにエノールはレガルドに腰を抱えさせたまま回って、また横に並ぶ。元の位置に戻って、レガルドと手を繋いだ。
「行きましょ」
「ああ」
レガルドはそんなエノールの仕草にひとまず安堵感を覚えた。




