伸びる杖
「うぐぅ……」
「エノール様、もう諦めて帰りましょう?」
「まだよ……まだ私の経営者としての勘が……」
「もう日が暮れますよ。その前に屋敷に戻りましょう」
「うぐぅ……」
「ほら」
地域に密着した、既存の産業ともシナジーのある商売? そんなの簡単に見つかったら苦労しない。
この村にあるのは農具・荷台・馬・麦・行商・家ぐらいだ。他にはない。
人はある。金は作ればいい。元手がないなら元手がいらない商売を始めればいいんだ。だが物がない。
売るための物がないんだ。絶望的にない。潜在的な需要はあるのに、ポテンシャルのある商売に繋がらない。思いついたものはどれも場当たり的。あの水牛みたいな動物を使ってなんかできないか……?
だめだ。もっと情報が、情報が必要だ……何かないのか、詰将棋でいう数手詰めの状況になっているんじゃないのか。駄目だ、判断のためにもっと知りたい。あの水牛の生態とか、ここの暮らしとか……!
「帰りますよ、エノール様」
「うぐぐぐ、待っていろよ! アルガノド、私は帰ってくるからなぁあぁぁぁぁぁ!」
こうして、エノールは何の収穫もなく屋敷に帰った。
「ほら、エノール様、日も暮れましたから、早く寝てしまいましょう」
「うぅ……私が夜だからって眠るわけが……」
「変なことおっしゃらずに、ほら」
「うぐぅ……」
あれ、なんだか眠気が……
この体の……影響か……妙に、眠気が……
「……すー、すー」
「……ほ」
執事長は安堵した。この小さな令嬢が肩に重すぎるものを背負ってやしないかと、そのせいで今までのような無邪気な姿から超然的な姿に変貌してしまったんじゃないかと勘繰ったからだ。
年相応の眠りと微笑ましい寝顔に安堵する。まだこんな顔をしていられるのかと、バルターは扉を閉めながら夢の中へと誘われるエノールを見送った。
「おやすみなさいませ、エノール様」
そこはお菓子の国だった。
メレンゲ、マカロン、スティック菓子に地面はホワイトクリームでできている。
ゼリーもふんだんに使われていて、弾力のあるその地面を踏みしめてみれば、ポヨンポヨンと実に愉快な感覚に襲われる。
空は赤く、まるでリンゴのようだ。クッキーでできた家はまるで魔女の館のようである。
逸話通りにお菓子の家を食べ漁って、地面も齧り尽くして、遠くのキャンディーが生えて連なった山も何かと甘いので食べ尽くして──
──そうして私は目を覚ました。
「……夢か」
なんだかひどく愉快な夢だったように思う。やはり星見の儀式の時の夢とは違う。というか、もっと寝ていたかった。甘い物が食べたい。
「……市井に甘いものは流石に無理だしなぁ」
経営者の手腕は一に可能性の掘り出し物を見つけることで、二にその可能性に秘められたポテンシャルを最大限に活かすこと。ポテンシャル自体を変えるような真似は決してできないし、場当たり的に事業を選んで必ず成功させられるような人もいない。
とにかく、情報だ。それが足りない。
とりあえずベッドから出て、顔を洗いに井戸に向かう。
使用人達も使う井戸だ。そこで水を汲んで、何とか冷水を浴びる。冷たい。
すると、使用人の一人がこちらに駆け出してきた。朝から大変だな。
「おじょっ……エノール様! 何をしておられるのです! そんな……すぐに湯を沸かさせます!」
「いいのよ、みんなもこれを使ってるでしょ」
「……」
何となく『みんなが使ってるんだから私が使っても悪くないわよね?』的な意味で言ったんだが、なぜだか恍惚とした表情を向けられている。え、彼女の中で何が起こっているんだ。
「……ですが、屋敷の主様にお湯の一つもお出しできないとなると」
「シャッキリするからこの方が好きなのよ。ほら、貴方も仕事があるんでしょ? 行きなさい」
「……かしこまりました」
なぜだかメイドさんは満足げだ。どうしたんだろう。適当にあしらったつもりなのだが。
彼女が出て行ったのを見て、私は改めて屋敷を見る。
そういえば、この屋敷を探検したこともあまりなかった。幼い時分は場当たり的に散策していたが、隅々まで調べることを目的に歩いたことはない。
情報の正確性は自分で調べるのが一番いい。とりあえず、屋敷を一度調べてみることにした。
うちには使用人が働いている。男性使用人は四人、家畜小屋の管理人に庭師、御者、そして執事長だ。
メイドはそれなりにいる。雑事女中が三人に、洗濯女中が四人、私の側付き女中一人に客室女中が一人、箒女中が一人と屋敷女中が三人、間女中が一人、調理女中が三人、調理女中長が一人、皿洗い女中が三人、蒸留室女中が一人、女中長が一人と言った具合である。
総勢二十七名、その大半を賃金の安い女中で賄っている。これらをもし男性使用人に代替しようものなら、一人当たりの労働力は高いが数を減らしても出費が四割増えることだろう。
仕事内容に関しても女性の方がきめ細かい。屋敷の管理は彼女らメイドに任せるのが一番いいのだ。貴族としての家格は、女中自体が蔑まれているので下になってしまうが、今の伯爵家財政事情を考えればやむなしである。ただでさえ残らない屋敷の収入が王都での屋敷生活で食いつぶされているのだ。あっちでの暮らしは大丈夫なんだろうか……
調理室から順番に仕事場を覗いていく。
ちらほらとメイドの人たちが私に気付いたようで、こちらに手を振ってくれる。私も手を振り返しながら順番に見ていった。
やはり、調理室の衛生状況はあまり良くない。気をつけてはいるようだが、使う部分をその場その場で綺麗にすると言った感じで、細かいところに目が行き届いてない。
うちで肉を扱うことはそれなりに少ないが、それでも食事には出される。食材に対してのアプローチは問題ないだろうが、気をつけるべきは調理器具の扱い方だな。それとなくメイドの人たちに細菌とか病気の話をした方がいいのかもしれない。
うちでは豚を買っている。糞便を食べさせるのだ。貴族の屋敷で出される糞便は栄養価も高いので、悪食な彼らは丸々太ると街に出荷されてそれなりに高く売れる。そういえば排泄周りのシステムはどうなっているんだろうか。
これも調べないといけないな。騎士達を巡礼して、その時に調査を依頼して……主要な都市にも足を運びたい。とにかく情報だ。見た感じの街並みを見たい。
屋敷はそれなりに清潔にされているが、やはり掃除の甘さがある。こちらは衛生観念というよりもアルガルド伯爵家の家格が低いせいだろう。他の伯爵家でこんなことはありはしない。
子供の私はおまるを使わされている。全くもって屈辱的なのだが……メイド達が使う厠に行ってみると、それはそれは酷いことだった。
悪臭甚だしい。換気もしていないし、ところどころ糞便がこびりついている。酷い有様だ。
横に変な容器がある。これは……
「うわっ」
ゾッとした。ああ、これもしかしなくても経血だ。ナプキン代わりに敷いた布を、使い終わってここに入れているんだ。うわ、見たくなかった。ていうか私もこうなるのか……嫌だなぁ。
どうして私が女なんだ……いや、可愛いからいいけど、元は男だからなぁ……生理辛いと嫌だなぁ……
確か、カフェインが効くとかどうとか……クソっ! 異世界に転生するなら生理についてもっと知っておけばよかった! 生理痛の薬品の生成方法とか!
言っても仕方がない。気を取り直して散策に向かう。排泄周りと調理周りの衛生問題は口を挟むとして……ああ、やっぱり私が動いた方が効率がいい。そもそも問題を問題視していないんだ。解決する気のない奴らばかりだから、この領地もこんな凄惨な状況のまま放置されているんだ。
やっぱ貴族って駄目だわ。あいつら金喰らいだわ。
客室からいろんな部屋を見て、特に用もないので扉を閉めていく。たまに女中のいる部屋に当たってしまうのだが、こちらに気づいて驚いたような顔をして、次には手を振ってくれる。わしゃわしゃ手を振って扉を閉めて、次に向かう。
そして、最後に辿り着いたのが倉庫室だった。ここはいろんな資料や器具など、女中が入ってはいけない部屋とされていて、歴代当主達の骨董品やらを保管している。
そっと扉を開けて、まるで泥棒にでも入るような気持ちで中に足を踏み入れる。部屋の中は薄暗くて、気をつけていないとこの体ではすぐに転んでしまいそうだった。
余談だが、この体で転ぶと何故だか無性に泣きたくなる。やっぱり子供の仕草は子供の体からきているんだろうな。
たくさんの引き出しがある。適当に開けてみると、下段にはあまりものがなかった。いくつかの引き出しには数枚の紙切れが入っていて、何かの記録のようだ。
きっと、執事長はここから資料を取ってくるんだな。差し詰め資料室か何かだ。
そうして中を見ていって、鎧なんかもあった。初めて見た、全身鎧。そばには剣も置いてある。使うことは……なさそうだ。
自分で剣を持つより絶対に爺に持たせた方が強い。私にはわかる。バトラーはつよつよ剣士おじさんだ。老人が強いタイプのあれだ。
というか、そうでなくてはこまる。いざとなったら私の代わりに戦ってもらわなくてはならない。今の状況でバルターを失うとかないし、ちゃんと自分も私も守ってもらわなくちゃならない。今度護身術でも習わせるか?
ああ……魔法とかあったらいいな。魔法。それがあったらチャチャッとどうにかなるのに、なんで『ベティクート』みたいな魔物もどきがいて、そういうファンタジックなのが何もないんだ。幼い頃に聞いても『御伽噺ですか?』なんて言われるし……恥かいたなぁ、今更だけど。
すると、床に転がっている何かに目が止まる。これは……なんだろうか。
杖? なんか、やたら先端が装飾されているというか、というか、この玉はどうやって浮いてんの? え?
長い。子供が持つには随分と長い。短くなってくんないかな……私が持つと先の方を持つことになって凄く不安定感が強いんだけど……
すると、いきなり杖がシュルシュルと柄を短くしてしまう。その光景に私は凍りついた。
とんでもない光景に数秒固まって、私はどさりと尻餅をついてしまう。無様だ……きっと側から見れば無様に見えるに違いない。けど、目の前であんなものを見せられて君が悪くないわけがない。
心臓が止まるかと思った。まるで鷲掴まれたかのような感覚に、驚いて声も上げられなかった。
なんだこれ、幽霊? 付喪神? 悪霊? 意味不明すぎて怖かった。この杖がいきなり動き出して、次に話しかけてきても何ら不思議ではない。そのまま自分は襲われてしまうんじゃないかと、冗談なしで怖かった。
けど、短くなった杖は何の反応も示さない。あれ、これ大丈夫か? 心なしか小さくなって怖さも減っている。柄が長いままだったら私は今頃泣き叫んでいた。
これ……歴代当主が持っていたものだろうか。何なんだこれ? ロストテクノジーすぎない? え、これが普通なのか? 確かによく考えてみたら柄が短くなるだけなんて、エネルギー効率的には結構小さい……柄が短くなるだけですとかだったらしょぼいかもしれない。
いやいや、怖いわ。一体何で……私が願ったから? ちょっと長いなぁ〜とか思ってたから、短くなってくれたの?
もう一度、恐る恐るその短くなった杖を握る。相変わらず先端に浮いている球体は浮いたままだ。わけわかんねえ……どうなってんだこれ。ああ……もしかして、佐藤健の記憶で測っちゃ駄目なやつか。そうだよな。ここ異世界だもんな。
とりあえず、杖に向かって『マントに変われ!』と命じてみるが何も起こらない。その代わり、もう一度長くなれと念ずるとまた長くなった。
やはりその光景にびっくりしてしまう。自分の視界に収まらないような杖に眼の前で変身されるのは……応えるものがある。これ、子供が泣き叫んでも仕方ないよね。なんでこんなの置いてんだ、バルターのバカ!
……そもそも、私がここに入っていいかどうかすら怪しいな。ごめん、爺。濡れ衣だった。
とりあえず、私はそのおもしろグッズを持って帰ることにした。バルターが文句を言ってきたら次期当主攻撃で説き伏せよう。
「──はい? そんな杖、知りませんよ?」
「え……?」
「はて、どこにあったのでしょうか……資料室はきちんと管理しているはずなのですが、どこにあったのです?」
「え、だって、床に転がって……」
「……さあ、私は知りません。屋敷の中にあったのなら、エノール様がもらってもいいんじゃないですか? 持ち主らしき使用人がいたら報告させます」
「……あぁ、そう」
かろうじて私が返事できたのは奇跡だった。なにせ、腰を抜かしてもう一歩も動けなかったから。
え? 倉庫室を管理していたバルターが知らない? え、じゃあ何。これは何なの? 本当に呪われてないよね?
気味が悪くなって、その日、その杖を手放したのだった。