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屋敷への帰還と領地改革

 エノールはレガルドと再会して、時間をとって触れ合って、そして決意した。

 

 自分は必ず生きる。二十二を越えて、三十になっても四十になってもこの人のそばにいる。

 

 そう決断すると後の行動は早かった。エノールは学園に卒業までの一年間ほど休学する事を届け出た。

 

 時間がいくらあっても足りないのだ。もはや、アルガルド領の屋敷で直接指揮を取らねばならない。フェーズⅠの『まともな伯爵になる』を達成するためには、領地の改革は必須なのだ。

 

 今の所、部下には任せているがそれが完璧かと言われればそんなはずがない。エノールから見ればこの領地は様々な面で課題が見える。農業・商業・工業・市場経済・流通、至る所にエノールが手を入れる必要がある。

 

 レガルドとの別れは寂しい。しかし、生涯にわたって二十を超えても彼と一緒にいるためにはやらねばならないことがある。そう自分に言い聞かせてアルベレット教師に休学の件を相談した。

 

 屋敷に戻るとまず現状確認から進めた。ネルコを呼び出し、バルターに報告させ、ロンダーと状況を確認する。

 

「ギルベルト率いる農学者は今の所、農民への指導と自らの手での開拓、畑の改良に勤しんでいるようです」

 

「農地に関する情報が足りないわ。測量をさせましょう」

 

「測量ですか? しかし、技術者がおらず……」

 

 王国での測量は経験豊富な専門家による高等技術だ。地図の所持が貴族であることの証の一つになるのもそのためである。

 

 しかし、エノールには佐藤健の記憶にある歴史の堆積がある。測量技術などはそれこそ本領であった。

 

「測量器具を用意したわ」

 

「これは……」

 

「杭部分を地面に刺して、四辺の紐をピンと張った状態にすると必ず同じ面積を示す道具よ。私が作らせたわ」

 

 それは木製の杭に紐を通したものだ。これを正しい使い方で杭を刺すと誰でも同じだけの面積が計れる。尤も、変形させると面積が変わるので多少の誤差はあるが。

 

「これを農学者達に配布して農地の面積を調べさせるわ。ギルベルトには送らないわよ。あの子、頭使うの苦手そうでしょう?」

 

「はぁ……確かに他の農学者は算術程度可能と思いますが、ギルベルトは何分元は農民なもので……」

 

「この器具で測れる面積の単位を『ジャール』とするわ。『タール』だと農地面積を収穫量で測るから場所によって面積が異なるのよね……」

 

「しかし、なぜ農地の面積を測るのですか? わざわざ農学者に任せなくとも良いと思いますが……」

 

「こちらから農地について指示を出すときに面積で指定できた楽なのよ。こういうのは地主のちょろまかしとかも防げるしね。農学者達にやらせるのは面積感覚をつけさせるのと、一緒にその土地の実り具合を予想させて、予想収穫量を算出させるためよ。領地にはこんなに地主がいるんだもの。誰か一人ぐらいは絶対に過少申告してるわ」

 

「その一人のために調べさせるのですか……」

 

「別にそれだけじゃないって言ったでしょ? それにこういうのは大事だわ。地主達が大量に誤魔化しているかもしれないし、現状把握をするにはもってこいじゃない」

 

「それではすぐに手紙を出します」

 

「任せたわ、バルター」

 

 エノールは再び地図に向かい合う。

 

「さて、次は経済方面ね」

 

「事業家のネルコが今屋敷に向かっているそうなので、彼が到着するのを待っては?」

 

「彼には彼で仕事があるの。私たちが話し合うのは財政政策と金融政策、それから財務政策ね」

 

「財務政策ですか?」

 

「ええ、ロンダー? 貴方はこの伯爵家の収入はどこからやってきていると思うかしら」

 

「えっと、収穫物の税によるところが大きいと思います。主に麦の」

 

「そうね。正解だわ。でも、農作物に依存した収入ではどうしても安定しない。凶作にでもなれば一気に伯爵家は財政難に陥るわ。そのために農業を含む第一次産業を安定化させて、第二次・第三次産業に注力する必要がある」

 

「第一次……すいません、浅学なもので私に教えてはいただけないでしょうか」

 

「あぁ……ごめんなさい。てっきり同じような概念があると思っていたけれど、そう、ないのね……」

 

 エノールは一人納得しながら話す。

 

「第一次産業は生活必需品の生産、第二次産業は生活に必ずしも必要のないモノの生産、第三次産業は生活に必ずしも必要のないサービスの生産を指すわ。ごめんなさい、最初に言うべきだったわね」

 

「いえ、ありがとうございます。それで、どうしてその話が……」

 

「第一次産業が貧弱だと、次に来る第二次・第三次産業が停滞するわ。後の産業に注力するならまずは第一次産業を安定化させなければならない。それが財務の安定にもつながる」

 

「しかし、この領地では増えたとしても50タールほどが限界かと。税率を四割としても20タール、他の伯爵家には及びません」

 

「いいえ、それだけで十分よ」

 

「と、いいますと?」

 

「我が領地は第二次・第三次産業で他の追随を許さない領地になる。収穫量が50タールもあれば商業に注力するには十分よ」

 

「でしたら、農学者に引き続き頑張ってもらって……」

 

「いいえ、それだと限界があるわ」

 

「……どうするのですか?」

 

 ロンダーは考えたがエノールの考えていることがわからなかった。

 

「言ったでしょう? 決して『発展』ではなく、『安定化』に意味があると」

 

「ええ」

 

「麦の取引規制を執り行うわ」

 

「取引規制……ですか? それだと商人や地主が反発すると……」

 

「いいえ、取引規制は地主に課すわ。内容は価格規制と数量規制、数量規制によって市場に出回る麦の量を抑制して豊作の時に蓄えさせ、不作の時の放出するメカニズムを作る。価格規制は地主側が不当に売値を釣り上げないためね。数量規制をする以上、地主の立場が不作の時に強くなって談合が形成される可能性があるから、不当な価格を引き上げる可能性もあるからね」

 

「し、しかし、地主がそれに応じるでしょうか? 目に見えて反発が──」


「数量規制に従わない場合は罰金、払えなければ財産の差し押さえを敢行するわ。価格規制違反に対しては更に投獄も視野に入れる。悪質なカルテルなんかは規制対象よ」

 

「カルテルですか?」

 

「地主達が寄り集まって価格や数量などの売買に関して事前に取り決めたりするのよ。市場操作によって相場に不正介入してクリームスキミングしたりとか……ああ、考えただけで頭が痛くなってくるわ」

 

「く、クリーム? 市場操作? 不正介入?」

 

 ロンダーは知らない言葉だらけで困惑した。よもや経済学を十年以上学んだ身で経済の話にここまでついていけないなんてことがあるとは思わなかったからだ。

 

 目の前の少女を信じられないよう目で見る。

 

「あら、どうしたの?」

 

「い、いえ、本当に……エノール様はどこで経済を学ばれたのですか?」

 

 エノールは笑う。

 

「秘密よ」

 

 

 

「とにかく、麦を市場に安定供給する。そのために取引規制を執り行うわ。そうすることによって商業に潜在顧客を安定供給する。となれば、当然新規事業が立ち上げやすくなるわ。企業の生存率が上がれば次第に生存権が干渉し合うようになって蠱毒の流壺と化す。自然淘汰の原理で有力な事業だけが生き残るはずよ」

 

「……」

 

「さて、それじゃあ次は財政政策の話よ」

 

 今度はロンダーの得意分野の話だ。再び気を引き締める。

 

「経済を回すにはどこに資本を投下するべきかしら。有効需要政策か、事業支援の方向性でいくわ」

 

「……豊かにしたいターゲットを定める必要があります。それから、誰が金を溜め込むかも」

 

「豊かにしたいのは庶民よ、金を溜め込むのは商人ね」

 

「それなら商人を避けつつ庶民にお金を落とさなければなりません」

 

「どうしたらいいと思う?」

 

「……」

 

 エノールの無茶振りとも思える質問だが、彼とてピレライン家に仕えていた懐刀の一振りなのだ。自分の切れ味を見せる時である。

 

「庶民、貧困、売買相手は商人か手工業者、商人は商人に、手工業者は手工業者か商人に……庶民、商人か手工業者、商人か手工業者……ループする。金の回りはどうしても有力な商人に集まってしまいますから、できるだけ最初に庶民にお金を落とさないといけません」

 

「それなら有効需要政策ね。事業内容は何がいいかしら」

 

「市民に金を落としつつ、それ自体が経済の発展を促す側面を持ったもの……いくら人手があっても困らない……公共事業として治水事業や道路工事なんかが考えられます」

 

「畑の開墾は?」

 

「ノウハウが必要なので、市民に分け隔てなく金を落とすという目的には合致しないかと」

 

「決まりね。そしたら、ある程度人を動かした経験のある人を雇わないとね。領内から登用しましょう。町に張り紙を貼って、人材を募集する。とりあえず屋敷に来てもらいましょうか」

 

「その場で雇わないんですか?」

 

「どういう人間か自分で見たいし、屋敷に来れるまでの金を工面するのも能力の一つよ。人を動かせるならそれぐらいはしてもらわないと」

 

 エノールは地図を見た。主要な町との行き交いに必要な片道の路銀を計算して、問題ないと判断する。

 

「さて、それなら指導者の到来までは待つことになるわね。それじゃあ次は金融政策よ」

 

「あれですか……」

 

「随分と嫌そうね」

 

 ロンダーはその言葉に方をすくめた。

 

「まさか、経済に関して十年以上勉強してきて自分が全く理解できない分野があるとは思わず……」

 

「そんなものよ。まあ、ややこしいしね」

 

「はい」

 

 エノールは肩を落とすロンダーを慰めた。

 

「金融政策ではとりあえず領札を発行するわ。商会には私から話を通しておく」

 

「今聞いてもとんでもない計画ですね。王国が何か言ってこないといいのですが……」

 

「その時はその時よ。言い訳も考えてあるわ。『私が勝手に製造した紙が、勝手に価値があると思われているだけです』って」

 

「苦しいと思いますけど……」

 

「仕方ないじゃない。王国で流通している貨幣を偽造するわけにはいかなかったもの」

 

「そんなことしたら犯罪ですもんね……」

 

「王国法第三条違反よ。バレたら家の取り潰しか死刑ね」

 

「怖いですね……エノール様はそんな綱渡りをするんですよ?」

 

「うまくやるわ」

 

 実際、エノールは二十二に処刑を控えている。今更命が惜しくて行動などしていられない。

 

「さて、領札を発行したら銀行を設立するわ。悪徳な高利貸しを撲滅して、圧倒的な資金力のもとで金利相場に介入して適切な水準に調整する」

 

「そんなことをすれば金貸し達が騒ぐんじゃないですか?」

 

「ええ、騒ぐわね。でもそれ以上にまともに事業を経営している商人にとってはまたとない話よ。年利二割も三割もとる奴らがいる中で、無限の資金を持って事業を真っ当に評価した末に金を貸してくれるんだから。紹介達にとってはまたとない千載一遇のチャンスなはずよ」

 

「大きな利権が絡めばそれだけ反抗勢力も出るかと思われます」

 

「だから、同じ商人同士で同士討ちさせるのよ。商会達を味方につけるわ。商会連盟を発足させて特別顧問に伯爵家を据え置く。最終決定権をうちが持って伯爵家中心の元、大商会を団結させる。そうなれば金貸し達は烏合の衆よ。派閥には派閥で対抗する。これ、常識でしょ?」

 

「……」

 

 それを十三歳で実行する人間はいないとロンダーは思った。

 

「そしたら今度は銀行の支部を他の領地に設置するわ」

 

「ほ、他の領地ですか⁉︎ それはいくらなんでも……」

 

 ロンダーはいいかけて、気づく。エノールが笑っているのを見て、この少女がこういう顔をしている時必ず裏にカラクリがあるのだと経験則から導いた。

 

 ロンダーは恐る恐る聞いた。

 

「あの……何か算段があるので?」

 

「人聞きが悪いわね、算段なんて……」

 

「……」

 

「内部懐柔と経済侵略、搦手からめての常套手段よ」

 

「やっぱり黒いじゃないですか……」

 

 ロンダーは呆れた。

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