商業チャンス
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後から調べてみたところ、うちの領内にはさらに魔女までいるそうだ。バトラーが教えてくれた。教えて手遅れだ。
泣きそう。
「あーもうだめだ。終わりだ終わり、伯爵家は破滅だ」
「そんな滅相な……!」
「バルター、もううちはダメ。そりゃ潰れるわ、こんな領地」
庭先のテラス席、休憩のために紅茶を片手にくつろいでいたエノールのもとに舞い込んできたのは、バルターが調べなおした領地の状況だった。
都市にはスラムの拡大、貧困層の増加、衛生の悪化に下水道における問題、単純な治安の悪さ、盗賊団や犯罪組織の温床、投下資本・経済規模の小ささに経済の停滞、その他様々な問題を抱えている。
とても商業都市として機能しなさそうだ。この問題を解決しないことには商人達が活動できない。
有名な資本家は言った。彼は貧困の味を知っていたが、苦労の多い人生の中で身に染みたそうだ。
『日々がサバイバルでは経営なんてできない』
毎日、生きるのに必死な状況ではとてもじゃないが商売なんてできないんだそうだ。食うに困るとか、家がないとか、近所に犯罪者が居座っているとか……都市だけならまだしも、都市を出ても犯罪者や獣がいるんだぞ? よく商人達は外に出るよな……
外に目を向けてみれば『ベティクート』の群れ、山賊や強盗団、単純に肥沃な土地が少ないなどどうしてもこのアルガルド領の資本価値を下げたいとしか思えない理由がわんさか跋扈していた。
なんだこの領地、ふざけてるのか? 泣きそう……
無理だよ。いろいろ新規事業を立ち上げてきたけど、ここまで芽のない経済は初めてだよ。何の可能性も感じない。むしろ、俺がこれまで培ってきた経営マンとしての直感が『これは無理だ』と匙を投げている。諦めていいですか? 放り出していいですか?
そうだ、放り出そう。無理だ、無理だったんだ。星の殺意が高すぎる。俺を殺す意志がガンギまり過ぎててヤバい。頭おかしいんじゃないのか?
「バルター、もう私引き篭もろうかと思うの……頑張ったって無駄よ。アホらしいじゃない」
「そんな……! お気を確かに! エノール様のいう通りですが、ここで諦められてはアルガルド伯爵領の全ての人が悲しみます!」
「だって、何よこれ! 改革させる気ある? 成長する気ないでしょ。ほら、地図を見て。こんなにやる気のない地形。何でこの土地に河川を少なくしたの? アホよね? 絶対アホよね?」
「教会には断じていえませんが、河川は作為的に形成されたものではありません。お気を確かに持ってください!」
「あーだめだ、もう無理だ」
エノールはもう諦めムードに入っていた。
アルガルド領地の経済状況も、治安状況も、もはやどうでもいい。自分には関係のないことなのだ。お前らだけで勝手にやってくれ。
そうだ、あれは夢だったんだ。星見の儀式は単なる夢だ。あれは幻だったんだ。
……頭の中がガンガンうるさい。ずっと『アレは夢じゃない』って警告してくる。
くそ、だったらどうしろと。俺は天才コンサルタントじゃないんだぞ! ただの経営マンだ! 可能性を最大限活用するのが仕事だ! ポテンシャルを活かすことはできても、こんな不毛の大地を潤すことなんてできない!
今考えても悪循環極まりなかった。
都市の衛生機能は脆弱で、流行病が流行し、売春によって貧困層の人口が増加、孤児が増えて食うに困り犯罪者が増え、衛生状況が悪化する下地を作り犯罪組織の人員が増える一方となる。
犯罪組織におそらく売春の売り上げも流れてるだろうな……地元に根付いた犯罪組織はヤクザやマフィアみたいなことをし始めて、その根はさらに深く下ろされてるに違いない。これを一朝一夕でどうこうするなんて不可能だ。俺は警察じゃない……
商人が出入りするようになれば必ず彼らは羽振りを利かせてくる。それは商人達の経済活動を阻害し、好循環を簡単に止めるだろう。領主の真似事だってし始めるかもしれない。都市が力を持てば、相対的に彼らの力も上がってしまうのだ。
それを防ぐには都市に力を持たせるわけにはいかない。しかし、そうしなければ税収は上がらない。耕作での利益拡大は見込めない。領地全体に蔓延っているトンデモ害獣をどうしろと? 俺は英雄でもない。
商業か農業、二つに一つだが既に片方の選択肢は失われ、もう一方はそもそも元手がない状態だ。商業と言っても働く人も要る。土台と人と金さえあればどうにかしてやれるが、それがない。そもそも土台が腐り散らかしている。
駄目だ。もう駄目だ。よし、隠居しよう。この時代の小説を読むぞ。私は伯爵家……当主なんて知らない! あんなに大見得きってってカッコ悪いけど、もう知らない!
私は怠惰のかぎりを尽くすつもりだった。
『そ、そうだ! エノール様、一度街に出てみてはいかがですか? 気分転換にもなりますし、領地経営をする上では領地の姿をその目で見るべきかと思いますが!』
それがバルターの一言によって台無しにされ、馬車に押し込められていた。
御者のバークスが馬を歩かせる。伯爵家に相応しい立派な馬車だったが、生憎とこれ一台しかない。どこに一台しか馬車を持っていない伯爵家があるだろうか。
のどかな風景が広がっている。考えると、これまで一度も外に出たことはなかった。機会があってもきっと私は部屋でだらけていたいと考えただろうが、この世界を深く知ってみるのも悪くはない。
「バルター」
「はい、何でしょう」
「王国には獣がいると言っていたけど、具体的にはどんな獣がいるの? 領地に生息しているもので、有害なものと無害なものを教えてちょうだい」
「わかりました」
バルターは少し意外そうな顔をしていたが了承した。私の執事なのだから当たり前なのだが、もしやものぐさの私が積極的に動いているのが珍しかったのだろうか。
失敬な。先ほどまであなたの前であんなに働いてみせたというのに……はて? 俺……私は今までこんな話し方だっただろうか。まあ、いい。そんなことはどうでもいいのだ。
バルターはどうやら一般知識程度にしか知らなかったようだが、それでもこの領地に住まう獣について教えてくれた。有害でも無害でもないものは省いていいというと、バルターは有害なものから話し始めた。
蝙蝠は不幸を呼ぶとされているとか、黒猫は不吉だとか、あっちでも聞いたことのあるような話を聞かせてくれた。逆に白猫はもっと不吉だなどとのたまって、私は激昂した。
猫が不吉? ありえない。よしんば黒猫はいい。それでも猫ちゃんを差別するなんて許せないが、それでも黒猫はそういう感じだ。形の上で怖がるふりをするだけならいい。
けど、白猫が不吉? 馬鹿野郎、クソ可愛いに決まってるだろ。なんて見る目のない執事長なんだろうか、私は主人として恥ずかしい……はぁ。
適当に聞き流していたが、川には『アギュート』という肉食の魚がいるそうだ。動きは鈍重だが、強靭な顎は人の皮膚をも噛みちぎり、漁をする上で厄介な存在のようだ。
この領地には産業を脅かすような生き物がわんさかいるが、一体どういう風の吹き回しなんだろう。本当に、星という存在を知ってから神様が意地悪しているんじゃないかと考える。どれだけアルガルド領の経済を活発化させたくないんだ。
そんな軽口を愚痴代わりに吐いて、バルターは苦笑いしていた。かなり顔が引き攣っている。これ以上このことでいうのはバルターが可哀想だからやめておこう。彼はああ見えて責任感が強すぎる節がある。
それ以外にも滅多には見ないが毒を運ぶ『エランダ』という羽虫や、幸せを運ぶという白い『マラミア』というトカゲのような生き物もいると教えてくれた。後者はただの白いトカゲなんじゃなかろうか……アルビノを見た人が尾鰭をつけて広めたのでは?
一応、牛のような農業で使える動物もいるのだそうだ。卵をポンポン産む鳥もいて、聞く分には鶏よりも効率が良さそうだ。プラス面も多いんだけどな……マイナス面も相当にでかいから……
それから農業についても聞いた。どうやら一毛作らしく、輪作や二毛作はやっていないらしい。『一年に複数回収穫できないのか?』と聞けば、どうやら育つのに一年かかる品種が一般的だとか。別の農作物を植えてみても駄目らしい。そこは土作りで何とかなると思うが……果たして、園芸なんて全く興味がなかった自分が解決できるだろうか。
しばらく道路を進んでいると、そろそろ収穫期を迎える麦畑に面した。思わず窓を見てしまう。
ああ、向こうなら適当にやり過ごす光景だったんだろうが、今ならありがたみがわかる。情報の溢れ返った社会から抜け出して、こんな光景もどこか面白いと感じるようになった。……元から、遠くをぼーっと見つめてだらける性格だけど。
今、馬車を飛び出して麦畑を走り回ったら、私、絵になるだろうなぁ……可愛いし、見た目だけは自信あるし、女性らが言っていたお姫様に憧れる気持ちがわかる気がする。あぁ、私可愛い……
……何言ってんだ、俺。いや、私? あれ? どっちだ?
まあ、いっか。
「お嬢様」
「その呼び方はやめなさい」
「失礼しました、エノール様。見えてきましたよ。あれが最寄りの街アルガノドです」
「……」
アルガルド伯爵領のアルガノド……随分とややこしい名前だな。こんな場所にややこしい名前をつけるな!
「アルガノドは初代アルガルド伯爵家──当時は男爵家のご当主様の名前だそうです」
「あ、そう……」
先祖様の名前だと聞いて萎縮する。ごめんなさい、紛らわしい名前だとか言って……
そう考えれば、父の名前もアイジスだし、祖父の名前も確かアーノルドだ。もしかするとアルガルド家の嫡男はアから始まる名前でないといけないと決まっているんだろうか。
……もうすぐ私は当主になるから、そしたらアルガルド家の当主の面々にエノールの名前を刻むことになる……名誉な話のはずなのに、なぜだか不敬な気がしてならない。
気分転換のはずなのに、街に入る前からナーバスなことを考えていた私は、街にやってきて──自分でも驚くほど街の様子に心惹かれた。
「わぁ!」
「……」
執事長バルター・イルクニスはエノールの様子を見て内心安堵した。星見の儀式から年齢離れした言動が多くなっているが、まだ無邪気なエノールが残っているのだと。
エノールもまた自分の純情さにうっすらと驚きを覚えていた。街など佐藤健の記憶にいくらでもある。海外研修やら出張も行ったことがあるから、こんな街並みもどこか見覚えがあるのに……それなのにどこか心を惹かれてしまう。きっと惹かれているのはエノール自身なのだろう。
というか、異世界になっても街並みがそれほど突飛な光景にならないんだなと何故だか感嘆のようなものを抱く。人間の神秘を感じるようだった。
「バルター、外に出ていい? 外に出ていい?」
「あっ、待ってください! エノール様!」
返事を聞く前にエノールは飛び出してしまう。どうしたことか、佐藤健の記憶は確かに人格に影響を与え、あまつさえその肉体の主導権を握っているはずなのに、この肉体に群がる押し寄せるような好奇心に勝てなかったのだ。年相応の思考がエノールを支配する。
「わぁ」
周囲には人々が行き交っている。それだけの光景だ。
この街を中心として畑が広がっている。きっと、畑を管理している人間はここに住んでいるのだ。
ベーカリーも存在する。当然伯爵家でもパンが出され、佐藤健の記憶にあるパンと食感も外見も変わらないことから酵母を混ぜて発生した炭酸ガスで膨らんだ生地を火にかけるという調理法も変わらないだろうと考えていた。
わざわざベーカリーを作るということは普通の人間には作れなくて、暖炉は一般家庭にもあるだろうからパン作りで用意できないのは火ではない。おそらくはイースト菌だ。こっちでも同じ種類の菌で作っているかは怪しい。もしかしたら別の方法で作っているかもしれないが、どちらにしても微生物の力を借りていることには違いないだろう。
住宅がたくさんと馬車に荷台、おそらくは麦を運ぶためのものだろう。
「バルター、見て回ろう!」
「待ってください、お嬢様!」
この時のエノールは次期当主や当主代理などではなく、年相応の『お嬢様』であった。
しばらくエノールは街並みを見て回った。好奇心に突き動かされた彼女だが、何も無策に何の当てや目的もなく街を彷徨っていたのではない。
自分の溢れ出る知識欲を満たす中で、彼女は色々なものを見ていた。
(ここでの治安はいいだろうな……日陰者のたむろできるような場所がない。物騒な話をする場は犯罪者の温床だから、それがなければ想定されるのは……住人が潜在犯である場合と、野盗に賊だろうな)
エノールの意識は未だ幼いままであるが、それは知力の低下を意味するものではない。
ここは典型的な農村だ。規模が大きいため周囲に麦を売る余裕があり、商売の下地が出来上がっている。衣食住の全てが揃っているのだ。生きていく分には申し分ない。
(ただ……)
ここには娯楽がない。それは新たな商売をする可能性を意味していた。鈍る佐藤健の意識は、経営者としての直感で『これはチャンスだ』と囁いていた。
(歩いてみるもんだな……)
バルターの申し出を渋々受けたエノールだったが、その提案は実は渡りに船だったのだ。
元々、彼のポリシーは“分からないなら悩むな!”というものだ。
現状でわからないことがある時、それに浪費した時間が長ければ長いほど指数関数的に解決に必要な時間は上がっていく。数学的に導出した定理のようなものではないが、それでも佐藤健の経験則だ。
ちょっと考えてわからないなら、ちょっとやそっと考えても分からない。
当然のことを言っているように聞こえるかもしれないが、人間の錯覚の一つにサブコスト効果というものがある。それが人を一つのことに固執させてしまうのだ。
あと少し考えれば分かるんじゃないか、そんなのは妄想だ。答えは掛けた時間が大きければ大きいほど、そのままでは解決に長い時間を追加で要する。
全てはチェス盤の上だ。チェスは……全ての選択肢を読み切れば先攻か後攻かで必ず勝負が決まる。残念ながら問題自体が何か手を打ってくるわけではないので、問題の解決策が見当たらないならそれは情報不足を意味している。
エノールは歩きながら、人の良さそうな男の人に声をかけた。
「もし、おじさん?」
「……」
「ね、ここら辺に遊べる場所はある?」
「遊べる場所?」
話しかけられた男性は隣にいたバルターの出立ちを見て、その少女がやんごとなき出自の人間だと悟る。けれど、喜色満面の笑みを浮かべてきたその少女は楽しそうに聞いてくるのだ。それをバルターも黙認している。このお嬢ちゃんの売り文句に乗っかったって悪いことにはならないだろう。そう考えた。
「エノール様……」
「ここらにはそんな場所ないぞ、お嬢ちゃん。何せクソのつくど田舎だからな」
バルターは男の言葉遣いに顔を顰めた。エノールの前で汚い言葉を使って欲しくないのだ。
エノールはそれを理解した上で、会話を続ける。
「おじさんはここに住んでる人?」
「ああ、そうだ。生まれた時からずっとだ」
「楽しいこと、ある?」
「んなもんねえよ。遊ぶ金なんてねえし、あったとしても使い所がねえ」
「ふーん、そっか。でも、大人の人はお酒好きだよね」
「よく知ってんな! あっはっは! でも、ここに住んでる商人たちはみんな高く売りつけてきやがるんだ。そうそう買えやしねえよ」
「……そっか」
幼いエノールの瞳が一瞬怪しく光ったのだが、男はそれを見逃してしまう。
執事長だけがその様子をかろうじて勘付いたのだが、すぐにエノールは顔を切り替えて、男にお礼を言う。
「ありがとう! おじちゃん、楽しかった!」
「そうかい。難儀なもんだね、話すだけで楽しいとは」
男はエノールの言葉に少しだけ怪訝な目線をバルターに向けた。お前のところの教育はどうなってるんだと。
バルターもその目線を理解して、苦々しい表情を浮かべた。
「エノール様、あまり勝手なことをされると……」
「あら、プライドが傷ついた?」
「……」
「そう怒らないでちょうだい。そもそも、バルターが言ったんじゃない。領地のことは知るべきだって。領民もまた、領主の持ち物よ」
「……左様でございます」
バルターはエノールが『あの調子』に戻ったのを理解した。年齢に相応しくない超越的な雰囲気を纏っている。
「バトラー? 人の欲はね、止まることを知らないの」
「……左様でございます」
「いい暮らしを手に入れればもっと、次にもっととキリがないの」
「……」
隣で歩く七歳の少女の言葉は、まるで人間の暗部を見透かしたようであった。
そんな人間哲学を一体いつ成熟させたのだろうか。
「この街は……間違いなく豊かだわ。食べ物もある。衣服もある。家もある。それなのに、人々は満足していない。本当の意味で人が満足することなんてないの。だって、それは全てを諦めたことを意味してしまうから。だから、満たされた人間は向上しないし、そんな人間は生き残れない」
「……おっしゃる通りかと」
「この街にはニーズがある。娯楽に飢えているのよ。けど、酒を輸入するにはどうすればいいでしょうね。この街を酒造りの街に変えて仕舞えばいい? それもいいかもね。けど、その場合は商売の手を外まで広げなければならない。そう考えた時にここの立地は……交通の面でそこまで有利かしら」
「……周辺に住まう人間は少ないかと。規模に対して買い手が間に合っていません。小規模の酒造りを行えばいいのでしょうが……」
「それではダメね。将来性のない商売をするべきじゃない。元々娯楽商売は安定していないし、そんなんじゃすぐに破産するわ。他から酒を引っ張ってくるのもダメ。地元の商人の怒りを買ってしまう。この町で始められて、商業展開が可能な将来性のある事業。特に地元に密接した商売がいいわね。ここで言うなら麦か酒」
「このバルターにはどんな商売が妥当なのか見当もつきませんぞ? 酒を振る舞うのがダメとなれば、他にどうすれば……」
エノールはバルターに向かって振り返る。そして、自信満々にこういった。
「それを、今から探すのよ!」
明日はお休みです。金曜日は定休日です