伯爵領の問題
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この世には不可能なことがある。
賢人は0%などあり得ないと言っていたが、いくら何でも無理なものは無理だと言いたくなるような状況は存在する。
今の俺──エノール・アルガルドがその状況だ。
「以上となります」
「……」
バルターが帰ってきて、領地の概要と財源、それから問題点を洗い出した。
領主貴族の役割、求められている仕事、それからどうすれば評価されるかを逆算しながら考えて……俺は小さい手をパチンと鳴らした。
合掌だ。神に祈るのみだ。無理、もう何もしない。帰って寝たい。日本に帰らせろ。
領主貴族というのは、法衣貴族と並んで貴族の一形態である。
貴族というのは最上位の人間を表す言葉で、既得権威者であり、特別な存在だ。
──王は、弱い。
王は国を纏める象徴でありそこまでの権力を持たないのだ。公爵家よりも弱い場合が多い。
だからこそ、貴族の領地を与えて管理を任せる。そして、国に税を納めるように要求するのだ。それでも、王が君主としての義務を果たさない(大抵の場合、そう判断された)場合は裏切っても良いとされている。貴族が王の思う通り動かないなんて当たり前だし、それは貴族にも言える。部下を完全に掌握していた日本は……彼らの積み重ねてきた歴史は相当すごいものだったらしい。
領主貴族は王から封土を賜り、その代わりに役目を果たす。御恩と奉公の関係だ。貴族は王を裏切ることもできるが、王に味方する貴族が多い場合それを大義名分にされて攻撃される。義のない戦いには積極的でない市民も多い。特に、そんなことをすれば戦ってくれる騎士が少なくなってしまう。
色々と言ったが、王と貴族は鎌倉武士にとっての『御恩と奉公』に似た関係なのだ。貴族は税を納め、外敵から領地を守り、戦時には戦役を果たすことを求められる。その代わりに封土をもらう。そういう関係だ。
これがいわゆる貴族の義務、納税・防衛・戦役は貴族の義務である。近代以前のヨーロッパ史にはあまり明るくないが、あっちで王が部下の方に剣を当てて忠誠を誓わせるあの儀式も、貴族が騎士の側面を持ち合わせていたことにある……と思う。だめだ、やっぱり適当知識で考察するものではない。
こっちで同じような儀式はないが、それでも貴族の義務は変わらないらしい──であれば、周囲から認められるには精強な私設軍で領地を守っているとアピールし、納税量を増やすことが肝要だ。戦役を果たすのはフェーズⅢの達成に関わってくるだろう。もしかすれば機会があるかもしれない。
しかし、軍の維持には当然金がいる。軍の設立目的もいる。ただ騎士を漠然と集めてもいい人材は集まらないだろう。問題は領民がその気になること、経営学的に言えばトップと現場が同じヴィジョンを共有することにある。それには設立目的が必須だ。
常備軍として扱うのであれば、平時における存在意義も求められる。それはもっぱら領地経営の大きな歯車の一つとなることだ。目的があっても金食い虫の軍を置いておくバカはどこにもいない。相当金が有り余っていたり、定期的に戦争があるのならまだしも、残念ながらうちの領地にはどちらも当てはまらない。
だから、戦役を果たすにしても防衛に力を入れるにしても納税額を増やすにしても、それらはすべて財政を増やさなければ始まらない。全ての組織の頭の痛い問題といえば資金繰りである。
王立学園への入学はあと三年、専門的な知識や学園にあるだろう図書館に保存された蔵書などを読み漁りたいが、まだ時間がある。この三年間を無駄にするわけにはいかない。今着手できる問題といえば領地問題だけだ。それもそこまで専門的なことはできないだろうが、少しでも進めておくことに越したことはない。
そう思ってバルター・イルクニスに話を聞いたのだ。この領地の、アルガルド領の現状と詳細について。
貴族が治める領地において要素はいくつかある。
施設軍の他にも産業、人口、財源、主要都市の分布、財源、徴税方法、徴税組織、徴税組織の形態、川や山など地理的要素、他領地における問題などが考えついた。バルターもそのいくつかを言われずとも説明してくれたが、やはり全てを説明することはなかった。こちらから残りの点について聞いて──部下に情報を要求する場合、具体的に指し示さないと精度の良い情報は送られてこない──愕然とした。
バトラーの説明は以下の通りだった。
「アルガルド領は基本的に麦やその他領内で消費する食物の生産で潤っています。主な産業は耕作ですが、まばらに酪農や牧畜を営んでいるところもあります。領内の年間収穫量は麦にして推定25タール、そのうち屋敷に入っているのは5タールほどです」
「それは……どれくらい多い?」
「……王国で見れば平均的かと」
バルターの言い方に引っかかる。
「他の伯爵領は? 確か、伯爵領は他にも三つあったと思うけど……」
「……アルファート王国の伯爵家は四つ、我がアルガルド家とエルガード家、アイコット家、マルベク家がありますが、耕作での農作物収穫量はそれぞれ年間120、150、80タールとなっています。そのうち、屋敷に入るのは60、80、50ほどでしょう」
「それは……」
何か返そうとして、閉口してしまった。
え……? うち、いくつだっけ? 5タール? 5タール?
それで、他が60、80、50タール?
いや、タールなんて単位聞いたことないしどれくらいか知らないけど、十倍以上? 財政の規模が他の伯爵家と比べて……十分の一?
ああ、だめだ。帰りたい。そりゃあ名ばかりの伯爵家とか揶揄されるわ。
執事長が王国での平均値とか言った時点でちょっと考えたけど、伯爵家に比べて子爵家や男爵家がどれほどあるのかなんて想像ついたけど! 三位下がそれほど低い地位にないぐらい想像ついたから、平均とか少ないんじゃ……って思ったけど!
ああ、絶望的だ……
なぜこんなに狼狽えているかといえば、組織の最大規模は財政の規模に直結するからだ。きちんと潤沢な財源を有効活用できているかは別として、財政規模は組織のポテンシャルである。周囲から一目置かれるにはまず伯爵としてまともにならなきゃいけない。そのために、財源を十倍にしましょうって? いや、待てよ……
「……農作物の収穫以外の財源はどうなの?」
「……エルガード領では炭鉱の採掘、林業その他エネルギー産業が発展しています。それに対してアイコット領は商業が発展しており、単純に市場規模が莫大かと。マルベク領では造船・金属加工、それから船を用いた長距離商業が主かと」
「そっちで得られる税収を農作物に換算すると何タールになるの?」
「こちらは正確な情報ではありませんが、農作物以外の収入源による所得はエルガード領から順に年間15タール、30タール、50タールほどとされています」
「ちょ、ちょっと待って。50タール? えっ、そんなにあるの?」
「マルベク家は塩取引や商業関係で儲かっていますからね……造船業を独占して船主に保険に入らせて、船が難破したり遭難した場合には、購入した金額の半分を支払うと……一見船主に有利な契約に見えますが、船を失っても保険によって買い換えることが可能だからこそ、手を伸ばしてしまってマルベク家の造船会社にお金が振り込まれる……と」
「何もなければ保険料でウハウハ、船が難破したり遭難してももう一隻船を買ってくれてウハウハ……ってことで」
「素晴らしいですね。その通りでございます」
エノールはハッとする。バトラーは全くもって気にせず、ただ感嘆の声を漏らして感心しているようだが、その仕組みを七歳で理解するというのは異様なことだ。
一応補足しておくと、それなりの規模の商売をしている船主にはマルベク家側から声がかかり、保険に入ることができる。船主がもし船を難破・遭難させてしまった場合でも、保険に入っていれば船の費用の半分を保険金としてマルベク家が出してくれる。商人は可能であるならば必ず商売の再起を図るのでその手形を利用して船を買うわけだが、これまでよりグレードの落ちる船を買うことはない。それは商売における自分の失敗を認めるということであり、商人にとって屈辱以外の何物でもないからだ。
保険に入っていることで前回の半分の費用で船が買えてしまう。お買い得と思った船主はまたグレードの同じ、もしくはそれよりも高い船を買ってしまう。マルベク家は購入費の半分を負担しているようで、その実購入費の半分以上を儲けることになるのだ。
マルベク家にとってこの保険の落とし穴は保険をもらってもなお商人が商売の再起を断念してしまうことだが、そこらへんの対策はしていると見ていい。そんな気骨のない商人にはそもそも話を持っていかず、仮に保険を使うことになったとしても商売の立て直しが可能かどうかを審査するのだ。
船の遭難・難破は珍しいことでもない。それなりの大商人に保険の話を持って行き、定期的に船をなくす彼らは当然この話に受かる。保険に入っているのは選ばれた商人だけとなり、マルベク家から保険の話を持ちかけられるのが、そしてそこに入るのが商人──特に船を利用した商売をしている船主達のステータスになる。保険によって航路を利用した商売が盛んになり、マルベク家の造船業はさらに儲かる。船主が増えることによって保険料を徴収し安定的な財源を手に入れるとともに、難破・遭難する船もふえさらに注文が増える。
船主にとって都合のいいように見えるこの契約は、実は限りなく食わせ物なものだった。
けれども、小さなエノールがそれを看破するのは不自然だ。本来であれば胸を張っていいところだが、エノールには秘密がある。それは主に二十歳の自意識──佐藤健の記憶を保持していることだ。
咄嗟に話を変えて、船の話を流す。
「そうすると、各家の収入は……」
「エルガード家が75タール、アイコット家が110タール、マルベク家が100タールですね。アイコット家が最多ですが、そのうち大部分を農作物の売買に依存しています。その年の収穫量や物価によって収益は変わりますから、そういう意味でマルベク家のほうが財政は安定していましょう」
「農作物の収穫量を聞く限りじゃマルベク家が最下位だったのに、総合的には一番財政が安定してるなんて……相当な食わせ物ね」
「エノール様の読みで間違いないかと。アイコット領では多数の商人を抱えていますが、彼らは商人ギルドで組織を形成している。海千山千の商人達を相手にするのは伯爵家といえど苦労するのでしょう。市場規模に対してそれほどの税収は得ていないようです」
「それに対してマルベク家は造船業と船の保険でずぶずぶ……造船業が盛んになれば商業も活気づくし、流通が盛んになればそれだけ領内も潤う。加えて、造船業で培った金属加工の技術を他にも転用して……考えただけで寒気がするわね」
執事長は、どこでそんな知識をつけたんだろうと不思議に思った。感嘆するどころか、自分でもちょっとついていけないスピードだ。今さっき話を聞いて導く情報ではない。彼が掴んだ『マルベク家は相当やり手』という情報をこの場で導いてしまう。
バトラーは天才はいるものかと感慨に耽っていたが、エノールはそれだけでは満足しなかった。
「それで、うちの領地では25タール中の5タールだったわね」
「ええ、そうです」
「税率20%? 他は農作物に関して半分の税を課しているのに……ねえ、バルター。うちの税率は?」
「……四割となっています」
「半分も中抜きされてる……徴税人に舐められてる? あぁ、厄介だ……帰りたい……」
(どこで割合の話を……というか、ここがあなたの屋敷ですよ、エノール様?)
「徴税の方法を説明してちょうだい」
「かしこまりました」
執事長は自らの頭の中で話を段構成にまとめる。この小さな令嬢に──先ほどからの様子を見る限りいらぬ世話かもしれないが──わかりやすく説明するために。
「我々貴族は騎士と諸侯を従えております。諸侯もまた騎士を従えており、騎士は徴税の役割を担っております」
「中抜きがひどいのは諸侯と騎士、どっち?」
「……確たるものがないのでなんとも言い難いですが、このバルターが考えるには一部の騎士と諸侯達が結構な額を差し引いていると考えてよろしいかと」
「バルター、私、外に出たことがないから知らないんだけれど、実際に徴税をするのはどうするの?」
「年に一度、徴税人が各地を回って税を集めます。農作物の徴収の場合、収穫期に……取りまとめ役、名主、名士、その他集落や村、町の長などに集めさせ、それらを回収し……少々の中抜きを差し引いたものを我が屋敷に納めているのです」
「他のところでも中抜きはあると思う?」
「エルガード家は私設軍を持っていますからそれほどひどくないかと。バレたら解雇か、下手をすれば斬首されてしまいますから。アイコット家の場合、それなりに持って行かれているでしょう。マルベク家は……どうでしょうか。私設軍を持っているという噂は聞いたことがないのですが、もしかしたら徴税時期に臨時で雇っているのかもしれません」
「マルベク家が儲けを少なくするようなことは許さないから?」
「ええ、少なくともこの執事めにはそう思えます」
「……いいわ。他に聞かせてちょうだい」
「他、と言いますと?」
「産業、人口、主要都市の分布なんか。あと、うちの領地の商業と商人の分布についてもお願い。それから、他の領地における問題についても」
「産業は、基本的に麦の栽培と領内で消費する食品の製造……野菜の畑作や牧畜・酪農なんかも小規模で営んでいるところがあります。それから、酒についても。それと産業に関してなんですが……」
執事長が何やら言いづらそうな顔をする。それをエノールは制した。
「執事長、私は経験と見識に基づく貴方の率直な意見が聞きたいの。聞かせてくれる?」
「……かしこまりました」
エノールの当主然とした振る舞いに、執事長は不肖不肖と詳細を語る。
「領内の産業について、他には手工業もありますが、それほど大きな規模ではありません。対して売春ですが、ある程度の都市では横行しているようです」
「何らかしらの法整備は?」
「は……法整備ですか?」
「伯爵家がその問題に対して何らかしらのアプローチをしているの?」
「い、いえ、それは……」
彼はなぜだか自分が糾弾されているように感じた。確かに、この七歳の息女の言う通り何もしていない。
王は売春を許していない。王国法で禁じてはいないが、長らく王家は売春に対して否定的だ。
貴族は王の手足とされている。故に、貴族も売春を取り締まる義務を持つのだが……アルガルド伯爵家は何の対策も講じていなかった。
本来糾弾されるべきはこれまでのアルガルド伯爵家歴代当主であろうに、前当主の時代からこの屋敷に関わってきて、三十にしてこの執務室に入ることを許されたこの壮年の執事長は、なぜだか自分が何もしてこなかった怠惰を責めれられているような気がした。
エノールは深いため息をつく。
「売春自体は仕方ないけれど、何もしていないとは……バルター、売春を横行させるデメリットは?」
「はっ、はい! えっと……専門家ではありませんが、売春が横行すると客はそちらに流れ、金銭も彼女ら売春婦に流れることになります」
「それで?」
執事長には証言台に立たされたように感じる。まるで法廷だ。
「単純に、男手がその分拘束されること……風紀の乱れが都市全体の活動を抑制し、働き者が減るのではないでしょうか……それから、流行病も広がってしまいます。彼女ら貧困層を生かしてしまうことにもつながるかと……」
「貧困層を生かして問題は?」
「……えっと──」
「都市衛生の悪化? 治安も悪化するわね……犯罪者が増えれば商業が成り立たなくなる。それに、労働力の減少も問題……ねえ、性病はもう出回っているの?」
「え、ええ、しかし、そこまで広がってはいないようです」
「それならよかった……けど、そうなると今度は孤児の増加……彼らが成長すればまともな職にはつけないでしょうね。児童労働、低賃金労働、それ以前に治安が悪化する。犯罪者が増える下地をつける……ああ、でも売春をやめさせるわけにはいかないし、そこは必要悪……?」
「……」
バトラーは唖然としていた。
わずか七歳の少女に売春という人間の暗部を見せてもいいだろうかとまだ躊躇いがあったのだ。それが、売春の問題点について一人で論じ始め、あまつさえ問題点は何かと問う始末である。
貴族は売春を嫌う。自らも春を買うくせに、市井での売春はよく思わないのだ。女性ならば特に。
それなのに、貴族である七歳のそれも少女が、売春を辞めさせるわけにはいかないという。確かにバルターからしても売春を完全に排除するのは難しいと思っていたが、それを齢七歳の令嬢が言うのだ。言葉の重みが違う。
一体、少女を何が変えてしまったのだろうか。いつの間に自分たちの知らない『エノール・アルガルド』になっていたのだろうか。戸惑い、疑問に思う。
そんなバルターの心中を知りもせず、ああでもない、こうでもないとエノールは頭を悩ませる。
「貧困層の拡大に対するアプローチ……それから、都市衛生。そういえば、アルガルド領での農作物以外の税収はいくらなの? 売春での収益はどれぐらい?」
「な、何をおっしゃいますか! 貴族が売春で収益など……」
「えっ、だめ?」
「……」
またバルターは唖然とした。
本来貴族は王が嫌う売春を弾圧する立場にある。それが、この幼い令嬢は売春について『えっ、だめ?」という反応である。二度めだが、こちらのほうが呆れ具合は強かった。
「まさか、無収益……?」
「当然でございます」
「嘘……」
「他の領地でも売春を使うなどあり得ません。マルベク家もそんなあこぎなことはしていないでしょう」
「……」
バルターの声は有無を言わせぬものだった。エノールはいつかこの執事長を説き伏せる時が来るのだろうなと考える。何の見返りも無しに売春にまつわる都市問題を解決するなど、そんな余裕は伯爵家にはない。
良き領主として名を売るならいいが……既にエノールと佐藤健の記憶は、売春を伯爵家の財政拡大に利用することに決めていたのだ。
いつか起こる主従の対立を胸にひめ、話を続ける。
「……いいわ。それで、他の産業と人口分布、主要都市についてだけど」
「産業は他には特にありません。林業もまばらに行っていますが、アルガルド領には森が少ないですからな。人口に関しては何ともいえませんが、十万人規模の都市が二つほど……人がまばらですから、特産品もないアルガルド領には所領型の商人より巡回型の商人方が多いですね」
「その、巡回型の商人って?」
執事長はエノールのまばらな知識に疑問を抱く。
(これは知らないのか……)
どれを知っていて、それを知らないのか。その境界が把握しにくい。
「各地を回って行商をする商人です。領内の生活必需品を生産地から各地に届ける役割を担っています。通行税などもありますが、主要な道路が少ないですからこちらは税収にはあまり貢献していません。他に領内の問題ですが……」
そこで、またもバルターは言い淀んだ。
「……どうしたの?」
売春の話題でも何度も顔を顰め激昂さえしたバルターだが、今日初めて苦々しい顔をする。何かあるらしかった。
「都市には盗賊団がいます」
「盗賊団……」
「犯罪組織の温床もあり、地元に根付いてしまっているようです。脱税や密貿易、幾らかの商人も噛んでいるでしょう」
「はぁ……」
エノールには頭の痛い問題だった。
「治安に関してもあまり良くありません。自警団が抑えているので、ある程度は問題ないのですが……」
「どれくらい悪いの?」
「……窃盗などは毎日あるようです」
自分の領地を自分の主君に説明させられるなど、どれだけの恥辱になろうか。バルターは恥ずかしくて憤死してしまいそうだった。
「他にも山賊や強盗団……各地を放浪して商人や街を襲う輩もいるのですが……」
「次から次へと出てくるわね」
エノールは呆れて頭を抱える。そんな様子の令嬢を尻目に、執事長はさらに領地の問題──特にバルターが大きいもの認識しているものを告げねばならないことに深い後悔を感じていた。どうして前領主や現当主にどうにかしたほうがいいと解決を進言しなかったのか。後の祭りである。
恭しくバトラーは口にした。
「……我が領内には、いえ、王国には獣がいます」
「そりゃあ、いるでしょうね」
「それが少々厄介でして……」
「……どう厄介なの?」
エノールは単なる獣害かと考えそうになって、ここが異世界であることを思い出した。もしや、とんでもない獣がいるんではないだろうか。それこそ、RPGの魔物みたいな。
「……主要なのですと、『ベティクート』などがいます」
「……何?」
「『ベティクート』は古代語で『太陽に干された獅子』を意味する言葉でして、痩せ細った大きな体で四本の足を持ち、犬のように疾走するんだそうです」
「それが?」
「……彼らは群れをなして荒野や平原を走り回り、ウサギや猪、猫などを狩るのですが時折人間も襲われるのです。耕作地を横切ることもあり、滅多にありませんが襲われた際には多くの人が死傷します。街に突っ込んできたりはしませんが、彼らが踏み荒らした耕作地はボロボロにされ、ただでさえ少ない領地の収穫……いえ、限られた収穫を台無しにしてしまうんです」
言い換えたけど、全然ダメだと思うよ。フォローになってない。
エノールの中に眠る彼はバルターの配慮に呆れた。
バルターは不幸話を、身内の恥の説明を続ける。
「彼らは災害のようにやってくるため、遠くで土煙が上がっていたらすぐに逃げろと言われるぐらいでして、そのせいで度々作業が止まり、収穫高に影響が出ているそうです」
「もう、次から次へと……!」
「……」
バルターは何だか申し訳ない気がした。
本来そう思うのは歴代当主達なのだろうが、どうしてこんなことになっているのか。この小さな次期当主に多くのものを残してやれないのが、この屋敷に三十年勤めてきたバルターにしても悔やまれた。
エノールは頭の中で問題を整理する。その中で、必要事項をさらに詳細に聞いた。
「人口についてだけど、他の領地の主要都市はどうなってるの?」
「十万人規模がいくつか、三十万人規模が一つずつといったところでしょうか。正確な数は調べてみますが……先日、アイコット領に五十万人規模の都市が誕生したという話を聞きました」
「ご、五十万人規模……動かせる騎士と諸侯の数は?」
「我がアルガルド家の家紋に従っているのは騎士が三十五名、諸侯が二名となっていますが、実際に文を出したとてこちらの言う通り従うのが半分もいるか……」
「……聞きたくないけど、他の領地では?」
「エルガード家では騎士が五十二名、諸侯が七名、いずれも従順に従うでしょう。アイコット家では騎士が八十九名、諸侯が十二名、数は多いですがそれなりに協力すると思います。マルベク家は騎士が四十一名、諸侯が六名、人伝の噂ですが手足のように動くとか」
「組織管理の差……! 人材は⁉︎」
「生憎と教育は充実していないので商人はそれなりに計算はできるでしょうが……他領地だと様々な分野の専門家がいると聞きます」
「人材の不足ッ!」
バルターはエノールのあまりの形相に少しだけ気圧されてしまった。自分たちの恥がまさかここまで積み重なっているとは執事長にとっても予想外だったのだ。
エノールは頭の中で整理する。
兎にも角にも、領地を潤すことが先決だ。どうにかして財政問題をどうにかした方がいい。
しかし、財政システムに問題を抱えており税率を上げるだけでは簡単に対処ができない。
どうにかして既存の産業を盛り上げるか新規事業の開拓をしたいが、新規事業のための資本もなければ人材もいない。領内で成長株と見られる産業も見当たらない。既存の産業を盛り上げるにしても、麦の栽培は『ベティクート』のせいで耕地面積が広げられず、そもそもそこまでの人口もない。商業を盛り上げようにも基盤となる場所がない。
本来ならいずれかの都市を商業都市として経済を活発化させ、税制を導入して儲けを出す……それでも微々たるものだろうが、いずれそのうねりは大きなものとなり領地を活気づける原動力となろう。金の動きに商人の存在は不可欠だ。
だというのに、肝心の商業都市がない。作ろうにも、治安の悪い場所じゃおちおち商売もできない。都市には犯罪組織が蔓延り、外にも犯罪者がいる。領地どこを見ても安全な場所は少なく、おそらく都市には闇マーケットや非合法なカルテルが横行しているだろう。密売は商人の天敵だが、それを摘発するための武力がない。力には、金がいる。
金をどうにかして作りたいのに、そのために金がいるという堂々巡りのような状況だった。そりゃあ名ばかりの伯爵家とも言われる。害獣や放浪の犯罪組織、都市には窃盗団まで根付かせているのだ。領地を外敵から守るという貴族の役目をまるで果たしていないし、納税額も伯爵家としてはギリギリだろう。ほとんどを納税して終わりになる。内部保留率など目も当てられない数値だろう。
元手もない。人もいない。コネもなければ借りる宛もない。そもそも返す宛もない。
人、物、金、これがあれば何でもできるというが、全てが足りなかった。新規事業や事業拡大のための人員も、人も、そして産業を産む物さえも。八方塞がりだ。諦めた方がいいかもしれない。
「帰りたい……」
「エノール様⁉︎」
「だめ、もう、紅茶を淹れて。もう無理、寝る」
「か、かしこまりました」
エノールは半ば諦めかけた。
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