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執事長《バトラー》

「お、お待ち下さい、お嬢様!」

 

「これからはエノールと呼んで。それか現当主代理ね」

 

 アルガルド伯爵領の伯爵邸、その廊下で執事長バルター・イルクニスは、その息女にして嫡子でもあるエノール・アルガルドを引き留めていた。

 

 使用人が集まる場で、当主の座を手にすると宣言したのだ。

 

「なに、何か問題?」

 

「いえ、しかし、まだ当主様にも確認をとっていないのですぞ⁉︎ せめて手紙ぐらい」

 

「なら手紙の準備をして頂戴、すぐに王都に向けて出すわ」

 

「……」

 

 バルターは唖然としていた。

 

 どうしてこんなことになったのか。星見の儀式を経れば人が変わったようになるというが、それは一時的なものであったり、そうでなくともここまで顕著ではない。

 

 まるで人が変わったようだ。そう、まるで七歳ではなく二十歳の人間がいきなり入り込んだかのような……

 

 エノールの中には完全に覚醒した佐藤健の意識が肉体を御していた。

 

 言葉遣いは全てエノールに任せ、しかし思考は完全に支配されている。エノールの意識もあるが、彼女は佐藤健に全てを任せることに決めたのだ。それにより、二人の意識が同化を始めている。

 

 そのことにエノールはまだ気づかない。そのまま焦るバルターを置いて、一人執務室に入ってしまう。

 

 この屋敷には使用人が妄りに入ってはならない場所がある。その一つが執務室であり、ここは当主以外バルターしか入ってはいけないとされていた。そのバルターでさえ当主のいない今は滅多に立ち入らず、たとえ息女であるエノールでも本来は立ち入ってはならないはずだ。

 

 執事長がエノールを止める。小さな令嬢を、しかしその自信に満ちた足取りにあたふたしていた。

 

「何か問題ある?」

 

「大有りです! エノール様、執務室とはいわば屋敷の権力! 当主様の象徴なのですぞ! それを、いくらエノール様だからってお父上の御許可もなしに入ってはいけません!」

 

 バルターは叱った。この、両親に見捨てられたと言ってもいい息女を前に父の名を引き合いに出して叱るのは気が引けたが、だけれども彼女とて貴族だ。弁えなければならないことがある。心を鬼にしてエノールを叱った。

 

 しかし、エノールは全く気にしない。おかしい。昨日までわんぱくで物臭だけれど年相応の少女だったはずのエノールは、今や誰かに乗っ取られているようだった。これが星見の儀式の……星の知覚を借りた影響か。

 

「バカを言わないで、ここの最高権力者は私よ」

 

 セリフは尊大、しかし、その声はやはり幼い。

 

 けれど、エノールの纏う雰囲気は昨日のものとは違った。これは……そう、それこそ前当主が纏っていたカリスマともいうべき有無を言わせぬ空気感だ。まだ若かりし頃の時分、バルターもまたこの威光に当てられ人生をかけてその背中についていく気になったのだ。

 

 幼い令嬢にその面影を感じる。面影というにはいささか強すぎた気もするが、しかし、バルターは目を細めながら自身の迷いを振り払う。

 

「何を言っておられるのです、未だ当主の座はエノール様に明け渡されておられないんですよ!」

 

 バルターとてこの屋敷の執事である。子が親に反抗するなど、特に面子を気にする貴族ではあってはならない。エノールをまた叱る。けれども、いつもと違って全く効果がない。

 

 エノールは次のように執事長を嗜めた。

 

「落ち着きなさい、爺。そもそも、どうして我が両親が王都に向かわれた、いえ、移り住むことができたと思ってるの?」

 

「そ、それは……」

 

「領地には領主を、それがこの王国の掟。一時的に領地を離れたり、戦役などで遠征するならまだしも、表面上の大義もなしに現当主が屋敷を離れられたのは──私がいるからよ。男兄弟どころか女姉妹さえいない私は現在嫡子という身分、私を当主代理に立てているからこそ王の膝下である王都に屋敷を構えて長期間領地を離れることも許されている。つまり、アルガルド領における最高権力者はこの私、違う?」


 七歳の娘がこんなことを言ってくるのだ。

 

 ドレスを着て人形のように飾った少女が、いつの間にやら知った用語で自分を嗜めてくる。しかも、それはバトラーが意識的に隠してきたことだ。

 

 エノールの両親、アルガルド伯爵家現当主夫妻は五歳のエノールを残して王都に屋敷を建て現在はそちらに移り住んでいる。悪い噂に事欠かないアルガルド家が社交界に姿を見せるのは何かと面倒だというのに、頻繁に出入りしているのだとか。

 

 エノールは両親を恨んでいない。屋敷では使用人達が親の代わりとして接してくれたから、今ではこの屋敷がエノールの家族のようなものだった。温もりの象徴であって、エノールの中では権威の象徴ではないはず。なのに、エノールは星見の儀式を終えていきなり、この屋敷の主人は私だと言い張るのである。

 

 乱心……などと言えたらよかった。その言葉が理路整然としすぎていて、納得せざるをえない。


「別に、今すぐ当主の座を譲り受けることはしないわ。お父上もお母上も、そのほうがよろしいだろうから。けれど、私はこっちで勝手にやらせてもらうの」

 

「お待ち下さい! ここは、アイジス・アルガルド伯爵の領地! それを息女であろうとも勝手をするなど──」


「だから、手紙を出すのでしょう? ほら、早く紙とペンを持ってきて。手続きに関してはあなたに任せるわ。当主代理が貴方に任せる最初の仕事よ? ちゃんと果たしてね」

 

「で、ですが……」

 

「まだ何かあるの?」

 

「……」

 

「……! 私が夢の中で領地でみんなと仲良く暮らしていたということは、次期当主は私で確定よ。つまり、お父上とお母上の間にはこれより男児が生まれることはない。妹らしき姿もなかったわ」

 

 エノールは咄嗟に言い訳を思いつく。あの場でついた嘘だったが、利用できるようだった。

 

「……左様でございます」

 

「既に次期当主の座は決まっているの。今からその本分をはたしても、それは遅いか早いかの違いでしかないと思わない?」

 

「っ……そのような言葉を、どこで──」


「発言には気をつけなさい。口を慎むことね。貴方に辞められては困るけれど、貴方が辞めないように貴方を困らせることが、当主代理の立場を使えばできるとは思わない?」

 

「……失礼しました」

 

 無論、そんなことはエノールも望んじゃいない。ただ今のエノールには余裕がないのだ。それ故に口から出まかせを言ってしまった。

 

 今の屋敷の運営はこの執事長が代理している。この人材を逃す手などありはしない。それ以上に、エノールはこの壮年の男のことを実の祖父のように慕っているのだ。酷いことがどうしてできようか。

 

 その実、それは強がりのようなものだったが、エノールの勢いに誤魔化されて、執事長は恭しく頭を下げる。肉親にも近しい人にこんな姿を晒させることにエノールが何も思わないわけではなかった。

 

「バルター、分かってほしいの。別に、私は貴方に苦しんで欲しいんじゃない。だけど、このままだとまずいのよ」


「はっ、不味い?」

 

 エノールはしまったと思った。だが、もう遅い。

 

「……夢の話には、誤りがあるわ」

 

「はっ? どういうことです?」

 

「今は……言えないわ。バルター、でも分かって頂戴。じゃないと、アルガルド家は……近い将来、必ず取り潰される」

 

 バルターの目に動揺が広がった。

 

 その実、そんなこと解っちゃいない。何せ、あの光景からして異常なのだ。もしかしたら何らかしらの形でアルガルド家は生き残るかもしれない。

 

 しかし、おそらく二十二のエノールはアルガルド家の当主だ。それ以外にアルガルド家の当主と思しき人間はいない。欠席している可能性もあるが、エノールの服装からしても当主の座を受け継いだと考えていいだろう。そして、当主が処刑されたとなれば高い確率でアルガルド家が取り潰される。

 

 バルターは全てを理解したかのような顔をして、小さいエノールの元に跪く。執事長はようやく少女の、その外見に不似合いな威光に膝をついたのだ。

 

「このバルター・イルクニス、エノール・アルガルド様に対して無上の忠誠を誓うことをお誓い申し上げます」

 

「……」

 

 常日頃、「爺」とも呼んだ人間を跪かせることに抵抗心がないわけではない。けれど、今はそんなことを言っている場合ではなかった。

 

 ちょうど、エノールには右腕となる人間が必要だ。それが現在の屋敷を事実上管理している執事長ともなれば得た戦力は大きかった。

 

 佐藤健はものぐさである。しかし、何もただのものぐさではない。

 

 学生時代はそれなりの成績を収め、生徒会では不似合いな副生徒会長の立場で学校をそれなりに動かし、大学を出るとそれなりに大きな会社で一年目から経営企画部署に配属された。

 

 ものぐさな性格ではあるが、それだけではすぐに会社では厄介払いされてしまう。彼がそれでも怠けていられたのは、彼が動くときは大抵大きくことが動くからである。

 

 同期からは親愛と呆れをこめて『だらける獅子』などとかつての清王朝の二つ名をもじって認識されていたが、彼はやる時はやる男である。

 

 尤も、本人はそれをあまり認識していないので、積極的に動こうとしないのだが。

 

「バルター、それじゃあまず手紙の準備をして頂戴。貴方も口添えして、星見の儀式の内容をかけばお父上も許してくださるはずよ」

 

「わかりました。早急に準備します」

 

 佐藤健は日本人で、男で、年齢不定で、そして、凄腕の経営マンだった。






 彼は星見の儀式で見た光景を思い出していた。

 

 王座の間、王がいる前で、自分が騎士に囲まれている。大義は彼方にあるのだろう。

 

 周囲の目線は『侮蔑』であった。エノールが何か問題を起こしたのかもしれない。しかし、このエノールは佐藤健の記憶を有している以上、積極的に問題を起こすとは考えにくい。ならば、考えるべきは何かに巻き込まれて被疑をかけられる場合だ。

 

 ここで事態を悪化させたのがアルガルド家の悪名だろう。かつて王を裏切ったとか、王族を殺したとか、とにかく言われたい放題である。今でこそ尾鰭がついてしまったが、当初は戦役の最中にゴタゴタに紛れて何かやらかした、という噂であるらしかった。

 

 それさえも正確かどうかは怪しいが、とにかくその噂が表面的な不信感につながっている。逆に、それが公爵家だったりしたら、そうそうその当主が処刑されるなんてあり得ない。むしろ王党派と貴族派に分かれて戦争になるだろう。

 

 ならば、エノールがやるべきことは一つである。アルガルド伯爵家に蔓延る悪名を全て精算し、完全な優良物件として生まれ変わらせるのだ。無力であれば選択肢がない。

 

 力を持つ故に問題が生じてくることもあるが、その問題にさえ対処すればいいのである。火種があるから鳴りを潜めてやり過ごそうなどという考えはあり得ない。何せ、おそらくそうした末の結果があの光景なのだから。

 

 いや、むしろ何かをしたからああなったという可能性もある。しかし、そんなことを言い始めては何も出来ない。とにかく、周囲から絶対的に信用される家を作ればいいのだ。

 

 それにはまず、領地経営である。

 

「手紙はできた?」

 

「はい、エノール様が書かれた文と共に、私めが書いたものも入れております」

 

「それじゃあ、それを王都に送って頂戴。ハンコは貴方が押して」

 

「しかし……」

 

 手紙の印とは信頼の象徴である。バルターは当主代理を前にして自分が代わりに印を押すなど到底考えられないようだった。

 

「お父上の許可を取らないことには私は籠の中の鳥よ。まだ何もできない小娘。このエノールは、返事の手紙が来たことを皮切りに当主代理として花咲くの。それまでは単なる少女よ」

 

 エノールはさも要求が通るような言い振りだった。バトラーに「この屋敷の印を押すのはこれが初めてではないんでしょう? 今、この屋敷を取り仕切っているのは貴方よ」と念を押す。執事長は令嬢の言い分に舌を巻いた。

 

 ともあれ、執事長はすぐ近くの町まで手紙を届けに行く。それまで、エノールは暇だった。

 

「ふぅ……」

 

 エノールがいるのは当主のみが入ることを許された執務室だ。彼女の言い分では現在この伯爵領内で当主として立てられているのはエノール・アルガルド、当主代理とはいえ領地内では当主と変わらない権力をふるえる。

 

 実際にことを起こすには彼女の父、アイジス・アルガルドに事前の許可を取る必要があるが、それが済めばさまざまなことに着手するつもりだった。

 

 佐藤健が、エノール・アルガルドがアルガルド家と共に信用されるのに必要だと考えたのは以下の三つ。

 

 一つは、領地経営での手腕。内政の手腕だと言い換えてもいい。所領の統治は領主貴族の本分である。その腕が確かであれば、信用の幾らか足しにはなるだろう。

 

 一つがコネクション、要するに社交界における他貴族との繋がりだ。横のつながりは仲間意識を指し示す。ネットワークが多様かつ密であればこそ、何かあった時の助けになる。それには勢力図を頭に叩き込んで、相手の目的、経営理論的に言い換えれば相手のニーズを把握する必要がある。

 

 最後がアルガルド家の家格、いわば功績だ。一つ目とはまた別である。戦役で活躍したとか、王家に助力したとか、個人の能力ではなく王への献身の証左。それが必要だ。

 

 一つ目、二つ目、三つ目の順に難しい。なにせ、一つ目は領地内の問題に対して、二つ目は王国を股にかけた社交界を舞台にする。三つ目に至っては王国を股にかけるどころか王家に関わることになろう。そうでなくとも、何かしら王国に利があることをしたと周囲に喧伝する必要がある。

 

 エノールが必要だと考えたのは実績・コネクション・功績の三つだ。実績と功績は似て非なるものだ。前者は能力を裏打ちするのに対し、功績は信頼を裏打ちする。コネクションは信用だ。

 

 周囲から認められ、信用され、かつ信頼される。信用と信頼は信じられるか、それとも頼られるかにある。信用は無形のものだが、信頼は有形だ。何かの形で表される。

 

 領主としての個人能力、貴族とのコネクション、王家に対するコネクション。三つ揃えば三種の神器、どう足掻いたって処刑なんかされないはずだ。というか、これ以上の策が思いつかない。

 

 それには、領主貴族としての手腕を高めるために十歳で王立学園に通わなければならず、貴族とコネクションを作るために十五歳で社交界デビューしなくてはならない。そして、二十二までにどこかのチャンスで王家に貸しを作る。

 

 社交界で認められるためにはそれまでに領主貴族として何らかの形で成果を上げたい。つまり、残るは八年だ。王家に貸しを作るチャンスを己がものとするためには周囲の貴族の協力が不可欠だ。いつくるかわからないチャンス──七年以内にコネクションも築き上げなくてはならない。


 どれか一つをしくじれば、その後の全てが台無しになる。この計画は三つのフェーズに分かれるということだ。

 

 フェーズⅠ、領主貴族として内政手腕の実績作り。

 

 フェーズⅡ、社交界で他貴族とのコネクション作り。

 

 フェーズⅢ、来るチャンスをものにして、王国に忠誠を示す。

 

 個人、グループから国へと規模が変わっていく。そして、それらを成功させる上でこなさなくてはならないイベントが王立学園の入学、社交界デビュー、何らかしらのイベントだ。

 

 王家にどうやって貸しを作れるかはわからない。だが、それは商業チャンスを見逃さず事業を成功させるのと同じように、可及的速やかに準備を整えて虎視眈々と狙い待ちしていなくてはならないだろう。

 

 不明な第三フェーズのイベント、それが最終的な目標となる。

 

 今の所、フェーズⅡもフェーズⅢも手の出しようがない。なにせ、今の状態では他貴族とのコネクション作りなど不可能だからだ。

 

 個人的に何か繋がりを持つ頃もできようが、それでもフェーズⅢは不可能だ。九割フェーズⅠ、一割フェーズⅡぐらいの意識で臨んだほうがいいだろう。

 

 さて、そこで自分に配られたカードを見る。

 

 目標達成の上で自分が何を利用できるかだ。

 

 この屋敷、それに付属する使用人、バルター・イルクニス、悪名に塗れたアルガルド家の名前、名ばかりの伯爵家と揶揄される領地、貧相な財源……

 

 あれ、不可能か? もしかして、これ詰んでる?

 

 いやいや、話はまだ始まったばかりだ。今は状況整理が先決だ。

 

 全てはストラテジーゲーム、将棋やチェスの盤面を予測するように、勝ち筋を明らかになった場から導き出さなくてはならない。そのために、どこにどういう駒があるかを知らないといけないのだ。

 

 とりあえず、バトラーを待とう。うん、そうしよう。

 

 ──エノールは自分に言い聞かせていた。

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