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鉄鋼の町

「エノール様、何もあそこまで……」

 

 バルターの小言は馬車に乗ってからも続いていた。執事長もまた、少女の言葉がエイジャーを激励するためのものだと理解しておきながら、それでも不用意なことを言った少女に叱る気分を抑えられない。

 

 エノールはことも投げに言うのだ。

 

「リップサービスよ」

 

「……」

 

「家臣には大事でしょ。今の私には何もない。だから、それぐらい貴方はすごいのよって、そう言うしかないでしょう?」

 

「ですが、それでも結婚などと……」

 

「今の私に切れるのはそのカードしかないわ」

 

「……ですが」

 

「だから切ったの。私の今切れる最上のカードを。それに嘘じゃないわ、あの男なら教育すれば伯爵に相応しい人間になる。時間をかけることにはなるけど、私は何一つ嘘を言っていないわ」

 

「だから問題なのです! エノール様もご自分で言っていましたが、無闇に結婚などと噂が広まれば……!」

 

「あ〜あ〜、うるさい。大体、あそこでエイジャーを失うわけにはいかないでしょ?」

 

「それは……そうなのかもしれませんが……っ」

 

「ならジョーカーをちらつかせて、結婚の代わりに名誉をあげるしかないわ。それがあの人の自信になるなら本望よ」

 

「……もう何も言いません」

 

「ええ、そうして」

 

 そうして、バルターは拗ねてしまった。エノールもそれに気付きながら、杖のことが有耶無耶になったと内心喜ぶ。

 

「……結局、その杖は何なのですか? 一体何をしたのですか、エノール様は」

 

「ぎくっ」

 

「ぎくって何ですか⁉︎ まさか、まだ何か隠し事があるんじゃないですよね⁉︎」

 

「な、ないわよ! そんなのないわ!」

 

 エノールは今知っていることを全て話したのだ。本当に杖のことは意味がわからないし、どうして爆発が起きたかも分かってない。もしかしたら、中に爆薬があったのかもしれなかったが、それを調べられる人材もいなかった。捕縛した盗賊達は『あんな爆発知らない』と目を白黒させながら訴えていた。

 

 全く意味がわからない。だが、無関係ともいえない。

 

 これまで念ずる事で言うことを聞いてきた杖だ。もしかしたら、エノールの馬鹿げた妄想を実現させようとしてしまったのかもしれない。もしそうなれば、これは簡単に爆撃できてしまうとんでも武器だ。恐ろしくて手元に置けたもんじゃない。

 

 けれど、捨てようとしてもどうせまた帰ってくる。また『世界線変更』のような周囲との記憶の齟齬が生まれるのだ。もうあんな体験はしたくない。エノールにしてみればそれで頭がいっぱいだった。

 

 起きたら捨てたはずの杖が帰ってきていた。あの時、部屋で見たあの杖の光景をエノールは生涯忘れないだろう。それほど強烈なトラウマとなっていたのだ。

 

 捨てられない。だけど危険。ならばどうするか。

 

(これ、どうしよう……)

 

 調べなければならないのだが、調べるにしたって適した場所が必要だ。

 

 爆発が起きても、大丈夫な場所……

 

「……よし、忘れよう」

 

「何をですか? エノール様、何を忘れるんですか⁉︎」

 

 エノールは現実から目を背けた。

 

 

 

 

 それから騎士とたくさん会った。

 

 道中の村や街は大抵麦の生産地で、手工業者もいたが、そこまで目をつけるべきものはなかった。

 

 中には過疎化が進んでいたり、衰退していたり、生きるのに精一杯というところも多かった。これでは商業チャンスを見繕うどころの話ではない。

 

 騎士の中にも子供だからと侮る人はいた。やはりこちらから出向くのはやり過ぎだったようだ。

 

 しかし、今の私が招集したとて彼らは動かない。逆に侮られたとしても顔を合わせた方が侮っている連中のうちの一割は言うことを聞いてくれるようになるだろう。マイナスなことは何もないのだ。傷つくのは私のプライドだけ、それも分かっていたら傷つきはしない。

 

 バルターはプリプリと怒っていた。可愛らしいが、四十にもなって少し大人気ないと思った。適当に諌めて次に向かう。

 

「次は鉄鋼の街ですね」

 

「あるんだ、ウチにも」

 

 私の言い方に随分と苦々しげだったが、否定はしなかった。

 

 バルターは嘆息して続ける。

 

「一応、ですね。伯爵領ですからそれなりに儲かっているところもあります。正直、エノール様の言う通りに独占気味ですが……我々の敵に回っても厄介です。街に入ったら商会の方と対面していただきますが……」

 

「うまくやって、でしょ?」

 

「……敵対するようなことはないようにお願いいたします」

 

「分かってるわ。それで? その街の問題点は?」

 

「……糞尿の処分について、桶に集めてそのまま河川に流しているようです。街通りも汚らしく、エノール様の言うような糞尿サイクルや下水システムは何もないかと」

 

「そう」

 

「それから……売春が水面下で横行しているようです。商会も大口の顧客として参入していて、あまりいい噂を聞かない組織の資金源になっているとか」

 

「まあ、そうなるでしょうね」

 

「……」

 

 馬車は街に入る。確かにバルターのいう通りハエが飛んでいたり人糞が地面に転がっていたり、相当汚かった。

 

 ここに来る道中もこういう町に出くわしたおかげで、外の空気がどれぐらい臭うのかは想像がつく。これは……かなり臭いだろうな。ここの人はよくこれで生きていける。

 

「住む場所は人の心を作るわ。臭いがひどければ気分は鬱屈して、無気力にもなるでしょうね。どこかで流行病が流行していたら、それを理由に手を入れたいところね」

 

「その場合、資金が必要になるでしょうな」

 

「まあ、商人達をうまく言いくるめらればだけど……難しいわね。騙すような真似をすればいけるかもだけど」

 

「商人相手に嘘は危険ですぞ。何をされるか分かりません」

 

「ん〜、騙されたと気づかない騙し方がね〜」

 

「……」

 

 この令嬢の頭は商人を騙すことしか考えていなかった。

 

「……住人達に出させるのは?」

 

「ありえないわ」

 

「なぜ?」

 

「住人から搾り取ったらそれこそ本末転倒よ。働き手を殺してどうするの?」

 

「……」

 

「それより、住民にタダ働きさせるのはいいかもね。伯爵命って言ったら働いてくれないかしら」

 

「まあ、無理なことはないでしょうな」

 

「その報酬を商人達に出させて……うん、それがいいわね」

 

 あくまで商人達には『餌』のための資金を提供させ、住人が暇なときに伯爵命でタダ働きさせる。やる気が出ないだろうから、商人達の金を使って飴を与えればいいだろうとエノールは考えた。

 

 

「後は住人を焚き付ければ文句なしだけど……っ」

 

 馬車が停車する。

 

 そこは立派な二階建ての建物だった。

 

 御者がすぐに踏み台を用意して、ドアを開ける。

 

「それじゃあ、行きましょうか」

 

「はい」

 

 表に出ていた男がエノール達の到着を知らせて、それから商人達が出てきた。

 

「これはこれは、エノール様。遠くからわざわざお越しいただいて」

 

「歓迎感謝するわ。私が次期当主兼現当主代理のエノール・アルガルド。よろしく」

 

「バルワルド商会に勤めております、バーガルド・バッカルトです」

 

 バーガルドがエノールが差し出した手をとる。しかし、エノールの言葉に小さな疑問を浮かべた。

 

「現当主代理、ですか?」

 

「ええ、お父様がお忙しくてね。その代理として嫡子である私が立てられたってわけ。まあ、身代わりみたいなものよ」

 

「またまた、ご謙遜を」

 

「……」

 

 ここで、認めさせたなどと自分の力を誇示しない。それで父親が侮られては伯爵家が侮られることになる。自分一人を侮らせておいても損はないのだ。

 

 そもそも、商人は侮らせておくに越したことはない。実力を変に教えても意味がないのだ。

 

「それにしても……ここは臭いわね。どうなっているの、ここは」

 

 わざと周囲の悪臭に苦言を呈す。半分は本音だった。

 

「いやはや、私も参っていましてね。ここに住んでいますが、いまだになれません」

 

「まあいいわ。とりあえあず中に入りましょう。中までは糞尿の匂いはしないんでしょう?」

 

 悪戯っぽくいうと、バーガルドは笑うのだ。

 

「ええ、少ししか」

 

 

 

 

 

「─当商会は主に金属加工業を専門としていまして、囲っている鍛治職人達が鉄を打つのですけれど─」


 中にはいるとそれなりに豪華な内装だった。動物の骨やら剥製が飾ってある。絵画もあって、どれだけ高いかはわからないが、壁紙や照明などに手を加えてないあたりそこそこなのだろう。

 

 バーガルドは地図を持ち出して鉄の輸入経路から商品の売り出しルートなどを説明してくれる。こういうのを教えてくれるのはおそらく私が伯爵家の娘、それも次期当主だからだろう。恩を売るに越したことはない。

 

 おそらく私個人は見ていない。私が当主として座に就くのはこれから十年先なのだ。商人の業種にもよるが、十年先に期待するほど彼らも暇ではない。もう少し大きい商会の人間ならそこらへんが抜け目ないのだが、少なくともここは『中堅』どころだろう。

 

 一通り説明してもらうと、やっぱり鍛治現場が見たいと言って外に出た。やっぱり外は汚くて、しかし、私の希望で歩きで行くことになった。

 

 住人の目は寂れている。夢も希望もないと言った感じだ。衛生環境が悪いせいで子供が死ぬことも多いらしい。死体なのかただ横になっているだけなのかわからない人もいる。時には本当に死体があるのだ。結構きつい。

 

 流石に佐藤健の記憶にも死体を見た経験はない。それらしきものをちょろっと見たことはあっても、あんなふうに体が腐って黒ずんで、あげく頭がかっぱりと……やめよう。思い出すだけで今でも吐きそうになる。

 

 喉をやく胃酸の酸っぱさが鼻をつんと刺激して、私は気分が悪くなった。バルターやバーガルドは大丈夫ですかと聞いてきたが、頷いておく。

 

「私は、星見の儀式を終えております。そこで当主の座を受け継ぐことが決定しました。未来は変わるとはいえ、私は未来の領主として領地をありのまま見ておかなければなりません」

 

 バーガルドは調子良く流石ですなどと私を煽てていたが、バルターは心配そうにこちらを見ていた。

 

 やはり、顔でバレているらしい。ちょっと吐きそうだ。鍛冶場を目指す。

 

 鍛冶場はむせかえるようで、そこで職人がガンガンと鉄を打っていた。

 

 店の人は嫌な顔をしていたけれど、商売相手と私たちの姿を見て、文句言いたげな顔で奥に通してくれた。

 

 おぉ……と小さく拍手をしながらその光景を眺める。そして、私たちは再び建物に戻る。

 

「さて、バーガルドさん。本題に参りましょう」

 

「……本題?」

 

 バーガルドは鳩に豆鉄砲を食らったような顔をする。

 

「私は今、領地を回っております。それは将来領地を動かす上で必要だと感じたからです」

 

「ごもっとも!」

 

「……」

 

 バーガルドはまだ煽てた調子だ。真面目に取り合っていない。

 

「貴方は、この領地の問題をどれだけ把握してますか?」

 

「えっと……」

 

「『ベティクート』、盗賊団、強盗団、耕作に向かない平原、少ない河川、外だけでもこんなにあります。都市に目を向けてみましょうか、売春、貧困層の拡大、それに伴う治安の低下、犯罪組織の発展、商業の衰退──」

 

「え、えっと……」

 

 バーガルドは話についてこれてないようで、まだ私ではなく執事長の方を見る。

 

 バルターの方がその様子に見かねたようだ。

 

「バーガルド様、今は私ではなくエノール様がお話ししています」

 

「あ……」

 

「いいのよ、バルター。それじゃあ、見せてあげなさい」

 

「かしこまりました」

 

 バルターは持ち歩いていたカバンから一つの資料を取り出して、商人に手渡す。

 

「これは……」

 

「領地の流行病に関する情報と、それをまとめたリスト・被害状況などです。ご覧ください」

 

 商人はみるみるうちに顔を顰め……というほどでないにせよ、少々苦々しい顔になった。

 

「そして、流行病。いったいどれだけの問題をこの領地はかかえればいいのでしょうね」

 

「いやはや、これほどとは……」

 

「これはまだ良い方です。流行病が猛威を振るえば、町は一つ消えるでしょう」

 

「……」

 

 私の言葉に商人はようやく顔をこわばらせた。なぜ今なのか、そんなの前々から事例があったのに、まさかありえないとでも思っていたのか。

 

 ああ、もしかしてここってペストとか梅毒とか、そういった大規模な感染症の被害を歴史として伝えられてないのか? なかったのか、伝わらなかったのか。何にせよ、彼らにとっては神の所業に等しいわけだ。

 

「お知り合いの同業者の中に、病で亡くなった方は?」

 

「……知る限り、一人います。商会の人間に聞けばある程度出てくるかもしれません」

 

「そう、残念ね。そして、私はその病気の原因を知っているわ」

 

 バーガルドは固まる。おそらく今、私を信じるか疑うかで葛藤しているんだろう。悩む時間はくれてやる。

 

 だが、いつまでも待つわけじゃない。

 

「原因を知っていれば、当然対策もできるわよね? どこが病気が広がりそうで、何をしたら防げるようになるのか。原因を知っていれば、どうということはないわ」

 

「それは……本当ですか? 俄かには信じ難いですが……」

 

「ええ、そうよ。何せ、私は貴方達相手に病で商売をしようと思っているから」

 

 その言葉にバルターも一緒になって驚く。なぜ貴方が驚くの……

 

「そ、それはどういうことですか? まさか、我々を……」

 

「勘違いしないでちょうだい。私は病をコントロールする。自分の領地で領民を管理するみたいに、流行病をある程度管理(マネジメント)することができるわ」

 

 やはりバーガルドの想像の範疇を超えていたようで、考えるように俯く。私は咄嗟に補足した。

 

「大仰なことを言ったけれどね、端的にいえば病気の原因と防ぐ方法、それを両方教えてあげると、そう言ってるのよ」

 

「そ、それは本当ですか⁉︎」

 

 この慌てよう、それほどまでに欲しいのか。

 

 いや、こんな環境にいるんだ。病で死ぬ人間をたくさん見てきただろう。自分も次はそうなるんじゃないかとビクビクしているに違いない。

 

 彼個人にしても病気を防ぐ方法は喉から手が出るほど欲しいのだろう。

 

 私は勿体ぶって出されたティーカップをことりと置く。

 

「貴方達商人は情報を欲しているわ」

 

「え、ええ……」

 

「それは今回だけのことじゃない。商人はその耳を頼りに情報を手に入れて、それで商売を上手く行かせようとする。つまり、情報がお金に換えられてるわけよね」

 

「そうですね……」

 

「貴方達商人は、自分が欲しいものがあると大枚叩いて買うそうじゃない。お金を出して、取引して……」

 

「…………」

 

「……私の言いたいこと、分かる?」

 

 そこまでいっても、バーガルドはまた思案し始めた。そこまで私も暇ではない。君の思索に付き合ってあげもしない。

 

「──あら、貴方はそんなに愚鈍だったの?」


「っ……」

 

「舐めないで欲しいわね。私はエノール・アルガルドとしてではなく、領主代理、父上の代わりにここに立っているの。その意味がわからないなんて、もう言わないわよね?」

 

「……わかりました。いくらで売ってくれるでしょうか」

 

「あら、貴方個人と取引すると思う?」

 

「なっ、そんな!」

 

「商会に話を通しなさい。そして、決めなさい。商会として私を支持し、私に忠誠を誓うか、それともこの話を降りるか」

 

「……」

 

「私ね、伯爵家として財政にはとても困っているの。事業を始めようにも金がない。可能性のある事業がそもそもない。八方塞がりよね」

 

「……わかりました。緊急で会議を始めます。それまでお待ちいただけませんか?」

 

「何時まで?」

 

「っ……」

 

「いつまで、貴方は私を待たせるのかしら。私だって暇ではないのよ。これからいろんな都市を回って騎士と諸侯に会わないといけないし、商会も貴方のところだけではないしね」

 

「すぐに手配させます!」

 

「期限を指定なさい」

 

「……一週間! 一週間でどうです⁉︎」

 

「ダメね、三日よ」

 

「そんな!」

 

「三日、貴方達に時間をあげる。それでも結論が出なかった私は行くわ。商会の八割の賛成を取り付けなさい。でなければ、私は次の街に向かって別の商会にこの話をするだけよ」

 

「っ……!」

 

「別に、ここでなくてもいいのよ。私たちは。他にいくらでも商会はあるし、病の対策なんてどこも喉から手が出るほど欲しいでしょうし」

 

「わか……りました。三日以内に八割、賛成を取り付けます」

 

「ええ、お願いね」

 

 バーガルドはもう礼儀も失して部屋を出ていく。すぐに部屋の外が騒ぎになって、エノールは優雅に紅茶を飲み始めた。

 

「エノール様……」

 

「何?」

 

「……なんでもありません。このバルターはどこまでついていきます」

 

「お願いね」

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