爆発する杖
翌朝、義勇兵達が盗賊団のアジトと思しき場所に向かっていた。
バルターをなんとか説き伏せてエイジャーと共に同行する。私たちは最後尾、安全な場所からことの推移を見学するのだ。
『なりません!』
などと喚いていた執事長。次期当主ともあろうお方が〜とか、現当主代理でもあるのに〜とか、貴族なら領地の狼藉者を始末するのも役目だから私にはそれを見届ける義務があるなどと言ったら、意外にすんなり折れてくれた。
バルターは真面目すぎるのだ。だから、貴族の義務を持ち出されると反論できなくなる。それが彼の欠点だろう。
「エノール様、いいですか? 何か不測の事態が起こった場合、すぐに逃げるようバークスに言ってあります。我々は見届けるだけですからね?」
はいはいと馬車の中で頷く。貴族の義務を持ち出されて説き伏せられた彼だが、最後の抵抗と言わんばかりに地図を持ち出して、様子を伺えそうな少し小高い立地を私たちに指し示した。そこを拠点としてことの推移を見守れというのだろう。
「着きましたね」
珍しくアイシャが口を開く。彼女は純粋な黒髪、それも濡羽色のような真っ黒の髪をしたショートヘアの女性だ。
彼女もまたその容姿からあまり良い扱いを受けていなかったようだが、お父様に拾われたという。我がアルガルド家はそんな話ばっかりなのに、なぜか悪名高い。屋敷の人間もそれを不思議に思っていた。
「あっ、エノール様!」
私の席は窓際だ。さっさと馬車から降りて、エイジャーの元へ向かう。
「エノール様」
「きちんと退治してくれるんでしょう? 私に良いところを見せてちょうだいね」
「承知いたしました」
エイジャーは荒くれどもに指示を飛ばす。出身ごとにグループに分けて、それぞれ仮のリーダがいるようだった。地元ですでに決めているようエイジャーが指示を出したらしい。えらい。
彼の指示を受けてぞろぞろと男達は風下の方に降りていく。私たちはそれを眺めることになった。
「しばらく暇ね」
「すぐに戦いが始まりますから、そうも言ってられなくなりますよ」
「エノール様、何かあったらすぐに逃げますからね。いいですね?」
「分かったわよ。伯爵家の執事がそうビクビクしないでちょうだい」
そういうと、なぜだかバルターやエイジャーまで悲しそうな表情を浮かべた。なんだと言うのか。
「……」
暇だ。やっぱり暇だ。
ここから見ると、エイジャーのいう通り盗賊団のアジトのようなものが見える。しかし、木々が生い茂っているせいで見通しは悪い。戦いが起こっても遠くの方は遮られてわからない。
風が頰を撫でる。嵐の前の静けさとでもいうべきか。私は杖を握り始める。
そこで、私は悪い癖が出た。青い空の下、早朝というのに気温は高くて、私は手慰みに杖をいじり始める。
やっぱりなんか力を入れてる感じがするんだよな……一体なんなんだろうか。
あー、帰って紅茶が飲みたい。貴族は茶を好んでいたとか聞くけど、なんでなんだとか日本では思ってたけど、やることがなくてあればかり飲んでると本当に中毒みたいになるわね。
あー、暑い。さっさと帰りたい。屋敷に戻りたい。旅を進めてさっさと帰郷したい。
……鳥が飛んでる。なんだろ、あの鳥。私、鳥になりたいわ。自由の翼で羽ばたくの。きっと空は気持ちいわ。
……鳥はよく休んでると聞く。羽ばたくのは大変疲れるので、そのために彼らは足を失わなかったとか。鳥どころか羽虫なんかもそうらしい。飛ぶのは大変疲れるのだそうだ。
帰りたい……もうあの砦爆発しないかしら。こう……ボンっと。そしたらもうおしまいよね。めでたしめでたし、みんな帰れてハッピー。
──その時、近くから爆音がする。釣り鐘を叩きつけたようなすごい音だ。
ふっと見上げると、砦の方から煙が上がっていた。私は突然の事態に凍りつく。
幾らかの木々が倒れている。鳥達は一斉に飛び立って、木陰からは小さな焼け野原が垣間見えた。木々のカーテンが少し晴れて、そこから義勇兵の隊列の先頭が見えた。どうやらアレに巻き込まれてはいないようだ。
爆発が起きた。それも砦の内部から。そのせいで砦がガラガラと崩れている。内部で押し潰されて人が死んでいるかもしれない。盗賊があの中にいるということだから、その可能性は高い。
巻き込まれた盗賊の幾らかは死亡し、生き残った者達はひどい火傷をおって砦から出てくる。混乱していた義勇兵達も、盗賊達の登場にすぐに戦い始めた。決着はすぐについていた。
私は頰を引き攣らせる。これは夢だ。そうに違いない。また星見の儀式みたいなリアルな夢だ。
後ろにいるエイジャー達は動揺している。突然森が爆発して、砦みたいなのがメチャクチャになって、その周辺も焼け野原になって──その直前に何かが光った気がしたのだ。
ずっと不思議に思っていた。どうしてこの令嬢はそんな杖を持っているのか。代表してエイジャーが疑問の声を上げる。
「……あの、エノール様」
私は耳を塞いだ。男達の喧騒も、後ろの動揺も、森のざわめきも、全てから聴覚をシャットアウトした。
私は見たのだ、見てしまったのだ。その杖が直前に今までにないような鋭い光をあげていることを。それは私が調子に乗って力を入れる感覚を強めた時だった。
杖の中に力を、何かに空振りするようにひょいっと踏み入れるような感覚がして、事態が起こった。ああ、これは夢だ。夢なんだ。もう私は屋敷に帰るぞ。私は悪くない。
信じたくない、私がこの杖を使ってあの砦に爆発を起こしたなんて。ふざけて砦が爆発しないかななんて、杖を握りながら考えていたことなんて。
そういえば、この杖は『伸びろ』と念じたら伸びてくれるし『縮め』と念じたら縮んでくれる。私を鳥にはしてくれなかったけど、『怖いことはやめてくれ』と念じてからは怖いことは起きていない。
もしかしたら、この杖は私の命令を聞いているのかもしれない。そんなことを考えながら、私は現実逃避に浸る。この状況、どうしたらいいだろう……
──やはり、この杖は呪われている。
後になってから私は人質の存在を思い出した。エイジャーが人質になったという村人は無事なのかと心配して、私はひどく青ざめた。
そうして待っていると男達がゾロゾロと風下からやってきた。見た感じ怪我はない。引き摺られた盗賊はひどい火傷を負っていて、目を背けたくなるほどだった。だが、私の中に巣食う加害者意識がそれを許さなかった。
引き摺られてきた盗賊は全員ではないだろう。五人しかいないし、探しても人質の姿も見当たらない。
人質諸共巻き込まれて……と考えたところで私は膝から崩れ落ちそうになっていた。
「……えー、死傷者十二名、捕縛者五名、いずれも盗賊団と見られる奴らです」
「……そう」
「志願者達は一切怪我をしていません。かすり傷などはありますが、いずれも森での移動中に作ったものです」
「……そう」
「人質になったという村人ですが、どうやら道中で解放されたようです。森の中で捜索は厳しいですが……出身の村人達を使って捜索させる予定です」
「よかったぁ……」
心の底、腹の底からの言葉だった。
私は思わずしゃがみ込む。安心と安堵でいっぱいだった。盗賊ならまだしも、あの爆発に巻き込んで人質になってしまった村人も焼死体にしてしまっていたら、私はどうなっていたか分からない。
蹲る私に、周囲の注目が集まっていた。
確かに盗賊を捕まえたのは男達だ。彼らを集めたのはエイジャーだ。
しかし、男達も死を覚悟して戦場に来た。だというのに、いきなり砦が爆発して中から盗賊達が逃げてきた。
これはどう取り繕っても、今の状況はあの爆発に引き起こされたもので、なぜだかエイジャー達は幼い少女の方を見ている。その少女は変な杖を握りしめていて何かを懺悔するかのような面持ちで肩を丸めていた。
エイジャーはエノールに助け舟を出す。
「……えー、基本報酬は渡す。追加報酬については……捕縛した全員に均等に分け与えるというので良いですか? エノール様」
「……それでいいわ」
諸侯が許可を取っているところから、この少女は偉いところの娘さんのようだ。そうとなれば男達でも容易に気付く。彼女はこの領地を治めるアルガルド伯爵家の息女なのだ。
なぜだか令嬢はひどく落ち込んだ様子で暗い表情をしていた。何かあったのか、この場で何かしたのは男達の方……盗賊の有様に罪悪感を抱いているのだろうか。だが、なぜこうなったのかは男達の方が聞きたい。
男達は狐にばかされたように、はたまた肩透かしでも食らったように帰路に就く。本来死を覚悟してまでここにきたのに、やったことといえばひどい火傷をおって逃げてきた盗賊を捕まえることだけ。報酬は均等に分けられて、そのまま元の町に返された。見通しのいい運送業者が彼らを乗せて去っていく。
エイジャーはそれを見送ると人のいなくなった屋敷の玄関先でエノールに対して疑問を呈するのだ。
「……それで、エノール様? 先ほどのは一体なんなのですか? その杖が光ったと思ったら、爆発が起こって……もしや、あれはエノール様の仕業なのですか?」
鋭い質問に、エノールはぎくりと肩を震わせた。
エノールに故意はない。しかし、どう考えても流れからして自分がやってしまったように思う。しかも、その決定的な瞬間を見られていて、その上バレたらまずいことをその光景から推察されてしまった。
エノールは汗をダラダラと流す。観念した彼女は子供のように騒ぎ立てた。
「まさか、あんなことになるとは思わなかったの! 私もこの杖は変だなと思ってたし、そもそも捨てようと思ってたのに結局捨てられなくて……バルターがいうには私はこれを部屋に持っていって寝たとかいうんだけど、私には全然そんな記憶がなくて、むしろ捨てたと思っていたのにいつの間にかベッドにあって、そもそも光って伸び縮みして確かにこの球体も浮いてるけど、まさか爆発するなんて……! 確かに『あ〜、あの砦爆発しないかな〜』なんて考えてたけど、子供の妄想っていうか、早く帰りたいから現実逃避していただけで、それで力を入れてみたらこんなことになって……私じゃないの! いやそりゃ杖に力を入れたのは悪かったけど、まさかこんなことになるなんて──」
「わ、分かりましたから! エノール様のせいだとは思っていません!」
エイジャーの方が見かねて彼女を諌める。エノールの年相応な仕草に逆に困惑していた。
「──というより、男達は怪我をせずに済みましたし、むしろ目の上のたんこぶだったあのアジトも撤去しなくて良くなりましたから……人質も結果的には問題なかったですし、ああいった建物は放置しているとならずものの溜まり場になりますから撤去しなくてはいけなかったんですよ。また同じような輩が現れないとも限りませんから……エノール様が破壊してくださったおかげでその手間も省けました」
「うぐっ……」
「見た感じ、古い砦か何かだったんですかね。石造りでしたからあの場で撤去するのも難しかったですし、その点で爆発は一番いい手でした。お見事です!」
「うぐぅ……」
エノールにしてみればこれはミスなのだ。予定外の行動で仲間を危険に晒した。自分だけでなくこの場にいる全員を文字通り危険に晒したのだ。
結果的に良かったとはいえ、もし狙いが外れていたり人質が中にいたら……そう考えるだけで吐きそうだった。
ましてや自分の失態であるべきそれを褒められると、なぜだか無性に高度な皮肉を言われている気がしてダメージを負うのだった。
「え、エイジャー様、その辺で……」
「ああ、すみません。ともかくこれで盗賊団は壊滅しました。エノール様のおかげです。ありがとうございました」
「ええ、別にいいのよ、このぐらい……」
エノールは『それはこれまでのことよね? 私が色々口出しした件についてよね⁉︎ 爆発のことじゃないわよね⁉︎』と疑心暗鬼に陥っていた。
「それではエノール様、参りましょう」
「ええ、そうね……」
そう言って、三人は去ろうとしてしまう。馬車に乗ろうとしたその背中をエイジャーは呼び止めた。
「お待ちください、エノール様!」
「……何かしら?」
「このエイジャー・グラニール、たった二人といえど騎士を従える諸侯でございます! 自分が統治を任された封土での問題を解決していただきながら、なんのお礼もしないわけには参りません!」
すると、エノールは馬車の乗り台にかけた足を下ろして、佇まいを直す。
エイジャーはその雰囲気に気圧されて、思わず足をそろえてしまった。
「エイジャー、貴方のすべきことはなんですか」
「それは……民を慈しみ、守ることです」
「そうですね。では今の貴方にそれができますか?」
「……出来ません」
エイジャーは素直に答えた。きっとこの少女の前では強がりなど無意味だから。
「そうですね、では貴方のやることはなんですか?」
「それは……力をつけること、だと思います」
「自信を持ちなさい。貴方はきちんと正解を選び取っています」
「……」
「エイジャー、私は本来貴方を夫してもいいと思っています」
その発言にその場の全員が目を剥く。比喩ではない。特に執事長は驚いてエノールの方に振り返っていた。
「エノール様!」
「黙りなさい、バルター。今はエイジャー侯と話しているのですよ?」
「しかし!」
「黙りなさいと言ったのが聞こえないのかしら」
エノールの、その外見からは想像もし得ないような有無を言わせぬはチグハグな迫力に、バルターはもやもやしたものを抱きながら押し黙る。
「……残念ながら、私はこの領地のため婚約権も政争の道具にせねばなりません。この餌を使って、きっと私はこの領地にとって有利にことを運ぶでしょう。そういう使命があります」
「……おっしゃる通りかもしれません」
その言葉に、エノールは鼻で笑う。
(ここに来てまで、かもしれない、か)
「だけれどね、エイジャー。私が言いたいのは、本来貴方はそれに足る人間だということです」
その言葉にエイジャーは顔を上げる。
「胸を張りなさい。自信のなさそうなリーダーには誰もついてきません」
「……はい」
「貴方の封土をもっと大きくしなさい。そして、この伯爵領をもっと良くしなさい。今度盗賊団が来た時には自分一人で解決できるように」
「承りました」
「エイジャー、私は貴方のような人が領内にまだ諸侯としていてくれたことを誇りに思います。幸運と言ってもいいですかね。何せ、このアルガルド領はそれはそれは無惨なことになってますから」
「それは……」
エイジャーもまたそれを認めるわけにいかないうちの一人だ。自分もその一部を管理しているのだから、決してそうであってはならない。
しかし、この少女に盗賊退治を手伝わせた後では説得力もないだろう。
「エイジャー、私は貴方に期待しています。頼りにしています。貴方のような人が領内にいるのだと、それを誇りに思って、心の支えにして、今はなんとか挫けないように頑張ります」
「このエイジャー、心よりエノール様に忠誠を誓います」
それは騎士の忠誠の誓い方。グラニール家はもとは厳格な騎士爵だったのだ。
「エイジャー、貴方の働きに期待しています。私と一緒に、この領地をより良いものにしてくれますか?」
「誠心誠意、喜んでお受けいたします」
「そう、それを聞けただけでもここに来た甲斐があったわ」
そうしてエノールは馬車に乗り込む。使用人達もまた裏手から乗り込んだ。
御者は手綱を鞭のように振るって、馬を歩かせる。エイジャーは彼らが遠くなるまで、腰を屈めていた。
ふと顔を上げると、令嬢がこちらを見ている。窓越しに投げキッスをされて、思わず破顔した。
「結婚ね……」
少女の言葉を思い出す。
『婚約権も政争の道具にせねばなりません』
七歳の少女とは思えない達観の仕方、その口から語られる鉛のような現実。
伯爵家に生まれ、当主になることが確定した彼女は、その現実から早くも向き合わなければならなかったのだ。それがいかに苦痛だったか、男であっても想像のしようはある。
凱風のような人だった。流星のような威光はまさに天才と言って然るべきで、しかしどこか自分の知っている『天才』とは違う。能力が高いんじゃない、存在そのものが異質なんだ。
だから、惹かれる。古来より未知は恐れと畏れと憧れと恋慕を抱かせる。
人は一縷の天才に憧れ、夢を見て、そして近づきたがるものだ。彼らの炎が自分の身を灼くとしても、それでもダイヤモンドのような輝きを手中に収めたがる。
エイジャーを含めた凡人は、いかなる時代でもその呪縛から逃れられない
息女の言葉がもう一つ反芻される。
『私は本来貴方を夫してもいいと思っています』
高嶺の花。
容姿も能力も、ありとあらゆるものを切り取ったとして何一つエイジャーは敵わないだろう。こと才能という一点においては万華鏡に喩えても過言ではないほどのものを有している。おおよそ自分には釣り合わない。エイジャーはそれを分かっている。
それでも凡人は、焦がれる。目の前に一輪の輝く花があれば、たとえその手が摘み取るに相応しくないとしても、身の程知らずの愚か者は焦がれてしまうのだ。
魔性の魅力とでも言おうか、一人の女が国を傾けたと言われることもある。それに匹敵する『異質達』がもつ異彩、それがエノール・アルガルドが振り撒き、身に纏っていたものだ。毒花の鱗粉のように、甘くも人を惑わせる力を纏っている。
「……光栄だな」
空は青い。領地のどこにいてもこの景色は変わらないだろう。
あの令嬢が同じ景色を見ていることを夢見て、諸侯はあり得ないと自分を嘲笑いながら痛みを覚える。
七歳の少女は、三十二の男に胸の痛みを刻みつけたのだ。