葡萄畑の街
今日も二本立て
エノールは諸侯の屋敷を案内された。
エノールは話を聞いていても退屈だったが、自慢話も情報源の一つだと注意して聞きながら……やっぱり無駄なんじゃないかとその無益さに呆れそうになった。
諸侯が自慢げに話す。
「──我が領地は葡萄の栽培が盛んでして、方々に対して売りつけているのです。毎年収穫量や質なんかは違いますが、貯蓄をすれば怖くはありません。商人から『固定資産』なる物を教えてもらいまして──」
「それは素晴らしいですわね!」
食い入るように世辞を入れる。なぜかって? 話を聞くのが面倒だからだ。
相手は伯爵家の次期当主である娘がわざわざこっちに出向いてきたと、自分が認められた気になっている。そこで煽ててやれば聞いてもないことを話してくれる。
諸侯は気分を良くして資産運用の中身を話した。
「神の像は教会で製造が禁止されているのですが、実際は黙認状態となっております。そこに目をつけて、一定の需要があって価値が変わらないどころか、年月が経てば経つほど価値が上がっていく像を資産として持てば、何かの備えにもなりますしゆくゆくは資産を増やすことができるわけです」
「素晴らしいですわね。屋敷でも真似しようかしら!」
「そうでしょう、そうでしょう」
尤も、そんなものは資産運用の初歩である。この世界の文化レベルが低かろうとも、それは人の質が劣っていることを意味するのではない。この時代にも自分を凌駕する天才はいくらでもいると考えていた。
それでも、佐藤健にあるのは歴史が積み上げてきた経験だ。先人達が積み重ねてきた歴史が違う。故に、エノールの知識というのは他と比べて複雑さと精確さが違うのだ。
神の像の生産、確かに今は固定資産として使えているんだろう。しかし、やろうと思えばすぐに過剰生産して値崩れを起こすことができる。そうすれば彼の持つ資産価値は減るだろう。もしかすればこれは使えるかもしれない。
いや、そこに使われた技巧というものは一朝一夕で養える物ではない。脆弱な運用法だと思ったが、なかなかどうして賢い方法だ。尤も、この男の買っている像というのがそこまで技巧に溢れた物なのかは定かではないが……買う人が増えれば増えるほど値崩れは起こす。それで誰が得をするのかといえば、考えるでもなくその像を作る彫刻家と売りつける商人だろう。
まあ、すぐに資産価値が減る物でもないだろうし、この男のいう通り像が経年劣化すれば価値は上がるんだろう。割を食うのは後から買う人たち……ネズミ講みたいなシステムだなとエノールは思った。
「失礼ながら、この領地の所有者はアルガルド伯爵家現当主であるアイジス・アルガルド様、その次はここにいるエノール・アルガルド様でございます」
「おお、これは失敬」
「いいじゃない、バルター。ちょっとした言葉の綾よ。でしょ?」
「いやはや、その通りでございます」
「そうですか、これは失礼いたしました」
「それで、エノール様はどうしてこちらへ?」
「……ここで立ち話もなんですから、少しゆっくりとできる場所にいきましょうか」
「分かりました、それでは屋敷に戻りましょう」
こちらは長い旅路を経てやってきたというのに、そんなことを気にもせず葡萄畑を連れ回した諸侯は、エノールを屋敷へと案内する。
周囲の視線が突き刺さった。貴族というのは不満を持つ領民にはよく思われないようである。
伯爵家よりは小さな──それでも個人所有の邸宅としては大きな屋敷に入り、客室の椅子に座る。
出された紅茶を飲んで、センスが悪いなと思った。
(この男はダメね……)
この旅は騎士や諸侯との顔の覚えをよくするだけでなく、各地に散らばった彼らの能力について把握する目的も兼ねていた。
この男は徴税人としてはやり手なのかもしれない。しかし、少なくとも政治ごとには疎いと見える。長旅で疲れた客人を疲れも気遣わずすぐに外へと連れまわし、いきなり自慢話を聴かせるこいつには人と接する能力がない。
頭の片隅でこの男の顔と評価Eという情報をくくりつけながら、そう言った人間用の対応をした。
「先日、星見の儀式を受けましたの」
「ほう、星見の儀式ですか。私は受けたことがないのですが、受けてみたい物ですな」
「それで、私が見たのはこの領地に立つ私の姿だったんです」
「ほう、ということは……」
「おそらく次期当主は私に……」
エノールはここでしまったと思った。この情報は伏せてもよかった。
次期当主になる確率が高いと言って、怪しまれるなら教えてもいい。無闇矢鱈に教えて、小娘なんぞに当主は相応しくないなんて反感を持たれたら厄介だ。
しかし、そんな杞憂も虚しく男は単調な反応を返す。
「それは良いことですな! おめでとうございます、エノール様!」
そこにはありありとお世辞の色が見え透いていた。
(やはり、ダメだな……)
「ありがとうございます。しかし、女伯爵というのは王国では珍しいでしょう?」
「ええ、まあ……」
「我が伯爵家に男児が生まれないとなると落胆される方も多いかと……そこで、未熟・若輩である私は自ら従える騎士や諸侯の皆様と顔を合わせて、これからもよろしくと伝える必要があるかと考えましたの」
「それはまあ、結構なお手前で……」
(世辞にも慣れてないようだな……)
佐藤健は会社で戦略経営部署に身を置いていた。彼の気質は根っからの経営マンなのである。
それゆえに、この男の一挙手一投足を評価項目に入れて批評してしまう。対人関係のことについてはある程度覚えがあるからこそ鼻につくのだった。
「貴方に会えて良かったわ。力の足りない私に是非とも手を貸してちょうだい」
「ええ! もちろんです!」
この男は内心で、伯爵家に貸しを作れると喜んでいるに違いない。私が全員に向かってこんな台詞を吐くとも知らずに彼は勇足で協力してくれるんだろう……
ビジネスに限っては『騙される方が悪い』のだ。
「そこで貴方にお願いしたいことがあるのですけど」
「どうぞ、何なりとおっしゃってください!」
(よく伯爵家相手に安請け合いするな、自分の裁量不可な依頼をされたらどうするつもりなんだ……)
エノールは胸中でため息をついた。
「我が領には幾許か山賊や強盗、それらが組織した犯罪者グループがあるでしょう?」
「ええ、ありますね」
「その規模、数、それから分布を調べてくださらない? 領民から聞くのでもいいのです。噂でも構いませんわ。その場合、誰に聞いたかも合わせて教えてくださると助かるのですけど」
「分かりました、お任せください」
「バルター」
ここでおざなりな仕事はさせない。バルターは一枚の紙を諸侯に差し出す。
「これは……」
「貴方に調査して欲しい項目を書き留めておきましたの。自分が統括している封土に蔓延る犯罪者やその他流行病など、領地に蔓延る害虫をどうにかしたくて……貴方も知っているでしょう? 平原の『ベティクート』の噂」
「え、ええ、知っております……」
「私はあれに胸を痛めているんですの。どうにかしたいと……しかし、効果的な対処があれば今頃『ベティクート』の被害はありません」
「そうですね……」
「ですから、まずは情報を集めることにしましたの。兵法でも敵の数や質、陣形などは大事な要素でしょう? 部下に命じて……調べさせるだけでいいんです。その紙に沿って、犯罪者や病気、その他問題の数と質と分布、その三つを調べてくださると助かるのですが……頼めますか? 貴方が頼りなんです」
「わ、分かりました。謹んでお受けいたします……」
貴方が頼りなんて言われては大抵の場合は断れない。そういった交渉ごとにおける『殺し文句』もエノールは心得ていた。
諸侯は受け取らされた紙を見て顔を引き攣らせていた。こちらから調査内容をかなり細かく指定したのだ。これならどれだけバカでも紙の通りに調べれば問題ない。
もう話を受けた以上は引き返せもしないのだ。
「ここに貴方が収める封土の簡単な地図と、参考までにどのように記録するかの手本を用意しております。これらを調査にお役立てください」
「いやはや、何から何まで……」
この男は今、安請け合いをしたと後悔している。想像していたものより何倍も面倒くさそうだからだ。
相手が七歳の娘だからって侮ったのが間違いだ。伯爵家次期当主からの頼みなんて断れるわけないし、先ほど面と向かって「任せてください!」などと大見得切ったばかりなのだ。プライドにかけて断るなんてしないだろう。
このタイミングでアイシャに土産を渡させる。最初に渡すのが一番好印象を取れるが、それで舐めてもらっても困る。口止め料みたいで印象は若干悪くなるだろうが、これで表立って文句も言えまい。
「こちらは私が心を込めて選んだ品ですの。受け取ってくださる?」
「あ、ああ、はい。謹んで、お受けします……」
私の心にもない言葉に、諸侯は口がおぼつかなくなってきたようだ。
そりゃあ、七歳の子供から『心を込めて』贈られた品なんて無碍にはできまい。
後はこいつと騎士の能力次第だろう。真面目にやらざるえないのだから、しっかり働いてくれることを祈る。
「それらを複製した紙をいくらか用意いたしました。そちらもお役立てください。足りない場合はそちらで複製ください」
「あ、ああ、はい……」
「それでは、ご機嫌よう」
にっこりと笑みでも浮かべて機嫌を取っておく。やっぱり、こいつは政治ごとには向かない。
してやられたとか、めんどくさそうとか、びっくりしたなんて感情が全て顔に出てしまっているのだ。これではポーカーフェイスもあったもんじゃない。交渉ごとじゃマリオネットにされて終わりだろう。
だから、エノールにもいいように使われる。
屋敷を出ると、あの諸侯は見送りにも出てこなかった。
(やっぱりダメだな、あいつ)
エノールは内心であの諸侯を切り捨てた。いい人材なら起用するつもりだったのである。
「エノール様、兵法などどこで学ばれたのですか?」
「え? 知らないけど」
「……」
「あんなの口から出まかせよ? まあ、間違ってはないでしょうけど」
「……左様ですか」
執事長はもう考えるのをやめた。
護衛達に合図して馬車に乗り込む。すぐに次の目的地に向けて出発した。
「大した調査費用も支払わず、土産一つで受けてくれるなんて、諸侯は太っ腹よね」
「本来はそれがあるべき姿です」
「いいえ、あれはまだ私たちの家臣じゃないもの。報酬を用意しなければ、本来は動かなかったはずよ」
「……」
バルターは同じ意見なのか、何も言わなかった。
「さて、さっさと次の場所に向かいましょう。ここにはもう居たくないわ」
「それほど諸侯を嫌われたのですか?」
執事長の問いかけに──
「私、ああいう無能はダメなのよ」
端的に答えた。