記憶の再臨
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※改行が三つから五つあったら基本的に場面が転換します。視点も一人称もしくは三人称へ交代することがあるのでご注意ください
アルファート王国には四つの伯爵家が存在する。
質実剛健で知られるエルガード家、私兵の精強さで知られるアイコット家、現当主の質素さで知られるマルベク家、そして、アルガルド家だ。
アルガルド伯爵家には様々な逸話がある。
王族殺しの末裔。
王を裏切った一族。
悪逆非道で民を苦しめる悪徳領主の家系。
とにかくひどい言われようで、貴族達の情報網の舞台とされる社交界ではその名に噂を事欠かない。
アルガルド家は代々神算鬼謀の家系であり、その権謀術数によって国を誑かそうとしたことがあるという噂まである。その噂によれば彼の家は未だ王の座を虎視眈々と狙っているのだとか。
無論そんな話題が広まれば不敬罪として何かしら被疑をかけられる。しかし、その噂が今に始まった事ではないこと、何かしら根拠があって広められたわけではないことを理由にアルガルド家は未だかろうじて存続を許されていた。
もしそれが本当の話なら、アルガルド家はすぐにでも取り潰しになるだろう。
本人達は自分の家の噂にどう思っているんだろうかと、周囲の貴族は社交界で彼らの顔の厚さを嘲笑っていた。
◇
「ありえない……!」
そして、ここにいるエノール・アルガルドは、アルガルド伯爵家現当主の一人娘である。
「私は……俺は、男のはずだ!」
エノールは青ざめた表情で自分の顔を見ていた。高価な鏡を前にして、自分の頬を抑えている。
使用人が聞けば気でも触れたと思われるだろう。エノール自身もそう思う。
しかし、自分の記憶と照らし合わせれば笑い飛ばすわけにもいかなかった。
エノールには幼い頃からおかしな記憶があった。それは意識と言ってもいい。
自分はこの世界をどこかおかしな視点から見つめている。そういう自分がいるのだ。自分はここにいる人間ではない。外からやってきた人間だ。元の生まれはこことは違う。そういった意識が幼いエノールの中に紛れていた。。
この幼い令嬢の突飛な発言に頭を悩ませ首を傾げた使用人は多い。それでも、七歳の春まではうっすらとした意識にとどまっていた。
しかし、ここにきて一つの取るに足りない違和感はエノールの潜在意識下に眠るあるはずの無い異質な記憶に、曖昧だった姿から明確な境界線を与え、芋づる式にその記憶に内包されているデータを噴出させた。
エノールは──佐藤健は日本の学生であったはずだ。
様々な自意識がその記憶に眠っている。エノールの中に眠る異質な記憶は人格を保有していたが、彼らが訴える自画像は少しずつ違っていた。
自分が学生だと思う意識もあれば、社会人だと思う意識もある。うっすらと老人であるという意識もあるが、年齢にしてみれば二十より上の意識──人格は極端に鈍重だ。もはやないと言ってもいいだろう。
そのどれもが、自分は男だ、日本人だ、佐藤健だなどと喚いている。その上、七歳のエノール自身に蓄積された経験から形成される元の人格は薄弱だった。
七歳の意識と二十歳の意識、人格として精強なのはどちらかといえば、答えは明白だろう。
エノールは自分の覚えた感覚に混乱した。意識と人格と肉体がどれも同一性を保っていないのだ。多重人格障害に陥っているようだった。
意識としては男のはずだ、十歳の気もするが、二十歳であるという思いが一番強い。
なのに、確実に体は女で、目の前でアホヅラ晒しているのも小さな女の子だ。自分の視界に映る自分の手も、幼く小さくそして柔らかだ。
目に映るもの、そして脳が訴えるものと自分の意識が明らかに乖離していた。これは由々しき事態だった。
それはエノールとしての意識と、男の──佐藤健としての意識が乖離していたに他ならないが、彼が、エノールがその情報を処理できるようになるのはしばらく後の話である。彼女はしばらくその感覚に混乱していた。
当然、心中穏やかじゃなければ七歳のエノールはそれを行動とともに表してしまう。自身の感情や心理を押さえつけ、心中で押し殺す技法と度量など箱入り娘である少女にあるはずもなかった。
しかし、エノールの側付き女中は彼女のおかしな様子をしかと見ていたが、特に気にしなかった。それはエノールがまだ幼かったために、このぐらいの年齢の子はおかしなことをしたがるだろうと考えられていたのだ。特にこの令嬢がおかしなことをしだすのは今に始まった話ではない。赤子の頃から少しおかしかったのだ。
何をいうかと思えば『すまほ』というのはあるか、電気はあるのか、なぜ灯りが蝋燭だけなんだ、もうちょっと効率のいい暖房があるだろう、etc……彼女に慣れていないものは初めその言動に驚いていたが、ほとんどがすぐに気にしなくなった。慣れたのである。
少女が自分でも言葉の意味を理解していないことが判明すると使用人達は騒ぎもしなくなった。エノールの両親も静かに娘を見守り、この歳までエノールは比較的自由に過ごしてきたのである。
しかし、エノールだけはことの重大さを理解していた。みるみるうちに理解し、青ざめていく。特に佐藤健の意識はこの状況をまずいと思った。
帰らなくてはならない。どうにかして帰らなくては。
エノールは使用人をなんとか説得して部屋で一人になると、ソファのクッションに向かってジタバタとし、それから声をあげて叫んだ。無論クッションに向かって叫んだのでこれは押し殺された。
いてもたってもいられなくなったので、とりあえず叫んだのだ。子供らしい一面だが、微笑ましくはない。幼い外見に反して、中には老人の精神まで眠っているのだから。
──おかしい。
おかしいといえば全てがおかしいのだが、まず第一に自分が──佐藤健がこんな洋館めいた場所にいることがおかしいのだ。
自分で認知している佐藤健という人間は、こんな歴史を感じさせる洋館めいた場所にいないはずだ。そんな場所には縁もゆかりもないし、自分の出は単なる一般庶民の家庭だったはずだ。
働き始めてからもこんな古めかしい場所に住んだ覚えも、関わった覚えもない。そもそもこの住居から感じられる様相というのはどこの国とも少し違う。
仕事柄海外に飛び立ったこともあるし、地理も得意な方だ。けれども、ヨーロッパの伝統的な館のようでいて建築様式が違うような気がする。
家具やテーブル、その他内装に至るまで一つずつ記憶の中のものと一致しないのだ。オリジナルの人格ともいうべきか、7歳の自分は生まれ育った環境に何の疑問も抱かないのに、異物である男としての人格は妙に目の前の光景に不愉快さを抱く。
自分の感覚に目を向けてみると、更にドツボにハマっていった。そもそも仕事で海外出張に出たという記憶すら曖昧で……そこらへんの記憶は佐藤健の人格によって食い違っている。
ともかく、この場所だってなんとなくヨーロッパっぽいと思うが、それがアメリカっぽいかと言われればそうな気もするし、逆にそのどれでも無い気がしてくる。
そんな館に自分はいて、あまつさえ目の前で動いているのは少女なのだ。
佐藤健の自意識は目の前の少女を『自分』として認識していないが、これまで七年間培ってきたエノールの意識は間違いなく目の前の少女を『自分』だと叫んでいる。これがどうにもおかしかった。
違和感があるはずなのに、『違和感を一切抱かない』ことに違和感を感じた。全くおかしな話だ。叫び出したい気分だというのはこういうことを言うのだろう。エノールは悶絶した。
◇
「ありえない……ありえない」
「エノール様、お紅茶はいかがですか」
庭のテラス席、エノールの座る席の傍には執事長が立っていた。
名をバルター・イルクニス、法衣貴族の三男、ギリギリ上流階級の出であり、王都に足を運んでいた前アルガルド当主に見初められ伯爵家の屋敷に勤めることとなる。
エノールの肉体は──佐藤健のとは違って優秀なのだろう。一度言われたことをすぐ覚えるし、このバルターが言った身の上話をほとんど覚えていた。
従僕から始めたバルターはわずか十年で執事長にまで至り、現在はアルガルド領を含む屋敷の管理を王都にいる現当主にかわり代行している。
エノールはバルターに言われて紅茶に口をつける。美味しい。きっと日本ではなんとも思わなかったんだろうけど、今となってこの体は娯楽と暇つぶしに飢えている。
最も、それ以上に浄水技術が発達していないせいでまともに真水が飲めないというのもあるが。
ふと思い返してみれば自分のいる場所は趣向品も少ない。ここは本当に伯爵家なんだろうか。エノール《しょうじょ》の人格はそう言っているが、どうにも不安がある。
(伯爵って確かもっと偉かった気が……)
なんだか佐藤健の記憶にある紅茶と比べて味気ない気がする。単純に『日本』の文明レベルが高いのかもしれないが……いや、多分そうなのだろう。
悪戯のように潜り込んだ調理場ではいまだにかまどを扱っているのを見たことがある。金属製の調理器具もあるが、下手すればそれは伯爵家だからで、一般的な家庭は別のもっと安価な──いや、そもそもまともな調理器具などないのかもしれない。
どうやって調理器具なしで料理するのかもわからないが、基本的に料理するのは専門の人間だとか、物々交換や貨幣のやり取りで食べ物を作っている奴から手に入れるとか、考えようによってはいくらでも事情はあるだろう。農具はどうなっているんだろうか。人々の服は?
知らなくてはならないこと、知りたいことは山ほどあるが、残念ながらエノールという少女は伯爵家の令嬢だ。簡単に外出などできない。
それもただの令嬢ではない。次期当主というかえの効かない立場だ。どうやらこの家には自分しか子供がいないらしく、このままだと女の自分が当主になるのだとか。
両親が次の子を孕っているという話もまだない。その知らせがあるまではエノールは籠の鳥として暮らすしかないということだ。
「爺」
「なんでございましょう」
「……なんでもない」
「左様ですか」
呼んでみただけだった。
子供におもちゃにされた今年で四十二になる妙齢の男は全く動じていない。これまでの話を思い出す限り、どうやら十年以上執事長として屋敷に勤め上げているようである。
三十で執事長になるとはどれだけたたき上げなんだろうか。確かすごく難しかった気がする。伯爵家の執事長となると尚更だしな。
佐藤健の記憶だと正確な判断しかねるが、エノールはそれを相当なことと判断した。自分の体の勝手にまだ慣れない。当たり前に自分ができることにもう一人の自分が疑念を持つからだ。
だが、エノールの人格によって貴族関連の疑問は大抵消化される。どうやらこの少女は頭がいいらしい。
「そういえば、エノール様。そろそろ星見の時期となっております」
「星見……?」
「左様です。星見とは、占星術を扱う占い師に頼み、自らの未来を形作る儀式。私も遅ればせながら前当主様に受けさせていただいたのですが、その時は執事長としてこの館で働く自分の姿が見えました。エノール様は今年で七歳、そろそろでございます」
「……」
どうにも知らない単語が飛んできた。
執事長が説明するには、その星見という儀式は七歳の夏に執り行われるらしい。
七歳の夏、満点の星空のもと占い師の儀式の横で眠りにつく。そうして夢を見ることで、自分の未来の姿が指し示されるという。
特に、自分にとって、世界にとって最も重要な一場面を切り出して夢としてその光景を見せてくれるらしく、自分の将来を考える上で大きな手掛かりになるという。
多分七歳の子供なら真に受ける話なんだろうが、この体には生憎と『俺』がいる。察するに、おそらくは願掛けの類だろう。
理想的な将来の自分、またはそれと真反対の──なりたくない自分を想像して考えておいて、当日までに星見の儀式で『見る予定の』夢の内容を考えておく。翌朝になったら、さもその内容を夢で見たかのように語る。
そして、『未来の自分を見た』と言うのだ。
実際には自分で考えたことだが、周囲もそれを分かった上で聞く。推測するに進路調査みたいなものだろう。こう見えても、俺の自意識の中で最も強いのは社会人としての人格だ。社会経験には富んでいる。
(そういう空気を読むのは得意なんだよな……)
というか、冷静に考えてみれば結構難しいイベントなんじゃなかろうか。趣旨を理解できる子が一体どれだけいるんだ……?
そんなイベントを七歳にやらすな! エノールにはそんな想像力ないんだぞ!
俺はイレギュラーだから気づいたが、そんな話を聞かせたら子供は真に受けると思う。少なくとも七歳の佐藤健は騙された。
まあ、話を真に受けた子供は自分もそんな夢を見るはずだと自己暗示をかけるから、たとえ夢を見なくとも翌朝になって周囲の人から聞かれれば咄嗟にその場で考えるんだろうが、それにしたって貴族の子供の人生というのは大変だ。幼い頃から進路調査まがいのことをさせられるのだから、ノブレスオブリージュというやつなのだろう。
一瞬の間にこぼれた言葉が本音に限りなく近いという言葉もある。ふと出てきた理想的な自分というイメージが、その子の当時における本人の本当になりたいものとして判断される、程度だろうか。
そりゃあ画期的かもしれないけど……いや、中々に合理的か。単なる伝統行事かと思ったが、普通に実利的に有用なような……いや、中には想像力が皆無な子もいるだろう。子供が答えられなかったらどうするんだ!
儀式には多分占い師的な人が来るんだろう。それとも屋敷の中だけで行うのだろうか。
外部の人間を呼ぶならお金を払うと思うから、そうでなくとも労力はかかるから、子供になんとか必死に何か言わせようと大人が奔走する姿が目に浮かぶ。エノールも変なことを言えば周囲は慌てるんだろうか……いや、やめよう。悪い考えすぎる。
むしろ、いつものことだとうけながされるようなきもしなくもないが……こういう時に悪ふざけをするととんでもないことになると俺は知っている。それこそ俺が子供の時に散々学んだ。ここは大人しくしておこう。
いやでも、貴族の子供なんていろいろいるのだろう。中にはおかしなことを言い始める子供がいてもおかしくないよな。
それで突飛なことを言い始めたらどうするんだろうか。大騒ぎとかするのか……しそうなような、しなさそうなような。
ともかく、あと数ヶ月すれば俺、エノール・アルガルドはその進路相談的イベントをこなさなくてはならないことは分かった。十歳には王族の門弟も通う神学校に入学して、十五歳には社交界デビューが待っているらしい。
……嫌だ、どうしてこうなった。
俺は、こんな変な土地で自分の将来でまた頭を悩まされるなんてまっぴらごめんだぞ! 俺を日本に返せ! できるなら二十歳で! 若い方がいい、俺にはまだ読みたい小説が残っていたんだぞ!
佐藤健の自意識の一人が叫んだところで、もう一人が何か情報の受け渡しをする。あ、これ読みたい小説だ……もう読んでたのか。そうだよな、希薄でも老人の俺がいるんだもんな。そうだよな……
なんだかネタバレを喰らって(実際にはちゃんと読んだに違いないが)落ち込みたい気分だったが、何はともあれ嘆いても始まらないというか、なんというか……
バルターはそんな様子のエノールをみて静かに微笑を浮かべていた。
読んでくれてありがとうございます。次もよろしくお願いします