第四話 大人たちの思惑
隣の部屋には、先ほどアリーヤの両親と話をしていた若い夫婦がいた。
庭で中年の修道女が二組の夫婦の子供たちの面倒をみている。
「心配ですか?、隊長」
四人だけになった部屋で、若夫婦の夫の方がアリーヤの父親に話し掛けた。
「当たり前だ。 何年父親をして来たと思う」
クスクスと女性たちが笑う。
「本当に。 あの子を引き取った時はどうなるかと思いましたが」
隊長と呼ばれた男性の妻が懐かしげに微笑んだ。
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七年前のあの日。
王都にある教会の警備隊長だった男性とその妻は、ひとりの高名な神官に呼び出された。
「何か御用でしょうか」
夫婦で呼び出されるなど普通ではない。
「申し訳ないが、二人にお願いがございましてな」
この神官は見かけは見窄らしい老人だが、長年善行を積んだ者として国王からも一目置かれている。
自ら望んで王都から近い町で質素に暮らしていた。
「は、はい、何なりと」
教会警備隊は教会に所属していて国王軍とは無関係である。
堅苦しい教義に耐えられる、己に厳しい者たちが多い。
しかし実態は軍の左遷先とまで言われる問題兵士たちの溜まり場だ。
隊長もまた貴族である上司に逆らったため、国軍を解雇され教会の警備隊に入ることになった。
だが後悔はしていない。
平民よりも乱れ切った貴族社会を守る国軍には愛想が尽きていたのである。
「これからワシが話すことは、神に誓って真実であり、ワシ以外は誰も知らん。
其方たちなら大丈夫だと思って話をするのだ。
誰にも口外さえしなければ、ワシの頼みは断ってくれても構わない」
隊長夫婦は顔を見合わせた。
よく分からないが重大な秘密を聞かされるのだということだけは分かる。
老神官には日頃から世話になっているし、無茶を言うような人ではない。
夫は手をギュッと握り込んで答えた。
「承知いたしました。 私も妻も決して口外致しません、神に誓って」
妻も頷き「はい」と、しっかり答えた。
「ありがとう」
神官は嬉しそうに微笑み、小さな声で言う。
「実はな……」
それは本当に信じられないような話だった。
教会には一つの予言がある。
『ごく稀に違う世界からやって来る者がいる。
それは、上手く扱えば国を繁栄に導き、扱いを間違えれば世を混沌に陥れる』
教会と国の上層部しか知らない予言。
いや、実際に何年かに一度、それらしき者が現れて世間を騒がせる。
ある時は便利な道具を発明したり、素晴らしい料理を広めたりした。
またある時は驚異的な力で魔物や他国の侵略から民を守ってくれた。
しかし成功した後の彼らは、ほとんどが不幸になっている。
この世界の者たちの間で彼らを奪い合う諍いが起こり、身を隠してしまうことが多い。
中には生涯幽閉されたり、酷い場合は処刑されたりする者もいるのだ。
「まさか……現れたのですか?、異世界人が」
神官はシワの深い顔を顰めて頷く。
「そうじゃ。 しかもワシの教会に赤子としてやって来た」
寒い雪の日に教会の前に捨てられていたのだという。
「ど、どうして、その赤子が異世界人だと」
隊長の妻は赤子を案じるように訊ねる。
老神官は目を閉じて、フゥと息を吐いた。
「異世界人を判別する魔道具があるのじゃ」
以前やって来た異世界人の魔導師が後世のために作った、たった一つの魔道具。
どんなに本人が隠そうとしても、話すことが出来ない赤子や動物であっても、その独特な思考を読むことが出来る。
魔道具を作ったその異世界人が世話になった者に託し、それは密かに受け継がれていた。
それが今、この神官の手元にある。
「あの赤子は……戸惑っておった。
自分が育った世界とあまりにも違いすぎてな」
異世界から来た者たち全員が最初に感じる違和感。
たまに『ヒャッホー』と奇声を上げて喜ぶ者もいたが、大抵はしばらくすると自分の思い通りにならない不満を爆発させてしまうのだ。
「この世界に馴染み、無難に普通の生活が出来る者はごく僅か。
ワシは、産まれたばかりの赤子なら上手く馴染めるかもしれんと思ったのじゃ」
周りの大人たちが上手に導き、育てれば良い。
「それで私たちは何をお手伝いすれば」
妻は胸に手を当て、じっと神官を見た。
「うむ。 其方たちに、その赤子を育てて欲しい。 実の親としてな」
夫婦は顔を見合わせる。
話を聞きながら予想は出来た。
子供がいない自分たち夫婦に話が来た理由。
「承知いたしました」
夫は神官の顔を真っ直ぐに見ながら答えた。
隣で妻もしっかりと顔を上げている。
「お世話になっている神官様のためならば、出来る限りのことをさせていただきたいと思います」
「良いのか、そんなに簡単に答えてしもうて」
神官は驚いた。
断られても仕方ないと思っていたからだ。
この話を引き受けるということは、これからの人生を大きく変えてしまうことになる。
最悪の場合、この世界の行く末さえも。
「神官様に呼び出された時点で、すでに大事だと感じておりました。
妻とも相談して、我々に出来ることならばお引き受けしようと決心してきた次第です」
これほどとは思わなかったが、この夫婦は信心深い。
ここまで覚悟を決めてやって来るとは。
神官は嬉しそうに頷いた。
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「七年前、隊長がいきなり引退して驚きましたが、俺たちもこの町に来て良かったと思っていますよ」
隊長夫婦がアリーヤを実の娘として三人での生活に慣れた頃、妻が妊娠した。
長い間子供に恵まれなかった夫婦は困惑し、神官に相談する。
すると、しばらくして若い夫婦がこの町にやって来た。
その若夫婦は、老神官に頼まれて隊長を補佐するために来たという。
偶然にも若夫婦の妻が赤子を授かっていたため神官の目に留まったのだと聞いた。
「神官様から話があった時は驚きましたが、隊長のお役に立てるならと引き受けて良かったです」
上司であった隊長夫妻が教会から養女を迎えたことを知り、何か事情があったのだと知る。
普通に赤子を引き取るだけなら引っ越しなどしない。
しかも高名な神官が気にかけている赤子ときては、それ以上は何も聞かずに協力を申し出た。
「アリーヤちゃんは本当に良い子です。 隊長ご夫妻の子供ですもの」
若夫婦の妻に言われてアリーヤの両親は照れくさそうに笑う。
「しかし、問題はこれからだ」
元隊長は厳しい顔になる。
神官様の話では、アリーヤはまだ異世界での記憶を朧げながら覚えているようだ。
神官の魔術により赤子のうちに記憶を操作されているが、魂に刻まれた前世の記憶までは完全に消すことは出来ない。
「この世界で生きる覚悟はしていても、自分が生きていた世界との違いに未だに戸惑うことはあるのだろう」
四人はそっと顔を見合わせる。
「ええ。 これから大人になっていくあの子がどんな道を選ぶのか」
アリーヤの母親は顔を曇らせた。
腕を組んだ父親が目を閉じて考え込む。
やがて目を開くとボソリと呟いた。
「答えが出ない問題を考えるのは無駄だろう。
我らはあの子を精一杯愛して、普通に育てていけば良い」
誰も人生において迷わないはずはない。
神が絶対であるこの世界。
その遣いである神官の言葉を信じ、人々は生きていくのだ。
隣の神官の部屋からアリーヤの笛の音が聞こえて来た。
「そういえば、あの笛は領主の三男がアリーヤちゃんに贈ったとか」
「ええ、あの二人は気が合うみたいよ」
妻同士が微笑ましそうに話すと、アリーヤの父親は少し不機嫌になる。
「ただの幼馴染なら良いがな」
父親はフゥッとため息を吐いた。