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 再びフィアットに乗って、高速道路を駆ける。無言のエルピスはどこからかエナジードリンクを取り出して飲み始めた。


よくまぁ、あんな強炭酸をグイグイと飲めるな、と見ていたら、エルピスもこちらを一瞥する。


「その事務所に向かっているわけだけれども、何かヒントは残っているのかい?」

「ヒント、というと、足跡とかそういうものでしょうか」

「違うよ。聞いているのは、襲われたままなのかって話さ」


 襲われたまま。そう聞いて合点がいく。謎の人物を追うにしても、事務所が警察による現場検証が行われた後ではなにも出てこない。探偵も何でも屋も、綺麗に処理された後では何も見つけられない。


 つまり、手付かずかどうか、ということだろう。


「襲われたのが、ちょうど二週間前です。父と母の移送は行いましたが、まだ警察は現場検証を行っていません」

「今の警察はそこまで腑抜けているのかな。仮にもマシンガンの乱射があったのに、調べもしないなんて」

「父はずいぶん警察に知られていたので、そこを利用させてもらいました。後々に――あなたに協力をお願いしてから、調べると。本当ならそんなことは不可能なんですが、父は警察には恩を売っていたのと、何か弱みを握っていたようで、襲われたまま医者以外なら誰の手も入っていません」


 ジェイムスとの会話を思い出す。警察としては、一刻も早い現場検証が必要だったろうに、二週間も放置されたままなのだ。


「弱みを握っていたとはね」


 エルピスは、それについてはあまり言及しなかった。ただ、もう一つ気になることがあると、エナジードリンク片手に目を細められる。


「なん、でしょうか」


 仮にも裏の世界の何でも屋。何か怒らせていたら、太刀打ちできない。


「勘違いしないでくれよ。別に、君を咎めるつもりはない」


 なら、いったいなんなのか。言葉の続きを待つと、最終的にどうしたいのかを聞かれた。頭にクエスチョンマークが浮かんだ私に、エルピスは続ける。「犯人を見つけたら、どういう罰を与えるのか」を。


 そう言われ、流れていく景色の中で、私は肝心なことを忘れていたことに気づく。

 こうして、私はコルトをカバンにしまってあるわけだが、犯人を見つけたらこれで撃つのだろうか。撃てなかったとして、エルピスに撃ってもらうのか。そもそも殺したいのか、警察に連れていきたいのか。


 フッとわいた疑問に頭を悩ませている私に、エルピスは鋭い口調で「殺したい」という単純な欲求を述べた。


「君にとっての父であるように、ボクとしても人生の恩人であり、父親のような存在だからね。どんな相手でも鉛球を撃ち込んで、息の根を止める。でも、この仕事はあくまで君から依頼されたものだ。チームとして現場に着く前に、私情を抜きにして、仕事として君というクライアントから言われた通りに終わらせるための道標が必要なんだ」


 だから、どうする。パーラメントを咥えたエルピスは問いかけるも、答えが見えてこない。

 霊園で、エルピスは言った。殺したら後戻りできないと。裏の世界で生きる人々なら、なんらためらうことではないのだろう。父親が殺されたので、殺し返す。きっと、私を襲ったあの三人組だって、そういう考えに帰結する。


 だけど私は、表の世界で生きてきた人間。人を殺したという十字架を背負ったまま、「事件は解決しました」と、ジェイムスに言えるだろうか。


 ――無理だ。即言できる。私に人は殺せない。手足を狙って動けなくすることだって、難しいだろう。


 覚悟を決めれば、できるだろうか。そんな覚悟を決める時が来るのだろうか。頭の中で一考に耽ってみる。人の命の重さを、私は支えられるか。銃器はアルミやチタンで作られているというのに、どれだけの人の命を乗せてもつぶれることはない。軍人も、裏の世界の住民も、殺した分だけ、むしろ固くなる。


 ならば、私はどうか。再検討するも、無理か、わからないの二つだった。


 結局、考えても答えにたどり着けないので、私は成り行きに任せると答えた。きっと、今の私の顔は、困ったような笑顔だろう。


「まあ君がそれなら、決まるまでボクは普段の仕事通りにやらせてもらうよ」


 普段の仕事。裏の何でも屋としての仕事という意味だろうが、どうするというのだろうか。チームを組むうえで、こちらとしても、エルピスについて知っておく必要がある。


「あなたは、その、週休七日とか、興味が湧く仕事しかしないと仰っていましたが、具体的にはどのような仕事を受けるんですか?」


 単純な知的欲求に、エルピスはフィアットの運転を自動のままパーラメントを窓の外に捨てると、それこそドンパチだと答えた。


「よくあるだろう? 夜の暗闇の中、二つの組織がアタッシュケースを交換し合う。片方には、麻薬や銃器が。もう片方には、札束が。今のご時世だと、札束ってケースは少ないけれど、こういう取引は頻繁に行われる。スウィープ以外ででもね。そういう時に、警察や別の組織が邪魔しに来たところを迎え撃つのが仕事かな」


 ずいぶんと物騒な仕事内容だった。映画ではよく見たことのあるシーンだが、現実では想像もつかない。とはいえ、エルピスのような若く小さなガンマンに回ってくる仕事はあるのか。その辺はどうなのだろうと、機嫌を損ねないように言葉を選んで聞いてみると、こちらを見て、やや悲しそうに笑った。


「ヒカルのおかげだよ」

「えっ?」

「まあ、そういう反応をするだろうね」


 見透かされていたわけだが、エルピスは父が斡旋してくれたと、懐かしむように呟いた。


「誰にも引き取られずに、ボクはヒカルの入れてくれた孤児院を出た。とっくにヒカルは結婚していて、たぶん中校生くらいの君もいただろうね。ヒカルは、身寄りを預かってくれるって昔から言っていたけれど、そこまで迷惑を掛けたくなかった。だから、安い物件の建物を探して、ヒカルから教わった戦い方でアインヘルムを開いたわけなんだけれど……お客さんが来なくてね」


 とにかく大変だった。エルピスは、私が家族の中でぬくぬくと過ごしていた時期のことを、ポツリポツリと語る。二十になる前から借金をして、一から接客やマナーを学んで、激動の時間が流れたと。


 その果てに、行き詰ってしまった。腕は確かにある。殴り合いになっても十分以上に戦える。そういう特技があっても、こじんまりとした見かけが足を引く。このままでは、借金取りに追い回され、父に拾われる前の孤児と同じになってしまう。


 そこで父が現われた。心配を掛けないように開業したことは秘密にしていたらしいが、父は何かの用事でスウィープを訪れた。その際に督促状だらけのエルピスと再会し、心配してアインヘルムに乗り込んだらしい。そこで事務所についての経営方法から何まで教わったそうだ。


「それだけじゃないよ。ヒカルは底抜けにお人よしだからね。マフィア時代の人脈に声をかけて、ボクを紹介してくれた。はじめは、そりゃ馬鹿にされたよ。でも実際に戦ってみたら、みんな驚いていた。こんな小さな女の子が、マフィアの男たちを蹴散らして、口径が小さいとはいえ使う銃の腕は百発百中。そこに小鳥遊ヒカルという保証もついてきたから、認められたんだ」


 私は、父が死んで初めて、もう一人の娘とも呼べる存在を知った。こちらの視線に恥ずかしそうなエルピスは頭を掻いて、「ボクの番」と話題を逸らした。


「番って、いったい……?」

「今度は、こっちが君を知る番ってことだよ」

「そんな、私なんかから知ることなんて……」


 特にない。銃の撃ち方を知っていて、男性一人を背負い投げできる程度の女子大生。それくらい伝わっているだろう。だが、エルピスは一つ気になることがあると、カバンを指さした。


「そこに入っている日傘。あんまり流行りとかに詳しくないんだけれど、普通ささないと思ってさ」

 ああ、これか。群青色で、ふちは黒い日傘をカバンから出してみる。

「どうして、これのことを?」

「だって、珍しいじゃないか。日焼け止めみたいな皮膚の薬は腐るほどあるのに、日傘なんてさすなんて。何か事情があるのかい?」


 答えようとして、口を閉じてしまう。この日傘と過ごした時間は長いが、あまりいい思い出がないのだ。


「……肌が、弱いんです。日焼け止めのクリームとかでも、染みて痛いくらいで。太陽のヒカルも、ちょっとこの肌には刺激が強くて。そんな私は学生のころから、奇異の目で見られていました。いつも一人で日傘をさしている。それでついたあだ名が「影なし」なんです」


 いくら多国化が進んでいても、黒髪の日本人やアジア系の人々の中に、銀髪のロシア人がいつも日傘をさしている。変に思われて当然だ。


「影なし、ね……いやな呼び名だ。もっと見るべきところはあるだろうに」

「見るべきところ?」

「そうそう。例えばさ……」


 エルピスの視線が、怪しく光る。そして私の右手を取ると、その袖を少しめくって撫でた。なにがなんだかわからなくて、されるがままだ。


「この、雪みたいに純白な肌……なんで、この良さがわからないかな。嫌でも男が寄ってきそうだけれど」


 というか、寄ってきていた。スウィープでの出会いを引き合いに出された。


「彼氏の一人でも作ればいいじゃないか。大学なら、年上から年下、それどころかどんな国籍だって問わないだろう? 今まで、言い寄られてことはないのかい?」


 これもまた、いい思い出ではない。多国籍の人が集まるということは、それだけ性の悪い男もいることに繋がるのだから。


「その、何度かはありました。ですが、なんというか……古い考えですけど、貞操観念が心にありまして……なんとなく、この人じゃないなって思ったら断ってきたんです」

「古臭いにも程があるね……それでもしつこい相手はいただろう? こんな、どこの国から誰が来たか知れない時代だ。それこそ映画みたいに、力づくって男もいたんじゃないのかな」


 なんでそこまで私の男性経験が気になるのか。嫌々思い出した記憶をそのまま口にしてやった。

「投げ飛ばした」と。エルピスは言葉を失っていた。


「しつこくて、手を取られて、時にはそのまま抱かれそうになって。そのたびに投げ飛ばしてきたんですよ。これで満足ですか」


 投げやりに話を収束にもっていったが、エルピスは飽きれている。


「そりゃ、いつも一人になるね」


 もう無視だ。それに、いい加減に高速道路の終わりが見えてきた。一応、互いのことを知れたので、これでよしとしよう。私たちのチームは、犯人を見つけるまでのものなのだから。



~~~




 いまだに如何わしい店がある歌舞伎町と、十年ほど前に二号館を建てたピカデリーの間を通り、新宿駅から、地図上では東へ抜けていく。


 だんだんと、賑やかな繁華街といった風景は消えていき、静かな街並みが広がりだす。そんな街中の大通りを一つ曲がると、クリーニング屋や牛丼のチェーン店が見受けられ、その並びに、小鳥遊探偵事務所は粛々とした雰囲気で依頼人を待っている。


 もっとも、今は事務所の主どころか住人さえ不在で、立ち入り禁止の看板が立てられ、屋根の上からブルーシートが掛かっている。私は財布から鍵を取り出して、二週間も閉じられていた扉を開けた。


 本来なら、入って真っ直ぐ先にある仰々しい机から父が出迎えのあいさつを行い、母が奥から部屋の中央にある長机へとお茶を運んでくることだろう。ときどき私もその場に居合わせ、ぺこりと頭を下げて、二階の自室へと引っ込む。



 それがこの有様だ。



「派手にやられたものだね……」


 冗談の一つでも口にしそうなエルピスですら、こんな調子なのだ。なにせ、入ってすぐ目の前の床には、マシンガンの薬莢が大量に転がっている。長机も、それを挟む青いソファーも風穴だらけで、父の座っていた背後は、二週間前の惨劇を色濃く残すかのように、固まった血液がこびりついている。


 私をかばった母が撃たれた、奥の住居スペースへのドアも、胸から散らせた鮮血が垂れた跡がある。


「先ほど話した通り、警察の手はほとんど入っていません。二週間前のあの日、あの時間に撃たれたままを、できるだけ残してあります」


 父は今際の際にエルピスを頼るように言ったのだ。つまりここに連れて来れば、何かしらの手がかりを手に入れられる。好きに見ていいように促すも、腕を組んで考え込んでいた。


「なにか、ありましたでしょうか……?」


 入って早々、エルピスは立ち尽くしている。ヒントを見つけたのか、犯人の目星がついたのか。しかし、エルピスは首を振った。


「ヒカルがボクを寄越したってことは、何かしらの意味がある。そういう点では、たぶん考えは一緒だと思うよ。でもね、ボクには何の変哲もない乱射現場にしか見えないんだ」


 そんな。思わず血の気が引いてしまう。二週間も警察という、ある意味で探偵として完成された機関から守っていた風景に、エルピスは何も見いだせないのだから。もしかしたら、警察に任せていれば、私は何の苦労もせずに父の敵を討てていたかもしれないというのに。



 だというのに、こんな……



「肩を落とす前に、やることがあるんじゃないかな」

「え……?」

「君はこの現場に居合わせた、唯一まともに喋ることのできる証人なんだ。それと、小鳥遊ヒカルという探偵の娘でもある。聞かせてくれよ、ヒカルが意味のないことを残すはずがないんだ。何かのヒントがある。今こそ君が何かを考えるんだ」



 私が、考える……何を? ただ扉が蹴破られ、黒いフードとマスクの誰かがマシンガンを乱射した。父は真正面にいたから集中砲火を浴びて、母は部屋の隅で私をかばった。


 それ以外に、なにがある? なにが……



「ん……?」



 肩を落として、目線すらも背の低いエルピスから落とした先に、薬莢が転がっている。二週間前の物で、埃をかぶっている。その下、というより、脇に、白い何かが落ちていた。屈んでそれを拾い上げてみる。


「錠剤……」


 父も母も、もちろん私も、こんな出入り口で飲み薬なんて飲まない。

 いや、待て。「そういえば」だ。そういえば、視界の端に映っていた、犯人の挙動がある。倒れた母と父、それから突然の乱射のせいで忘れかけていたが、確かにあった光景。


 マシンガンを乱射した犯人が、震えていたことを思い出す。そして小瓶の中から、白い錠剤を口の中に流し込んだ。水も飲まずにバリバリと噛み砕き、去っていった。


「おかしい」


 エルピスの言葉で目が覚めた。犯人は明らかに、おかしな行動をしていた。なにせ、マシンガンを持ってきてまでここを襲いに来たのだ。だというのに、父も母も殺しきれていない。私に至っては、無傷だ。


 父がまだ言葉を残せるということくらい、撃った本人が一番理解しているだろう。どれだけの鉛球で人は死ぬのか。そういうことを理解しているから、マシンガンなどを持っていたのだろうから。



「ちょっと待ってくれないか。その粒……薬に見えるけれど、よく見せてほしい」


 エルピスが、ここにきてなにかに気づいた。私の手から錠剤を受け取ると、そこに記されていたアルファベットを読み上げて、驚愕していた。


「N……S……そんな……なんで、これが、ここに? ありえないじゃないか……!」


 お互い、この現場に来てようやく、父がこの場に来るように頼んだ意図を読み取れた。顔を見合わせて、まずはエルピスが口にした。いったん落ち着こうと。

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