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私を含む家族にマシンガンが乱射されてから二週間。霊安室で父の遺体を前にしていた。父の冷たくなった顔を見て、呆然としていた。
「お体に障りますよ」
都内某所の大病院。その霊安室で声をかけてきたのは、白人で初老に差し掛かる腹の出た警官だった。
二十二世紀が近くになっても、流石にアンドロイドへ銃を持たせるわけにはいかないので、警察官という職業は、そこまで変わることなく存在している。
「……最後に、父の顔を見ておきたくて。心配いりませんよ? 葬儀の準備は済ませましたから」
「ですがその様子ですと、あまり寝られていないでしょう――小鳥遊アリスさん」
父の亡骸から、警察官の方へと視線を移した。
「生まれつき寝つきの悪い子だったらしいので、慣れっこです」
なんとか笑えただろうか。自分でも疲れているのも、寝付けていないのもわかっている。
少ない睡眠時間で、幾夜悪夢にうなされたか。
それもこれも、父が殺された事件が解決すれば解消されるのだろうか。淡い期待を寄せて、口を開いた。
「犯人、見つかりそうですか? ジェイムスさん」
多国化の進んだこの世界では、別の国の警官が警察署に努めていることも珍しくない。私のことを心配してくれているジェイムス・アルバリーもその一人だ。
しかし、彼は禿げた頭を掻いてため息交じりに答えた。影もつかめないと。
「ここではなんです。喫茶店に移りませんか」
「影もつかめていないというのに、何か用ですか」
「それもありますが……私も、ヒカルさんには世話になりましたから」
白人だというのに、ジェイムスは綺麗な日本語を話す。これも、多国化の影響だ。G7各国の言葉は、どの国でも義務教育に組み込まれている。
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大きな病院には当たり前のように喫茶店がある。十年代に流行った、大きなグラスの上にアイスクリームが乗せられているものや、無難なコーヒーなどが、タッチスクリーンに載っている。
ジェイムスは砂糖たっぷりのカフェオレを注文していたが、私はエスプレッソだ。忘れがちだった昼ごはんとして、ベーコンサンドイッチも注文する。
あとは、アンドロイドが勝手にやってくれる。人間の肌と見分けのつかない合成皮膚に覆われる、よどみなく動く五本の指が、注文した品をトレイに乗せて運んできてくれた。
「ヒカルさんとは何度かこうして事件について話したものですが、記憶が正しければ、甘党だったはずなのですが」
ジェイムスが、私の手元にあるエスプレッソを見てそう言った。
「それに、シュガースティックを入れないのでは苦いでしょう」
「父からもよく言われました。そんな泥水をよく飲むな、と」
「否定はしないのですか?」
「軽い不眠症を患っているので、寝られないのならば起きていようと飲み始めたものですから。苦いことに変わりはなくて、泥水と言われても仕方ないと思いますが、案外いいものですよ。それにこの苦みの後なら、何を食べても美味しく感じられますから」
冷める前に、小さなマグカップを口に運ぶ。一口で口の中一杯に苦みが広がり、あまり寝ていない頭にカフェインが送られる。その後はベーコンサンドイッチを一口かじる。
「そろそろいいでしょうか」頃合いを見計らってか、ジェイムスは俯きがちに口を開いた。
「その、現場検証の方は……」
私は、少々無理難題を警察に押し付けていた。ジェイムスもそこに困っていたから、こうして呼び出したのだろう。新宿に事務所を構える小鳥遊探偵事務所の、現場検証を後にしてくれと頼んだのだから。
ジェイムスは困ったように両指を組んで、一息ついた。
「新宿の街中、小鳥遊探偵事務所にて「マシンガンによる乱射事件」が起こりました。もう二週間も前のことです。あなたは奇跡的に無傷で済みましたが、父であるヒカルさんは亡くなり、妻であるソフィアさんは意識不明の重体で、この病院に入院しています」
あの日。二週間前のなんでもない昼下がり。入り口の扉を蹴破り、事務所内部に向けて、黒いフードとマスクをした誰かがマシンガンを乱射した。
父は大量の鉛球を食らい即死だった。母も私をかばって心臓スレスレに弾丸が食い込んで昏睡状態だ。
探偵なのだ。恨まれもする。それも警察から捜査を任されるほどになれば、なおさらだ。
父の請け負っていた警察からの事件の大半は、殺人が絡む案件だった。多国化で、日本にも流れ込んできた移民に紛れたテロリストやマフィアたちが、銃器と麻薬を大量に持ち込んだ。
そこで手にした銃器を使い、殺しを行った犯人を父は見つけてきたわけだが、どこかで重たい恨みを買ったようだ。
犯罪が起きて判決が下され、出所するまでのプロセス。その過程で犯罪者に恨まれるのは、たいてい狙っていた被害者だ。出所してすぐに戻ってきてもいい。なんなら死刑になってもいい。だから今度こそ復讐――殺してやる。そんな負の感情が鉄格子の中で積もるのだ。
だが、誰しも被害者を恨むわけではない。入念に隠していたというのに、探偵のせいで露見した。それで捕まった。
「あいつさえいなければ」
そういう風に思考が向いても、なんらおかしくない。むしろ当たり前だ。父はそこら辺の管理を怠ってはいなかったはずだが、その包囲網を突破して、数多い解決した事件の誰かに恨まれて、家族ともども殺しに来たのだろう。
誰がどう見ても殺人事件なので、警察としては現場検証を行い、犯人の特定へと繋げていきたい。ジェイムスの要件もそれだ。
だが、そればかりはやめてもらうよう頼んである。本来ならそんなことは不可能なのだが、どうやら父は警察の弱みでも握っていたのか、私の要求には逆らえなかった。
ジェイムスは、それを何とかしようとしているのだ。
「あの事務所は、事件後ヒカルさんとソフィアさんが運び出されるまで、救急車で駆け付けた医療従事者しか入っていません。私たち警察はあなたの語る事件内容しかつかめていないのですよ。これでは、犯人の特定など不可能です」
コーヒーを一口含んだジェイムスは困り顔だ。警察の権限で、無理やり捜査することもできないということは、この二週間でよくわかった。だから私の説得に、警察官の、それも幹部の一人を寄越しているのだろう。
しかし、父が今際の際に残した言葉が、私にこの件を警察に任せるという決断を渋らせている。
「スウィープを、御存じですよね」
ベーコンサンドイッチを手に、ジェイムスへ問いかける。あたりまえといった様子で、「あの掃きだめ」と口にした。
その呼び名は正しい。日本にも入ってきた移民問題の解決法として造られた、横浜からさらに続く埋め立て地。そこが造り途中の警備が薄い時期にテロリストたちに襲われ、根城にされた。今や「裏の世界」と呼べるほどに混沌としている。
「……葬儀の手続きも済んだので、あなたには話しておきます。父が今際の際に残した言葉を」
こうして語るのは、正真正銘初めてだ。エスプレッソを飲み干して、ベーコンサンドイッチも胃に収めると、簡潔に説明した。ジェイムスは、驚きに満ちた顔をしていた。
「正気、ですか……?」
「そう思われてもおかしくないことを口走っているとは、私も自覚しています」
「あなたのような女性が、一人で――スウィープに行くというのですか」
噂で聞いた話では、毎日誰かが死に、違法薬物の売買が行われ、勢力を広めたいテロリストやマフィアが拠点を置く。一般人の、それも女性一人で行くなど、殺してくださいか、犯してくださいと言っているようなものなのだ。
だとしても、行かなければならない。現場を見ていないとはいえ、仮にも都心でマシンガンが乱射されたというのに、警察では影も踏めていない。
今や、監視カメラどころか、ドローンやパトロール用のアンドロイドが街中を闊歩しているというのに、見つけられないのだ。
父は、それを見越していたのかもしれない。スウィープにいるとある人物なら、この件を解決に導ける。だから私は行く。スウィープへ。
「父を棺に埋葬して、霊園に埋められたら、私は行きます」
「……復讐のため、ですか? まさかスウィープにいる殺し屋にでも依頼するというわけじゃないですよね」
「私もそこまで馬鹿じゃありません。それに相手がわからない以上、復讐心はわきません。ですが、これでも父から銃の撃ち方は学びましたから。格闘術も、ある程度は身につけています。だから止められても行きます」
確固たる意志を見せつけた。ジェイムスは面食らっていたが、諦めたのか、席を立った。
「頼みますから、あなたの死を捜査するようなことだけは勘弁してくださいね」
こちらとて、死ぬつもりは毛頭ない。なんとか笑って、「気を付けます」とだけ、去り行くジェイムスに伝えた。