8 アロエ:苦痛 前編
私専用の温室だと言われた、右から二つ目の白い建物。
八角柱の大きな温室の中を通り抜け、蔓薔薇の模様の描かれた扉と、美しく装飾された回廊。
その奥に金属で装飾された白木のドアが。
ガチャリと重い音を立てて開けられた鍵に分厚い扉。
中で大声で歌っても(歌わないけど)声が漏れる事など無いだろう。
お金持ちはドアにもお金を掛けるのだな、とぼんやり思った。
開かれたドアの中には、見ただけで高価であると判る家具が、白を基調として品良く並べられており、可愛らしい。
そして、これだけ家具があってなお、空間が広々としている事に驚愕する。
(映画のセットみたい…)
足を踏み入れることすら躊躇われるのに、名月は私の背を押して中に入ると、控えていたメイドに声を掛ける。
「こちら、本日からこの蔓薔薇館で過ごされる、日野涼菜さんです。室内を案内しておやりなさい」
「かしこまりました」
深々と頭を下げるメイドは、四十代位の冷たそうなおばさんで、クラシックな黒のロングスカートに白のエプロンを付けて、頭はカチューシャではなく白い帽子みたいなのを被っていた。
「涼菜さん、この者は貴女の世話をする瀧本と言います。健康管理などもこの瀧本が行いますので、指示に従う様、お願い致します」
名月の紹介に合わせてまた頭を下げた瀧本は、「では、設備のご案内を致します」と言うとスタスタと移動をはじめてしまう。
(え、ちょっと。名月さんはどうするの?)
オロオロしていると名月は瀧本についていく様に、と言うが早いかくるりと背を向け温室に繋がる入り口から出て行ってしまう。
ーーーガチャリ。
やけに鍵の音が大きく響いた。
何か恐ろしい物が背中を駆け抜けた気がするけれど、部屋の出口で立っている瀧本を待たせる訳にはいかない。
足早に駆け寄って、案内してもらう。
部屋はリビング、ダイニング、バスルーム、トイレ、ベッドルーム、サンルームだけだった。
もっと部屋数があると思っていたけれど、全ての部屋が想像の倍は広く、この全てが私専用だと言う。
手首に健康管理用のスマートウォッチに似た器具を着けられた。
心拍や体内酸素量、運動量などが自動で計測されるらしい。
防水、防塵機能が付いているので、お風呂の時も外さず、ずらして洗う様にと注意された。
成程、体調管理の一環か。
「あの、一つ気になる事があるんですが」
「如何されましたか?」
瀧本は冷たく感じられるが、訊けばキチンと答えてくれるし、わからなければ丁寧に説明してくれる。
私がそっけなく感じてしまうのはまだ心細いからなのだろう。
「外に出るにはあの温室を、必ず通らないと出られないのですか?」
そう。
窓は天窓や嵌め込み式のものばかりで、採光は十分すぎる程にあるのだけれど、外に出られる扉は温室に繋がる扉が一枚だけだ。
こんな、お金持ちハウスに入った事など無いので、それが普通なのか異常なのかはわからない。
「ええ、温室に繋がる扉のみです。温室に出られる際は二日前迄に理由と使用時間を申請して頂く事になります。学校に行かれる際は護衛が迎えに参りますので申請は不要でございます」
「え?」
それは、軟禁とか、監禁とか、言うんじゃないの?
でも『契約したら全てを管理する』って言ってたし、そういうもの?
急激に不安が押し寄せてくる。
めりめりと首の後ろが音を立て、鋭い痛みが背筋を貫いた。
(嘘でしょ?!)
手を伸ばしていつもの場所を探るとピリピリと痛む『花』の固い蕾が現れていた。
「涼菜様?」
瀧本が怪訝そうにこちらを見てくる。
冷や汗が止まらない。
「もしや……」
ーーーリンゴーン
瀧本が何かを言おうとした時チャイムが鳴った。