43 紫のライラック : 初恋
すみません、キリが悪く、長いです。
東条晃は困惑していた。
自分の感情を上手くコントロール出来ない。
これは、一体何なのだろうか?
晃は先日、初めてまともに涼菜と会話をした。
お互いにどう思っていて、どうしたいか、きっちり話せたと思う。
居なくならないから家族に会わせて欲しい、と泣く涼菜に、激しい罪悪感を覚えた。
絶対に手放したくない大切な、大切な『花生み』を逃がさない為に縛りつけていた。
それが、より、彼女を傷つけていたと気付けたことは、とても大きな収穫だったと思う。
なんとか家族との面会を許可したものの、やはり不安が押し寄せる。
「居なくならない」と明言されても、完全に信用はできない。
涼菜にはそのつもりがなくとも、家族に拐われる恐れがあった。
自分が同伴の時のみ可、として日程を組んだ。
場所は元の『温室』だ。
(あの部屋ならば、窓からも扉からも自由には出られない……)
晃は、そう考えて少しだけ安堵する。
名月を通じて家族に連絡を取ると、すぐにでも会いたいと返事が返って来た。
翌日午前を指定して、名月に再度連絡させて、自分は涼菜の元に向かう。
「明日の午前中に家族と会える様に予定を組んだよ」
どうしてもこれだけは自分で言いたかったのだ。
これ以上落ちる事も無い程に、落ちてしまった己の信用を、これから積み上げなくてはならないのだから。
気まずさからまともに目が見れず、お茶を飲むふりをして、視線を落とす。
「ほんとうに……?」
「ああ、本当だ」
疑る様に、恐る恐る問い返す涼菜にチラリと視線を送って、晃は慌てた。
「何故泣くんだ?!」
涼菜の目からは大粒の涙がハラハラと溢れ落ちて、服にシミを作っている。
急いでハンカチでその涙を拭ってやっても、涼菜は固まった様に動かない。
後から後から溢れ出てくる。
「うれ…っひっく、て……ッ、う、そ……じゃ、ないっく、でっす、よね?」
ハンカチを持つ自分の手を握って、赤くなった目で縋る様に見つめる涼菜は、『花生み』ではなく、一人の少女だった。
「あ、ああ、嘘ではないから、泣かないでくれ、目が腫れてしまうだろうっ」
「そ、うっ……です、ね、ぅっく、みんなっに、心配、かけ、ちゃいま、すね」
泣きながら、笑顔になると言う器用な事をする涼菜から、何故か目が離せない。
「俺が居ると落ち着かないだろう。予定を伝えに来ただけなので、席を外させてもらう。あとは頼んだぞ、瀧本」
「かしこまりました。お任せ下さい」
頭を下げる瀧本と、本格的に泣き始めた涼菜を背に、早足で『温室』を出る。
心臓が、バクバクと激しく脈打ち、息が苦しい。
(風邪のひき始めかもしれない。今日は早く寝よう)
普段より早めに就寝準備を整え、布団に入ったが、瞼の裏に先程の腕を握った涼菜がチラつき、動悸は酷くなる。
晃はその度に、何度も寝返りを打つ。
翌朝、晃の目にはクッキリと隈が浮かんでいた。
面会の時間となり、晃はソワソワと落ち着かない心地で、涼菜の家族を待つ。
約束の時間よりも、一時間も早く到着した涼菜の家族には、朝食を振る舞い、時間を潰してもらった。
チラリと右に視線を送れば、晃以上にソワソワと手足を動かして扉を見る涼菜が居る。
椅子に腰掛けてはいるが、小さな物音がする度にガタッと立ち上がり、座り直す。
手は忙しなくあちこちに動かされ、髪を撫で付けたり、服の皺を伸ばしたりを繰り返している。
「もう間も無く参ります。落ち着かれて下さい」
後藤がそっと囁くと、恥ずかしそうに顔を染めて俯く。
それを見ていると、何とも胸がもやもやと嫌な気分にがしてくる。
(朝食を食べ過ぎたか?)
いよいよ、扉が開き、家族が入ってくる。
よく日に焼けた中年の男性と、小柄で小太りの中年の女性、涼菜の顔立ちに似た中学生の少女に、髪を短く刈った中学生の少年、そして、白髪の多く見られる老婆の五人が部屋に足を踏み入れた。
ーーーガタンッ
椅子が、大きな音を立てて倒れる。
「お父さんっお母さんッ!」
「「「涼菜っ!!」」」
「「お姉ちゃん!」」
涼菜が家族に向かって駆け出した。
六人は固く抱き合い、涙を流して再会を喜ぶ。
そこに晃の居場所は無く、離れた場所からただただ涼菜だけを見つめていた。
少し落ち着いた頃合いを見計らい、瀧本が席を勧めると、ゾロゾロとテーブルに着いた。
そこで、晃は父親と目が合う。
想像以上に強い視線に内心怯んだが、役員に相対する時の様に、心の内を読ませないポーカーフェイスで会釈をした。
父親は苦い顔をした後に、家族と一緒に涼菜と話し始めた。
彼等は一度も晃に話し掛けては来なかった。
名月や瀧本と、一言、二言言葉を交わし、あとはずっと涼菜の健康だけを心配していた。
涼菜も、身体に起こった不調についてはほとんど話さず、「大丈夫、お腹いっぱい食べれてるよ」と笑顔で答えるだけだった。
家族の話は尽きず、昼を迎えてもまだ取り留めのない話が続き、瀧本が昼食を運んできた時だった。
えも言われぬ芳香が涼菜から爆発した。
涼菜のワンピースの胸元から大きな『花』が咲いた。
普段はうなじに咲く『花』が胸元から。
形だけは同じだが、サイズと香りが違う。
普段の倍は大きく、抗いがたい、蠱惑的で、身体の芯を蕩けさせる香り。
「幸せだと、胸から咲くんだ、私……」
泣き笑いの様な表情で、ぽろりと溢した涼菜を家族は凝視していた。
「みんなが居て、美味しいご飯が出てきて、『ああ、幸せだなぁ』って思ったら、『花』咲いちゃった」
ちょっと取ってくるね、と自分から席を外し、後藤と瀧本に声を掛けて出ていく。
ふらりと、無意識のうちに後を追ってしまう。
いつもと違い、痛みなども殆ど無かった様に見えた。
(ーーーあの香りは駄目だ)
本能が訴える。
あれこそ、自分のブートニアだと。
閉じられた隣室の扉の前で立ち止まる。
(何をふざけた事を……涼菜に受け入れてもらえる訳がない。それだけの事を俺はした。これは俺への罰だ)
苦い思いに歯噛みしていると目の前で扉が開く。
晃も驚いたが、扉を開けた涼菜も驚いている。
その手には先程の花が。
「あ、あの、今日は……家族と会わせてくれて、ありがとうございます。コレ、いつものと違うけど、多分きっと食べられる『花』だからっ、ハイッ今日の、お礼」
ワシッと乱暴に手のひらに乗せられた大きな『花』。
ニコッと初めて向けられた笑顔は、目尻に光るものが見えた。
『花』を持つ手が震えて、何かよく分からない感情がぐるぐるを全身を巡る。
涼菜がキラキラと輝いて見え、何故か直視出来ない。
なのに、視界に収めておきたくて、視線がうろうろと彷徨う。
「あ……あり、がと…ぅ」
「じ、じゃあ、ね」
何とか絞り出したお礼に、返事をして涼菜は横をすり抜けていく。
席に着いて改めて昼食を始める涼菜達。
名月が近寄って来て、そっと退室を促す。
「あのね、コレ!このお肉のやつ!めっちゃめちゃ美味しいんだよ!コレ食べたらまた幸せの『花』が咲いちゃうかもしんないくらいに!」
「ハハハッ、食べ物で幸せって所が涼菜らしいな」
「もう!揶揄わないでよ!お父さん!」
出口に向かう途中、聞こえた涼菜の会話に感情がぶんぶんと揺さぶられる。
『花』を食べる為には、離れた方が良いのはわかっている。
けれど離れ難く、かといって、涼菜の近くに居ても落ち着かない。
(ーーーこれは、この気持ちは、何なのだろうか?ブートニアを見つけた衝撃か?感動?感謝?罪悪感?どれも違う気がする。分からない。分からないーーー)
手の中の『花』は、存在を示すかの様に素晴らしい芳香を放っていた。
それを『恋』と呼ぶ事を晃はまだ知らない。
恋も愛も知らない晃と、家族しか見えてない涼菜。
少しは恋愛物っぽくなってきましたでしょうか?




