1 オトギリソウ:秘密
それは五月の始め、爽やかな緑の香りが風にのって感じられる土曜日の午後のことだった。
「食べ物を扱う仕事ですので髪はまとめて下さい」
優雅に伸ばされた大きな手が私の髪を掬った。
チリリ、首の後ろの『出来物』に彼の指先が触れ、痛みが走る。
「すみません」
髪を押さえて数歩離れる。
慌てて離れたが、気付かれてしまっただろうか。
ドク、ドク、と心臓が嫌な音を立てる。
今日は、バイト先であるカフェ『SALON DE THE ROSE DE VIGNE』(蔓薔薇喫茶)を経営している会社から視察が入ると言われていた。
実際に、お昼のピークタイム前に二階フロアを貸し切って、若い男性が二人やってきた。
一人は経営会社の社長子息、東条晃、二十歳程の青年だ。
キリリとした眉と涼やかな目元に、優しげな甘い面立ち、サラリとなびく髪。
細身の高そうな銀ねず色のスーツをサラリと着こなし、無表情で静かにホールを確認している。
イケメンな東条グループの御曹司に、バイト仲間の女の子達がきゃあきゃあ黄色い声を上げていた。
そしてもう一人は東条の秘書である名月 浩二だ。
二十代中頃の男性で、短く切り揃えた黒い髪と、野生味のある整った顔立ち。
高身長ながら、鍛えられた身体は頼り甲斐のある均整の取れた立ち姿である。
艶めかしいダークグレーのスーツが似合い過ぎている。
東条の世話をしながら各部署を見て回り、都度指導を行う。
視察は名月がメインで、東条はただ静かに書類を読んで、お客様を見ていた。
名月はキッチン、ホール、中庭と確認した後、ピークタイムが過ぎると『closed』の札を掛け、それぞれに詳しい指導を始めた。
そうして現在、私の“秘密”に触れたのだ。
私、日野 涼菜は奇病に罹っている。
小さい頃から、強いストレスを感じると首の後ろに花が咲くのだ。
首の中央、背中寄りの位置に毎回咲く。
蕾が付いて、膨らんでゆき、花開く。
花が咲く過程は普通の花と何ら変わらない。
人間の身体に咲くと言うことを除けば、だが。
かかりつけ医院の好意で、毎度切り落としてもらっているが、こんな事他人には言えないし、見せられない。
強いストレスを感じた時、という予想の出来ないタイミングで出来てしまうので、髪を下ろして隠すことしか出来ないのだ。
そんな私の最大級の秘密である蕾に、名月の指先が触れた。
ニキビだと言い張るには大きく、花弁の感触がはっきりわかってしまうので難しい。
口の中がカラカラで、喉が張り付いた様に声が出せない。
指先を見て、私を見る名月。
驚愕に目を見張る。
「君は…」
「店長!すみません今日まで大変お世話になりました!只今を持って辞めさせていただきます!」
何かを言おうとした名月の言葉を遮って、その場から逃げる。
裏口から飛び出すと、脇目も振らずに走り出した。