06. 婚約破棄
「婚約を破棄しよう」
唐突ともいえるダスティンの言葉に、周囲はしんと静まり返った。
王命で決まった婚約は、当事者といえども本人たちだけでどうこうできるものではない。
卒業式の翌日、大人の仲間入りをした初日のことだ。
しかもガーデンパーティの最中という、時と場所を弁えないにもほどがあり、一体、何があったと言われた本人以上に周囲が驚き、一瞬だけざわりとなったが直ぐにしんと静まり返った。
「唐突に、何を言い出すのでしょうか?」
ルイーズは突然のことに軽く目を見開いたが、次の瞬間には何事もなかったかのように、穏やかな笑みを浮かべた。
「心を他の男に奪われた女性と結婚するなんて、落ちぶれた男にはなりたくないんだ」
ダスティンは知っていると言わんばかりだったが、ルイーズは言いがかりだと否定する。
気持ちの通わない仮面夫婦でも良いかと思っていた。
だが一方的に不貞だ不誠実だと言われるのは我慢できなかったのだ。
王宮の四阿以降、直接口に出されたことはなかったが、言わないだけだというのは判っていた。
想い合わないのは仕方がない。
しかしその責任を一方だけに押し付ける関係に我慢ができなかったのだ。
「迂闊だったな、いつも目が男を追っていたのを判らないとでも?」
ルイーズにだけ聞こえるような声だった。以前、花束を贈った時に仄めかしてはいたが、改めて追い詰めれば面白いほど動揺している。
「思い込みだと断じるのは早い。想い人に便宜を図っている証人を押さえている」
マクガレン侯爵家を辞めた使用人は囲い済みだ。
「否定するのは構わないが、想い人は処分されるだろうな、平民如きが王家に嫁げるような娘を傷物にしたとして――」
「卑怯な――!!」
少し煽れば簡単に狼狽する。
当然かもしれないが。
彼女の想い人は平民出身の私家騎士だ。
何がきっかけで恋心を抱いたかは不明だが、出先で怖い思いをしたときにでも惚れたのだろう。相手も令嬢から想われて満更ではないようだった。
お嬢様に優遇されて、悪い気にならないのは当然かもしれない。ダスティンとは見た目も内面も正反対の男だ。
しかし引き際を間違えたとしか言いようがない。恋情がないのだから、少々良い思いをしたところで満足しておけば良かったのだ。欲をかくからダスティンなんかに利用される。
「卑怯? 自分の恋心のために、こちらを悪者にしようと詰るのは卑怯ではない?」
少し嘲りの色を乗せて返してやる。
実際、四阿での件とそれに続く険悪な時期がなければ、婚約を解消するためにこんな手は取らなかった。ルイーゼが卑怯だからこそ、こちらも卑怯者になれたのだから、感謝するべきかもしれないが。
だがこの方法が悪手なのは明らかであり、自分も彼女も、マクガレン家の騎士も、誰もが傷つく結果になるのは容易に想像できた。
「あなたが僕を利用しようとしなければ、僕もあなたを利用しなかったよ。さようならルイーゼ」
悪役らしい言葉で、誰もが見守る中での内緒話を終えた。
「もう一度言うよルイーゼ、婚約は破棄だ。同意するね?」
「ええ、同意しますわ……」
この場に居る全員に聞こえるように音量を上げて問えば、相手からも諾の回答があった。
「非は君にある。私に無いとは言えないが……。だから言い出したのは私だが、一方的でもないし理不尽な言いがかりでもない!」
ダスティンが言い放った婚約破棄の所為で、ルイーゼの顔は蒼白だったが倒れてやり過ごすことはなかった。
ここで気絶してしまえば、対策が後手に回り、想い人が害されると理解しているのだろう。
「騒動の原因は立ち去るとしよう、ルイーゼ。婚約者としての最後の務めとして、馬車まで送るよ」
差し出した手を、婚約破棄したばかりの相手が大人しく取る。
二人が退出し姿が見えなくなった後のガーデンパーティは騒然とし、主催者の意図とはまるで別方向に盛り上がるのだった。
翌日、ダスティンの姿は王城のどこにもなかった。
周囲は更に騒然としたが、行方は杳として知れない。
一言、迷惑をかけると書置きが残っていただけでだ。
ダスティンとルイーゼの婚約は性格の不一致として、円満に解消された。婚約解消の理由の一つだった騎士はマクガレン家の仕事を失ったが、直ぐに別の家で騎士になり、それ以上の悪影響はなかった。
公開婚約解消――破棄という言葉は当事者たちの家族が全力で消し去った結果、最近の若者はという苦言だけで、周囲の関心は薄れていった。
当事者の処遇が悪くなかったのも、噂を消すのに一役買ったのかもしれない。
ダスティンの家族は激怒したものの、本人不在では怒りを維持するのも難しく、手がかり一つなく姿を消した息子を心配し始めるのは直ぐだった。
もう一方のルイーゼは暫くの間、傷心を癒すために領地に引っ込んだが、恋に恋する自分に気付いて立ち直り、社交界に復帰したのだった。