03. 婚約者
バラの花が風に揺れる。
色とりどりの花のなかで、薄紅のバラに目が留まる。アーチを飾る小さく淡い色の花が、つい最近失った恋を思い出させた。
だが一瞬で気持ちを切り替え、小路の先にある四阿に足を向ける。
そこには優雅な雰囲気を持つ侯爵令嬢が先に腰掛けていた。
ルイーズ・マクレガン、上に二人の兄を持つ十七歳の令嬢であり、王の決めたダスティンの婚約者だった。国内の公爵令嬢を妃に迎えた王太子である長兄。同じく公爵令嬢だが王太子妃より家格の低い家の娘を婚約者に迎えた、王太子のスペアである次兄。
ダスティンは万が一のときにも王位継承で揉めないようにと、高位貴族の中から家格や家門の力が程よい家の令嬢を宛がわれた。
大輪のバラを思わせる華やかな少女だ。
父は美人が好きだな。
兄二人の相手も華のある美人だ。選択肢はさほど多くないとはいえ、家柄が良く優秀で、相手のいない女性は他に何人もいる。
でも選ばれたのは三人とも同じ系統の美人だ。
母である王妃は聡明だがあまり華のあるタイプではない。叔父たちの配偶者を見ても容姿に共通するところはないところを見ると、祖父は外見よりも条件面で最も良い女性を選んだのだろう。
だからなのか両親は不仲だ。
父は常に愛妾を傍に置いているし、母は目立ったことはしないが愛人を側近に取りたてている。叔父である大公夫婦は社交界でおしどり夫婦と評判だが、実際には夫婦ともに隠し子が存在する。
貴族の結婚なんてこんなものだと達観したのは何歳だったかな。
美しい花に囲まれながら、美しくないことを考える。
たしか長兄の結婚式の前には既に気付いていたから、十歳になる前か……。
愛人がいても配偶者の面子を潰さなければ問題ない。貴族は面子を気にする生き物なのだ。結婚は仕事だ。癒しなら外にみつければ良い。
但し結婚する前から愛人を作ることを公にしてはいけない。清らかであることを求められるのは、何も女性側だけではないのだから。
「御機嫌よう、ダスティン殿下」
ルイーズは男が見惚れるような笑みを浮かべる。
才色兼備という言葉は彼女のためにあるような言葉だと、ダスティンは思う。
挨拶を交わした後は当たり障りのない世間話を。
その後は見頃になったバラを見るために中庭の散歩。
「ダスティン様、わたくし気になることを聞きましたの」
「気になることって?」
「ダスティン様に恋人がいらっしゃるというお噂です」
今回の訪問の目的はこれか。
交流のために定期的におこなわれるお茶会とは違う日に、敢えて王宮に訪ねてきた。だから何かあるのだろうと思っていた。
「その噂はもう古いですね。確かにおりましたが婚約が整う前の話です。一年ほど付き合って、婚約が決定する三か月ほど前に別れました。あなたと顔合わせをする前には、とっくに終わってる相手です。家名も知らぬ間柄ですが、それなりの家の娘だというのは判りましたから、病気など気にする必要はありません」
「でも嫌ですわ。不潔です」
「そうはおっしゃられても……出会う前のことを詮索されても困ります」
派手に遊ぶことはしなかった。
人目を忍んでまでとはいかなかったが、二人で街を歩くときは魔法で髪色を変える程度の変装はした。偽名ではなく本名を名乗っていたが、ありふれた名前だ。街の中心にある噴水広場でダスティンを探したら、きっと五人や十人くらいはあっという間にみつかるだろう。
学友たちと恋人の話をすることもなかった。察しの良い友人は気付いたかもしれないが、全員が気付いているとは思わない。
だが顔を隠すことはなかったから、調べようと思えばいくらでも調べられる。
でもそんなことをして誰が幸せになるというのだ?
「婚約前の話です。既に終わった事を蒸し返してどうしたいのですか?」
「どうって……女性の側に清らかであることを求めるのに、ご自分は清くないなんておかしいでしょう!?」
「いいえ派手に遊んだ挙句、子を為した経験があるのならともかく、恋の一つや二つくらいで不誠実だとは思いませんよ。清くあれとは言われても、人の心は縛れませんからね。恋心を抱いたとして、誰が責めるというのです?」
「でも……!」
「もう終わったことです。二度と会うことはないとは言い切れませんが、次に会うときは他人です。私的な会話をすることもないでしょう。二人の道は完全に分かたれたのです」
ルイーズはまだ言い足り無さそうだったが、ダスティンは強引に話を打ち切った。
過去に戻って清算することはできない。
できないことをあれこれ言っても不毛なだけだった。