マクマクさん
いつも読んで下さりありがとうございます!
どこまでも優しいマクマクさんです。
翌日の早朝……といっても朝の三時くらいだけれど。
窯の火の準備をしている頃には、雨はポツポツと静かになっていた。
窯の温度がパンを焼ける温度になるまでの間に、パン生地を作ったり、前日に仕込みをしていたチキンナゲットを揚げたりする。
朝の八時の開店に出来立てを提供できるよう毎日頑張っている。
わたしがこの世界で生きていく為のパン作りなのだけれど。パンをこねて、自分の体温や温かい牛乳のおかげでほんのり温かくなる生地が、なんだかわたしの心にぽっかり空いた穴を埋めてくれるような気がした。
八時に開店して、いつもなら自分ひとりで捌けるくらいの混雑が、今日に限ってやたらと人が多く、うまく捌ききれない。
どうしよう。嬉しい悲鳴だけど、お昼に間に合わなくなっちゃうな。
そして、ぎゅうぎゅう詰め店内は全て男性客という不思議な現象。ええと、ここの近くに鉱山でもアリマスカナ? いえ、ここは平野にある普通の王都デスヨ?。
「ミハルちゃん、小麦粉持ってきたよ」
裏口をノックして、肩に小麦粉の三十キロ袋を担いで入ってきたのは雑貨屋のお兄さんだ。
昨日のこともあって、少し気まずい。
お兄さんのほうはというと、特に気にするわけでもなく優しい微笑みを向けてくれた。
お兄さんがレジカウンターにいるわたしを覗き込む。
「だいぶ混んでるね」
「なんか今日、変なんです。いつもよりも沢山のお客さんが来て。嬉しい悲鳴ではあるのですが、お昼のパンが焼けなくて……」
お兄さんが「それはまぁ、そうだよね」と苦笑する。そうだよねって?
お兄さんがわたしの隣に来て、手早くパンを袋につめる。そして値段を言って、お客さんからお金を受け取る。あれ?
「お兄さん、なんでパンの値段知ってるんですか?」
手を休めることなくお兄さんが笑う。
「僕もここのパンが好きだから、買いに来るんだよ?」
「ふぉ!?」
あ、変な声でた。え、そうなの?
「まぁ、そういうときは帽子かぶってたりするし。ミハルちゃん、いつも一生懸命パンをつめてくれるから」
あー……と、わたしは少し遠い目になる。
わたし、男性の人あまり見ないからな。特にレジするときは、どうしても近くに来るから、パンを入れることに集中してしまう。
こういうところも、お店を持っているんだから、少しずつ直していかないと。
お兄さん、さすがは雑貨屋さんといったところか。無駄がない動きでどんどんお客さんを捌いていく。パンの入れ方も丁寧だし、口調は優しいし。こういう人が会社にいたら、とても人気があるんだろうな。
そんなお兄さんが、レジの列が途切れた瞬間に、わたしをキッチンのほうへと引っ込めた。もちろん手首を掴まれたので軽く悲鳴が漏れた。
「レジは僕がするから、いまのうちにミハルちゃんは昼のパンを焼いて」
思わぬ提案にわたしは目を見開く。
「あ、いえ。気持ちは嬉しいけど、お兄さんにもお仕事が」
お兄さんは窯の脇についている温度計を確かめてから、「今日は休みだから気にしないで」と、素通りできるくらいの口調で言ってから、少し小ぶりの薪や枝を窯に入れる。ああ、温度下がってましたか──って。
「ええ! す、すみません。お休みなのに配達させてしまいました」
わたしは脊髄反射で頭を下げた。お兄さんは、柔らかい微笑みをわたしに向ける。
「気にしないで。僕が好きでやってるんだから。それに、いつでも大丈夫って言ったでしょう?」
たしかに昨日言っていた。けれどそれは社交辞令のようなものだと思ってた。
どこまでも優しいお兄さんの言葉が、わたしの心の中に染み込んでいく。
わたしはお言葉に甘えてレジをお願いした。
お兄さんがいてくれたおかげで、無事お客さんを待たせることなく、パンも焼けて昼ラッシュ、そして夕方ラッシュを乗り越えることができた。
それにしても、朝から夕まで店内が混雑するなんて今まで一度もなかった。更に不思議なことに、お客さんは男性ばかりで、女性は一人も来なかった。
高校でも女子と楽しくくっついて談話のようなことはなかったんだけど、男子よりは話したと思う。用件程度には。でも、高校に入ってすぐ母が亡くなったこともあって、能面女に寄りつく稀有な女子なんて用件以外にいるはずもなく、今日に至る。
苦手な男性ばかりだと、やはり同性を恋しく思ってしまう。あっ、別に恋愛とかじゃなくて、いたって普通の考えでね。
「ミハルちゃん。ボウル洗ったよ」
閉店をむかえて後片付けをしていたとき、急に男性の声が聞こえてハッとした。ああ、そうだ。今日はお兄さんに手伝ってもらったんだった。閉店時間になって人がいたことがなかったからつい……。
ハッとしたついでに思い出して、わたしは奥の居住区へ走って紙袋を持ってくる。それをお兄さんにズイと差し出す。
「あの、昨日はマフラーありがとうございました。ちゃんと洗ったので」
紙袋を差し出されて一瞬キョトンとしたお兄さんだったけれど、すぐにふわりと笑んで受け取ってくれた。
「いや、あのとき僕も一言そえれば驚かせずに済んだのに。配慮に欠けていたよ。ごめんね」
マフラーをわたしに巻いてくれたことを言っているのだと思う。
どんだけいい人なんだ。
「今日は色々ありがとうございました」
「罪滅ぼし、じゃないけど、少しは役に立ててよかったよ」
強すぎず、温かくてただひたすらに優しい、桜のような安心感を与えてくれる人。
そんな彼が微笑んだので、わたしも微笑み返したのにお兄さんが驚く。というかわたしも驚く。
わっ、なんか変な行動がでたよ。
礼には礼を。微笑みには微笑みを、が反射的に出てしまった。女性に対してならまだしも、男性に対してなんだこれは。
「わ、わたし、なんか変なことをしちゃいました」
不可解な心情と行動に、自分自身にも動揺がひろがる。頭の中で短期間に処理できない情報が飛び込んできて、思考が機能不全だ。脳内スタックのせいか、四肢から血の気が引いていくようでフラフラする。そんな状態なものだから、案の定作業台にぶつかって転びそうになったところをお兄さんがわたしの手首を掴んでくれた。
お兄さんがホッと安堵の表情を浮かべる。
「気をつけてね」
私を気遣ってか、掴まれた手はすぐに放される。
「あ、ありがとうございます。あ──」
あなたにもケガがなくて、と言おうとしたところで初めて気が付いた。
わたし、この人の名前を知らない。
開店して三ヶ月間、ずっと『お兄さん』と呼んでいた。これだけお世話になっている人なのに、訊くことすらしなかったわたしは、本当に自分のことしか考えてなくて、とても情けないというか恥ずかしい。
これ以上の失態を重ねてはいけない。
頑張れ、わたし!
わたしは意を決して「お兄さんの名前……訊いてもいいですか?」と、彼を見たり逸らしたり下を向いたりしながらも、なんとか言葉にすることができた。うわぁ、でもこれ、かなり挙動不審だよね。ちょっと引くよね。
やっぱり訂正する? 謝ってなしにしてもらう? ああ……なんか、この無言の時間が地獄の沙汰を待っているようで心臓が痛い。
そんな無言のキッチンで突如聞こえた「ふはっ」という笑いが洩れた音。思わず顔を上げると、透き通るようなチョコレートブラウンの瞳を輝かせて、頬を緩めた彼がそこにいた。
「ミハルちゃんから訊いてくれるなんて嬉しいな。僕はマクシヴァルだよ」
ふお!!
きっとこの場に年頃の女性たちがいたら、たちまち愛で倒れ込むのだろう。破壊力すごすぎ。わたしにとってはただの暖かい風くらいだけど、世の女性はこの愛の爆風で後ろまで転がってしまうんだろうな。
まぁ、それは置いておいて。
初めて訊いた名前。今後のためにも忘れてはいけない。
「マクシう……マクシぁ……マク……ええと」
ズンと、四肢を床につけた気分になった。
なんというか、言いづらい。
わたしがモゴモゴあたふたしていると、それが面白いのか、マクシう……さんは声を殺して笑う。いいですよ、大笑いしても。
「好きなように呼んでくれていいよ。ミハルちゃんの好きな名前で」
譲歩すごいな。でもありがたい。わたしは口を小さく動かし「マク……マク……」と呟き、なにか良い名前はないかと考えてピンとくる。
「あの。マクマクさんというのはどうでしょうか?」
マクマクさんという可愛らしい名前なら、少しは男性に対しての抵抗感が薄れるような気がするし、なにより噛まない。でも、可愛い名前って男性としては拒否感があるのでは、と思ったけれど、その心配は杞憂に終わった。
「いいよ」
混じりけのない純粋な微笑みがそこにあったからだ。
なんだか心臓がキュッと握られたような気がした。
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