ビッタンビッタン頼まれました
「可哀想に。あんなにお母さんと幸せそうだったのに」
「実春ちゃん、元気だしてね」
母の通夜の日、会場に町内の人が来て、わたしをそう言って慰めてくれた。
けれど、そのときのわたしは頭の中が真っ黒になってしまっていて、会釈ひとつ返すことが出来なかった。
母が亡くなって数ヶ月して、やっと遺品を整理する気力が少しでた。
もともと質素な暮らしをしていたから、母の遺品なんてそんなに多くなかった。
勤め先の書類、制服。靴、化粧品……そこで、ふと小さな箱を見つけた。箱を開けると、そこには小さな青色の宝石がひとつついた指輪がネックレスに通されていた。メモのような紙を開くと、それは母の字でこう書いてあった。
『実春。十八歳のお誕生日おめでとう。これはあなたが産まれたときに買った初めての宝石です。ベビーリングというものらしいの。成人になったあなたへの贈り物です』
涙が出た。
お母さん、わたしまだ十六だよ?
それからというもの、わたしは肌身離さずネックレスをつけた。制服のブラウスの中に隠してしまえば誰にもわからない。
ネックレスがあれば、いつも母がいてくれるようで心強かった。けれど、同時に母がいないことも実感してしまい、泣きそうになる。
高校で泣きそうになったときは、いつも北校舎を利用していた。
北校舎は幽霊が出るだの、誰々が行ったら戻ってこなかっただの、真偽のほどは定かではない噂が昔からあって、巡回以外は誰もよりつかない場所だった。一説によれば、北校舎を建てる前は御神木があって、建設するにあたって切り倒したとか。もちろんお祓いとかはしたんだろうけれど、住民は反対したとかなんとか。
そんないわくつきの誰も来ない北校舎は、泣くわたしにとっては好都合だった。
母が亡くなってからのニ年間は、この北校舎のお世話になった。
そして、十八歳になった日──。
いつものように昼休みに溜まっていた悲しみを吐き出して、さて戻ろうかというところで、ひとつの扉を見つけた。
あれ、こんなところに教室なんてあったっけ?
ほんの僅かな興味で教室の扉を開いたら、内側からいっきに吸い込まれてわたしはそのまま気を失った。
──そして、この世界へとやってきた。
「あっちぃ!!」
焼き上がったオーブン皿に手首がひっついて、わたしは悲鳴をあげる。
もぉ……。この皮の手袋、少し短いのよね。
皿の側面を慎重に持つとき、たまにこうしてやらかしてしまう。
窯の熱は、レンジのオーブン機能よりもはるかに高く、蒸気漂う焼けたサウナストーンに顔面を押し付けたような熱さだ。
この世界に電気はない。だから、オーブンレンジのようなボタンで焼けるはずもない。
廃墟だったこの場所を宿屋の男主から借りて、彼の紹介で左官屋さんに造ってもらったのがこの石窯だ。燃料は薪で、パンを焼く四時間くらい前から薪を組んで火をおこす。
この準備が素人であるわたしには大変だった。パン生地は出来ても焼くのは電子レンジだったから、それがいきなり薪になったわけで。薪だって木なら何でもいいってわけじゃなくて、木の種類で役目が違ったりして、はじめはとても苦労した。けれど、宿屋の男主であるゴッフさんが焼き方を教えてくれて、本当にありがたかったんだ。ちなみに、宿屋のゴッフさんお手製の夕食と朝食は絶品だ。ゴッフさんがお父さんだったら良かったのに、なんて思うこともあるくらい、逞しくて優しい頼れるオジサンなんだ。あの人のおかげで、男性に対しての嫌悪感が少し薄らいだの。
わたしは、窯より取り出したパンの状態を確認する。
出来立てのパンは、小麦の良い香りと、まだ小さくパチパチと音をだしている。外はパリッ、中はフワフワなパンが完成した。
それを籠に入れて、売り棚の方へと行くと、ちょうど呼び鈴がカランと音をだした。
今はお昼ラッシュにむけての準備中だ。
珍しい時間帯のお客様だなと思い、出入り口の扉を見ると、そこには立派な服を着た高官らしき小男がいた。クルンとした髭を顎に貯え、外套の生地はビロードかな。
なんというか、パンを買いに来た雰囲気じゃないのはわかった。
「あの、なにか……」
わたしが促すと、小男はウォッホンと咳払いをひとつして、ぎょろりとわたしを見る。
えっ? えっ、わたし、叱られる?
少し警戒したわたしに、小男はそれは美しい土下座をビッタンビッタン披露した。
「実はミハル殿に折り入ってお頼みしたいことが──」
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