プロローグ
初投稿になります。
書き方等に不備がありましたら申し訳ありません。
2023.02.14 脱字ありましたので直しました。御報告ありがとうございますm(_ _)m!
霧がたちこめる早朝の街は、どこか西欧の街並みのようで、ガス灯の灯りが霧でぼかされていて、とても幻想的だ。
早朝といってもほぼ夜中だけれど。そこから……あるいは前日から仕込みをして、朝の通勤や通学の人たちに間に合わせる。このラッシュが終わると、今度はお昼を買いに来る人たちの為に焼く。それが終われば夕食用に買いにくるヒト用に焼く。
だから店内は、一日中パンが焼けるいい匂いに包まれる。小麦粉やバターが焼ける匂いは、食欲もそそる。一人でやっているからあまり沢山の種類は置いてないけれど、惣菜パンと菓子パンはちゃんと用意している。
惣菜パンのほうは卵サンドとチキンナゲットサンド。家で料理をしているときも、鶏ムネが安いときに買ってきてよく作ったっけ。ほんのりの甘みと黒コショウ強めがこの店流。
菓子パンのオススメはアップルパイ。サクリとしたパン生地を噛むと、バターがじゅわりと滲み出すのが個人的には好き。でもカロリー的にはけっして優しくない。
宿屋の従業員を辞めて、わたし一人でやっている店だから、大通りにある大きなパン屋よりも品数は負けてしまう。けれど、ひとつひとつ丁寧に作っていると自負している。ほら、どれも繊細で、宝石のようにキラキラしてるでしょう?
そう。ここは、異世界から一人でやってきたわたしが営んでいる『五番街のとんがり屋根』というパン屋なんです。
店名は色々悩んだけれど、店の場所や建物の形をそのまま店名にするのがポピュラーなようだったので、わたしもそれに倣ってそうつけてみたら、意外にも街にとけこんでしっくりきた。
わたしは、異世界からやって来たことをこの世界の誰にも話していない。自分を保護してくれた宿屋の主人にも、もちろん話していない。異世界の人です、なんて話して「あっ、そうなんだ。よろしくねー」なんて軽いノリで受け入れてもらえるほど、この世界が異世界人で溢れているわけじゃない。というか、わたし自身異世界人を見たことがない。いや、自分のように黙って暮らしている人もいるのかもしれないけれど。
とりあえず素性を明かす事態にはまだなっていないので、私こと“ミハル”は、半年間ずっとこの国の人のように振る舞ってきた。幸いにも、肌の色、耳の形等身体的特徴も同じなので、自ら正体を話さなければバレるということはなかった。
「ミハルちゃん、小麦ここに置いておくね」
早朝ラッシュが一段落した頃。
裏口をノックしてから入ってきた長身の青年が、調理場の棚のわきに小麦粉が入った大きな袋を二つほど置いた。わたしは「ありがとうございます」と頭を下げて、小麦粉の代金を支払う。
彼は雑貨屋の配達を担当しているお兄さんで、三ヶ月前、わたしが宿の従業員を辞めてこの店を開いた当初、何度も小麦粉を買いに訪れた為に、事情を聞いてからはこうして定期的に小麦粉を配達してくれている。
「他に何か足りないものはない? 塩と砂糖、あとドライイーストとかも大丈夫?」
背が高くて、ツーブロックマッシュな茶色の髪と優しそうな同色の瞳。世に言うイケメンというものだ。そんな種族に慣れていないわたしは、自身の焦げ茶色の長い髪が、ワカメのように激しく揺れるほどにブンブンと頭を左右に振った。
「だ、大丈夫です! 足りなくなったら、またこちらから依頼します」
そう言って、わたしは視線を彼から逸らす。
彼は柔らかい表情のまま微笑み「じゃあ、また」と言って裏口から出ていった。戸の閉まる音を聞いて、わたしは胸をホッと撫で下ろした。
ここまでの展開で、わたしが彼に恋をしていると推察できるかもしれないが、残念、不正解。
恋とはまるでかけ離れて、わたしは男性がとても苦手だ。だからこのお兄さんも例に洩れず苦手対象なのだ。
それでも半年前、こちらの世界に来たときに保護してくれた宿屋の男主が面倒見の良い人だった為、こんなでも多少は良くなった。男性客を前に短めの会話も出来るようになったし、愛想笑いも出来るようになった。こちらの世界に来る前のわたしは、二年前に母を亡くしてから表情筋が死んでしまって、学校では『鉄仮面、能面』等と陰で揶揄されていた。そういう陰の情報というものは、巡りに巡ってわたし自身の耳にも入ってくるもので。けれど、当時のわたしはそれを否定するものがない。確かにそうだったから。感情が死んでしまっていた。だから、沼の底に沈み込ませるようにそれを受け入れた。あからさまなイジメはなかったけれど、クラスには溶け込んでいなかったと思う。ただ、中学、高校と一緒で、自分と会話をしてくれる生徒はいた。それは友達というより、自分が学級委員だったから必要な用件を伝えにくる程度だけれど。そんな何気ないことが当時はほんのり心強かった。
男性が苦手になったきっかけというのは、わたしが五歳のときに両親が離婚して、自分や母のもとから去っていった父が根幹にあるのだろうと思う。
とりあえずは、若くしてしなくてもいい経験をしてしまったわたしだけれど、今は異世界でこうして逞しく生きている。
こんな歳でパンが作れるのは、亡くなった母のおかげ。
中心街から少し外れた廃墟だったここを貸してくれたのは、保護してくれた宿屋の主人のおかげ。
常に感謝の心を忘れてはいけないという母の教えを守り、わたしは調理場の窓に置かれた花の入った花瓶と、花瓶の隣できらりと輝くネックレスにペコリと頭を下げた。
「すんませーん」
レジのほうで、誰かが呼び鈴を鳴らす。
「いま行きます」と調理場より声をだして、急いで売り棚のほうへと向かう。
そこには、赤茶色のゆるいパーマをかけたような長身の青年が、パンを載せたトレーを持ってレジのところに立っていた。同色の砂糖を溶かしたような瞳は、きっと世の女性を虜にするのだろうが、わたしにとってはまったく関係ない。そこらへんの草や土と同じ無という存在である。
特に恋愛心などが燻ることもなく、青年が持っていたトレーを受け取ってパンを袋に入れていると──。
「この前のキャンペーンのクッキー、美味しかった。ありがとな」
突如話題をふられて思考が渋滞した。否、男性からの話題ふりに思考が重体になった。
キャンペーン? キャンペーンってなんだ?
わたしの脳内細胞が、必死に重体思考の回復を図り、なんとか復旧される。
そうだ。キャンペーンといえば三ヶ月ほど前。パン屋をオープンさせる際に、キャンペーンを行ったのを思い出した。よく店が開店する際に割引券やらオマケをつける、アレだ。
わたしはクッキーをオマケにつけた。
そのうち保存のきく焼き菓子も作りたいと思っていたので、その試作も兼ねてオープン時お客に渡していたのだ。
それを評価されたのは純粋に嬉しい。
でも、男性と会話をするのは苦手だ。しかも話したこともない男性から友達感覚で話されて、それは、この国では当たり前のことなのかな?
手早く会計を済ませてパンの入った紙袋を彼に渡す。
「あ、ありがとうございました」
視界から彼がいなくなるし、丁寧にされている印象はもたれるしで一石二鳥な四十五度の角度でのお辞儀をしたわたしは、出入り口の鈴が鳴るのを待った。
「じゃあ、また」
そう言葉が聞こえてドアが開く音と、カランカランという鈴の音が聞こえた。再びドアが閉まる音が聞こえてから顔をあげる。
店に人がいないことを確認してから、ふぅと一息つく。
こういう商売をやっているのだから、性別関係なく接しなくてはいけないのはわかってはいたけれど、やはりまだ慣れない。誰かにレジを任せて店の奥で誰にも会わずにひたすらにパンをこねていたい……。
ふと、自分の手を見る。沢山洗い物をしたりしてカサついた指先。オーブンからパンを取り出した際に、オーブン皿にうっかり触れてしまった事故で、すっかり色素沈着した手首の火傷の痕。
──そういえばわたし、まだ高三なんだった。
別にこの世界に迷い込んだことを後悔しているわけじゃない。大変だけれど、こうして生活出来ている。
二年前に母を亡くしてからはずっと一人暮らしをしていて、世間一般の高校生とは違っていた。後見人は母の兄で、一緒に住むことを勧められたけれど、大好きだった母と住んでいたアパートに……温もりにまだ縋りたかったわたしはそれを断った。わたしの気持ちをわかってくれた母の兄は、学費や家賃、光熱費の一切を出してくれて、わたしは食費をバイトで補っていた。けれど、はっきり言って申し訳ない。母の兄にとっては余計な出費だ。贅沢をしてはいけないと、骨の髄まで覚えこませた。
──でも。
もし今も母が生きていたら、生活は貧しくとも高校のみんなと同じ感覚になれたのかもしれない……。
そんなふとした虚無感という穴に、わたしは時々ポチャンと落ちてしまう。
けれど、そこからの脱出方法も母が亡くなったこの二年間で習得した。
わたしは調理場に行って、調理台にボウルを置くと、パンの材料をボウルに入れてひたすらにそれをこねる。
この気持ちからの脱出方法は、パンを作ること。パン生地をこねていると、隣で母が一緒に作っているような感覚になる。そういう、昔の楽しかったときに戻れるような気がした。
『実春。パンの歌、歌おっか』
心の中の母が微笑んだ。
わたしは、パンの歌を歌う。子供番組で流れていたパンの歌だ。生地をこねていると、それが大きく膨らんで、少女を乗せて世界旅行に出かけるというファンタジーな歌だ。
それを子供に戻ったかのように音程など気にせずに元気よく歌うと、萎んでいた気持ちが明るくなる。
頑張ることは悪いことじゃないし、宿屋の主人のご厚意により、この歳でお店をもつことが出来たのだから、そのお店をちゃんと守らなくては。しっかりしろ、わたし!
「うおおお! 頑張るぞ!」
気合いの雄叫びをあげた直後に売り場をみたら人影。わたしは、あまりの衝撃に魂がすっぽぬける勢いで白く固まった。
青色のショートさらさら髪をした青年が、バツが悪そうに俯く。サラリと見えなくなった口元を手で覆って、肩が震える。必死に笑いを堪えているようだ。
は、恥ずかしい。
わたしは、レジに舞い戻って彼のトレーを受け取ると、手早く会計を済ませてお釣りを渡す。
なんともいえない空気に、恥ずか死ぬと何度も心の中で叫ぶと、笑いの峠を越えた彼が、黒いチェスターコートの内ポケットから小袋を取り出し、わたしに渡した。手のひらサイズの可愛い巾着袋だ。
「この前のクッキーのお返しです」
クッキーといえばオープニングキャンペーンのアレだ。
わたしは、かぶりを振って押し返す。
「あれはお店のキャンペーンです。このように見返りを求めていたわけではないので。その……受け取れません」
彼の胸元に押し付けたそれを、彼は再びそっとわたしのほうへ押し戻す。
「そんなのわかってますよ。ただ、あのように手作り品を戴いたのは初めてだったので、純粋に嬉しかったんです。他意はありません。中身は単なるチョコです。あなたの手元に何か残るわけではないので、どうかご安心を」
隅々まで行き届いている気遣いを無下にはできず、わたしは心の中で呻く声と嘆息の末に、ようようそれを受け取った。
わたしが受け取ったことで、彼はにっこりと微笑んで「それでは」と、パンの入った袋を抱いて店から出ていった。
男性は苦手だ。けれど、それ以上に自分の気合いの咆哮を見られた羞恥心で、なんか心を脱水機の中に放り込まれた気分だった。
さっきの人もそうだったけど。
「……何でこんなことするのかな」
わたしは、まだこの国のことをよく知らない。こちらへ来て、生きることを理由に国の事情を取り込む努力を怠ってしまった。それがまさかあんなことになるとは。
──何の接点もない彼ら三人とわたし。これから深くも奇妙に関わることになろうとは、このときのわたしは、まだ知る由もなかった。
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