5話 お客様は公爵様
4話までの書き直しで、こちらの冒頭までずれ込んでます。(たしか)
すでに読まれていた方には申し訳ないです。
兄の結婚はまとまったようなので、二人を残して部屋から退散しようとしたところで、玄関にいるはずの老齢の執事が駆け込んできた。
ひどく慌てた様子がめずらしい。
「旦那様! お客様です」
この家は今、兄とルビナしか暮らしていないので兄が主人役をしている。
だから執事は兄に報告に来たのだ。
「どうしたんだ、そんなに慌てて。そんなに大変なお客様なのかい?」
執事は取り乱した自分に気づいて、ゴホンと空咳をしてから「王弟、公爵閣下でございます」と告げた。
私たちは黙り込んだ。
「どうして公爵がこの家に?」
今この室内にこの問いに答えられる人はいなかった。
王弟公爵といえば、言わずもがなな大物だ。
領地も非常に大きく、政治にも深く関わっている。
年齢は三十一歳で、兄である王が国を継いだタイミングで公爵位を継いで王宮を出たという話だ。
普段は屋敷の中で過ごすことが多く、夜会やパーティーにもあまりお出ましにならないらしい。
ルビナのような若い者はその程度のことしか知らない。
「それで、用向きは何と?」
「それはおっしゃいませんでした。とにかく呼んでくるようにと」
「そうか。まあ会ってみるしかないな」
兄が部屋を出ようとしたところで、今まで黙っていたメイメルが兄の腕に縋りついた。
「ああ、ごめんなさい! きっと私を捕まえに来たんですわ……!」
「メイメル? どういうことだい」
兄はメイメルの嘆きにハッとして、心配そうに彼女を覗き込んだ。
「私が……」
ルビナはなるほどと思うと、兄に向かった。
「お兄様はメイメルの話を聞いてあげて。決して怒らないでね」
「ああ」
「その間、私が先にお話を伺って来ますから」
「いや、それは失礼では」
「私も関係者ですから」
ルビナはそう言い残すと、スタスタと部屋を出た。
執事が慌ててついてきて、部屋を案内した。
***
ルビナが王弟公爵を待たせている応接間に入ると、彼はこちらに背を向けたまま窓の外を眺めていた。
窓から入る光で、王子と同じ空色の髪の毛がキラキラしている。
その髪はオールバックにしてセットしてあった。
肩幅は広く、がっしりしている。身長は兄と同じくらい高い。
兄はすらっとしているが、この人はもう少しがっしりしている。
「お待たせしました。兄はしばらく手が離せませんので、妹の私が先に用件をお聞きしますわ」
公爵が振り返ると、ルビナは顔を見る前に頭を下げた。
「ハルアー・オルーブの妹のルビナです」
そして公爵の顔を見た。
ああ……
ルビナは何故かすぐに気づいた。
この方が前世の私が守った王子様だ。
三十一歳、私が十七歳だから計算も合う。
そして彼はルビナが十三歳の彼を見た時に感じたように、とても女性にモテそうな顔に育っていた。
だというのに、彼はまるで不幸を背負ったような表情を顔中に張り付かせた大人になっていた。
目の下には隈が張り付き、顔色もよろしくない。
表情もちょっと行き過ぎなくらい厳しい顔つきだ。
どこがというわけではないが、人を寄せ付けようとしない、
恐いと人に思わせるような何かがある。
これでは悪魔だわ。
きっと彼と向かい合った温室育ちの令嬢は、みんな恐怖で泣いてしまうだろう。
これは彼が王族だからこうなのか、それともサーカスであったことに原因があるのか。
だがそれよりも、ルビナには気になることができた。
彼の体には傷はあるのだろうか?
あのサーカスで、私が死んだ後、彼は虎に噛まれたりしなかっただろうか?
ルビナは彼の全身を慎重に確認していった。
手は義手のようには見えない。足は、噂でさえも彼が片足だというようなことは聞いたことがないから、大丈夫だろう。
だが傷は? 少し歩いて見せて欲しい。どこか動作に違和感がないか見たい。
足を引きずっていないか、手の振りはどうか。
どこかに後遺症が残っていないか、どうしても知りたくなった。
「ソファーに座りませんか? 公爵様」
ここまで公爵は一言も話さずルビナの様子を伺っていたことに気づく。
あからさまに全身をジロジロと観察していたことも見られていたのだ。
だが彼は何も言わなかった。
そして動こうともしない。
「公爵様、お茶を用意して参りますね」
ルビナはどうしようもなくなった。
一時退室しようかと声をかけ、一歩動こうとしたところで、やっと公爵が声を出した。
「いや……、いい。君に用がある」
「そうですか」
ルビナは仕方なく向かい合ったまま待つことにした。
だがまた彼は黙り込んでしまう。
「あの、用というのを教えてくださいませんか?」
「全然似ていないな。だが……」
「似ていないというのはどなたにでしょうか?」
「いや、それはいい」
一向に本題に入らない公爵についイラついてしまう。それどころかこの方は挨拶もしていないのではなかったかしら。
ルビナはだんだんとイラついてきた。
そう、自分が観察することに熱中して忘れかけていたが、いまだにルビナは彼から自己紹介も受けていないのだ。
タイラー・ナルバーン公爵。
もちろん知っている。
だからといって自己紹介を受けなくてもいいということにはならない。
上位貴族様に対して思うことではないかもしれないが、失礼だ。
そう、
前世せっかく命をかけて助けたのに、こんな扱いを受けなきゃいけないなんて。
もちろん誰も知らないのだから、感謝なんて受けるはずはないのだが、
ひどく損をした気分になってくるのだから現金なものだ。
「あの、公爵様?」
「ああ、すまない。つい考え込んでしまった。私はタイラーだ。現国王の弟で、ナルバーン公爵をしている」
「はあ、私はルビナ・オルーブです。お見知り置きください」
ルビナは先ほど名乗ったが、一応もう一回名乗っておいた。
態度を改めた公爵に比べ、あまりいい気分には戻らなかった。
そのことに公爵も気付いたようだったが、特に態度を注意するつもりはないようだった。
「用を教えていただけますか?」
「聞きたいことがあってここにきたんだ」
そして公爵はベルトに刺していたものをルビナに差し出した。
「これは君が投げたのだろう」
「ケーキサーバー……」
どうやらメイメルの予想が当たってしまったらしい。
確かにスカートの中にナイフとともに蹴り入れたが、回収したのはナイフだけだった。
もともと会場にあったケーキサーバーがどこに落ちていようと、対して問題にならないだろうと思ったのだ。
放置したのは間違いだった。
「もう一つの方の凶器は残っていなかったようだ、持ち帰ったのか?」
「はい……」
あのナイフは、家に帰る馬車の中で自分の手提げに押し込んだ。
メイメルに返してもその罪を思い出させることにしかならないと思ったからだ。
「昼間のパーティーでね、警備に混じって王子を見ていたんだ。君がここに連れて帰ったと聞いている伯爵令嬢の手首に、綺麗に当てていたね」
「……はい。それで?」
これはルビナが裁かれる流れなのだろうか?
なるほど。
ルビナはこういう時、怯えるタイプの人間ではなかった。
もしかしたらあんな死に方をしたからかもしれない。
それとも、もともとそういう人間ではないのかもしれない。
前世、サーカスで唯一仲の良かった占いババアという名の女性にずっと
「お前のような薄情者は見たことがない」
「お前はどこか欠けてるよ」
と言われていた。
確かに母親に捨てられたと言って、大泣きはしなかった。
母親より、大事なタオルの方が重要だったかもしれない。
だがまあ、今はそんなことは関係ない。
「私の投げたケーキサーバーが何ですか? 私が投げたのを知っているのはわかりました。それで何をしに来たんです? あなたが何をしたいのかは口に出して言ってもらわないと、伝わりません」
いい加減はっきりして欲しい。
ルビナが不満感を隠しもせず言うと、部屋の開け放たれたままのドアに隠れていた執事が悲鳴を漏らした。
だがルビナは気にしなかった。
言ってやらないと、この公爵とは話が進まないという確信があったからだ。
「私のしたいことか」
公爵は不幸の張り付いた顔で、口の端を歪めて微かに笑った。
そしてルビナの前に片膝をついた。
今日その姿勢をする男性を見るのは二度目だ。
だがルビナはもし変なことをする気なら蹴飛ばしてやろうと考えた。
そして公爵はまさしく変なことをした。
「私の妻となってほしい」
読んでいただきありがとうございました。