1話 前世の顛末
ファンタジーはほんわり設定です。お許しください。
ルビナが覚えている中で一番古い記憶は母のガサガサの手だった。
その手にぎゅっと片手を握られて、知らない道を歩く。
靴はなく、裸足だったので、冷たい石畳の上に転がる砂利が足の裏に刺さって痛い。
握ってない方の手はいつも持ち歩いているボロボロのタオルを握ったまま親指を吸っていた。
母はいつもと様子が違い、やけに神経質で、周りをキョロキョロと伺っている。立ち止まったり歩いたりを繰り返し、その度にぐいっと体を振り回されるので、ルビナはひどく不快だった。
視界が暗くなってしばらくして、そこが裏通りだと気づいた。母が立ち止まり、ルビナは顔を上げようとした。
母の表情は見えなかった。
ルビナは激しく振り払われ、床に転がった。
親指を噛んでケガをした。
手のひらも擦りむいた。
でも、お気に入りのタオルが汚水に浸かって、ビチャリと音を立てたことの方が衝撃だった。
ルビナは憤慨して振り返ったが、そこには母はいなかった。
これがルビナが母と過ごした最後の時だった。
少し母を探し、疲れて地面に座り込んだ。
しばらくしてルビナは指を吸ったまま地面に丸くなり、眠ることにした。
お気に入りのタオルからは不快な匂いがしたが、出来るだけ濡れてないところを握りしめておいた。
シトシトという音と、地面がひんやりと冷たいことで雨が降っているのが分かった。
ルビナは起き上がってぼうっとしていた。
お腹がすいていた。
母の顔を思い出すが、怒っている顔ばかりで、不快になっただけだった。
それでも、あの人がいないとご飯が食べられないのだと理解した。
あの人が機嫌を直して迎えにきてくれなければ、もうどうすることもできない。
そして半日経った頃、太って胡散臭いサーカスの団長に拾われた。
彼はニヤついた顔で、柔らかいパンをくれた。
ルビナは母親が来ないのなら、この人でいいやと思った。
以降ルビナは、サーカス団のメンバーとして雑用をし、子供から女に成長し始めるとナイフ投げを教え込まれた。
そして師匠が亡くなると、ショーのいくつかの目玉の一つとしてナイフ投げをして生活した。
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サーカス団は、色々な街を周り、国を回り、海を超え、山を超え、色々なところに行った。
ルビナが二十五歳くらいになった時、ある国の依頼でサーカスを開きにいった。
不思議な依頼で、たった一回だけショーをして、それが終わったら帰れと言われた。
王子の誕生日のためだけのショーだった。
座席は王子のものだけで、周りには何人もの騎士が囲んでいた。
王子は全てのショーを見て、嬉しそうに拍手をしていた。
ルビナのショーも好評だった。
護衛の騎士を一人出してもらい、板の前にたたせて、身体の周りにナイフを投げていく。ぐるっと一周ナイフで囲むと、最後に頭の上にリンゴを置いて、それを突き刺した。
ルビナは拍手に答えて優雅にお辞儀した。
拍手をする王子は空色の髪の毛が印象的な、十三歳くらいの男の子だった。
ショートカットで爽やかな雰囲気。
整った顔だちで、目は優しそうに弧を描いて微笑んでいる。
頬は赤らんで、とてもサーカスを楽しんでくれていることがわかった。
ルビナは目をキラキラさせてサーカスを楽しんでくれる子供をみるのが大好きだった。
そしてルビナにしては珍しく、あの子は大人になったら女に取り愛されるくらいモテるだろうなと俗っぽい想像をした。
奥に引っ込み、ナイフの手入れに行こうかと思った思考が止まった。
次の順番を待つ虎の檻に視線がいく。
檻の足元におかしな壺があって、そこから白い煙と不思議な匂いが漂っていた。
あんなものを見たのは初めてだった。
虎に香を焚き染めようとしているにしては、匂いが悪い。
ルビナは嫌な予感がして、それを伝える相手を探したが、どこを見ても猛獣使いの弟子の子供しかいなかった。
猛獣使いはすでに舞台の上だ。
よくないことが起こる気がする。
舞台から猛獣使いの声が響いた。弟子は何の迷いもなく檻を開ける。
虎はイライラしているようだが、何とか指示を聞いていた。
ルビナは舞台袖から離れることができず、舞台を見張っていた。
ルビナの位置からは、虎の向こうに王子が見えていた。
しばらくして、そこから少し離れた位置の騎士が腰に縛っていた袋をゴソゴソし始めたことに気づく。
騎士が取り出したのは赤い塊だった。
ルビナは慌てて走り出した。
あの赤い塊は、生肉にしか見えなかった。
ルビナが一直線に王子に向かうと、周りを固めていた騎士たちが慌てて剣を抜き出した。全ての切先がルビナに向かう。
生肉を持った騎士には誰一人気付いてくれない。
そいつは誰にも邪魔されることなく、それを王子に向かって投げつけた。
肉はベチョリと王子の膝の上に着地した。
虎はその匂いに敏感に反応し、ルビナの隣を走った。
ルビナは両手を広げて虎の進行を遮り、王子の前に出た。
その瞬間、何人もの騎士たちが全員でルビナに向かって剣を突き刺した。
大量の刃がルビナをザクザクと刺し貫く。
誰も振り返って挙動不審な男を見ない。
呆れるわ。
しかし、誰も王子の目の前を遮らないので、ルビナは何とか手を伸ばして、彼の膝の上から生肉を引ったくった。
そして虎に後ろから噛みつかれながら、目的を達成した喜びを、笑みで表した。
それからーー
ーーそれから、ルビナはどうなったのか一切わからない。
王子も、騎士も、虎も、サーカスも。その後どうなったのか、ルビナは知らない。
知ることができなかった。
なぜなら、騎士たちの剣と虎の牙によって死んでしまったのだから。
読みにくい気がしたので
書き直しました。
筋は変わっておりません。