14話 医者にて
「あなたが旦那さんですか」
「ええ、そうです」
二人の男性の声がして、ルビナは目が覚めた。多少の頭痛を感じながらうっすらと目を開ける。見たことのない天井と、仕切りのカーテンが視界に入って、ルビナは混乱した。
一体私はどこにいるんだろう。なんでここで横になっているのかしら?
「妻は何か病気なんですか?」
会話の片方の声はタイラーのものだった。
内容からするに、ここはお医者さんなのかもしれない。
ルビナは迷ったが、声をかけることを決めた。
「タイラーいるの?」
カーテンが開き、タイラーとお医者さんらしき男性が視界に現れる。
「よかった、目が覚めたのか」
「私、どうしたのかしら」
「突然気絶したから、医者に連れてきたんだ」
タイラーがルビナの手を握りしめた。それで自分の手が冷たかったことに気づいた。彼の手がポカポカと温かい。
ルビナは起きあがろうと体を動かすと、タイラーにそれを止められてしまった。
「大丈夫なのか?」
「ええ、もう大丈夫」
そのやりとりを見ていたお医者さんが微笑んだ。
「おめでとうございます。奥さんは妊娠されていますよ」
その言葉はルビナの頭に浸透するのに時間がかかった。
タイラーも驚いて固まってしまった。
ルビナはタイラーを見上げる。
彼はまた目を大きく見開いていた。
この国に来てから彼を驚かしてばかりねとルビナは思う。
「奥さんは気づかれませんでしたか?」
「ええ、初めてなもので」
ルビナは自分も当事者だということを思い出し、タイラーを観察するのを切り上げようとしたが、突然タイラーは口を開いた。
「大変だ」
「大変なの?」
「屋敷で万全の世話ができるよう、すぐに国に帰らなければ」
タイラーはとても血色が良くなっていた。頬がピンクに色づいて、目がキラキラして、とても生き生きしている。
あらかわいい。
「ああ、いえいえ。他国の方でしたか、では慌てず、しばらくこの街に滞在してください」
「なぜですか」
「母体が安定するまで様子を見た方がいいでしょう。馬車の旅は大変ですからね。あの揺れで何かあったら、あなたも嫌でしょう?」
「確かに、その通りだ」
「ですからまあ、のんびりなさって、たまに私のところに様子を見せに来てください。大丈夫そうなら旅の許可を出しましょう」
「わかりました。お願いします先生」
「往診もありますので、何かあればお呼びください」
タイラーは明らかに浮き足立っていた。先生は落ち着いた口調でタイラーに話しかけてくれていて、とても頼もしいとルビナは思った。
宿屋についてからも大変だった。
タイラーは全てのことに過剰に反応し、階段も一人で登らせてくれない始末だ。
そしてだんだんむずむずし出し、ルビナを残してもう一度病院へ出かけて行ってしまった。
宿へ戻ってみると、気になることや注意すべきことが多すぎて、それを訊ねなければ落ち着かなくなってしまったらしい。
なんだかこんな反応をするとは思っていなかったので、笑えてしまった。
彼は三十一歳だというのに、と笑っていると、タイラーが室内に残していった使用人が「男なんてあんなものです」と教えてくれた。
それから彼は何時間も帰ってこなかったと思ったら、眠る準備を終えた頃酒の匂いをさせて帰ってきた。
ルビナは呆れてしまった。
「どういうつもりなの?」
「すまない、なんだか落ち着かなくて」
まるで怒られた犬みたいに落ち込んでいる。
ルビナはすでにベッドに入ろうとしていたところだったが、座り直してタイラーを手招きした。
彼はもう寝る準備は整っているようだ。
タイラーをベッドの隣に座らせ、膝まで掛け布団をかけてやると、座ったまま話しかけた。
「怒ってないわ、大丈夫よ。それで、先生には何を聞いてきたの?」
「段差や、衝撃についてだ。それから食べ物、飲み物、気をつけることなどだ。あとベッドを一緒に使っていて大丈夫かも」
「そうなのね。で、大丈夫だって?」
「ああ。よっぽど寝相が悪くなければと笑われた」
「あなたはほとんど寝返りもうたず、上品に寝てるわ」
ルビナも笑った。
「昼間赤ちゃんを見せてもらってたのに、まさかその時には私のお腹にもすでに赤ちゃんがいたなんて」
「ああ、驚いた」
二人はあの時の赤ちゃんのことを思い出していた。
とても可愛い赤ちゃんだった。男の子か女の子かはわからなかったけど。
私たちの赤ちゃんはどうなるかしら。
でもまだ全然小さいわね。と思う。大事にしよう。
タイラーはルビナをベッドに横にならせ、肩まで布団をかけてから自分も横になる。
灯りを消したのでそのまま眠るのかと思ったが、目は開いたままで爛々と光っているのが見える。
少ししてまた話し出した。
「あの時、君が赤ん坊を抱いているのを見て、早く私たちの間にも欲しいと心から思っていた」
「そうなのね……よかった」
ルビナがホッとため息をつくと、タイラーは不思議そうに尋ねた。
「どうした?」
「貴方が遅くまで帰ってこないから、ちょっと不安になったわ」
「……すまない。一人で気分を落ち着かせたかった。病院へ行ったあと、少しフラフラして、酒屋に入って一人で飲んだ」
「いいわ。それがあなたにとって大事だったのね」
タイラーはルビナを抱き寄せて額に軽くキスをした。
「そうだ。私はたまに、頭が混乱すると一人でいたくなる時がある。何かを考えるわけではないが、混乱した頭が落ち着くまで一人でいたいんだ」
「わかった。覚えておくわね」
ルビナは微笑んだ。真っ暗だから見えないと思ったが、タイラーはこちらをじっと見つめているようだった。
タイラーの親指がルビナの唇に触れると、ゆっくりと撫でさする。
「キスしていいだろうか?」
「先生はしてもいいって?」
ルビナは冗談を言った。
「ああ、いいと言っていた。それ以上のことも、様子を見ながらすればいいと」
「へえ、そうなのね。驚きだわ」
「私も危ないんじゃないかと聞いたんだが、夫婦の触れ合いは大事だと」
「そうなのね」
「だが、君が嫌なら何もしない」
タイラーは真面目ぶっていった。
ルビナは慌てて
「いいえ、そんなことないわ」と言った。先々はどういう気分になるかわからないけど、今から彼を遠ざけたくない。
「よかった。君に触れられないのは辛すぎる。だが、様子を見ながらにしよう」
ホッとした声が聞こえた。
「そうね、私たちがこのお腹に赤ちゃんがいることに慣れてきたらその時考えましょう」
「ああ、それでいい」
二人はキスをして、いつも通り寄り添いあってゆっくり眠った。