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異世界から転生してきた園村くんは姫芽ちゃんに傅きたい  作者: 水野沙彰
8章

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卒業・約束2





「姫芽ちゃん、待たせてごめん」


「さっきまで美紗ちゃんもいたから大丈夫だよ」


 姫芽は自分が使っていた机に浅く腰掛けて、ゆらゆらと足を動かした。

 いつの間にか太陽が傾き始めている。

 3-Bの教室には、もう姫芽しかいなかった。さっきまで美紗がいたのだが、歩が迎えにきて、先に帰っていった。

 今日は夕方からクラス会がある。卒業祝いで、カラオケボックスを予約してあるのだ。美紗と姫芽は参加する予定なので、挨拶も『後でね』だった。


「なら良かった」


 近付いてくる櫂人の制服は、ボタンが全て無くなっていた。姫芽はそれを指さして苦笑する。


「お疲れ様。モテる男は違うね」


「何それ」


「美紗ちゃんが言ってたの」


 姫芽が言うと、櫂人が吹き出して笑った。姫芽もそれにつられて笑い声を上げる。

 静かな教室が、心地良かった。

 櫂人が姫芽の正面に立つ。


「──姫芽ちゃん」


「うん」


 姫芽はゆらゆらと揺らしていた足を止めて、櫂人を見上げた。

 櫂人の瞳の中には、不安げな表情の姫芽が映っている。

 今日、櫂人はクラス会に参加しない。

 今日の夜には、日本を出る予定になっているのだ。

 本当は、卒業式を待たずにアメリカに来るようにと言われていたらしい。それを今日まで延ばしたのは、櫂人の我儘だと言っていた。姫芽達と一緒に卒業するためだ。


「待っててくれる?」


「……待ってて良いなら、いくらでも待ってるよ」


 姫芽は手の中の第二ボタンをそっと握り締めた。

 その中身を知っている櫂人が、姫芽の右手の甲をそっと撫でる。


「待ってて。絶対、帰ってくるから。俺が欲しいのは姫芽ちゃんで、帰ってくる場所は姫芽ちゃんのところだから」


 姫芽は熱くなってきた頬を感じながらしっかりと頷いて、右手をそっと胸元に当てる。ボタンひとつに掛けるような願いではないと分かっていても、願わずにはいられなかった。

 姫芽はこれまでに何度も、いろんなものに櫂人と一緒にいたいと願掛けをしている。この第二ボタンも、そのひとつだ。


「姫芽ちゃん、手出して」


 櫂人に言われて、姫芽はボタンを乗せた右手を差し出した。しかし櫂人は首を振って、それから姫芽の左手を取る。


「そっちじゃなくて、こっち」


 櫂人の右手が、姫芽の左手をそっと捧げ持つ。そこに、初めて会ったときのように口付けを落とされた。触れた冷たさは、まるで櫂人の緊張をそのまま姫芽に伝えてくるかのようだ。

それから、櫂人が姫芽の指をそっと一本を選んだ。

 姫芽ははっとして、櫂人が左手の五本の中から選んだ指を見る。

 姫芽から見て右から四番目。その指に、銀色に輝く小さな指輪がそっと嵌められていく。小さな透明な石が、きらりと光った。

 今の姫芽には不釣り合いなほど繊細な美しさを持った指輪だ。


「これ……」


「愛してる。──今は、こんなものでしか繋げないけど」


 櫂人がそう言って、改めてそっと微笑む。

 その目が確かに姫芽を求めていることに気付く。身体中の血液が一気に沸騰したような気がした。


「今すぐはできないけど、それでも……俺と、結婚して欲しい」


 堪えていた涙を、我慢する余裕もなかった。今日一日堪えていたものが次々に流れていく。櫂人の指先がそれをそっと掬い上げた。


「姫芽ちゃん、返事は?」


「はい。……私を、櫂人くんのお嫁さんにしてください……!」


 また涙を掬った櫂人が、くしゃりと顔を歪ませた。それは卒業式のときに一瞬だけ見た表情と同じものだった。

 いとしくて、かなしくて。

 どうしようもなく、恋をしている一人の男の顔だ。


「はは、良かった。断られたらどうしようかと思ってた」


 姫芽は手で涙を思いっきり拭って、勢い良く左右に首を振る。


「そんなこと……! だって、こんなに好きなのに」


「だけど俺、姫芽ちゃんに楽しいこと何もしてあげられてない」


「そんなことない。私は、櫂人くんに、たくさん……たくさん」


 この校舎で過ごした一年半、櫂人と過ごした時間はそれだけだ。

 三年になってからは姫芽は受験勉強で、櫂人も仕事とアメリカ行きの支度で、互いに忙しくなってしまった。デートをした回数も、数えるほどしかない。すれ違って喧嘩をしたこともあった。

 それでも、幸せだったと、心から言える。


「ずっと一緒にいたい……!!」


 次の瞬間、姫芽は櫂人の腕の中にいた。

 ボタンのない櫂人の制服は上着の前が開いていて、薄いシャツ越しの体温が直接伝わってくる。櫂人の速い鼓動がいつもよりもよく聞こえた。それが姫芽のものと混ざり合って、どちらの鼓動か分からなくなっていく。

 ずっとこうしていたい。

 姫芽の願いを知ってか知らでか、櫂人が抱き締める腕の力を強めた。痛いくらいに閉じ込められた姫芽は、必死に両手を櫂人の背中に回して、想いを返す。


「──……ありがとう。ずっと一緒にいられるように、頑張る」


 櫂人はそう言って、姫芽を抱き締める腕を緩めた。

 その日櫂人は、姫芽の家の前まで送ってくれた。その間、二人はずっと取り留めのない、どうでもいい話しかしなかった。まるで明日も今日と同じ日が続いているかのような穏やかさで、時間が過ぎていく。

 姫芽の家の前で、櫂人が姫芽に触れるだけのキスをした。


「約束するから」


 遠くなっていく背中が見えなくなるまで、姫芽はその場で手を振り続けた。

 曲がり角の先で櫂人が泣いていたことを、姫芽は知らない。

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