決心・未来4
姫芽と歩が話をしていると、面談を終えた櫂人が図書室にやってきた。櫂人は入り口から室内を見渡して姫芽を見つけると、早足で近付いてくる。
途中で向かいに座る歩を見つけて、珍しいものを見たというように眉を上げた。
「姫芽ちゃん、お待たせ──って、歩?」
「お、櫂人。お疲れ」
歩がひょいと軽く手を挙げてひらひらと振って応える。それからすぐに荷物を纏めて立ち上がった。
放っておいたらそのまま帰ってしまいそうな歩を、櫂人が引き止める。
「歩が図書室にいるって珍しいな」
「あーうん。ちょっと姫芽ちゃんと話したいことがあったから」
「話したいことって──」
櫂人の言葉を遮って、歩が櫂人の肩に手を置く。
突然の行動に、櫂人が首を傾げた。
「姫芽ちゃん、大事にしろよ」
真面目な顔で言った歩に、櫂人が頷く。
「……言われなくても」
「はは、だよな! それじゃ、俺は帰るわ」
櫂人の返事を聞いた歩は、嬉しそうに笑って姫芽と櫂人に手を振った。
姫芽はそんな歩に慌てて声をかける。
「え、一緒に帰らないの?」
てっきり、櫂人を待っているものだと勝手に思っていた。
しかし歩は首を振りそれを否定する。図書室にかかっている時計で時間を確認して、目尻を緩めた。その表情に、姫芽は驚きが隠せない。
いつも笑っている歩でも珍しい、柔らかく優しい表情だったからだ。
「今日、美紗ちゃんと約束してるんだよねー。部活終わるの待ってたの!」
姫芽も時計を見たが、確かにそろそろ部活動が終わる時間だった。
さっさと図書室を出て行く歩の背中を見送って、櫂人と姫芽は同時に溜息を吐いた。
「いつの間に……」
本当に、いつの間にそんなに仲良くなったのだろう。美紗が姫芽に何も言ってきていないということは、まだ付き合ってはいないのだろうけれど、あの様子では今日明日にでもくっついてしまいそうだ。
というより、もしかしたら今日これから告白するのかもしれない。
姫芽はその想像にうっかり頬を赤く染め、それを隠すように慌てて荷物を纏めた。
櫂人が姫芽の様子を見て、小さく笑う。
「改めて……お待たせ。歩に変なこと言われなかった?」
「変なことって。大丈夫だよ、あんまり待ってなかったから」
櫂人が姫芽の鞄を持って、反対の側の手を差し出してきた。ありがとうと小さな声で礼を言って、手を重ねる。きゅっと握られた手が、自分の居場所はここだと主張しているような気がした。
校門を出て、駅への道を歩く。
「少し寄り道していこう」
「うん」
提案に姫芽が頷くと、櫂人はいつもの道とは違う通りに足を向けた。
まだ学校周辺の道は通学路以外ほとんど知らない姫芽は、初めての道についきょろきょろと周囲を見渡してしまう。
櫂人がそんな姫芽を見て、思わずといったように笑った。
「──ここ。あんまり目立たないから、よく来るんだ」
そこは、高校生には少し背伸びした雰囲気の喫茶店だった。
レンガの外壁。窓にはレースのカーテンがかかっていて、中の様子はよく見えない。それが学生が入りづらい理由だろう。
その類に漏れない姫芽は、緊張しながら入り口の扉をくぐった。
からん、と軽やかに鈴が鳴る。
暖かい店内に、思わずほうと肩の力を抜いた。
店内は落ち着いた雰囲気だった。姫芽がよく行くような系列店ではないそこは、オフホワイトの壁紙に、焦げ茶の床とテーブル、そして柔らかそうな布張りの椅子が等間隔に置かれている。
「いらっしゃいませ──って、櫂人くんか」
シャツにスラックス、エプロンを合わせたシンプルな服装をした初老の男性が、人好きのする笑顔で挨拶をする。
櫂人はそれに会釈で返した。
「こんにちは、店長さん。奥の席、空いてる?」
「空いてるよ。お連れさんもいらっしゃい。ゆっくりしていってね」
「あ、ありがとうございます」
姫芽もぺこりと頭を下げて、櫂人の後について店の奥にいく。
カウンターの横を抜けると、入り口からは見えないテーブル席が二組あった。隣の席との間には観葉植物が置かれ、わざと覗かなければ見えないようになっている。今は姫芽達以外に客がいないから、いずれにせよ誰にも見られることはないだろう。
櫂人がコーヒーを二つ注文する。姫芽の分はミルクと砂糖を頼んでいるのは、前に姫芽の家に来たときに姫芽の飲み方を見ていたからだろう。
「櫂人くんは、ここ、よく来るの?」
「うん。バイトの前に資料纏めたりするのに使ってる」
櫂人が当然のようにそう言った。
カウンターから、コーヒー豆を挽く音が聞こえてくる。落ち着いたピアノ曲が流れている店内に、その音は不思議とよく馴染んでいた。
「……その、櫂人くんのバイト、って」
姫芽は、これまで聞けずにいたことをやっと聞いた。櫂人が話したくなさそうだったので、避けていたのだ。
しかし、道人の話を考えると、自ずと答えが見えてくる。
「父親の会社の仕事、手伝ってるんだ。あと、一応息子だから、社交の場に呼ばれることもあるかな」
「そうだよね。なんか、納得した」
時折見せる、大人びた仕草。高校生らしくない気遣いと敬語。そして、妙に着慣れた様子だったビジネスジャケット。
それらを身につけた場所が『会社』であり『社交』であるのなら、納得だ。
余計に、櫂人との間の違いが大きくなった気はするけれど。
「だから姫芽ちゃんに貰ったボールペン、いつも使ってる」
櫂人はそう言って、嬉しそうに口角を上げた。
コーヒーが運ばれてくる。湯気と共に、ふわりと甘さのある香ばしい香りが鼻についた。