決心・未来3
「うーん。和泉さんは、進学希望で良いのね?」
机を合わせた簡易の面談会場で、姫芽は担任の先生と向かい合って座っている。
自分の将来のことを考えると、どきどきする。ましてそれを大人に話すということは、友達に話すのとは違う緊張が伴う。
「はい」
「それで、志望大学が──」
先生は姫芽が書いた進路調査票を見て、一瞬、言葉を切った。
姫芽はその一瞬に深い意味を感じて、机の下で拳を握る。今の自分には背伸びをした進路だと、理解していた。
「……難しいでしょうか?」
問いかけると、先生は首を左右に振った。
「──今はまだ二年の冬だから、難しいとは思わないわ。でも、頑張らないといけないのは分かっているわよね」
「はい」
「それが分かっているのなら、大丈夫。今からでもできる努力をしていきましょう」
それから先生は、英米文学科を志望した理由を聞いてきた。美紗に話したのと同じ理由を説明した姫芽は、美紗には言わなかった言葉を足す。
「……世界で通用する人に、なりたいんです」
櫂人と並ぶために、姫芽にとって最低限必要なことだった。
姫芽が真剣な顔をしていたためか、それとも現時点ではそこまで深い指導をする必要がないためか、先生はそれ以上追求しなかった。
個人面談を終えた姫芽は、荷物を持って教室を出た。廊下には椅子が並んでいて、三人ほどが待てるようになっている。その中に、櫂人がいた。
「姫芽ちゃん」
立ち上がった櫂人が、姫芽に声をかけた。
姫芽は予想外に顔を見られて嬉しくて、思わず笑顔になる。面談中の生徒の邪魔にならないように、小さい声で返事をした。
「櫂人くん。これから面談?」
「うん。姫芽ちゃんはもう帰るの?」
「特に予定はないから、そのつもり……あ。そうだ」
姫芽は櫂人が座っていた椅子を見た。三つ並んだ椅子の真ん中に座っていたようで、そこだけが空いている。つまり、櫂人は次の次に面談をするのだろう。
多分、一時間はかからない筈だ。
「櫂人くんさえ良ければ、一緒に帰らない?」
姫芽がそう提案すると、櫂人は驚いたように目を僅かに見開いて、それから嬉しそうに笑った。
「良いけど、待たせちゃうと思うよ」
「大丈夫。私、図書室にいるから」
「じゃあ、終わったら迎えに行く。折角だから少し話して帰ろう」
「うん!」
姫芽は櫂人に手を振って、行き先を昇降口から図書室に変えた。
いつも読まない本を手に取ってみようと思った。それが、自分を違うところへ連れていってくれるかもしれないから。
この先の人生の描き直しを決めたばかりの姫芽には、全てのことが不安で、同時に新しい刺激だった。
「あ、姫芽ちゃん」
姫芽が小声で名前を呼ばれて顔を上げると、歩がひらひらと手を振っていた。
「飯島くん。どうしたの?」
「どうしたって、本を読みに来たんだよ。ここ、図書室だしねー」
言葉の通りに手に本を持っている歩は、姫芽の向かい側の席に腰を下ろした。そして本を読み始める素振りをしたと思ったら、次の瞬間、ぐっと身体を前のめりにして距離を詰めてくる。
話したいことがあるのだと察した姫芽は、読みかけの本を机に置いた。
「櫂人と付き合うことになったって聞いたよ。おめでとう」
「あ、うん……」
姫芽が言い淀むと、歩は首を傾げた。何故躊躇するのか分からないという顔だ。
「どうしたの?」
「なんか、直接言われると恥ずかしくて」
素直に言って、熱くなっている頬に気付いた。
歩は姫芽の反応を見て心から面白いというふうに笑って、つい大きくなってしまった声を抑えるように手で口を押さえた。
「そんなに笑わなくても」
姫芽が頬を膨らませて抗議の声を上げると、歩は両手を合わせて謝罪の形を作る。しかしその表情から、全く申し訳ないなどと思っていないことが分かる。
「ごめんごめん。道人様に攫われたって聞いたから、もっと落ち込んでるかと思ってたよ。元気そうで良かった」
「飯島くんは、知って──」
歩は姫芽の言葉を遮って、本を机に当ててとんと音を立てた。
「うん。中学の頃の櫂人は今より目立ってたし、俺、こう見えてあいつの親友だからさ!」
「そっか、そうだよね」
姫芽は頷いて読みかけの本に栞紐を挟んだ。これ以上読み続けられる気がしなかった。それは歩が話しかけてきたからでもあり、同時に櫂人のことを考えてしまったからでもある。
可能性に溢れた未来にはたくさんの希望があり、同時に多すぎる不安が常にある。一つひとつの選択が間違っているのではないかという不安は、姫芽の心の重石になっていた。
大丈夫だという確証は無く、これで足りているのかも分からない。
「櫂人くんの隣にいるって、決めたの。だから──飯島くんには、これからも私達の味方でいてほしい」
姫芽と櫂人には、味方が少ない。
相手は世界規模の大企業だ。何も持たない姫芽が戦える相手ではないだろう。
それなら、仲間を増やすしかない。小さな一歩が、大きな変化をもたらすことだってあると信じて。
「もっちろん。俺は櫂人も姫芽ちゃんも、大好きだからね」
からりと笑ってそう言った歩に、姫芽は多少なり救われた気持ちになった。