決心・未来2
「姫芽ちゃん、久し振り!」
「美紗ちゃん。あけましておめでとう!」
新学期が始まり、またいつも通りの毎日が戻ってくる。
高校二年生の姫芽達にとっては、貴重な三か月だ。進級すれば受験生、受験勉強をしなければならない。遊んでいられるのももうしばらくの間だろう。
賑やかないつものクラスが今日はなんとなく落ち着かないのは、新学期初日だからというだけではないだろう。それは、皆の手にある一枚の紙が原因だ。
「──それにしても、これの提出期限が今日だとか、ちょっとした嫌がらせでしょ」
「なんか、一気に現実に引っ張られるよね……」
美紗がこれと言ったのは進路調査票だ。
B6サイズの紙に、いかにも表計算ソフトで作られただろう五つの空欄。そこに、希望進路、と書かれて番号が振られている。
空欄だったそれを、姫芽は冬休みの間に両親と話して埋めてきていた。実家から通える距離の大学の文系学部が、偏差値順に並んでいる。
桐蓮高校はそれなりに偏差値が高い学校だ。姫芽の成績でも頑張れば有名私大までは狙えるだろうと思って書いたが、見直すと少し後悔してきた。本当に大丈夫だろうか。
本好きな母親の影響で幼い頃から本をよく読んでいた姫芽は、文系の科目の方が得意だ。だから、本好きの延長でできれば日本文学科に進学したいと思っていた。その候補に英米文学科が入ってきたのは、櫂人の影響だ。
冬休みの始めに迷わずに書いた進路調査票は、一昨日消して書き直した。シャープペンで書いていて良かったと思った。
「あ、でも、第一志望私と同じ大学じゃん」
言われてみると、美紗は同じ大学の教育学部を志望していた。
「え? あ、本当だ! ……私が受かれば、だけど」
「言わないで……私にもダメージが」
苦笑した美紗が、姫芽の進路調査票を見て首を傾げる。
「あれ、姫芽ちゃんって英文志望だっけ」
「うーん。いろんな人と話せた方が良いかと思って──」
姫芽が話し出したところで、始業のチャイムが鳴る。号令の後すぐに、担任の指示で進路調査票が回収されていった。
姫芽は櫂人と初詣に行った後でも、道人に言われたことを忘れられずにいた。
──『櫂人といるということは、そういう決意がいる』
そして姫芽は、道人との話に出てきた会社をスマホで調べたのだ。
ふわっとしたイメージだった大企業というものを、初めて実感した。
相川ホールディングス──櫂人の実の父親の会社と、そのグループ企業。そして、園村カンパニー──櫂人の母親の実家の会社と、そのグループ企業。相川の方が企業規模が大きいものの、そのどちらも世界中に事業所と子会社、工場を持っている。
まだ十七歳である櫂人が、その企業を相手に行動しているのだ。姫芽はその事実に気付いて、どうしようもないくらい動揺した。
櫂人とずっと一緒にいたい、という恋人ならば当然に抱く願いを叶えるために、姫芽は今のままではいられないと思った。なんとなく進学して、なんとなく就職して、いつか幸せな結婚をする、なんてふんわりとした『普通』の通りに生きていたら、姫芽は櫂人の隣に立てない。
気付いた姫芽は、自分の適性と、将来の姿を真剣に考えた。
櫂人の隣に立つのに不足でない程度の大学と、自分が興味を持てる学部、そして将来活かせる学科。書き直した進路調査票を母親に見せると、母親は苦笑して『頑張りなさい』と言った。
きっと何かを察してくれたのだろう。
「来週から、放課後に個人面談をします。予定表は後で配るから、明後日までに確認するように。進路がはっきりしてない人は、話聞くから考えておきなさい。それじゃ、体育館に移動してー」
先生の言葉と共に、皆が立ち上がって移動を始める。姫芽もその列に混ざって廊下に出た。
「おはよ、姫芽ちゃん」
「櫂人くん……おはよう」
同じように教室から出てきた櫂人が、当然のように姫芽に声をかける。
「市村さんもおはよう」
「おはよう、園村くん」
姫芽の隣にいた美紗にも声をかけて、櫂人はすぐ男子グループに合流していった。
隣を歩く美紗からの視線を感じた姫芽は、ちらりと美紗に目を向ける。その目は、じとっと姫芽を見ていた。
「──……え、っと。美紗ちゃん?」
「ねえ、姫芽ちゃんって、園村くんのこと下の名前で呼んでたっけ」
「あ」
姫芽は気付いて、はっと顔を手で覆った。頬が赤くなっていることを自覚して、恥ずかしくなる。
冬休みの間、何度も電話をしたから、すっかり馴染んでしまっていた。
美紗が姫芽の反応を見て、さっきまでとは打って変わってきらきらとした目を向けてくる。
「冬休みに色々あって、お付き合いすることになったの……」
「っきゃー!!」
美紗が口を覆って叫び声を上げる。騒がしい廊下でもその声は一際目立って、何人かが振り向いた。
「美紗ちゃんっ!」
慌てて姫芽が美紗を窘めると、美紗はぺろりと舌を出してごめんと言った。
「うわ、おめでとう! ねえ、後で話聞かせて。っていうか、今日一緒に帰ろ。寄り道しようよ」
「……うん、ありがとう」
姫芽は照れながらも、おめでとうと言ってもらえたことに安堵した。
冬休み、誰にも言われなかった言葉だ。話していないから当然なのだが、大人の世界の現実ばかりが押し寄せてくるようで、心苦しかったのだ。
「あーあ。早く始業式終わらないかなー」
美紗がそう言って、体育館への渡り廊下を歩く。
姫芽も頷いて、小さく笑った。