デート・家族2
「はじめまして、園村櫂人と申します。今日は、先日姫芽さんにお貸ししたものを返していただくために立ち寄りました。突然のことに驚かせてしまい、申し訳ありません」
櫂人が礼儀正しく頭を下げる。姫芽の母親はちらりと姫芽に視線を向けてから、櫂人に向き直った。それから、嬉しそうに口を開く。
「はじめまして、姫芽の母です。随分しっかりした子ねぇ。姫芽、何借りたの?」
「マ、マフラー」
「私が勝手にお貸ししたものです」
姫芽が少し気まずそうにしているのを見て取って、櫂人が言葉を足してくる。
しかし、櫂人の言い方は非常によくない。どう聞いても誤解を受けるに決まっている。まして、それが親ならば当然のことだ。
櫂人には良くしてもらっているが、それは決して、姫芽に魅力があるからではない。
しかし姫芽の母親にはそんなことは関係ない。当然、気付ける筈もない。
「そうだったの。……ああ、そんなに固くならないで。外は寒いし、良ければ中に入っていかない?」
「ですが……」
「この後予定があるかしら」
「い、いいえ。ですが、急にご迷惑ではありませんか?」
「良いのよ。ほら姫芽、突っ立ってないで、櫂人くんをリビングにご案内して」
姫芽の母親は、言い淀んだ櫂人に断る隙を与えない。
姫芽が転校してから今日まで、家に友人を招いたことはなかった。初めての訪問者に、テンションが上がっているのが分かる。
「ちょ、ちょっとお母さん!?」
「早く。こんなとこいたら寒いでしょう。暖まってもらいなさい」
そう言って、姫芽と櫂人は玄関に残された。
姫芽がどうしようかとおろおろしていると、櫂人が気まずそうに視線を逸らす。それから、剥き出しの手をコートのポケットに突っ込んだ。
「あー……なんかごめん。上がらない方が良いなら、帰るから」
櫂人の言葉に、姫芽はすぐに首を左右に振る。嫌だというわけではないのだ。ただ、親に紹介するようになってしまったような現状に、恥ずかしさがあるだけだ。
姫芽は困惑を振り払って、玄関扉を大きく開いた。
「気にしないで。その、良ければだけど、中にどうぞ」
「それじゃあ、お邪魔します」
コートを腕にかけ、脱いだ靴を端に揃える。高校生男子にしてはあまりに整った礼儀作法に、姫芽は内心で首を傾げた。
リビングに移動してコーヒーを飲みながら、姫芽の母親は櫂人に質問を浴びせていく。そのどれもに真摯に答え、ときにははぐらかす櫂人は、姫芽から見ても落ち着いていて安心するものだった。
話し始めて三十分ほど経った頃、姫芽の母親が良いことを思い付いたとばかりに手をぱんと叩いた。
「──あ、折角だから、二人で出かけてきたら?」
それまで学校での話をしていたので、突然の話題の変化に姫芽は驚き、声を上げる。
「お母さん!?」
「だって、二人とも冬休みでしょう? 園村くんだってわざわざここまで来てくれたんだし」
「でも」
姫芽は隣に座る櫂人をちらりと見上げる。
櫂人は僅かに逡巡する様子を見せたが、視線に気付いて隣に座る姫芽に目を向けた。
「……姫芽ちゃんが構わないなら、少し街を見たいかな。どう?」
櫂人がそう言うと、姫芽はほっと小さく息を吐く。このままここでいつ終わるか分からない会話を母親と続けるより、二人で外出の方がずっと心臓に優しい。
それに、冬休みに二人で出かけるなど、まるでデートのようだ。そう考えると、心臓に優しいというのは気のせいだったようにも思えるが。
「それなら……待ってて。今、コート取ってくる」
姫芽は自分が飲んでいたコーヒーカップを台所のシンクに置いて、急ぎ足でリビングを出た。二階の自室に戻って、ベージュのコートを羽織る。それから少し迷って、纏めていたヘアゴムを解いて、櫂人から貰ったヘアクリップでハーフアップにした。
ニットのマフラーを巻いて、鏡を確認する。今更化粧を直しても仕方ないと思いながらも、色つきリップを唇に乗せた。
つけたままだった暖房を消して、部屋を出る。
リビングに戻ると、櫂人が姫芽に視線を向けた。その目が、姫芽の髪を見て僅かに見張られる。
姫芽は赤くなってしまいそうな頬を平常心を言い聞かせながら無理矢理押さえる。母親に男子に照れている姿など見せたくはなかった。
「お待たせ」
姫芽の声で、櫂人が立ち上がる。
「お邪魔しました」
「いえいえ、何かあれば、いつでも遊びにいらっしゃい」
櫂人はまた頭を下げて、玄関で靴を履く。
手に持っていたコートを姫芽の母親にここで着るようにと勧められて、礼を言って袖を通した。姫芽が返したマフラーも、首に巻いている。
「それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい」
姫芽は櫂人と共に街の方へと足を向けた。
クリスマス会をしたカラオケボックスがある辺りまで、歩いていける距離だ。まだ店もやっているから、見るものはあるだろう。
家を出ると、冬の冷たい風が姫芽と櫂人の間を擦り抜けていく。
櫂人から当然のように手を繋がれたが、姫芽はそれを咎めることはしなかった。