クリスマス・隠し事1
◇ ◇ ◇
櫂人は文化祭二日目を欠席したものの、撤収の日には登校していた。家の事情で休まざるを得なかったということで、クラスの誰も櫂人を責めることはなかった。
そして、これまで通りの日々が戻る。
文化祭をきっかけに、姫芽ももうクラスで浮いてしまうようなことはなかった。皆、当然のように受け入れてくれている。
しかし逆に、二人がただの友人ではないと思われていることもまた事実だった。姫芽が責められずにいるのは、櫂人が姫芽を何かと気遣っているように見えるからだろう。姫芽が櫂人につきまとっていると思われたとしたら、どんな嫌がらせをされたか分からない。
現状、少なくとも同じクラスの人達は、勘違いはしていたとしても、友好的に接してくれている。
そして今姫芽が直面しているのは、一週間後に差し迫った期末テストだ。
文化祭の三週間後に行われた中間テストは、姫芽のこれまでで最悪の結果だった。どうにか赤点だけは免れたが、結果、両親から思いっきり心配された。叱られたのではなく心配されたのは、きっと転校してすぐの試験だったからだろう。実際成績が悪かったことの一因は、転校で教科書が変わってしまったからだった。
次の期末テストでは、どうにかして挽回しなくてはならない。姫芽は放課後の教室で、ここ一週間で纏めたノートを見返し、広げた問題集の解答と見比べていた。
そのとき、夕日が差し込んできた窓からの日差しを遮るように、机に影が差した。はっと顔を上げると、そこには鞄を持った櫂人がいる。集中していて気付くのが遅れてしまった。
「──姫芽ちゃん、帰らないの?」
「園村くん。いや……家に帰ると、誘惑多いし」
姫芽はそう言って苦笑した。
高校生の自室とは、なんとも誘惑が多いものなのだ。姫芽の部屋も例に漏れず、漫画や雑誌、ゲームもある。テスト前に限って、勉強する前に大掃除をしたくなる病にかかる可能性もあった。
それならば、下校時間まで教室にいた方がかえって集中できる。
櫂人が鞄を下ろし、姫芽の隣の席に腰を下ろした。
「そう。俺も勉強してって良い?」
「え。でも、園村くん、バイト──」
櫂人は文化祭が終わってから昨日まで、放課後は毎日のように急いで下校していた。姫芽は勝手にバイトが忙しいのだろうと思っていた。
文化祭のときに聞こえてしまった櫂人の兄であるらしい道人との話は、その後、櫂人に聞けていない。話によると、櫂人は実家に帰っていないらしい。一人暮らしなのだろうか。バイトで忙しいのも、それと関係があるのかもしれない。気にならないと言ったら嘘になるが、家庭の事情はきっと気軽に尋ねていいことではないだろう。
「テスト前は休みもらってるから」
櫂人が鞄の中から問題集とノートを取り出す。ちなみに櫂人は、中間テストでは学年二位だった。ちなみに一位はまさかの歩だ。
姫芽は会話を切り上げ、自分の机に向かった。
しばらく数学の問題集を解いていたが、答え合わせをしても分からない問題にぶつかってしまう。
「うーん……」
「どうした? ああ、これか」
固まったままの姫芽が気になったのか、櫂人がひょいと姫芽のノートを覗き込んだ。姫芽は唸りながら、シャープペンでノートをこつこつと叩く。
「ここまではできるんだけど」
姫芽が言うと、櫂人は椅子を姫芽の机に寄せて、右手をノートに伸ばしてきた。
「これは、もっと手前──ここで、式を公式の形に揃えるんだ」
ちょっとごめんね、と小さく言って、櫂人が姫芽のノートにさらさらとシャープペンを走らせていく。少し薄く書いてくれているのは、この後消せるようにという配慮だろう。
「こうして、こう」
櫂人は説明を交えながら、式をどんどん変形させていく。そのペン先が、姫芽が辿り着かなかった解答までの道を示していった。
最後の答えに辿り着いたとき、姫芽は満面の笑みで櫂人を振り返った。
「あ、そっか! ありがとう、園村く──」
姫芽は息を呑んだ。それは、櫂人も同じだろう。
思ったよりもずっと近くに互いの顔がある。まるで口付けを待つような距離だ。
がたん、と椅子が揺れる音がする。
「ご、ごめん」
先に動いたのは櫂人だった。はっと顔を離して、取り落としかけたシャープペンを机に置く。
姫芽は動けなかった自分を取り繕うように、思いっきり俯いた。頬が急速に熱を持っていく。下ろしたままの髪が顔を隠してくれているのが救いだった。
「ううん。私こそ夢中になって……」
姫芽は俯いたまま呟いた。
冬が近付いた教室は暖房で暖められているが、窓の外はいつの間にか暗くなっている。残って勉強をしていた生徒達も、図書室や職員室に行ったり、家に帰ったりしたようで、教室にはもう姫芽と櫂人しかいなかった。
「園村くん。その……聞きたいんだけど」
姫芽は、シャープペンを縋るようにぎゅうと握り締めた。
もう一つ、気になっていたけれど、聞けなかったことがある。ずっと姫芽の中に燻っていた疑問だ。聞いたら認めることになってしまいそうで、聞けなかった。
しかしもう、櫂人と出会ってから二か月以上が経っている。
二人きりの今なら、聞けるような気がした。
「セリーナ姫って、どんな人だったの?」
櫂人が、驚いたように姫芽を見つめていた。