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霧の八峰山  作者: ウチダ勝晃
第三章 神域の少女

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神域の少女①

 真っ赤に充血した目をしばつかせながら朝食のお膳に向うと、真樹はあくびを噛み殺しながら、ねぼけてしびれた舌へ熱い味噌汁を注ぎ込んだ。早々起きて宿の周りを散歩していた二人は腹が減っているのか、先ほどからしゃもじがひっきりなしにお櫃と茶碗の間を往復している。

「いいねえ、若いって言うのは……」

 のっそりと箸を動かし、四等分にした卵焼きをほおばりながらつぶやく真樹へ、少年がだらしないなあ、と返す。

「これから八ヶ峰神宮まで行こうっていうんだから、もっとシャキっとしてもらわないと……。朝っぱらから辛気臭いと一日、やることなすことミソが付くんですよ」

「け、ジジ臭い。オレはそういうのは無視する主義なの」

 それきり、味噌汁を飲み干し、卵焼きやアジの開き、漬物や梅干の小鉢と、おかずを順繰りにつつきながら、真樹は箸をおくまで一言も発さず、朝風呂……とだけ言い残し、タオル片手に部屋を出て行ってしまった。

 髭剃りがてら浴びた朝風呂でいくらか眠気も吹き飛ぶと、真樹は宿の親父が淹れてくれたコーヒーを飲んでから、速射ケースと肩掛け鞄を携え、少年たちと共に八ヶ峰神宮へと続く参道へと躍り出た。雲の少ない、強烈な夏日がふりかかる、朝の十時半過ぎのことである。

 夏休みということもあってか、駅の方からやってくる観光客や散歩に出る湯治客が多く、参道は縁日のようににぎやかであった。八峰温泉の源泉――二十度前後の冷泉で、風呂はこれを沸かしなおしたものである――を使ったサイダーを売る露店や、氷、と染め抜いた旗がゆれる茶店から香る玉こんにゃくやアイスクリームの甘い匂いに誘惑されながらも、三人はどうにか、神宮名物である、五十尺近い丹塗りの鳥居の前にたどり着いた。

「これを見るだけでも、ここへ来た価値があるねえ。真樹さん、シャッター頼みます」

 少年の頼みに、真樹はピントを合わせると、鳥居の下に二人を収めてシャッターを切った。通りがかった旅行者に頼んで、三人一緒の写真を撮ってもらうと、真樹は少年たちを率い、休日を過ごしに来た普通の旅行者のように和気あいあいと境内へ足を踏み入れた。ひとまず、手当たり次第に神職を捕まえて、この頃変わったことがなかったか、尋ねてみようという算段なのである。

 が、悪いことに団体の参拝客が二組ばかり大所帯で本殿の方に集まっており、青い袴の宮司からアルバイトらしいおみくじ売りの巫女さんに至るまで、真樹たちが声をかける隙のあるような相手はどこにもいなかった。

「――弱ったなあ、こんなに繁盛してるとは思わなかった」

 トタン葺きの自販機コーナーへ避難すると、真樹は汗を拭いてから、少年たちに何か飲みなよ、と、小銭を手渡した。

「この調子だと、いったん引き返した方がいいんじゃないかなあ」

 首にかけたタオルで汗を拭きながら、少年は自販機で買った缶入りの緑茶を舐め、遠くで列をなしている一団を顎で示したので、真樹は腕を組んだまま、

「夕方に出直す、ってわけか。まあ、それが一番理にかなってるわなあ」

 と、肩にかけた速射ケースの紐を直してから、どことなく名残惜しいのを我慢して、雑踏の中を遡っていくのだった。

「おや、お早いお帰りで……」

 玄関先でほうきを使っていた宿の親父に声を掛けられ、真樹はぎょっと立ちすくんだが、

「いやあ、年甲斐もなく人酔いしてしまって……。ひと風呂浴びたいんですが、構いませんか」

 柄に合わない作り笑いを浮かべてごまかすと、親父はすっかり同情して、

「無理もありません、この頃は混雑が特にひどいんです。ちょうど掃除も済んだばかりですから、どうぞ一番風呂で気分を直してください。お昼はどうします――」

 と、真樹たちを廊下の奥へ控えている大浴場へ案内し始めるのだった。

「――よかったね真樹さん、日ごろ運動不足っぽい顔してんのが役立ったじゃん」

 燦々とした日差しが飛び込む湯船ですっかり気分のよくなった真樹は、湯気越しにからかってくる少年に、無言で手元の湯をかけ、頭の上のタオルで頬を拭った。

「ひどいなあ、びしょ濡れだ」

「――余計なこと言った罰さ。ま、思いがけず暇が出来たことだ、僕はせいぜい、出版社から頼まれてる原稿の続きをすることにしよう。君らはどうするんだ、また昨日みたいに素人竜王戦と洒落るのかい」

「それしかやることないですもん。――井村くん、次は僕が勝つから、覚悟しといてよ」

「ハハハ、お手柔らかに……」

 駒を打つ手真似をする少年と井村を一べつすると、真樹は洗い場に無造作に投げられた手桶でタオルを濡らし、顔を撫でまわすように拭いた。

 ――これでまるきり、空振りならいいんだがな……。

 二人に悟られないよう、顔を覆ったまま腕組みをして湯につかる真樹の胸のうちは、正直なところ穏やかではなかった。少し前、謎の新興宗教を追い、社崎の港で死闘を繰り広げた記憶が生々しい真樹には、もしもまた、命にかかわるような出来事が身に降りかかったら……という不安が始終付きまとっていたのである。しかも、今度に限っては良き相棒たる坂東医師は居らず、余分なおまけが二人、チョコマカとくっ付いてきているわけだから、責任の度合いもまた変わってくる。怪我一つでも負わせたらどうなるか、真樹にはそれが目に見えて恐ろしかったのである。

「……げに恐ろしきはママゴンなりや、か」

「真樹さん、どったん?」

 いつの間にか、右隣に少年が控えていたのに気付き、真樹はぎょっとしてタオルを下ろしたが、

「早く上がりましょうや。夜に備えて、食うモン食べて、飲むモン飲んで過ごしましょうや」

 と、自分の出るのを促しているだけなのを確信すると、ほっと胸をなでおろし、あとを追いかけるのだった。


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