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霧の八峰山  作者: ウチダ勝晃
第二章 八峰山のふもとへ……
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八峰山のふもとへ……②

 だが、現地に行こうにも、そもそも問題の写真がどこで撮影されたのかがわからなくてはどうしようもない。その日以来、真樹は写真をL判に焼いたものをポケットに忍ばせ、出かけた先で様々な人々に心当たりがないかを尋ねてみたが、芳しい答えはついぞ帰ってこなかった。

「――これほど聞いてわからないとなると、梨のつぶてかもしれないなあ」

「どうしたんですか、店長。砂肝全部もらっちゃいますよ」

 夏休みということもあって、普段より多めに出勤してきている蛍は、半分ほど食べたまま留守になっている焼き鳥の串と真樹を見て、手元から砂肝の乗った皿を引き上げようとした。

「――おっと、それはいけない」

「なーんだ、ちゃんと意識はあったんですね」

 蛍の言葉に、真樹は人を植物状態みたいに言ってェ、と渋い顔をしてみせる。

「いやね、ちょっと訳あって、ある写真がどこで撮影されたかを調べないといけないんだが……なかなか手がかりがつかめなくってねえ」

 ジーパンの尻ポケットからしわの寄った写真を出すと、真樹はそれを蛍へと手渡したが、秒も経たないうちに、

「ああ、ここならたぶん、わかると思いますよ」

「――なんだって」

 蛍の言葉に、真樹は串をちゃぶ台の上に放り出して叫ぶ。

「教えてくれよ蛍ちゃん、いったいここは、どこなんだい」

「――店長、落ち着いてください。まあ、まずはその砂肝を食べてからでも……」

 落ちた串を拾い上げ、残りを胃に収めると、真樹は改めてその場所について尋ねた。

「たぶんですけど、これ、八峰山のふもとの町だと思うんです。小学生の時、遠足でこの辺りまで行ったことがあって、そのとき見た、木の合間から見える神社と後ろ向きの鳥居がこんな感じだったような気がするんですよねぇ」

「八峰山のふもと……となると、八峰町か」

 八峰町というのは、傘岡市の東に連なる傘岡三山の一つ・八峰山のすそ野に広がる町で、小さいながらも、打ち身によく効く温泉の湧く、知る人ぞ知る温泉街として知られた場所であり、真樹も幼少期に何度か足を運んだことがあったが、はたして神社などあっただろうかと、記憶の方はかなり曖昧であった――。

「はて、神社なんかあったかねえ」

「あんまり有名じゃないけれど、いちおうありますよ。お参りをして、そばの茶店でお団子を食べた記憶があります」

 そこまで言われては真樹も否定はできず、仕方なく売り物の県域地図を開くと、確かに八峰山のふもとには「八ヶ峰神宮」という大きな神社があること、そしてその四方に鬱蒼たる林があることもわかった。

 ――なるほどねえ、ここだったのか。

 地図帳を本棚に戻しながら、真樹啓介は一人胸の内でつぶやいた。武蔵川の河川敷から風船で上空へ上げた、という井村の言葉から考えると、八峰山のあたりにロケットが不時着する可能性は極めて高いのである。

「いやあ、おかげで助かったよ。悪いがちょっと、それに絡んで報告をしに行かないとだめだから、今日はもう店じまいだ。バイト代はいつもの時間までの分で計算しておくから、どこかでお茶でも飲んでおいで」

「もー、店長ったらまたそうやって商売をさぼるんだから……よくありませんよ」

「なあに、そんなに生活には困ってないさ。まあ、そのうち一緒に、どこかの夏祭りでも行こうじゃないか。何なら、ボーナスついでに浴衣、新調さしてあげるぜ」

「――まったく、啓介さんったら……」

 悪い人なんだから、と、耳元でささやくと、しばらく二人は壁に肩を預けて互いの唇を這わせ、背中へ手のひらを絡めているのだった。


 つかの間の逢瀬が済むと、真樹は例の写真を持って、少年の済むアパート――というよりは下宿館と言ったほうがよさそうな――『頓珍館』の三階フラットを訪問した。ちょうど井村を招いてコーヒータイムと洒落ようとしていた少年は、一人分追加かあ、と愚痴りながらも粉の量や水を増やし、愛用のサイフォンで香り高いモカを淹れてくれたのだった。

「そうかあ、場所、わかったんですね」

 話を聞き、井村は胸をはずませながら喜ぶ。彼の手土産であるドーナツをかじりながら、真樹は得意げに、

「ああ。たまたま本を見てたら、見たような鳥居と林があると思ってね……」

 と、自信満々に答えて見せたが、フラスコからコーヒーを手酌で汲んでいた少年はそれを鼻で笑い、本当かなあ、とあしらう。

「どうも怪しいなあ。――大方、蛍さんあたりに写真を見せたら、あちらさんが見覚えがあった、とか言ったんじゃないの?」

「――な、何を言いだすかと思ったら……実はそうなんだ」

 だが、少年はそれを責めるでもなくにこやかに、

「あんた、ウソついた時にわかりやすい顔してるから嫌いじゃないぜ。それより井村くん、これからどうしようか。場所も分かった以上、現地に行くのが最善手だとは思うんだが……」

 先だって話の出た、現地への調査旅行のことに、真樹はやや顔を引きつらせる。

「二人とも、僕や坂東先生を置いてけぼりにして話を進めるのだけは勘弁してくれよ。もし何かあったりしたら、その時いったいだれが責任を負うんだい」

「そりゃもちろん、僕に話を振ってきた真樹さんでしょ」

「おいおい……」

 とはいえ、実際この一件に真樹がまるきり関係ないというわけでもなく、しぶしぶ、真樹啓介は二人の調査旅行の同伴を買って出ることとなったのだった。

 そして迎えた出発当日、傘岡駅の在来線ホームの東側にある越鉄・八峰線のホームに停まった快速の貨客混合に乗り込むと、真樹啓介と少年、井村司の三人は、開け放った窓から見送りに来た坂東医師に出発の挨拶を述べるのだった。

「――すいません、今回は手が離せなくって……」

 麦わらのソフト帽をかぶった坂東医師は、しきりにシャツの襟もとへ扇子の風を送りながら、三人へ参加できない旨を詫びる。お盆休みを前にして、坂東医院は予約患者が殺到しており、今回だけはやむを得ずパス、と決まったのであった。

「それだけ、坂東先生を心待ちにしてる患者さんがいるってことじゃないですか」

「まあ、そういうことになるんでしょうが……。真樹さん、くれぐれも気を付けて」

「なあに、ちょっとやそっとじゃ僕はくたばりませんよ。そいじゃあ、留守の間、何かあったら連絡を頼みます」

 やがて、発車を告げるベルが鳴り響き、間近にいた坂東医師はそっと、駅名看板の隣へと避難した。きしむような音を立て、年季の入った客車や貨車が電気機関車に引っ張られてホームを出てゆく様子を、坂東医師はその最後尾が視界から消えるまで、ずっと見守っているのだった。


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